SS詳細
桜雪に温もりを
登場人物一覧
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終焉勢力との闘いを控えた2月の頃。雪さえも桜色に色づく恋の季節。
豊穣の山々を眺める眺望と雄大な湖のある桜狐神社は奇跡的に終焉獣の魔の手が及ぶ事もなく健在だった。
「ま、俺の日頃の行いがよかったからだな!」
「そこは神様らしくご利益とか、そういうのじゃなくていいの?」
せっかく神ムーブするチャンスだったのにね、と史之が肩をすくめてみせれば大鳥居の真下でふんぞり返っていた毛玉――もとい土地神のミケは一瞬だけ動きを止めた。
「み、
「なんの仕切り直しもせずに唐突なTake2はじまったな」
「うがぁぁ! ああ言えばこういう!」
せっかく入口で待ってやってたのに! と短い足でタシタシ参道の石畳を叩くミケは威厳こそ無いものの、二人が神社へ訪れる事を楽しみにしているくらいには人好きで馴染みやすい神だった。もはやお馴染みとなった気の知れた史之とミケのやり取りを、睦月はクスクス笑いながら眺めていた。
「諦めてください。僕の夫さんは長い間、神様を守ってきた人だから神様の扱いが得意なんです」
「睦月が言うと説得力しかねぇ」
参道中央は神様の通り道。けれど今の睦月はそこを通る事はない。史之と一緒に手を繋ぎ、共に参道の端を歩く。
この地で永遠を誓い合ってから時は経ち、過ぎる景色に想いを馳せれば思い出が瞼に浮かぶ。
――あのねしーちゃん。約束して
「折角しーちゃんに『一日でも長く生きる』って約束してもらったのに、このままだと世界が先に滅んじゃいそうだね」
「そうならないように足掻くよ。カンちゃんと一秒でも長く一緒にいたいから」
「ふふふ、かっこいいなぁ」
真っ直ぐ強い意思をもって答える史之の横顔は
無辜なる混沌に来たての時の自分なら、きっと張り合う様に「僕もしーちゃんを守るから!」と強引な手段に出ただろう。月日が過ぎ、成長した睦月は落ち着きを覚えたのである。隣を歩いている史之へぴっとりと横からひっつき、腕を抱く。
「!? カンちゃ――」
「それじゃあもっと守って貰えるように、ひっついておかないとね」
「~~っ、それは反則でしょ」
「なんで? だめ?」
「……いや、悪くないけど」
駆け引き上手になったなぁと空いた方の手で頬を掻く史之。二人の仲睦まじい様子をミケがニヤニヤしながら眺めている事に気がついて、史之は慌てて話題を逸らす。
「そういえばさ。正規の手順でしっかりお参りしなくても、眼の前に
「んなっ!? せめて手を清めてからにしやがれ!」
「手を洗ったら許してくれるんですね。でも拝まれるミケさんはともかく、拝殿でも何でもない場所で拝みだしたら他の参拝客が困惑しませんか?」
「誰もいねぇよ。今日はお前らが来るって知ってて人払いしたんだ」
「ありがたいけど、何でまたそんな事――」
はた。とそこで史之は馴染の気配に振り向いた。研ぎ澄まされた清らかな気配。しゃらりと鞘から刃を抜く音がして、そこに
「前はニンゲンが沢山いて、追いかけっこする度に俺が拝まれて大変だったからな!」
「これでお互いに満足いくまで競い合える」
「また暴れて物を壊さないように気をつけてくださいね?」
「『雪桜一振』はその前に壊したヤツだからノーカンだノーカン!」
心配する睦月をよそに、一柱と一匹は楽しそうに境内から見える湖の方へ遊びに向かった。すっかり親友同士である。
そんな神様達の後を追うように社務所の方から姿を現したのは、神主の馬吊だった。二人に気づくと軽く会釈をし、にっこりと微笑む。
「ミケ様とミサキ様の様子は私が見ておきますので、御二方は安心してお過ごしください」
「すみません、馬吊さん」
「とんでもございません。ミケ様の安全を守るのが私の役目ですから――…と、そうでした」
「?」
何やら思い出したようにポンと手を叩く馬吊。睦月はそれを見て首を傾げるばかりだが、史之は心当たりがある様で話の続きを促す。
「届いていた物は例の場所へ運ばせて戴きました」
「すみません、お手間をおかけして」
「いえ。これも愛を感じられて大変よろしいかと思います」
親指を立ててサムズアップする馬吊に同じハンドサインを返した史之は、ふいに睦月の手を掴んだ。
「カンちゃん、こっち」
「え? ちょっ、何が起こってるのか全然わからないよ、説明してよしーちゃん!」
慌てる睦月の手を引いて、史之が向かった先は――
●
柔らかに降り注ぐ桜色の雪の下、赤い前掛けの狐の像が姿を覗かせれば、そこはこの神社で一番長めのいい拝殿は目の前だ。
馬吊に頼んで運び込んでもらった物は、雪が被らぬよう風呂敷をかけて屋根の下に安置されていた。布を取るとそこには色鮮やかにラッピングされたプレゼントの箱、箱、箱!
