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世界で一番、
登場人物一覧
●
「浮気なんてしていませんったら、」
「違うよ」
「ヴェルグリーズ、」
「違う、」
「ならどうして、」
「違うんだ、星穹」
「……ヴェルグリーズ?」
ともだちと、出掛けてきます。
嗚呼、ええと。男の方ですが、ご心配なく。そのような関係ではありませんから。
伝え聞いていた。解っていた。それでも。
彼女は楽しげだった。
(どうして?)
彼女の呼気からはアルコールが感じられた。
爪先には赤色が踊っていて。
(なんで、)
彼女は幸せそうだった。
(俺以外の前で、)
ヒトとある、ということ。
ヒトとつながる、ということ。
(そんな顔を、したんだ)
楽し気に話してくれる彼女の声が耳に届かない。
気が付けば、心配そうに此方をのぞき込んでいた彼女の両頬を掴み、乱暴なキスをしていた。
「俺だって、妬くよ」
普段は端正なその顔が歪められている。
余裕なんてないのだと。そう気付いたのは、ヴェルグリーズが珍しく、強い力を隠そうともしなかったからだ。
「……妬くのですか」
「そうだよ」
「なぜ?」
「なぜって、愛してるからだけど。伝わってない?」
「いいえ、伝わっていないだなんて。ただ、」
「ただ?」
「……妬かれるような人間では、ないのですが」
過小評価だ、とも思う。ただし彼女は己を過小評価するのが常だ。だから、彼女らしいな、とも思う。
ばつが悪そうに笑った彼女は、けれどヴェルグリーズを抱きしめて笑うのだ。
「ごめんなさい」
「ううん、俺こそ」
「何を謝る必要があるのですか。だって、不安にさせたのは私なのに」
「……それは、そうだね。今度こそ俺のだって、わかってもらわないと」
「でもどうやって?」
「そうだな。まずは、解ってもらう必要があるんじゃないかな」
「と、言いますと」
「デートしよう。明後日」
「明日ではなくていいのですか?」
「
「……手加減は」
「今日は、出来ないかな」
唇を赤い爪でなぞれば、不愉快そうに爪が食まれる。カリ、と音を立てて削れていくそれはまるで少しずつ己が誰の
一度、二度、三度。重ねた唇が睦言を紡げば、赤い両頬が覚めないうちに、夜色の天国へ。
唇を重ねて。夜を重ねて。ごめんねを紡ぐ唇をふさいで、愛してるを注ぐ。
それだからきっと、また貴方に溺れてしまうのだ。
●
「ふあぁ……」
「遅くなっちゃったね。まぁ、急ぐようなことでもないから大丈夫だけど」
「デート、ですもんね。プランはあるのですか?」
朝風呂、その後。義手をつけていない星穹の代わりにドライヤーをしながら。隻腕の彼女は横目でヴェルグリーズを見やるのだ。
学校へと行ってしまった子供達を見送れば後は二人の時間。今日は帰りが遅くなるかもしれないことも先んじて伝えてある。
「あるにはあるけど、ないといえばないよ」
「詳しく仰って?」
「まぁ、まずは綺麗にしないとね」
髪にヘアミストとオイルを塗って、乾かして。そんな作業をレディとリトル・レディの2人分自ら進んでやるのだから、ヴェルグリーズは所謂スパダリなのだろうなと思う。
おまけにヘアアレンジまで覚えてしまった。これも義手で細部の調整が難しい星穹に代わってのことだった。
横髪をさらりと編み上げて。満足げに、首筋にキスを落とす。
「昨晩も散々したでしょうに」
「星穹だって残すのは好きだろう?」
「貴方に刻むからこそ好いのですよ。私にされるのはまたお話が違いますわ」
「そうかな。同じだと思うけど」
「それは、どうして?」
慣れた手つきで義手を嵌めて。化粧へと取り掛かっていた星穹の、その手を阻んで。這うように、指先が腕を伝う。
「だって。キミが俺を愛しているように、俺もキミを愛してるから」
「そうですね。愛しています」
「わかってないね?」
「もう、わかっていますよ」
「どうだろう。キミがこうやって化粧をしてくれるのも、身綺麗にして出掛けてくれるのも、俺が教えたようなものなのに」
「まぁ、色を教えたと?」
「強ち間違いじゃないだろう?」
「そう……ですけど。だって貴方は、」
「
「よくお分かりで」
