SS詳細
3月14日
登場人物一覧
明るい陽の光が揺れたカーテンの隙間から差し込んできた。どこまでも深い微睡みへと沈んでいきそうな永遠の春の兆しに目を擦りながらロドと名乗る妖精はカーテンを明ける。
窓の外に無限に広がるようにも思えた花畑と光り輝く湖は、窓辺に置かれたカレンダーが無ければ文字通り月日を忘れて永遠に眺めていたくなるほどに麗らかな空気に満ち溢れていた。
「……もう14日か」
半ば蠱惑的な風景から視線を落とし、彼は今日という日付を確認する。
だが、彼の気分はその瞳の様に少し曇り空であった――というのも、お返しのプレゼントが決まらなかったのだ。
世間に合わせてクッキーや高価なワインの様な消え物を贈るのは鍛冶妖精の血が拒絶する。かといって凝った妖精サイズの指輪から花の冠なんてものまで考えたが
そういった時に彼が良く作っていたものと言えば、伴侶の片割れであるメープルの魔力を抑え込む物だろう。だが、彼女の内に回る魔力はその精神の昂りと共にいつも抑制を克服してしまうことに、彼は気が滅入っていた。
(あの時もそうだった、満足して気が緩んでいたら俺の口に、メープルの――)
「だぁぁぁっ!?」
……先月の光景が頭を過ぎり、ロド……もとい、サイズは頭を大きく横に振って煩悩を振り払った。
「なーに叫んでんだー?」
「い、いや、別に……」
甘い楓の匂いを振り撒きながらベッドから起き上がった茶髪の妖精はその鮮やかな毒の翅を広げパタパタと動かしながら寝ぼけ眼を擦り狼狽えるサイズを眺めていたが、カレンダーを眺めていた事で気がついたのだろう。ボソリと、揶揄う様に小さな声で。
「……ロリコンめ」
意地悪く笑うメープルの顔は、どう考えても
「でもざーんねんっ、これはメイスにあげるお乳でーすっ。もう数年は我慢しなー」
息子を抱きかかえけらけらと笑いながら立ち去る彼女に、サイズは何も言い返せずため息をつくのであった。別に母親としての姿が嫌いというわけではないが、出会ったばかりの頃の姿のメープルと愛し合いたい。ただ、これ以上抑え込もうと装備を手渡しても、誤解(そんなことはないが)が深まるばかりだ。
どうしたものか。そう悩んでいたサイズの思考に、一つの記憶が蘇る。作って見たはいいが、欲が先走りすぎたと試験運用もせずに倉庫にしまっていた一対の指輪。
「……これでも、使ってみるか?」
それが男性としての本能から無自覚に出した結論と、彼自身、その時は知る由もなかった。
●
「入れ替わりの指輪?」
「うん、たまにはいつもと違う二人も見てみたいなって……」
今日という日のための身支度を済ませ、サイズは絹の様に美しい肌と美しい金色の髪の幽霊を抱きしめる。そして手渡されたその不思議な形の指輪に、その妻、ハッピーは小首を傾げたのであった。
「勿論俺に作れるのはこの城の中で1日入れ変わるくらいのお遊びだけどさ」
「へ〜ぇ……サイズさん、そう言うのが見たいんだ。目の前で自分自身が抱かれるのを見せたいって」
「そ、そういうのじゃ……無いことも、無いけど……」
少しハッピー目線で考えてしまい、サイズは顔を赤らめながら目を逸らしてしまう。理由としては似たような下心であるのは、間違いないから。
「ちょっとした興味本意なんだ。付けてくれる、かな」
「大丈夫、私はOKだよ。メープルが良いならね」
ハッピーはニッコリと微笑んでサイズへと抱きついてその唇を重ねた。どの様な気持ちであっても、愛する物からのプレゼントを喜ばない、女では無いから。
「おっまたせー……って、もう始めてるし!」
「い、いや、これはただの朝の挨拶だメープル……ところでホワイトデーのお返しなんだけど、付けて欲しい魔どう」「オッケー♪」「えっ」
「へ、返事早いね……メープルって」
困惑するハッピーに、『いつものことだしね』とメープルはウインクをする。たとえどんなものでも未知の刺激をもたらしてくれるならば、妖精としての本能が満たされるというものだから。
「ちょうどこの寝室が一番魔力の流れが良くなっているんだ。ほら、指輪にガイドみたいな線が入ってるだろ。それを向かい合わせるんだ――」
「メープル、よ、よろしくお願いします」
「え? うん――」
誰も出歯亀がいない事を確認してから寝室のカーテンを締め、サイズは床にそっと魔法陣を浮かび上がらせる。妖精にとっても霊体にとっても質の良い魔力はその生命力を活性化し、
ハッピーは緊張しながらも指輪をつけた腕を上げて伸ばし、何もわかっていないがメープルもそれに合わせる。指輪のラインが一直線となり、光が強くなり――
(あれ? 何か妙に強くないか?)