「カンちゃん、ハッピー・グラオ・クローネ!」
「—―!? しーちゃん、これもしかして全部、僕のために用意してくれたの?」
でも何でこんなに、と睦月の視線が問うている。すると史之は少し照れた様子で頭を掻いた。
「カンちゃんにどんな物をあげたらいいか分からなくて、今年も赤斗さんのバーに相談に行ったんだよ。そうしたら――」
赤斗は頼ってくれた事を大層喜び、バーをそのまま貸し切りにして史之の相談に乗ってくれた。
問題はその後、「睦月は何をプレゼントしても喜ぶだろう」という赤斗の問いに史之が過去の話を持ち出した事だ。
史之は前の世界にいた頃、身分の違いから睦月への恋は叶わないだろうと好意を避ける様になっていた。その時期に何を渡したかは、あまりよく覚えていない。
「もしかしたら渡しそびれてたかもしれない。カンちゃんにはずっと寂しい思いをさせてたな」
「代わりに、今は幸せになってんだからいいんじゃねぇかァ? 終わりよければーって言うだろ」
「それはそうだけど……」
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
今年で無事に二十歳を迎えた睦月。積み重ねた年ひとつひとつを悔いなく祝い直すために――
「歳の数だけプレゼントを用意したらいいって盛り上がって、買っちゃった……20個」
「20個?!」
勧め上手な赤斗にのせられたというのもあるが、新しいプレゼント候補を見る度に「このワンピース、カンちゃんが着たら可愛いな」「普段使いできそうなイヤリングはカンちゃんも喜んでくれそうだな」と笑顔の睦月の姿が思い浮かび、ついつい手を出してしまったのだ。
「何ていうのかな。昔抑圧していたぶん、カンちゃんを好きだって気持ちが溢れちゃって。……困らせたかな?」
「ううん。凄くいい! しーちゃん、ありがとう!」
冷たい雪が降る中でも睦月の笑顔は温かなぬくもりに満ちていて、直前までプレゼントが受け入れてもらえるか心配していた史之の表情も自然と和らぐ。
近いうちに、無辜なる混沌は終焉との決着を迎える。
そんな史之の計画が上手くいき、彼が胸を撫で下ろす頃――次にドキドキするのは睦月の番だった。先手をとって豪勢なプレゼントを受け取ってしまったのだ。それに対して、自分の贈り物は――
「カンちゃん、今なにか隠さなかった?」
「し、しーちゃん! こんな時に従者の観察眼フルに発揮しなくてもいいのに」
「だって期待しちゃうよ。
「……~っ」
グラオ・クローネの時期に贈り物をするのは毎年の事。それでも緊張してしまうのは、眼の前の
何年経っても、これからもきっと、ドキドキする気持ちは変わらない。
「あのね、しーちゃん。僕なりに頑張ったんだよ」
睦月はお世辞にも手先が器用な方とは言えない。料理も不得手だったが、無辜なる混沌に来て史之を喜ばせたい一心でコツコツ学び、少しずつ上達しはじめてきたところだ。手作りのものを改まって手渡すには、正直に言えば相当に勇気が必要だ。
しかし睦月が積み上げてきたのは家事スキルだけではない。この世界に来て繫いだ縁は時として奇跡に繋がる事がある。
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「お久しぶりです、ピカ吉さん!」
空中を泳いで近寄るチョウチンアンコウを軽く撫でてから、睦月は今日の
ここは境界図書館に収蔵された一冊のライブノベル。本のタイトルは『深海シティ』――人と魚が共する近代都市だ。魚が悠々と空を泳ぎ、アクアリウムの中を歩いているような錯覚に陥る不思議な世界。かつて睦月はこの世界に潜り、パティシエを志す青年、タカヤを救ったのだ。
「タカヤさんも、お仕事で忙しい中、ありがとうございます」
「構わねぇよ。アンタには俺の命もノリキの心も救ってもらった大恩がある。早速始めるぞ」
あれから時は過ぎ、タカヤは深海シティで名の知らぬ者はいない立派なパティシエへと成長していた。以前より落ち着きがあり、指導する立場に慣れているのか説明はとても丁寧だ。
睦月はフリルのついた赤いエプロンを身に着け、眼の前のチョコレートと葛藤している。
