SS詳細
5人で過ごす、永遠の1日
登場人物一覧
青々とした葉が風で揺れ黄金色の陽光が降り注ぐ、花畑。
心地よいせせらぎが聞こえるその川のほとりで背伸びをする、一つの影があった。
「んー……はぁ、ちょっと寝ちゃってたねぇ」
ハッピー・クラッカーと呼ばれていたそのクイックシルバーは、息を吐いて気合を軽く入れ直すと、背後で我が子をあやす妖精へと声をかける。
「メープル、先に起きてたんだ」
「あはは、流石にいつまでも目覚めが悪いって言ってられないよねえ」
その妖精、メープルは花畑でそうはにかみながら両腕に大切そうに抱え込んでいる
旅人の女の子、ピース。
精霊種の男の子、メイス。
「それじゃ、帰ろっか」
「うん」
すやすやと眠る彼らを抱きかかえ、二人は花畑の上をゆっくりと飛んで帰っていく。彼女たちの散歩の帰りを待つ
いつも平和な妖精たちの春の国。
その中でも一際大きなお城が、今の彼女たちの住処であった。
「サイズ、帰ったぞー」「サイズさん、ただいま」
「ああ、おかえり」
2人の妻とその2人の子供、彼女たちを出迎えるのは1人の蒼の妖精。
かつて依代であった
「ちょうどご飯の支度が出来たんだ、2人とも手を洗って来てくれ……特にメープル」
「ふふ、言われちゃってる」
「わ、私だっていつまでもおてんば気分じゃないやい!」
そんなやりとりをしながら妻たちは子供たちをそっと小さなベッドに寝かせてあげて身支度を済ませにいく。当たり前で、平穏な1日の始まり。
テーブルには、魔力をたっぷり含んだレーズン・ジャムとトーストがもう既に並べられていた。
ここでは、時はあっという間に流れていく。3人で仲良く食卓を囲んで楽しく過ごしていれば尚更だ。けれども、退屈するわけでは決してない。
何故かって、そういう時は決まってリビングの隣の部屋からメイスの泣き声が聞こえてくるからだ。そしてそれにつられて、ピースの泣き声も。
「あや、もうお腹空いちゃったのかな?」
「行こう、メープル」
「うん!」
即座に椅子から立ち上がり走っていくのは母親のサガか。2人の妻たちは娘息子を抱き抱え、空腹を満たして泣き止ませようとする。そこにサイズの出る幕はないので彼はナイフとフォークを置いて、妻の帰りを待つわけだが……
「メイスは相変わらずいっぱい飲むねー」
「そだねー、男の子だからかなぁ……」
そんな会話とハピ・メイ両名の姿が、ちらり、ちらりとドア枠の向こう側から見えてしまうもので。当然、子供を産んではっきりと女性らしい膨らみになったハッピーのアレも、もはや妖精としては規格外のメープルのコレも……
(違う、違うんだぞ……今はそういう時じゃないんだからな……!)