違和感に気がついたのは、指輪を作ったサイズだった。何か嫌な予感がする。その予感が当たったかのように、メープルがあっと大きな声を挙げて。
「サイズごめん、指輪の向き逆だったかも!?」
「はあっ!?」
――彼の驚愕の声が届くよりも先に、寝室は強大な光に包み込まれた。
そして、数分の後。
「う、ううん……」
最初に目を覚ましたのは、ハッピーであった。目を擦り自分の手に付けられたひび割れた指輪を眺め、そして……足元を見る。
「あれ!? 何も起きて……ない?」
擬似的に投影するものはあれど幽霊である彼女に、足はない。それも変な話だ。指輪は霊体の内側の魂を綺麗に入れ替えると聞いていた、なのに
「もしかして、これって」
「う、ううん……頭が痛い……」
低い呻き声が、ハッピーの前方奥から響く。腕で大地を広げ、大きな透き通る青い翅が部屋に広がり空気が少し澄んだ、気がした。
「……サイズ、さん?」
「はぁ? ハッピー、寝ぼけてるのかい? 第一サイズはあっち、に……」
「」
「私が死んどるー!?」
「お、落ち着けーメープル!?」
●
「お、俺が……メープルに……」
サイズは、大きく感じられた姿見の鏡を前に唖然としていた。
そこにあるべき姿はなく、あるのは鮮やかな橙色の翅、ぶかぶかのドレス、そして小さな30cmのちんまい身体。
彼の目論見通り指輪によって入れ替わった精神は、メープルの肉体を母親からおてんば妖精のそれに戻したのである。ただし、サイズ自身の肉体として。
「え、ええと、実験大失敗……?」
「いいや、大成功だよ、ハッピー」
硬直しているサイズの後ろで、ハッピーに支えられながら座っているメープルがため息をつきながら笑って見せた。鏡に映る姿は、ハッピーに後ろから抱きしめられるサイズであったのだが。
「なあハッピー。前にこのエロ妖精は言ったのさ、一度私と入れ替わってみたいって……それでこんなモノまで作って――いちど冷静になったはいいけど、やっぱり使って
ニヤリ、と自分の顔で、メープルはニヤリと笑った。ある意味見られない、目に光が宿った悪戯心まみれの表情。図星なのだから、否定しても仕方あるまい。
「でも、変わっちまったもんは仕方ないさね……ハッピー、支えてくれる? 初めて成長した時もそうだったけど……床が少し低くて怖いんだよね」
「よーし、おまかせー☆ミ」
「……」
両腕を持ち上げる様にハッピーがメープル(の入った自分)を支えるのを軽く眺めると、サイズは鏡にそっと手のひらを翳す。贔屓目ということもあるがつま先から身体の隅っこまで、幼く可憐で活発な気質が満ち溢れている様に感じる。そしてうっすらと――光に晒さねば見えない傷痕も。
それは自身がまだ妖精の血を吸う鎌の化身であった時、メープルがこっそりとつけていた物だろうか。やるなと言われればやりたくなる。自分で染め上げたくなる、欲望を表すかの様に、そして彼女の体液は甘く昏い感情を増幅する毒へと――
「サーイーズー……♪」
ぎゅぅっ、と大きなものに抱きつかれ、サイズは思わず振り返る。大きな自分自身が、小さなメープルの体に抱きついているのだ。
「そんでこのあとどーすんだー? 色々観察してみる? それとも踊ってみちゃう……? ふふ、ハッピーも何しても楽しそうって言ってたよ?」
熱い、鼓動の様なものを感じる。メープルが自分に植え付け、身体の中に宿るサテュロスとしての魔力の塊の情熱である事に気づくのは、そう長い間を必要としなかった。
その瞬間、サイズは直感で何かを理解し、恐怖したのだ。