「あのー……蒼矢さん。この異世界に案内してくれたのはありがたいんですが、何を撮ってるんですか?」
「なにって、睦月が頑張ってるところを撮ってるんだよ」
「失敗してやり直した所も保存されると恥ずかしいんですが」
「何いってんの! 苦労なくスマートに作れるより、絶対こういうシーンも残しておいた方が史之も喜ぶって!」
本当かなぁ。疑惑は残りつつも、連れてきてもらった手前、ダメとも言いづらい。「睦月のa-phone貸して」と言われた時点で何の疑問も持たずに貸してしまったのは完全に油断だった。やがて出来た赤いチョコレートのプラリネは、ほんの少し不格好だが初心者にしては上々の出来栄えだ。箱に飾ると、カメラ役の蒼矢がふいに声をかける。
「睦月、出来立てを持って史之へ一言!」
「え!? えーっと……しーちゃん。たっぷり『好き』の気持ち込めたから。おいしく食べてねっ」
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「――っていう事があって」
(こういう時に"分かってるオタク"が味方だと頼もしすぎるなぁ)
話の半ばで「カンちゃんの可愛いエプロン姿が見れなかった」という衝撃に心臓を押さえた史之だったが、最後まで聞いて踏みとどまる事ができた。
「それでね、チョコは作れたんだよ? でもギリギリまで何度も作り直したから、ラッピングの練習までする時間がなくて」
ピンクの箱に結ばれたリボンは、結び方が途中で分からなくなってしまったのかヨレてくちゃくちゃになっていた。
恥ずかしそうに顔を逸らす睦月だったが、史之から言わせればそんな奥さんも愛らしい。
「中身はちゃんと出来てるから! 消し炭の塊とかじゃないから、それでっ――」
「睦月のはじめて、本当に俺がもらっていいの?」
「っ、その言い方ちょっとズルいよしーちゃん」
受け取った箱のラッピングを解くと、愛らしい赤いチョコレートの粒が露わになる。それをひとつ取り出して、史之は小さくチョコを噛じった。
甘くとろけるチョコレートの中からペーストのプラリネがとろけ、ナッツ独特の香ばしい香りが口に広がる。
「ど、どう…?」
「ん! すごく美味しいよ。カンちゃん味見しなかったの?」
「上手く出来たのを厳選したら自分で食べる用が無くて」
「じゃあ、いま味見すればいいよ」
「でもしーちゃんの分が――」
皆まで言うまでに触れ合う唇。柔らかな感触と甘い香りに心臓が跳ね上がる。桜雪舞う景色の中で、二人はそっと幸せを分け合う様なキスをした。
未来の事は分からない。それでも二人で居られるように、互いの愛を誓う様に。
「愛してるよ、睦月」
「……僕も」
寒空の下でも二人寄り添えば温かい。この温もりを抱いて生きようと、二人は社へ願いをかけた。
- 桜雪に温もりを完了
- NM名芳董
- 種別SS
- 納品日2024年05月23日
- ・寒櫻院・史之(p3p002233)
・寒櫻院・史之の関係者
・冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)
※ おまけSS『交差点のしましま尻尾』付き
おまけSS『交差点のしましま尻尾』
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「お店の店主が帰ってきた?」
ある日の事。寒櫻院夫妻は蒼矢と赤斗から相談にのって欲しいと『Cafe&Bar Intersection』に招かれた。
この店は元々、とある
境界案内人が店の様子を見に来る頃にはなぜか店主が消えており、やむなく蒼矢と赤斗が案内人の仕事の間に店を運営する事で世界の違和感を帳消しにしているという、少し変わった飲食店だった。
「カウンターの中に黒い影を見た、って目撃者が複数届いてるんだ」
「それは蒼矢さんと赤斗さんの事なんじゃないの?」
ちるるるー、とコーヒーシェークをストローで吸いながら、史之は二人の様子を伺う。首を左右に振られて、じゃあ何だろうと思案した。
「俺も蒼矢も最近、忙しくてなァ。店の営業時間を減らしたんだが、それからなんだよ。俺達がいないはずの時間に閉店した店ん中に影が見えるって」
