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『それ』の話

登場人物一覧

アーマデル・アル・アマル(p3p008599)
灰想繰切
アーマデル・アル・アマルの関係者
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アーマデル・アル・アマルの関係者
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アーマデル・アル・アマルの関係者
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●神話に曰く
 医神に七つの卵あり。
 卵は六つまで有翼蛇を孵したが、はじまりの一つは孵らなかった。
 七つの翼蛇達へ齎された権能は七つ。されど一番目は孵らず、五番目は双頭の蛇として孵った。
 この五番目の五翼が権能を二つ、他が権能を一つずつ得ることで、七つの権能は行き渡った。
 その後に孵らぬ一番目を孵したのは、夜告鳥であった。
 捩れた一翼を持って生まれた翼蛇には、新たに八番目の権能が与えられた。

 七番目から孵った七翼は一翼を妬んでいた。
 七番目の権能『免疫』より、一翼の権能『毒と病』を欲したのだ。
 神話の時代の終わり。七翼は一翼を喰らって権能を得ようとしたが、これを阻まれ砕け散る。一翼に寄り添う死者の未練『英霊』達が捨て身で抗ったからだ。

 医神が死神となりて後。神は去り、翼蛇達もまた姿を消す。
 人に交わり、今日人の形を得て今日あるもの。即ち、夜告鳥と五翼、七翼の系譜に連なる末裔達である。

●全きものの執着
 カーミル・アル・アーヒル究極なる完全
 まだ年若い少年ながら既に洗脳を解かれ、前線で任務にあたっている『七翼』の主戦力の一人だ。
 この教団で重要な意味をなすのは、系譜の因子の強さだ。暗殺者達が属する『七翼』の系譜の中でもカーミルに顕れた『七翼』の因子は顕著に色濃いものだった。それゆえに扱いも繊細で、専属の医療技官がつくほどの少年のことは誰もが知るところであった。
 そのような彼を、ある者は尊敬し、ある者は妬み、ある者は避け、ある者は憐れむ。誰からも興味を持たれながら、誰からも距離を置かれる少年は孤独だったかもしれないが、元よりこの教団の教義として「必要以上に他己の縁を結ばない」というものがある。縁は糸となり、その者の死へ他者を引いていくものと信じられていたのだ。
 そのために、誰も少年の孤独に触れない。少年もまた、己の孤独を認識しなかった。興味がなかった。

 ――唯ひとつ、惹かれてしまった『味』を除いて。

(あ……れ……なに、いまの)
 任務の帰り、施設に戻ってきたカーミルが専属の医療技官の元へ向かう途中だった。
 洗脳が解けた今でもカーミルは極端に自我が薄く、技術は完璧であるにも関わらず快不快、好悪の感情に疎かった。ゆえに『任務の命令』『医療技官の指示』以外で何かに興味を割くこともほとんどなかったのだが、この時だけは違った。
 とても、いい匂い・・・・だと感じたのだ。甘いのか、辛いのか、温かいのか冷たいのかもわからない。ただ、もう一度嗅ぎたい・・・・・・・・と思える程度には興味を引かれたのだ。
 カーミルにとっては、初めて内から出た欲求で。この欲求をどうすればいいのか、良いものなのか悪いものなのか、何も判別することができないまま匂いを辿った。色濃い『七翼』の因子はいとも簡単に匂いを辿らせ、その源へと主を導く。
(このにおい……すき……たべたら、おいしそう……)
 美味しいという感覚すら理解していないのに、なぜか美味しいと予想できてしまう。そのことへ疑問を持つよりも、カーミルはそれを食べたくて仕方なかった。
 おいしそうな何かが喋ったような気もするが、今はもう食べたい。ああ、逃げないように縛った方がいいだろうか。殺したら匂いが消えてしまうだろうか。もういいや、食べてしまおう。
「ぁあああ!!」
 腕に歯を立てる。大きな声がした。よくわからないが、声も美味しい・・・・。もっと欲しい。歯を立ててこれなら、もっと強くしたらもっと美味しいのだろうか。
「い、っ――――!!」
 強く噛んだ場所から、汁が溢れる。血だろうか。人を殺すときにも、刃で傷つけた場所から流れるから。
 不思議な感覚。確かに美味しいが、美味しいだけではない。まずい、とも違う。これが『味』だろうか。
 もっと『味』を知りたい。食事のように、口の中で噛みたい。噛み砕いて、腹に入れたい。
「いやだ、いたい、やめ……ッ!!」
「何をしているんだカーミル!!」
 聞きなれた声がして、はっとする。大慌てで走ってくるのは担当の医療技官だった。
(僕……何してたの? なんで口の周り、濡れて……血? この人は……同胞……?)
 そして、血混じりの唾を飲み込んだとき。カーミルは『それ』を共に飲み込んだ。
 同胞から食いちぎった肉だ。
「カーミルは預かる。君はすぐ担当の医療技官のところへ行きなさい」
「ねえ、あの人は誰? 僕はどうして」
「それどころじゃない! 早く来なさい!」
 医療技官に引き剥がされるように連れ出されて、同胞から離される。
(腕、怪我してる……まさか、この血……)
 たぶん、ぼんやりしている間に自分が食べたのかもしれない。それくらいの想像はついた。
 どうしてそんなことをしたのか、本当に理解できない。有り得ない。怒っているだろうか。
(……名前、なんていうんだろう……)
 せめて、謝るくらいは。でも名前を聞きそびれてしまった。
(……また、会えるかな……会いたいな……)
 こんなにも、特定の誰かのことを考えるのは初めてで。胸の内がざわついて止まらない。
 喉を下っていった感覚と味と、忘れられない匂い。
 絶対にまた会いたい――カーミルが彼を強く思うようになったのが、その事件だった。