彼女の白い肌に色が乗せられていく瞬間を見るのがたまらなく好きだった。美しい彼女が、より美しくなる。それも俺のために。
髪を弄んで、時折眺めて。そうしていくうちに、テキパキと身支度を終えた星穹。唇に桃色のグロスが乗せられていく。
「あ、待った」
「どうし、ん、」
「……ありがとう」
「静止が遅いですよ、もう……」
「ちょっとは意識してくれた?」
「ずっとしていますったら」
艶めいた唇がふたつ。同じ色をしていた。
拗ねたように目をそらした星穹は、けれど嫌がるそぶりはなくて。
「ねぇ、ヴェルグリーズ」
「うん。今度は星穹からして?」
「……昨日から、随分と。子供っぽいおねだりを……!」
けれどそんなところすらもいとおしい。結局のところは、惚れた弱みというやつで。
遠慮がちにキスをする。色が移ることなんて気にしていなくて、このひとが私を愛しているのだと何度も言うものだから。照れくさいだけである。
「満足いただけましたか?」
「うん。今のところは」
「今日はなんだか意地悪ですね!」
「だって星穹が俺をいじめるから」
「申し開きの余地は?」
「ないかな。ところで、今日は俺が服を選んでもいい?」
「服? 勿論構いませんが」
「ありがとう。じゃあこれを着て貰えるかな」
「貴方、私が断らないと踏んでいましたね?」
「ふふ、だって星穹のことだからね。お見通しだよ」
ニットのトップスに真っ赤なスカート。それからレザーのジャケット。
そういえば白いパーカーに黒いジーンズの彼は、どう考えてもきっと、狙っている。
「シミラールック、ですか?」
「うん。たまにはこうやって形から入るのもいいんじゃないかなって」
「今日は本当に、甘えるのが上手ですね」
「こういうのは嫌いだった?」
「
なんて言葉に、すべての意味が詰まっている。
あっちに行ってくださいなんて手で押しのけて煙草を吸う星穹。その様子をぼんやりながめるヴェルグリーズ。
「俺も煙草吸おうかな」
「やめたほうがいいですよ。美味しくないですし」
「じゃあ喫煙所までついていく」
「副流煙というものがありまして」
「……」
「拗ねた顔をしないでください」
「じゃあキスしていい?」
「貴方の女ですから。好きにしたら、いいんですよ」
「……ちょっとだけ、苦いね」
「おすすめはしてませんもの」
ちょっぴりスパイシーな言葉でさえ、愛おしくて。恋の魔法というものを信じてしまいそうになる。
少なくとも今目の前で煙草を吸う彼女の赤い頬は、己がさせたものであると確信できるから。
「さ、それじゃあ行こうか」
「もう。急いでも私は逃げませんよ」
●
「それで、どこへ行くんですか」
「映画館。好きでしょ、映画。最近気になるのもあるって言ってたからちょうどいいかと思って。どうかな」
「それはまあ、そうですが」
「それから、気になるって言ってたカフェにも行こう。服も見たいんだっけ。じゃあそれも」
「……至れり尽くせり、ですね?」
「俺は星穹の旦那さんだからね」
「まったく、困った旦那を持ちました」
「でも本当に、たまの休息は大事だよ? 星穹は頑張りすぎだし、また倒れちゃいそうだ」
「貴方に言われるなんて、妻としての威厳がぺちゃんこです」
「頑張り屋な奥さんにご褒美をあげられるのは、夫の特権だよ」
むうとむくれる星穹のなんとかわいいことか。こういった顔を見られるのはやはり特別なのだろうな、と思う。
その温い右手を繋いで街へとでかける。いつものことながら人目を惹く容姿をしているなあなんて考えては笑ってしまう。
大人なので贅沢に映画を二本見てしまったり。最近はやりの恋愛映画と、タイトルが気になったホラー映画。どちらも面白かったし魅力があった。
「あのシーンは見ごたえがあったね」
「そうですね。特に恋愛ものはシーン展開が面白かったです」
「だね。でも実際、学生恋愛だとどんな感じなんだろうなあ」
「少なくとも毎週デートなんてしている余裕はないかと。小テストとか、あるでしょうし」
「いつか空や心結も恋人を連れてくる日が来るのかなあ」
「まぁ、来ないわけではないでしょうね」
「複雑だね」
「本当に」
せっかくのスフレパンケーキも愛しい子供たちの将来を思えば味を失ってしまう。