「でも聞いた限りは金品の類が盗まれている訳じゃないんですよね?」
「うん。レジのお金と帳簿を照らし合わせても矛盾はないし、誰かに帳簿を書き加えられたら筆跡で分かるんだけど」
「金も手がつけてなけりゃ、物がなくなってる気配もねぇしなァ」
「他の境界案内人の方という可能性は?」
「無いよ。店の鍵は親しい黄沙羅達にも持たせてない。マスターキーは僕達だけが持ってるし」
害が無いならそのままにしてもと思ったが、たまたま客が謎の影を目撃した事をきっかけに気味がったようで、早くも街のホットな怪談として噂が広まり始めているらしい。常連の中に怖がる人もいるようで、かといって二人が張り付いて店の調査をする事もできず――困り果ててしまったのだとか。
そういう訳で、どうにか解決したいと思った二人は藁をもすがる想いで寒櫻院夫妻に助けを乞うたという訳だ。急ぎの相談だったためか、説明を聞いている間に出されたケーキセットはとても豪華だ。ミルクレープをフォークでつついて一口食べればクレープ生地の柔らかな舌触りと共に卵の香り。それでいてホイップクリームは控えめな甘さで食べやすい。ひとしきり堪能してから、睦月は史之へ視線を向けた。
「どうする? しーちゃん。今日は確かローレットも依頼がなくて、ユリーカちゃんが暇なのですってぐだぐだしてたけど」
「それならいいんじゃない。海洋での仕事がないなら境界図書館の仕事を探そうと思ってたし――…カンちゃん、クリーム」
ついてる、と頬を指差しでジェスチャーするが、睦月は「どこ?」と見当違いなところを紙ナプキンでぬぐっている。仕方ないなぁと顎を掴んで丁寧に拭いてやれば、顔の近さに二人して頬を火照らせた。
「あ、ありがと……」
「……ん」
((だだ甘ぇ~~~!!))
二人のやり取りに思わずつられるようにキュンときた蒼矢と赤斗の心の声が重なった。そんな幸せいっぱいのお昼時から事件調査ははじまった。
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「赤斗さん」
「おう」
「いくら現場調査だからって、こんな本格的なコート着る必要ある?」
茶色い鹿撃帽にインバネスコート。コテコテの探偵服を身にまといつつ、史之は半眼で問うた。すかさずカメラを構える赤斗は恐らく確信犯なのだろう。普段は真面目なツッコミ役の癖に、コスプレの話となると人が変わると錯覚するほど必死になるので始末が悪い。
「前々から史之にピッタリだと思ってたんだよなァ、探偵服。知的な感じがピッタリだって」
「ひょっとしてそれ、眼鏡の印象だけで言ってない?」
「えー、でもしーちゃん凄く似合ってると思うよ?」
横から話題に入ってきたのは睦月だが、彼女もまた探偵少女風の装いに着替えている。赤い鹿撃帽に探偵コートをミニスカートに可愛くアレンジした衣装は、どこかの女児向けアニメで人気が出そうな可愛さだ。口元に虫眼鏡をあてて考える仕草がまた愛らしい。
「前言撤回。やっぱり必要だったよ赤斗さん」
「だろ?」
「ここまで衣装を用意してもらったからには、絶対に解決したいところだね。しーちゃん、一緒に頑張ろう」
作戦はこうだ。蒼矢と赤斗は店のマスターキーを二人に預け、境界案内人の仕事のためにいつも通り店から退店してもらう。
残った睦月と史之は店内の隠れられそうな場所で様子を伺い、影の主が出てきたところで捕まえる――
二人いればはさみ撃ちも用意だろうという考えだ。
「張り込み捜査には、あんパンと牛乳がつきものなんだって! しーちゃんの分も用意してきたからね」
「それって探偵じゃなくて刑事が張り込み捜査する時の鉄板ネタじゃ?」
「美味しければ細かい事はいいの! ほら、箪笥に隠れよう?」
ぐいぐい睦月に押され、客用の衣装箪笥に二人は隠れる。少し開けばちょうど、カウンターの様子が見える位置。今日はここで張り込みだ。
蒼矢と赤斗がいなくなり、照明が消えた薄暗い店内でひそひそと二人は小声で話す。
(ねぇカンちゃん、予想はしてたけどこの箪笥、二人で隠れるにはちょっと狭くない?)