●忘れられし夜告鳥の懸念
「カーミル……って、あのカーミル・アル・アーヒルかい?」
 肉を一部食いちぎられた腕を治療しながら、イシュミル・アズラッドは当時の状況を聞く。彼を訪れていたのはカーミルに腕を噛まれたアーマデル・アル・アマルだった。
 イシュミルはこの教団において『夜告鳥』の系譜に連なる。先祖返りとして特に強い因子を顕す彼は医療技官としても優れた能力を持っているが、優れた『七翼』の因子を持つカーミルの担当からは敢えて外されている。本人曰く、カーミルはその特異性から扱いが非常に難しく『相性が悪いから』とのことらしい。
 その彼が、アーマデルとカーミルが接触したと知って珍しく驚いていた。
「医療技官が、そう呼んでいたから……間違いじゃないと……。呼ばれるまで、俺を噛んでいたことも気付いてなかったみたいで……」
「そうか……」
 抉られた肉の再生を促す薬と、傷口を塞ぐ薬を処方する。
 アーマデルは元々『七翼』の因子が少ない――どころか、皆無なのである。以前は『七翼』の素質不足と判断され、それを補うために様々な薬が試されていたが、実際は『一翼』の加護を宿す先祖返りだったと判明してからはまた違う薬を試される日々だった。しかしいずれの薬も体質に合わず、床に伏せって訓練にも出られない日が少なからずあると聞いている。
(素質としては、暗殺者より巫女向きだとは思うんだけど……どちらにしてもね)
 稀有な因子の持ち主であるためこちらも扱いが難しく、アーマデルに薬を処方する時は人一倍気を使っていたイシュミルだった。
「アーマデル、今日は来た時と違う道から帰るといい。これからもなるべくカーミルには見つからないように」
「また、腕を食われるから……か?」
「うーん……まあ、そういうこと。今日の分の薬も煎じるから、そこで待っていてくれるかな」
「わかった」
 言葉少なに頷いて、部屋の隅へ腰を下ろすアーマデル。
(多分、因子が強すぎて……『七翼』の本能のままに、『一翼』に惹かれてしまうのかな)
 憐れだとイシュミルは思う。専属の医療技官がつくほどに特別扱いを受けているカーミルだが、意識を乗っ取られるほどの因子では『人間』として生きることすら難しいだろう。しかもその因子が『同族喰らい』の『七翼』では。
 どうすれば、このアーマデルを守ることができるか――イシュミルが改めて彼を見た時、その足には以前に無かった小さな怪我が増えていた。
「アーマデル、その足は?」
「これは、……、…………多分、どこかで転んで」
「……見せて」
 長い沈黙が気になって、足の傷を近くで見る。カーミルに喰われた傷に比べれば軽いものだ。数日で自然治癒するだろう。
 ――逆に考えれば、それほどすぐに治る傷がまだ治っていない。古くない傷だ。まるで、鋭い刃物で皮一枚だけ裂いたような。
「これくらい……耐えられないと、やっていけないと……何もできないから、俺は……」
「…………」
 疑わしい傷は、以前にもあった。その時は外からは見つかりにくい腹や背中で、段々隠しきれないかのように鎖骨や股などに傷が広がっていた。今回もそのような傷のひとつだろう。
 どこで怪我をしたのかを聞いても、アーマデルは決まって今のように黙った後「気付かなかった」とか「うっかり」とか、的を得ない答えばかりを返す。未だ洗脳下にあるアーマデルでも、そこまで歩き方が下手だとは思えない。
(誰かを……庇ってる?)
 しかし、洗脳により個を強く認識できないアーマデルが、誰かを庇いたいなどと思えるだろうか。あるいは、庇わないと痛い思いをさせられる、と仕込まれているとしたら。
「……今日はしっかり休むこと。何かあったら、『医療技官にそう言われてる』って言えばいいから。いいね」
「すまない……」
「怒ってないさ。君にしっかり回復して欲しいだけだよ」
 煎じた薬を飲ませて、部屋へと帰るアーマデルを見送る。その背は担当になった頃からあまり成長せず、細く小さなまま。
 むしろ、以前よりも丸くなったような。
(こうまでするのは……『君』なのかい)
 証拠はない。しかし、思い当たるのは一人だけだ。
 あれほど正確に、『アーマデルを傷つけるため』の傷ばかり刻んで、見せつけるような人物は。