アイスアメリカ―ノの冷たさも、セットで頼んだルッコラのサラダだって、どれもどれもおいしくて目を見張っていたというのに。
「でも、恋は一度はしてもいいかもしれないですね。あの子たちも」
「それは、どうして?」
「あの子たちが選ぶ人ですから、きっといいひとだろうと思って」
「そうだね。それは間違いないや」
「それに、誰かを愛することで生まれる気持ちのあたたかさを知るのは、悪いことではないですから」
「……そうだね。心底そう思うよ」
「ふふ、そうでしょう」
「うん。明確な弱点のはずなのに、強力な支えでもあって。いつも俺の力になってる」
「ですね。だから、まぁ。恋人が出来ても、応援するべきなのでしょう。親として」
「俺にはまだ親は難しいなあ」
「私もです。何年たっても慣れません」
「まぁ、完璧じゃなくても大丈夫だよ。2人で頑張ろう」
「……ええ、そうですね。2人で、ですね」
重ねた掌はきっとこれからも繋いでいけると信じているから。疑うことなく手を繋いで。
ちょっぴり喧嘩しそうになったなら、また今日のように甘ったるいデートをすればいい。のんびりとブランチをして、身支度をして。そこからお互いの好きなところへと出かけていく。そんなデートを。
●
「ねぇ、星穹。俺からひとつ贈り物をしてもいい?」
「それはもちろん。拒む理由がありませんから」
「よかった。それじゃあ、こっちへ来てくれる?」
何かを贈るときは黙ってサプライズを仕掛けてくるような彼がくれるもの。
手をひいていった先は、特に変わったような店ではなくて。
「花屋、ですか?」
「そう。花束をあげたくて。この間雑誌で見てただろう?」
「そんなことまで覚えていたのですか?」
「勿論だよ。好きな人のことは、ついつい見てしまうものだって。星穹から学んだんだよ」
「ひとの往来でそういうことを言うのは、やめてください」
「今更だよ。結婚指輪だってしてるのに」
「もう!」
9本の赤い薔薇の花束を渡される。その意味は。
「わからなかったら調べて」
「……わかりますよ、これくらい」
店員に見られている気がする。それどころか他の人にも。
どこを直視すればいいのかわからないくらい、顔が熱い。
「ふふ、よかった。残りは家にあるから」
「……残り?」
「そうだよ。990本」
「待ってください、まさか、今日そとでデートをしたのって」
「やきもちもあるけど、驚かせたくって」
「……ヴェルグリーズ。貴方というひとは……!」
「ふふ。今頃空と心結が受け取ってくれている筈だよ」
「貴方。本当に、もう……」
言葉にならない。これが世界で一番いい男たる所以か。
「いいですか、ヴェルグリーズ」
「?!!」
背伸びをして、キス。
もうここがどこであるか、だとか。人が見ているだとか。そういったことはもうどうでもよくて。
ただ、したいと思った。
「私、貴方に負けるつもりなんてさらさらありませんから」
ああ、そうだった。
今更ながら思い知る。雷に打たれたようだった。
頬を赤らめながらも勝気に笑う彼女は、けれど我に返ったようで。すみませんと店先に頭を下げると、花束を抱えたままヴェルグリーズから逃げるように走っていく。
「……俺だって、負けないよ」
遠くなっていく背中を、追いかけるのはいつだってヴェルグリーズだ。
いつだってこんなに近くにいたと思ったら、するりと抜けて消えていってしまいそうな星穹を捕まえる。嫌ではなくて、むしろ愛おしい。
揺れる銀髪を追いかけて抱きしめたなら。今度は俺からキスをしてみよう。
きっと赤くなって怒る彼女のその顔は、誰も見たことがなくて。俺だけが見られるもので。俺だけが、そうさせることができるはずだから。
おまけSS
「おとーさんからすっごい数のバラが届いてる!」
「これ、心結とお風呂に入るときのバラ風呂にしたら楽しいかも」
「わー、お姫様みたいだね! おにーちゃんは心結にバラ、くれる?」
「心結が欲しがるならいくらでも。心結がお婿さんにするのは、俺より強くて、父さんよりかっこいいひとじゃないとだめだよ」
「うーん。心結、おにーちゃんと結婚するしかないのかな?」
「それもそれで、いいかもね」
「うん! おかーさんにブーケトスしてもらお!」