(あんパン食べる余裕なくなっちゃったね。……ちょっとしーちゃん、そこで動かれたらスカートめくれちゃう!)
(え、ごめん……っていうか、やっぱり体制をもっと相談してから入り直してもいいんじゃない?)
(ダメだよ、犯人きちゃうかもしれないし。――あ)
そうこうしている内に、ごそごそと何やらカウンターの方から動く気配。睦月が伸びをしてそっと箪笥の隙間から様子を伺うと――どうやら噂は本当だったようだ。店内の暗がりの中でナニカがカウンター奥に立ち、ごそごそしている。
(やっぱり何かいるよ、しーちゃん。どうやって近づこう?)
(その前にこの体制を何とかさせて……足が痺れてきたんだけど)
(ちょっとしーちゃん、そこで立ち上がられたら僕、バランス――)
「「うわっ!?」」
二人はもつれる様に箪笥からとび出した。史之がすかさず睦月を庇うように抱き込んで床に背をぶつけ、小さく呻く。
「しーちゃん、大丈夫!?」
「こっちはいいから、影の方……!」
史之の言葉にバッと睦月が顔を上げると、暗闇の中で驚いた様に立ち尽くしているナニカと目が合った。影は一瞬の間を置いた後、慌ててカウンターの中にしゃがみ込む――が、歴戦の猛者たる特異運命座標を相手にするにはその一瞬が命取りだ。睦月が素早く呪文を唱え、神聖の光が影をうつ。
「――!」
ガタン、と倒れ込む音がした。
「流石しーちゃん。ちょっとトラブルはあったけど上手くいったね」
「カンちゃんの動きが早かったからだよ。とりあえず蒼矢さんと赤斗さんが店に来るまで縄で縛っておこう」
「……うーん、それだけだと縄から抜けちゃうかもしれないよ、しーちゃん。だってほら」
最初に目撃した時、そのシルエットは間違いなく人間の物だった。しかし部屋の照明をつけた後、睦月がカウンターを覗き込み直すと――
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「随分と変わった色のタヌキだね」
「あのぅ、俺タヌキじゃないです。レッサーパンダっていう動物の因子を持ってて……」
捕まえた犯人はペット用ケージに入れられたまま、くったりと頭を垂れた。喫茶店の侵入者が変化能力のある獣種と知った後、二人は近くのペットショップで慌ててケージを買ってきた。ペットショップの店員さんに「あらお若くて素敵なご夫婦! どんなペットを飼うのかしら?」とニコニコ問われて誤魔化すのに苦労したのはまだ記憶に新しい。
「それで、そのレッサーパンダの獣種さんはどうして店に不法侵入したの?」
「不法侵入じゃないですよぅ。俺はこの店の元々のオーナーなんですぅ」
この店のオーナー。つまりそれは、このライブノベルの歪みを補う為に必要な人物だ。今までどこを探しても手がかり一つなかった筈の人物がここに来て唐突に現れたものだから、二人は思わず顔を見合わせた。
「蒼矢さんも赤斗さんも、貴方の事をずっと探してたんですよ!」
「えぇ、そうですよね。そうでしょうね……ずっと隠れて見てましたから。史之さんと睦月さんの事も」
「それってつまり、バイト部屋の更衣室も見えてたって事?」
事と次第によっては――と史之が眼鏡を光らせ、愛刀の鯉口を切る。するとレッサーパンダはケージの隅に後ずさり、ふるるるると首を左右に振った。
「店内だけです! 俺の観察魔法は限定的で! お客さん視点で見える範囲しか見れないんですよぅ!」
「本当かなぁ。じゃあ何で境界案内人の二人の前に姿を現さなかったの? 蒼矢さんも赤斗さんも、店の経営大変そうなのは"観察"してたなら、分かっていたはずだよね?」
「それは……」
立ったまま頭を垂れるレッサーパンダは着ぐるみの様にも見えて滑稽だが、それを笑う者は誰もいない。