そう言い聞かせてもああ悲しいかな、サイズは無意識の中で好奇心に屈し息子たちの飲みっぷりをまじまじと眺めてしまうのであった。しょうがない、
厳しい冬の寒さも焼け付くような夏の暑さもないからといって、3人が退屈を覚えることはない。なぜなら、メイスもピースも日々すくすくと健やかに成長し続けるからだ。
妖精夫婦にとって、子育てというものは生易しいものでは無かった。元から異世界の旅人同士であったハッピーの子供は言うまでもないが、メープルも妖精の赤子の育て方など知る由もない。
「そりゃ、見たことないとまでは言わないけどさ……?」
メープル的には妖精とは——自分がそうだったように——マナの濃いところに自然と産まれるものという認識だったのだ。だからこそ、サイズを快楽で縛りたい、子供を産んで育てたい……そんな歪んだ願いで豊満なドリアードの成体にイレギュラーな進化をしてしまった事を恥じていたのだから。
つまりは全てが手探りというわけで、容易いものではない。幸いサイズは鍛治をはじめにあらゆる職人技に通じていたから子供用の家具を作るなど朝飯前だったし、赤子を一目見たいと集まったもの好きな妖精たちがおむつ代わりに最適な草やら落ち着く香りの花やら持ってきてくれているから不自由があったわけではないけれど。ハッピーもメープルもお父さん自慢の娘(息子)をふつーの妖精にするわけにはいかない! ……なんて意気込んでいたものだし。
3人で話し合って、きっとこれがいい! と思ったものを兎に角片っ端から試して、試しては試行錯誤の日々が続くのであった。
サイズは妖精郷で取れる色々な木や、軽くてまるで岩の様に硬い不思議なキノコを集めては綺麗に形を整えてトゲが出ないように加工してカラフルな積み木をこしらえる。子ども部屋にころんと転がしてあげれば、ピースは喜んでハイハイで近づき、一欠片握りしめてはトントンと地面に叩きつけたりして喜んだものだった。
「おー、おー、元気いっぱいだあ! いいぞー、賢いぞー、将来は天才待ったなしだなー!」
「大げさじゃないか……?」
で、メイスはというとじーっと寝ぼけ眼で指を咥えながら転がったそれを見つめるだけ。
「むぅ、あまり食いつかないな……」
「サイズに似てないこー的になっちまったかなー」
「……メープルに似て寝坊助なだけかもしれないけどな」
「な、なんだよー」
「はいはいふたりとも、怒ってもないのに子供の前で夫婦漫才しない……ほら、メイスもピースも、ママが本を読んであげるからねー」
ハッピーはピースとメイスへと優しく声を掛けると、自分の部屋に積まれた妖精サイズの絵本の山から一冊持ってきて、色鮮やかなその1ページを開いて二人に見せてあげる。混沌のあちこちから集めてきた本だ。練達で言えば桃太郎やかぐや姫とか、鉄帝でいえば努力をして闘技場で頂点を目指す男の話なんてのもある。
「今日はそうだね、大きな海を冒険して新天地を目指した冒険家たちの絵本にしよう! 海だぞ!
それと、この世界のために戦い抜いた
「お母さんもなー、そこで山よりでっけーヘビと戦ったことあるんだぞ! すっごいんだぞ! こわいんだぞー!」
(ヘビ……リヴァイアサンってヘビか?)
「サイズ、なんか頭の中でツッコんでない?」「別に……」
ハッピーが物語を読み聞かせている間、サイズとメープルは小休止を取りながらじっと絵を見つめる子どもたちをそっと見守っていた。
「なぁ、メープルは何か案とかないのか? 妖精郷で小さい頃にやった思い出の遊びとか……」
「えあ? え、ええと……そうだなあ、わ、私変わり者だったからなあ、そーゆー知識とかは……」
「そうか……」
「あ、ああでも無いわけじゃないんだぜ! ハッピーが外の世界なら、私は
ふふんと胸を張って指を鳴らしたメープルにサイズが首を傾げていると、お城で拭き掃除をしていた妖精たちがふよふよと集まってきた。大体は大きなお城を掃除したいとか、珍しい妖精夫婦を見たいとか、そういった趣味でハウスキーパーに来ている者たちだ(サイズは生真面目だから、資産を切り崩して彼らにも給料を払っているわけだが)。その中にいた、大きな目玉の様な模様のついた翅を持つ妖精が、メープルの前に宝箱を持ってきた。