●夜来る者の妄念
「見せろ」
 丁寧に巻かれた包帯を強引に解く。
 夜、アーマデルを呼び出したのは彼の師兄であるナージー・ターリク。彼はアーマデルを含めた暗殺者達の育成を担当する教育係の一人――ではあるが、殊アーマデルに対してはそれだけではない態度を見せる。
 訓練で負わせた覚えのない傷。勝手に転んだにしては大袈裟な処置。果たして包帯の下からは、肉を抉られたような深い傷跡が現れた。
「まだ新しいな……教団でこんな獣を飼ってるとは思わなかったが」
「獣……ではないと……」
「馬鹿か。どう見たって人の歯形だろう。……誰だ」
 薬に塗れている傷の上から爪を立てると、アーマデルの表情が歪む。歪むだけで口は割らない。
「俺には言えないような奴か。同じ育成班の奴か?」
 今度は首を横に振る。当たり前だ。あんな半人前達でも同胞の扱い方くらいは弁えている。こんな獣のような食い方はしない。
「医療技官どもは違うとして……お前が出歩ける範囲……」
(そういえば、今日)
 訓練の休憩時間、表が騒がしかったのを覚えている。確認してみれば、医療技官に手を引かれていく少年――カーミルの姿があった。
 ローブに隠れていたが、少年の口の回りには血痕が拭かれた形跡が。
「……会ったのか、カーミルに」
「師兄は、カーミルを知って」
「どうなんだ、答えろ!」
 傷ごと腕を強く掴めば、アーマデルは少し呻いて小さく頷いた。カーミルに噛まれて食いちぎられたことも白状した。
「イシュミルからは……これからはカーミルに見つからないように、と……。俺も、何故か……嫌なものを感じて……怖くて痛かったから、でしょうか……」
「…………」
 非常に気に食わない話ではあるが、ナージーも今回はイシュミルの方針に賛成ではあった。
 アーマデルを守るためではない。『自分以外にアーマデルを傷付けさせないため』だ。アーマデルは「今日は休め」というイシュミルの指示に背いて自分の呼び出しに応じた。彼の中での優先順位は自分が上なのだ。
 傷付けていいのも、苦しめていいのも、自分だけであるはずなのだ。
 それを。
(お前は……俺と違って全部持ってるだろう……! 素質も、力も、若さも期待も、何もかも!)
 体が満足に動いていた頃は、同じ『七翼』の暗殺者としてカーミルの才能を羨望もした。届かないながらも、努力で近付くことはできると信じていた。
 あんな、唯一度の失敗で、利き腕が死ななければ。
 こんな、後進の育成担当なぞに収まらなければ。
「師、兄……っ、いたい、です……」
 アーマデルが声を絞り出す。握っていた腕はいつのまにか色が変わっていて、完全に血を止めてしまっていたようだった。
「……情けない奴だな」
「すみません……カーミルに噛まれたのも、きっと……俺が弱いからで……」
 腕を放してやると、彼は握られていた箇所を擦りながら謝った。
 実際は彼の強さなど関係ない。カーミルは専属の医療技官が付くほどの強力な『七翼』の因子を持つ。素質不足とはいえ、同じ『七翼』を持つ自分でさえ今は積極的に近付きたいと思えないほどだ。
 近付けば呑まれる――何故かそんな予感がして。
 ――そもそも、今は育成担当と現場任務で、もはや雲の上下ほどに『次元が違う』のだが。その差もまたナージーには腹立たしい。
「見つからないようにって、どうするつもりだ。今まで以上に部屋に籠るか? お前の訓練がどれだけ遅れてると思ってる? 弱いままじゃまた食われるかもな?」
「それは……すみません……でも、どうすれば……」
「さあな。だが……丁度いい」
 誰からも見えない部屋の隅。光の届かない、積まれた荷の陰へ押し倒し、閉じ込める。
「『見つかれば命を狙われる状況で生き延びる訓練』。つけてやろうじゃないか」
 そんな訓練は建前に過ぎず、これから始めるのはアーマデルに新たな傷を加える行為だ。当分消えそうにない傷と恐怖を植え付けてくれたカーミルへの腹いせは、こんなことでしか果たせない。
 その為に短剣を抜いても、アーマデルは怖がる素振りを見せない。目隠しの中で音を聞けば、彼の呼吸は落ち着いてすらいる。
「俺にも、できることなら……お願い、します」
 こんなものが本当に訓練になると、信じきっているのだ。愚かなことに。
 彼にも、自分にも、何の意味もないのに。
「……声を出すな。存在感を消せ」
巫山戯ふざけやがって)
 誰にも見えない陰の中で、ひとつ朱を刻めば。アーマデルは身を捩りながらも従順に声を殺す。
 この一筋でこれなら、あの怪我ではどれほどの。
「――ッ!」
 怪我に掠めるように皮膚を裂く。流石に痛みに呻きそうになったアーマデルが、慌てて自分の口を塞いでいた。
「……できるじゃないか。だが、これでも抑えられるか?」
 傷を切開するように刃を軽く突き立てる。医療技官に怪しまれない程度に加減せねばならないのが癪だが、アーマデルは泣きそうな声を溢す程度に留めてみせた。
 素質不足どころではない皆無、ではなく。稀有な一翼の先祖返り。そんなアーマデルが自分の下で苦しみを受け入れている。
 ――それが許されるのは、自分だけでいい。

