SS詳細
幸せのひかり
登場人物一覧
これは契約のお話で、ただそうであったというだけの記録だ。
其れでも胸の中に僅かに弾ける感情は百合子にとって、もっと抱きしめたい思うものだった。
むず痒いような儚いような未知の、心の声。
それは踏み出すことが怖いような気もするし楽しいような気もした。
自分と他人との心の差違があることを知ってしまったから。
完全に理解することは今の百合子には難しく、それでもそんなに嫌なものでは無いのだと思った。
ご褒美を与えてくれるというセレマの言葉に百合子は悩んでいた。
向かいのソファに座る相手を見遣る。
此処に至るまでの時間と労力を鑑みれば、自分が走り切れたのはセレマのお陰である。
ならばセレマにも有益なものであることを褒美として貰い受けたい。
そう言わなければセレマが納得しないと思ったからだ。
「……結婚しないか?」
その言葉にセレマは「ふーん」と百合子に視線を上げる。
「どう益になる。言ってみろ」
百合子からそのような言葉が出てくるとは興味深いとセレマは耳を傾けた。
「第一に吾のリソースを使う権利を得るという点だな。今までもお前は吾を使って来たが、婚姻関係になるという事でより強固に、低コストで使えるようになる。婚姻関係にあるというだけで援助するには十分な理由になりえるのは流石に知っている」
一呼吸置いた百合子はセレマがまだ聞く姿勢を崩さない事に安心し次句を続ける。
「これはもちろんお前にも適用されるが、まぁ、吾の望む事とお前の望むことは被ってないから、互いに低い価値のもので高い価値のあるものを得られる事にもつながるだろう」
手助けする理屈をセレマが捏ねなくてもいいように。百合子なりに考えた結果だ。
それで二人の関係が変わるというものではない。けれど心の壁のようなものが低くなる気がするのだ。
「結構」
セレマの瞳に『楽しさ』が滲んだのを百合子は感じ取る。
結婚という名目を笠に相手の為と言い張る厚かましさは好印象だとセレマは目を細める。
「すると問題はやり方だな?」
百合子はセレマの問いにこくりと頷いた。
「幸いにしてボクたちは北辰連合として、それなりの成果は収めているに違いないから、目は引く。
加えて根城がヴィーザルと鬼楽と位置関係もちょうどよく、おえらい方が『今後も懇ろでありたい』と思っているなら、より目を引く時と場所で、多くの人間に周知祝福される形がいい。
その方がお前も外堀がうまってちょうどいいだろ。違うか?」
時期的にその算段があるのだろうとセレマは言外ににおわせる。
「その辺はお前の趣味ではないかもしれないと思っていたので言い出さなかったがいいのか?」
先日は『結婚は墓場』だとセレマは言っていたのに乗り気になっていると百合子は驚いた。
「ちなみに吾は『月と狩りと獣の女神』ユーディアを助けた恩人だぞ」
ヴィーザルの女神であるユーディアは祝福を授けてくれるだろう。
そんな女神と繋がりがあるというのはセレマにとっても利益があるだろうと胸を張る百合子。
「そこから得られる益をボクにも吸わせろといってるんだ。そういう話だろう」
「お前結婚式の事ぼろくそにいってたじゃん……」
利益重視なら何でもするのかと百合子は胸に広がる靄を感じた。
そういう性格なのは知っていたけれど、殊更に変な情動が百合子の胸を駆け巡る。
「まぁいい。祝勝会で結婚を宣言してユーディアとついでにルーの祝福を受けて餓狼伯からも一言もらえればまぁ成果としてはよかろう。めでたい席をよりめでたくするちょっとした余興だ。ついでにベルノからも祝福を引き出すか?」
仕事ならば効率良く振る舞うと腰を据える百合子。その方が周りも盛り上がるというものだ。
「この行為の本質を正しく理解している相手であるなら吝かでもない」
婚姻関係なぞ、所詮どう取り繕うとも他者拘束の為の大義名分だとセレマは足を組み直した。
「そうさな……もらえるやつからもらっておく、その程度でいいだろ。
見たところ政治屋でもなし、ボクらを重く見てないなら放置するだろうし、評価しているなら一声かかるだろう。この反応を参考に今後も立ち回るとしよう」
セレマはソファに深く腰掛けたあと一呼吸置いて、ゆっくりと身を乗り出す。
「筋書きはどうする。ボクからアプローチする形にでもするか?」
周囲からより好印象を勝ち取るには相応の演出も必要であろうとセレマは百合子を見遣る。
「えっ」
驚いた顔で固まっている百合子に「あん?」と眉を寄せるセレマ。
こういった不測の状況に対応できないのであれば、繊細な役回りは百合子には向かないだろう。
「……いや、その」
言葉を濁す百合子にセレマは溜息を吐いた。
「いやならやんねーよ」
「いやじゃないが!?」
思わずソファから立ち上がった百合子は目の前のローテーブルに手を付く。
ミシリと木製のローテーブルが撓った。
「そう。じゃあなんかそれっぽい言い回し考えとくわ」
「…………う、うん」
立ったままだった百合子はへたりとソファに座り込んだ。
勢いのままビジネスライクに結婚が決まってしまったのだ。
嫌なわけではない。けれど、きちんと自分の気持ちも伝えておかなければ誠実では無いと思えた。
百合子はまだ話しを聞く気でいてくれるだろうかとセレマを見上げる。
彼の瞳は自分を見つめていた。
「あのね……」
「ん」
話したいことがあれば話せと言わんばかりの返事だ。
けれど、受入れて貰えているのだと百合子は感じる。
「分かってると思うけど、吾は利益とかじゃなくて……」
セレマには見透かされているのだろう。制御しやすく子供のようだと思われているのかもしれない。
けれど――
「どうやったら幸せになれるか一緒に探す相手としてお前を選んだから」
セレマが教えてくれた『対等で共に幸福を目指す関係』になりたいのだから。
それを忘れないでほしいと百合子は願いを込める。
「お前にはきっとぜんぶお見通しだと思うけど! それだけ」
対等で共に幸福を目指す関係、それはまるで恋人同士のようではないかとセレマは思い馳せる。
百合子が本当にその意味を理解しているのかはセレマには分からなかったけれど、何方にしろ相応の評価を自分に向けているのだろう。それは賞賛であると受け止めるセレマ。
「高く買っていると判断してやる」
セレマの言葉は素っ気ないものだったけれど、百合子は満足そうに微笑んだ。
そんな彼の言葉をウェディングドレスに身を包んだ百合子は思い出す。
薄いマリアヴェールが被せられた視界はよく見えないから考えてしまうのかもしれない。
ここまで歩んできた二人の軌跡。積み上げてきたものがあったからこそ、こうして彼の隣を歩けるのだ。
百合子という人格は美少女たれと願われたもの。
その実、幼子のような純粋さと弱さを持つ魂は彼女本来の未熟さである。
其れでもセレマと共に幸福を目指したいという願いは確かにあった。
だから、これからは二人で同じ道を歩いていける。
仮初めの結婚であっても。それが百合子は嬉しかったのだ。
しっかりと握り締められた手が、じんと温かく。
心が嬉しさと幸せでいっぱいだった。