メープルはサイズと愛し合うためにその背丈を、肉体を成長させたという。肉欲を望んだ代償に、
だが、理解した。この器では。
サテュロスとしての欲望を、魔力を、受け止められない。
変化は体積なのだ。1.3の3乗は2.2倍だ。壊れてしまう。
彼女がしつこく言っていた言葉の意味を、自分自身の肉体に抱きしめられて、理解した。だがそれは恐怖の原因ではない。我慢して、無理矢理受け入れて仕舞えばいいと思っていたのに。
恐怖したのはそれ以上に、自分の内側に響く声。
もっと愛されたい。愛したい。時間を忘れて踊りたい、欲望に溺れたい。繁殖したい。この人と――
(何を考えてるんだ、俺は、違う――)
魔力が渦を撒き、快楽が風船の様に膨らんでいく、逆らえない、ニンフの、ドリアードの本能に。
(メープルが、メープルと、メープルの――)
「えへへ……サイズさん、すごい顔になっちゃって」
「拒みたいのに拒めない……抱きしめられただけなのに、欲しくてカラダが求めちゃう……よくわかるよ、サイズ」
頭がドロドロと甘い蜜に蕩された様に恍惚とし、細胞の一つ一つが繁殖を迎えるという歓喜の快楽信号を送っている。認めたくない、認められない。本能に屈し、自分がニンフの姿に変身させられてしまってしまっている事に。
「やめて、くれ……」
メープルに男性を植え付けられる前は女性よりの形質であった事もあるのだろう。自分で姿を制御できない事もそうだが、自分自身の顔をしたメープルを、求めて涙が止まらない自分が、恐ろしい。
「怖い事はしないよ、サイズ……第一今の君と踊ったら間違いなく2人目が出来ちゃいそうだ……産むのは私だからね、そいつはごめんさ」
「えー……ちょっと残念かも」
霞んだ視界の中で頬を膨らませるハッピーの前で、メープルが人差し指を立てて、彼女にそっと囁いた。
「だから、代わりにしたい事があるんだ。協力してくれるよね? ハッピー」
何を、そう問いかける前に……身体に電流の様な刺激が走り、掠れた声が喉を通る。
「私の体液は欲望を増幅する。それは私の欲望で、狂気に堕とすニンフの本能さ。だけど、それはキミの欲望じゃない」
顔を赤らめ、ハッピーが自分の、メープルの胸に手を伸ばし指を食い込ませる、覆い被さって、唇が重なり、吸い上げられる――!
「今の私の蜜を搾ったらどうなるのかなって……そう、提案したのさ、ハッピーも興味深々みたいだ、な?」
大きな自分の手が、迫る。空気の流れすら感じられるほどに、感覚が敏感に研ぎ澄まされていくのを感じる。
「楽しもうじゃないか、今日という日をね、サイズ?」
そして、
ニンフの嬌声が、暗い部屋に木霊するのであった。

おまけSS
サテュロスは精神に一度火がつけば、決して肉体が冷める事はないという。
その気になれば1週間は踊り続ける事もあったけれど、いざ自分がそうなってしまうと恐ろしいカラダにしてくれたものだと自分自身の中の
「メープル、来て……いいよ」
「……うん」
サイズの身体で、私はハッピーを抱きしめる。罪の数を数えたらキリがない気もするが、仕方ない。
それに、せっかくハッピーと踊れる機会なんだ。しなくちゃ損だろう?
だってアイツは、徹底的に干物にされて幸福の中微睡に沈んでるっていうのに……私はずっと我慢してたんだからさ……
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そんな記憶が、『サイズ』の身体に残っている。
本当にあった事なのか、快楽が見せた幻覚なのか、言いたい当てられる、自信はないけれども。