「団長、赤ちゃんたちが好きそうなものを持ってきたけれど……」
「よーし、よくやった! 後でボーナスあげるよ!」
「メープル、これってもしかして……」
ハウスキーパーの仕事を再開した妖精たちを見送ったサイズが箱を開ければ、その中には一つ一つ違う色に輝く石ころがいくつか入っていた。それは他の物とぶつかるたびにまるで鉄筋の様にきれいな音が響き、ついでに言えばサイズのつみきの上に乗せるにもぴったりのサイズだった。
好奇心が強いのは妖精の常だがメープルは一際の変わり者、妖精郷の各地に無秩序に出現する数多の危険なダンジョン、何故か人間サイズのその迷宮たちに積極的に挑んでお宝を持ち帰る探検隊の団長だったのだ……って、それくらい覚えてるか、サイズなら。
「この石が落ちてたトコも綺麗だったからさ、鳴らしてみながら二人に伝えようかなって、きっとメイスも喜ぶ事間違いなし、ってね!」
「なるほどな、ダンジョン探索の魅力を伝えようと……」
「そのとーり!」
「ところで、魔力の痕跡が随分と新しい気がするんだが……メープル、あとで話をしようか」
「……うぐ」
お乳を飲ませていっぱい遊んであげた頃には、メイスもピースもすっかり夢見心地。
「ハッピーは幽霊なんだしピースも
そうやってメープルが眠りにつく子どもたちを見守る間は、サイズとハッピーの二人の時間だ。
「サイズさん、それじゃあ今日も、よろしくお願いします」
「大丈夫だよハッピーさん、そんなに固くならないで」
そうは言われてもサイズがそっと手を取ると、ハッピーは顔を赤くしてもじもじとしてしまうだろう。
「敵を切るのと同じ感じだよね、大丈夫、大丈夫……」
緊張でそんな事を呟きながら、ハッピーはまな板でトントンと妖精郷の外から持ってきた野菜をサイズの指導の元で切っていく。これからはイレギュラーズとして皆の盾になるのではなく、一人の主婦として家庭を支えていくのだ。そう家事を学びたいと申し出たのはハッピーからであった。
広いお城の掃除や家族5人の洗濯物の処理、妖精郷では食事の支度だって時には外でイチイの実やらキノコやら薬草を自分で集めてきて可食部を分けるところから始めないといけない。
ハッピーはもっぱらハウスキーパーの妖精たちから教わる事が多かったが、サイズの手が空いている日はサイズが直接手ほどきするときもあった。元から職人気質、
「二人が離乳食を食べ始めるまでには一人で作れるようにならないと、だね……」
相手は全てが未知の赤子だ、いつ歯が生え始めるかわからないからこその焦りは少しハッピーにあった。それでも何事もなく今日の晩飯の支度を済ませる事ができたのは後ろで寄り添ってくれたサイズのおかげだろうか。そう考えると、包丁がまな板と触れる音がまるで自分の心音の様に聞こえてくる、そんな居心地にハッピーは浸ってドキドキしてしまうのであった。
そうして作り置きができたら次はお洗濯だ。ハウスキーパーたちと並んで白い服、色物、果ては妖精たちが悪戯をして汚したカーテンまで、あるものは魔導式の洗濯機に入れ、あるものは水を張った大きな桶の中で丁寧に手洗いをしていく。
「あと二人のおむつもねー、ハッ、ピー」
「んえー! しょうがないなあ、もうっ!」
「しょうがないだろー、妖精サイズの紙おむつなんて量産するわけにもいかないしさー」
いつの間にかメープルも合流したのだろうか。そんなやり取りを妻たちがする声が聞こえて来る中、サイズは机の紙の山と向き合う。大半の妖精はそれを滅多に読まないだろうが、彼の部下となればそうでもないし書かなくてもいいものでもあるまい。なら、書類を書く。それがサイズという妖精である。
今の妖精郷の主は無論二人の女王だが、常春の国の中では珍しい四季の空気が吹くその一角の広い領地一帯を任されたサイズもまた妖精たちの幸福を願う一人の領主である。……と、いうか。面白そうなことならなんでもやる妖精たちのことである。面白半分であれもこれも治めて欲しいと少しずつ土地を付け加えるのだから執政官だけに任せるわけにもいくまい。
『みんな真面目なサイズが好きなんだろうね、これじゃあロドじゃなくて