●御遣いの恐怖
 アーマデルの怪我は、少しずつ塞がってきている。
 部屋に籠り続ける……訳にもいかないので、今まで通り調子がいい日は訓練に参加するようにしていた。これ以上訓練を遅れさせては師兄に迷惑がかかると考えたからだ。
(でも、やたら日陰に配置される事が増えた気がする……)
 高い壁に囲まれていたり、荷物に囲まれて実質個別指導だったり、もはや訓練を受けるのにも支障があるレベル……否、個別指導になる時はむしろ密度が濃いのだが、総合的に見ればやはり不便なのである。
 そのことをイシュミルに報告すれば、彼は少し興味深そうにした後「いいんじゃないかな」とむしろ肯定した。
「あれから、カーミルからは?」
「特には……、でも」
 新たに増えた切り傷に眉をひそめながらも、噛み傷の包帯を変えるイシュミル。しかし、気になる言葉尻にアーマデルへ続きを促した。
「なんという、か……うっすら、感じて……寒いような……いや、寒くはないんだが……いつも、嫌な感じが……」
「怖いってこと?」
「……わからない。でも、嫌だとは……感じていて……」
「うーん……わかった。私の方でも何か力になれないか、考えてみるよ」
「すまない……」
 処置を終えて、いつもの薬を飲んで、アーマデルはイシュミルの部屋を後にする。
 今日もまた道を変えて帰ろう。そう思ってわざわざ、建物の隙間を縫うような道を選んだのに。

「アーマデル」

 正面で、出会ってしまった。

「キミ、アーマデル・アル・アマルっていうんだね! 僕はカーミル・アル・アーヒル。この間は突然ごめんね」
「あ……」
 ここしばらく感じていた違和感は。悪寒の正体は。まさしく彼だ。喉が締まってしまって、身体中が熱でも出たように嫌な汗を流して、寒くて、動けなくて、怖くて、なにも考えられなくなる。
「その手、この間僕が噛んじゃったところ? 今どうなってるの?」
 彼が腕の包帯に興味を示して近付いてくる。
 体の奥から、何かが急かす。ここを離れろと言われている気がするのに、足がすくんで動かない。
「見ていい?」
 もう、彼の大きな目の中まで見える距離まで近付かれて。まだ許可も出していないのに、彼は包帯の上で匂いを嗅ぎ始める。
「なんでだろ……キミの周りは、いい匂いがして……どこにいてもわかるんだよね。いるはずなのに見つからない時もあるんだけど……最近は姿が見えなくて気になってたんだよ」
 もしかしたら、彼は本当に仲良くなりたくてアーマデルに近付きたかったのかもしれない――とは、どうしても思えなかった。この悪寒は、言い知れぬ気味悪さは、うるさい程にそれを否定する。
「ねえ、僕と一緒に――わあっ!」
 突然、狭い路地に詰まれていた木箱が崩れてくる。カーミルがそれに驚いた隙に金縛りが解けたように体が自由を取り戻すと、アーマデルは夢中で路地から走り去った。