やがて彼はぽつぽつと、少しずつ事情を語りはじめた。
彼の名はロドニー。喫茶店の店主として毎日せっせと働いていたが、彼にはひそかな趣味があった。それは物語を書く事だ。
遠い星からやって来た双子の主人公が街で小さな喫茶店の店主になり、喧嘩したり笑い合ったり、地元の人と交流を深めたり。色々な経験を通して幸せな日常を紡いでいく――そんな優しい物語。誰に見せる訳でもないけれど、ロドニーにとって創作活動はいつの間にか、喫茶店の経営よりも楽しいものになっていた。
そんな時だ。神郷 蒼矢と神郷 赤斗がライブノベルを偵察に来たのだ。彼らはまさに、自分が書いた小説の主人公とそっくり。
正確に言えば彼らは兄弟ではないが、喧嘩もするし遠慮もない。ただ、互いに本当は仲良くしたいという気持ちがロドニーには透けて見えた。
「だから隠れて様子を見る事にしたんですぅ。そしたら彼ら、喫茶店を継いでくれて。お二人みたいな素敵な方々を呼ぶようになって!
俺、見てるだけでとーっても幸せだったんですよぅ。 おまけにほら! 勇気を出して皆さんを題材にした物語を書いたらコンテストで入賞して!」
((こ、この登場人物は……!!))
見せられた原稿を見て二人は互いに狼狽えた。名前や姿は少し本物からぼかしているが、史之はこっそり睦月の好みそうなものを聞きに来ていた事が物語に組み込まれていたし、睦月は睦月で史之のために秘密でバイトをしていた事まで書かれてしまっている。
それだけならまだマシだが、物語の中で表立って言えない様な惚気話まで書き出されていたのだから、たまったものじゃない!
『洗濯物を取り込んでる時、夫さんのシャツを手に取ったらいい匂いがして。好きな人の匂いだって幸せを噛み締めてる時に、眠ってしまって……』
『迷うんだよね。前から奥さんの事は可愛いと思ってたけど、最近は何をしてても強くそう思う様になって。何を着せても似合うなって――』
「カンちゃん、もしかして同じ事おもってない?」
「しーちゃんもなんだ。あのね……うん」
ガチャンとケージが開いた。開放されて目をパチクリさせるロドニー。
「許してくださるんですか?」
「ロドニーさんが喫茶店をやりたいならまだしも、作家としてのお仕事の方が楽しいなら、僕もしーちゃんも応援したいと思って」
「それに、ロドニーさんの居場所がわかったら、境界案内人は物語の歪みを修正する為に喫茶店の店主に戻るよう説得しようとするだろうからね」
ライブノベルの世界の"歪み"が正されれば、境界案内人のその世界での役目は終わる。
長く通ったこの喫茶店から蒼矢と赤斗が離れれば、ロドニーはきっと寂しがるだろう。
「僕達からは、二人にうまく言っておきます。ロドニーさんの事は伏せておきますが、もし蒼矢さん達とお話したくなったら言ってくださいね」
「そんな、今だって史之さんと睦月さんとお喋りしてるだけで胸がドキドキしてるのに……! 店主の二人に話しかけられたら心臓がもちませんよぅ!」
(ロドニーさん、後方でそっと壁になって見守りたいタイプのオタクだ……)
最近になって目撃情報が出て今回の疑惑に繋がったと話すと、ロドニーはハッとしたようだった。彼いわく、店内を見守るための"秘密の部屋"に入る時に怠惰をして人の姿をとったらしい。
「レッサーパンダの姿だと、部屋の扉がどうにも開けにくくて。やっぱりバレちゃったんですねぇ。気をつけます」
言うなりロドニーは冷蔵庫の扉を小さな身体でガパン! と開ける。二人に手を振り蓋を閉めると気配が消えた。
睦月がそっと冷蔵庫を開き直すと――そこにロドニーの姿は、ない。
「次からは気をつけてくれそうだけど、どうしようねしーちゃん」
「とりあえずお茶でも飲みながら、二人への言い訳を考えよっか……」