……そんな事を言って笑っていたのはメープルだったか。羽根ペンをインクにつけて、一度視線を見上げれば、風がよく吹くバルコニーで干すことにしたのだろう。洗濯物を干し終わり……顔までは見えないが、抱きしめ合う二人の姿をサイズは見た。三人婚だ、妻同士が愛し合っているのは知っていたし、母親として張っていた気が抜けたらメープルがえっちなニンフの本能からキスの一つや二つお願いするなんて、よく知っていたことだけれど。
「……羨ましいな」
俺もさっきハッピーさんにしておけばよかったな……そんな事をふと考えてから、慌てて邪念を
振り払うように真っ白な紙へと羽ペンを向けるのであった。
「ごちそーさまでしたー……ねね、ハッピー、後で隠し味何使ったか聞いていい!? これすっごく美味しかった!」
「おおっ! メープルもやっぱり気になるかっ☆ミ いいぞー、今夜たっぷり教えてやるからなー!」
日は沈み、外に満ちる光が大きな月と星々だけになった、静かな夜。
光を放つ魔法のシャンデリアの下で、3人は手を合わせる。サイズは静かに息を吐くと、妻たちの方へといつもの様に声を掛ける。
「ふたりとも、どうする? もう夜だけれどお風呂に入った後眠る準備を――」
「ねえねえハッピー知ってる!? 今日さ、すっごい流れ星降るんだって、お友達の占い師がいってた!」
「えっ、ホントそれ!? 私もみたい! お風呂入ったあと一緒に見ようよ!」
「……二人とも、明日も早いし……」
「えー、いいじゃんサイズー、メイスたちもまだまだ元気で寝付きそうにないしさー」
「えへへ……おねがい、パパ」
「……まったく」
ただ、こんなふうにいつも通り決まった生活をするとは限らなかったけれど。メープルやハッピーの気まぐれもいつまでも続く平穏のスパイスになるならちょうどいいかもしれない。
サイズもなんとなく、そう考えてしまうことが増えてきた。
(嵐の来ない日々。きっとこれこそが、俺たちが守った平和というものなのだろうな……)
四季の魔力が混ざり合う場所は、いくつもの自然の恵みを与えてくれる。
お城の近くに湧き出た源泉を引っ張ってきたお風呂に向かう、妖精たち。
露天風呂もあるにはあるけれど、悪戯好きの妖精たちがいつ覗きにくるかわからないと、晴れでも屋内のお風呂を選ぶのはサイズのちょっとした独占欲か。
「……今更だけど俺も入っていいのか?」
「サイズー、あんなに夜はケダモノなのに風呂くらい今更だろーがよー」
「そうだねぇ、子どもの前でコーフンされたらちょーっと困っちゃうけれど……」
「め、メープルがそうしたんじゃないか……別にいいけど」
身体を清め、乳白色の温かい湯船に静かに浸かり、サイズは静かに息を吐く。
蒼い彼の翅が、湯を吸って少し重い。
ぱしゃぱしゃと水面が揺れる音にふと目を開いてみれば、ハッピーとメープルが愛する子を抱きしめながらいつの間にか湯船に浸かっていた。
お湯は、メイスが蹴って遊んでいたらしい。
「……ごめんよおサイズ、もうちょっとお風呂に慣れさせたくてさ……誰に似たのか、水場がまだちょっと苦手みたいで」
「ふふ、ピースは気持ちよさそうにぷかぷか浮いてるのに……」
ハッピーが目を離さず抱きかかえるピースはその言葉の通り、まだ幼いというのに心地よさげに仰向けになり、ゆらり、ゆらりと母親の胸の前で浮いている。
メイスもメープルに両脇を抱えられながら、恐る恐る母親の前で観念して湯船に浸かっているようであった。
……胸の前で。できればフェアリーの頃の方が良かったけれど……
「……違うッ!?」
「「ふえ!?」」
思わずそんな声が出て心の声を否定して、サイズは頭を大きく横にブンブンと降って邪念を振り払う。今は
「……そ、その……二人とも、メイスとピースを貸してくれないか?俺も抱っこしたくて……お風呂のいい慣れさせ方を知ってるからさ」
「マジでー!? サイズ助かるー!」
「じゃあメイスからだねメープル、さ、パパのところにいってらっしゃーい!」
ああ、なんとか誤魔化せたな。まるで絹の様に柔らかいメイスの肌を抱きしめながら、サイズは大きくため息を付いた。
「……ふう」
「「……スケベ」」
「……うん……」