●七翼の覚醒
「い、たた……アーマデルは行っちゃった、かな……」
 鎖分銅で木箱を破壊し立ち上がるカーミル。偶然にしてはできすぎたタイミングでの崩れ方だったが、カーミルは特に気にしなかった。アーマデルはずっとここにいるのだから、いくらでもまた会える。
 また会ったら、あの匂いを嗅げる。いつまでも嗅いでいたい、いい匂いだ。あの不思議な味も、味わってみたい。
(……待って、ちがう。僕は、アーマデルを噛みたいんじゃない。びっくりさせちゃったから、今日は謝りたくて……許してもらえたっけ、どうだっけ……?)
 少し前のことなのに、記憶があやふやだ。医療技官には任務以外で一人で出歩くなと言われていた気もするが、そんな窮屈は耐えられそうになかった。アーマデルだって一人で歩いているのに。
(ん……? 誰?)
 ふと、なにか聞こえた気がして辺りを見回す。ここは路地裏で、通り抜ける風音がするばかりだ。
(最近、多いな……医療技官のところに通う時なんかは、頭が痛いくらいうるさくて……いやだなぁ……)
 アーマデルを知ってからだ。
 アーマデルに会えると嬉しい。会えない時間が嫌だ。
 アーマデルをいつでも探したい。
 あの匂いが忘れられない。今度は話したい。
 あの味が忘れられない。今度は驚かせないように。
 夜告鳥と仲良くしているアーマデルはいや。
 僕以外の七翼と話さないで。
 キミが欲しい。キミを食べたい。
 一翼、そこにいるんでしょ。

 ――見 ツ ケ タ 。

 *

 その瞬間、少年カーミルは世界より消え、その魂は食い破られる。
 同じ姿で混沌世界に召喚された、少年カーミルの姿をしたもの。
 それこそは――神話の終わりに砕かれた真正の『七翼』、そのひと欠片であった。

おまけSS『可能性を掻き集め』

●多分こうなんじゃないかと思った幕間〜史実ではない同人誌としてお納めください〜
 豊穣の領地でカーミルを退けた後のこと。
『おい』
 呼び出してもいないのに、『冬夜の裔』が勝手に姿をとった。何やら不満げな様子だ。
「どうした。さっきの戦いで何か不調でも残ったか? あんたには無理をさせ――」
『どういうつもりだ』
 更に苛立ちを露にしてアーマデルへ詰め寄る『冬夜の裔』。当の本人は全く事情が飲み込めていない。
「何のことなのか教えてくれ、『冬夜の裔』。あんたが嫌なことはしないようにするから」
『だったらもう死ね。取り返しのつかないことしやがって』
「ええ……」
 あまりにも理不尽になじられる。しかも「死ね」と来た。『冬夜の裔』の元となった師兄には殺したいほど憎まれていたらしいが、今の彼にそこまでひどく憎まれる筋合いはない……とも言いきれないが、それにしても唐突で穏やかでない。
『何だあのパンドラ収集器は。あれは俺の・・だろ。巫山戯ふざけてんのか?』
「そのことか」
 ようやく苛立ちの対象が判明して、アーマデルは懐に仕舞っていたパンドラ収集器を再び出した。
 それは、錆び付いてもう武器としては使えないナックルナイフ。一対の片割れ。――師兄の、遺品だ。
『……死んだ俺から盗ったのか。命だけじゃ飽きたらず、武器まで盗って、死の糸だけは加護で振り払う……なるほど、貪欲な生き残り方としては正しいわけだ』
 納得しているようで、語気はそれとは程遠い。彼と決着をつけてから久しぶりに見る、自虐交じりの嘲笑だった。
 確かに許可を得て受け継いだわけではない。そもそもあの日、師兄は死ぬつもりがなかった。『自分が死んでアーマデルが生き残る』事実が悔しすぎて未練になるほどの彼にとって、アーマデルが自身の武器を持っていることは見逃しがたい状況だったのだろう。「死ね」などという言葉が出る程度には。
「許可を取らなかった、という意味では……盗ったと言われても否定できない。黙っていてすまなかった」
 だが、ただ生き残るための道具として、だけが理由だったのではない。アーマデルはナックルナイフの朽ちた刃を握りしめて、『冬夜の裔』へ告げる。
「言っただろう、俺にもあんたへの思慕があると。置いていきたくなかったんだ、あの場所に。肉体は無理でも、せめて……あんたとの縁が強いものを」
『教団の奴からも隠し通してか。死人の遺品なんぞ、死の糸を振り撒く呪具でしかないだろう。お前が器用に制御でもできるなら……、……』
 そこまで言って、何か思い当たったのか。『冬夜の裔』は乾いた嗤いを浮かべた。
『……一翼か』
「俺は、自分の加護を自らの意思で使いこなすことはできなかったが……結果として、俺が持っている限りは安全、ということになった。今にして思えば、実験的な意味もあったんだと思う」
 アーマデルは遺品のナックルナイフを大切に、大切に扱ってきた。汚れを拭いて常に持ち歩き、眠る時も誰の手にも渡らぬよう寝床に持ち込んだ。
 しかし、武器に遺された妄執からなのか。どれほど手入れをしても刃や柄が錆び付いてしまい、もはや武器としては使えないほどになってしまった。
「それでも、手放せなかった。死を振り撒いてはいけないという理由以上に、人間としての俺の拠り所だったんだ」
 そのような「拠り所」としての側面が、混沌世界に召喚されてからは「パンドラ収集器」という役割を担うに至ったのかもしれない。アーマデルは今でもこのナックルナイフを懐に忍ばせ、肌身離さず持ち歩いている。
「俺は今のあんたを信じている。師兄本人には……彼の亡骸には返せないが。これをあんたに渡せば、返したことになるか?」
 使役霊とはいえ、自分とは異なる存在にパンドラ収集器を預けて只で済むのかはわからない。それでも彼の未練を少しでも助けようとアーマデルがナックルナイフを差し出すと、『冬夜の裔』はあからさまに舌打ちをした。
『正気で言ってるならいい加減にしろよ。そこまで手垢・・塗れにされて、今更返されてどうしろって言うんだ?』
「しかし、俺が勝手に盗ってしまったのは確か――」
 言い終えぬ内に、刃がアーマデルの頤に沿う。『冬夜の裔』が今の形で顕現した時から、『彼の得物』として所持しているナックルナイフだ。
『生憎、手前の得物は間に合ってる。お前は精々――掠め取った命が終わるまで、盗み取った拠り所に縋っていろ』
「…………」
 アーマデルは、『冬夜の裔』のことが時々わからない。もしかしたら、わかっている部分すら本当はほとんどわかっていないのかもしれない。
 洗脳は解けて、感情や記憶もほぼ取り戻したが、彼が師兄であった頃から思い出してもわからないのだ。
 彼はなぜか、自分を傷つける時、組み敷く時、自分へ罵声を浴びせて反応がない時――少しだけ優しいような声になる。甘い声だ、と感じたこともある。
 今もそうだ。あんなに苛立っていたのに、なぜか優しい。
 ――その優しくて甘い声が、アーマデルは嫌いではなかった。
「……ありがとう、『冬夜の裔』」
『…………その巫山戯た顔見てると殺したくなってくる。しばらく呼ぶなよ』
 そっちが勝手に出てきたのでは、という声は脳内に留めながら。アーマデルはナックルナイフと共に燃えるように消えていく彼を見送ったのだった。

 *

 今更返させない。
 盗んだ事実も変えられない。
 アーマデルが。一翼の先祖返りが。
 俺を殺したあのアーマデルが、俺如きの遺品に囚われてパンドラ集めに使っている。
 ――腹が立つ。
 人のものを勝手に奪って利用して。
 ――満たされる。
 そこまで強く縛られて、憐れな。
 ――どうしようもない。
 定められた主従も、生前の血筋も、過去も未来も。
 ――縛りたい。縋らせたい。
 死ぬまで惨めに。

 それが『俺』だ。『妄執』の英霊だ。
 だからこそ。
 ――『お前』には渡さない。
 相手が七翼真正で、俺が素質不足の欠片に過ぎないとしても。

 神話のやり直しをさせて木っ端微塵にしてやる。

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