……どうやら誤魔化せては居なかったようだ。
更に夜は深まり、本来ならば既にベッドに潜り込んでいる夜更け。
子育てというのは難儀なもので、如何なる夜更けに寝ていてもお腹が空いたと泣き声をあげられたら起きなければならないもので……
それならば、起きている内にいっぱい遊んで疲れさせよう! そんなハッピーの言葉は建前で、やっぱり流星群が見たかったわけだけれども……
「サイズさーん、置いていくよー」
「待ってくれ、すぐに行くから……!」
四季の風が吹く、サイズの領地。
秋が支配するその街道そばに広がる星空は、とても乾いて遠くまで見えると近くの妖精たちにも評判であった。城の温泉から上がったばかりの身体から水分が蒸発して、少しばかり寒く感じる。
時折すれ違っては領主さんと手を振ってくれる妖精たちと挨拶を交わしながら、ちょうどいい草むらを見つけると3人は静かに降り立って、夜空を眺めた。
「……綺麗だ」
「わぁ、いっぱいだー!」
透き通るように無限遠に広がる空に広がる、星、星、星――まるで金平糖の様に輝くそれに、いくつもの白い軌跡が流れていく、流星群。
母親たちはそっと子どもたちを草むらに置いて、彼らの目にその情景を移す。まだ言葉も自我も希薄だろうけれども、きっと思い出に残るように。
「ね、メープル、願い事とかしよーよ!☆ミ いっぱいお菓子食べたいですっとか、ピースが天才になりますよーにとか!」
「無病息災、商売繁盛、家内安全、交通安全……」
「そ、そういうのじゃなくて拝みもしないでふつーにもっとふつーなやつ!? っていうかメープル、妖精が交通安全ってなにさー!?」
「……飛んでる時に空中でごっちんことか」
「意外と普通だった!」
(……そうか、星には願うものなのか)
元気な妻たちの声が耳に入り、そんな事をサイズはぽつりと考えた。
そして彼は静かに空を眺める。その時間だけは、彼の心は一人ぼっちだった。
「何を願うか、か」
ぐる、ぐると何かが渦を巻く、思考が闇に覆われていく。
(――何も叶いやしないのに。そもそも、どこで何を願えば良かったんだ?)
彼は、サイズがそう呟いた様な、気がした。
(そもそも、それを知ったら、俺はやり直そうと思うのか――?)
星空を見上げているはずなのに、意識はゆっくりと光の届かない深海へと沈んでいくようだった。圧力が思考を押し潰し、手足を縛る。まるでもがこうと手足を動かしても、身体に鎖と錘がつけられたかのように、深く、深く、深く――
「サイズ」
意識を覆っていた闇が遠ざかっていく。口に入り込んできたものは粘り気を含んでいて、そして酷く甘かった。
自分を呼ぶ声が、星空の下から響いている。ああ、自分は悪夢を視ていたのだろうか。
「サイズー、起きてるかーい、サイズサイズサイズー?」
ああ、そしてメープルシロップの様に甘い香り。
「やっと気づいた、そんなに星空が綺麗だったかー」
「……別に」
「……そっか」
そっと、視線を下ろすとサイズはゆっくりと、座り直した。
草の潰れる青い匂いと、感触が心地よい。
「メイスは?」
「もう寝たよ、ハッピーに変わりに見てもらってる」
肺の空気を絞り出すようにゆっくりと息を吐いてから、サイズは橙色の妖精の、その姿を見た。ほんの少し、困り眉。
「……息子もできたんだ、前向きに生きるつもりだよ」
「あはは、もう説教はごめんってカンジ! お互い後悔ばっかだもんねー、このおっぱいとか!」
「わぶっ!?」
前だったら、こんな不覚は取らなかったのに。後頭部に触れる暑くて柔らかい感覚と、見下ろすメープルの満面の笑顔を見ながら、サイズは内心そう呟く。
「ね、サイズ。私たちはずっとこうしていられるんだろうね。何年も、何十年も、何百年も――その魔力が尽きる日まで……だって、事故死するには強くなりすぎちゃったしさ?」
「……もう魔種と戦えるほどの力が残ってるか怪しいけどな」
「ほらそこ、普通妖精は魔種と戦おうとも思わないんだよ?」
上機嫌になったのだろう。そっとサイズを解放して、メープルはハッピーの方を見た。サイズも気になって、ハッピーの方を見た。彼女はすっかり疲れ切ってしまったのだろう。スースーと静かな寝息が3つ響いて、その母親のリボンが風に静かに揺れている。
「私、思うんだ。サイズ……100年後、イレギュラーズの事を覚えてる人は何人いるんだろうって……本で読んだとかじゃなくてさ?」
「え……?」
「人間ってそんなに長生きしないだろ? 私みたいな妖精や幻想種とか、あとキミやハッピーみたいな旅人なら生きてるだろうけどさ、うまく言えないんだけどね? なんて言えばいいかわからないんだけどね?」
メープルはそう呟くと、んーと、んーっと……、少し考えて、静かに頷いてウインクと一緒に親指を立てた。
「メイスを育ててやっと思えたんだ、完璧じゃなくてもいい。100年後もキミと居られる未来でよかった、って。終焉との戦いが、伝説になって、神話になって、忘れ去られて行くほどの歳月が経ったとしても……それでも、キミの伴侶でいられることが、とっても……」
「……俺は……」
「ムリに言わなくてもいいよ、私がそうってだけだからさ」
秋の魔力を帯びた、乾いた空気がサイズの頬の横を通り抜けていく。
ただ、時間だけがいつまでも流れている様な気がした。
「ね、サイズ……イレギュラーズになる前、いろんなダンジョンを巡って思ったんだけどさ」
「うん?」
「ここの建物とかダンジョンとか、妖精しかいないはずなのに人間サイズばっかだろ? 急に出てくるしさ、何回か考えた事あるんだ、『誰が作ったんだろう』……ううん、『どっからくるんだろ』、って。ここに人間がいっぱいきた伝説なんてそんなにないのにだぜ?」
「……考えた事がなかったな」
「私さ、思うんだ。もしかしてダンジョンは誰かが昔に作ったとかじゃなくて……もうあった、とか、他の世界から流れ着いて来たんじゃないかなって……メイスには、それを調べて欲しいんだ、この国の外、この世界の端っこ、そして他の世界までを渡ってね! 案外そこに、ヒントがあるかもしれないだろ? キミが求めても手に入らなかったものが、さ」
「見つかりっこないよ……」
「わからないよー? 子は親を超えるものさ。だって
こんなに勢いよく喋るメープルの姿を見るのは、久しぶりかもしれない。我が子がそれだけ可愛いという、証拠なのかもなんて、サイズは考えた。
「そうだとしても、メイスには外の世界を見てきてほしい。私ももうキミとの気持ちいいことしか考えられないニンフになっちまったしさ。そんで……寿命も長いんだ、すぐに帰ろうって焦らないで、5年か10年はのんびり過ごしたっていい、なんなら世界救っちゃったりしてさ! ああもう、夢膨らんじゃうなー!」
「……そう、ならなかったら?」
サイズの言葉に、メープルはウインクをすると何処からかグラスとミードの瓶を取り出し、彼に注いで手渡した。
「何があっても優しく受け入れる、それが母親ってやつだからね……あーあ、喋りすぎちゃった。あとは飲んですっきりしようぜ、サイズ」
「……もう一人のママもいるのに悪い母親だ」
「ああ、今日だけちょっぴり悪い母親さ、そして明日からいい母親に戻るんだ」
グラスとグラスがぶつかる音が、静かに響く。メープルが持ってきた、光る石の事を少しばかり、サイズは思い出していた。
「平和すぎる世界なんだ、それくらいの刺激はなくっちゃ、ここで長生きできないぜ?」

おまけSS『メープルから2人へ』
「サイズ、キミはイレギュラーズになる前から気にかけてくれてたよね」
「ああ、わかってたさ、キミは妖精には誰にでもやさしくするんだなって、だからちょっとうらやましくってさ、いっぱい意地悪しちゃってごめんね?」
「でもキミってばなんでも受け入れてくれるから、あれも、これもってどんどんと欲望が膨れ上がっちゃって……結果はこの身体だね、まったく」
「ま、なんだ。これから長いんだ、今後とも仲良くしてくれると嬉しいよ、サイズ」
「ハッピー、なんか、横から割って入っちゃったみたいでごめんね?」
「それでも、キミと遊んだりした時間はとっっても楽しかった! 本当はずっと遊んでいたい!」
「あーもう! ほんっと! キミって奴は最高だ! 私こんな奥さん持てて嬉しいよ! あははは!」
「それじゃ、また今度も話そーねっ! メープルはいつでも待ってるからね!」