PandoraPartyProject

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黒き霧にて

登場人物一覧

ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤ(p3p001837)
願いの星
ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤの関係者
→ イラスト
ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針

 未だ寒々しさの残る鉄帝国。アミナが居所としているのはギアバジリカの近郊であった。冬の寒さを凌ぐように革命派、いいや、クラースナヤ・ズヴェズダーは幾つかの拠点を有している。
 アミナはその中でもギアバジリカに程近く、帝都と連携のとりやすい場所を選びラド・バウや帝都から来る使者の対応を行って居るそうだ。
 ノックを数回重ねてから開かれた扉に「ご機嫌よう」とルブラットは軽やかな挨拶をした。扉を開いた主は尋ね人のアミナだった。ぱあと鮮やかな笑みを浮かべた彼女は「こんにちは!」と声を弾ませる。
 何時だって明るく振る舞うのは彼女の生来の気質なのだろう。落ち込んでいた過去が嘘のように晴れやかに笑い、天性の才とでも言わしめるような微笑みを返してくれるのだ。
 その笑みを見ればこそルブラットの疲弊も拭われよう。近頃の混沌はバグ・ホールによる被害が尋常ではない。巻込まれる事により無辜の民の死が伝えられることもある。それこそ、手遅れであると言う一報だ。それだけではなくワームホールの出現に加えBad End 8などの来襲は悍ましい程の被害を与えている。
 ルブラットからすればそうした報が積み重なり精神的な疲弊に繋がるのはやむを得ない事態なのだ。アミナからもその疲弊は見て取れたのだろう。輝く微笑みは僅かに陰って何処か困り切った様な笑みを浮かべてルブラットを窺い見る。
「大丈夫ですか? なんだか元気がないみたいですけど……」
 ああ、いや、と歯切れ悪い言葉を返したルブラットにアミナははたと思い出した様子でその手を引いた。
 屹度何かがあったのだろう。其れは良く分かる。けれど、アミナは鉄帝国から外には出ず、日々の生活にも手一杯だ。ルブラットを始めとしたイレギュラーズの心労をアミナは想像は出来れども同じ重みを背負うことは出来るまい。故に、自分の出来る事をと直ぐさまにとった行動が「お茶をしませんか?」という明るい誘いであった。
 自室に用意したのは蜂蜜の香りを漂わせる紅茶と土産物に貰ったのだというクッキーだった。テーブルにセッティングして「よし!」と振り向いた彼女は何時も通り快活で朗らかだ。
「甘いものを食べたら、きっと元気になりますよ」
「ああ、ありがとう」
「なんでもお話は聞きますし。あ、私でいいならですよ? ……私で良いなら、聞きます」
 アミナはルブラットを伺うように問うた。そわそわと身を揺らがせる彼女にルブラットは緩やかに頷く。今は彼女の明るさに救われた気がするのだ。
 少女アミナから見てルブラットとは辛かった時の心の支えであった。自らに手を差し伸べ支えてくれるその人は頼りになると同時に――本当の性別は分からなくとも、アミナから見て――異性として認識している。そう、同性の友人ではなく、異性の少しばかり心をざわめかせる人なのだ。その理由は分からないけれど。
 そんな人の弱った姿を見ればこそ、アミナは放っては置けなかった。大切な大切な友人が困っているならば手を差し伸べたい。
 隣に座ったアミナを確認してからルブラットは緩やかに口を開く。
「私は又聞きで君の過去を知っている。けれど、それは少し不公平、ではないかな」
 ぱちくりと瞬くアミナは「え、あ、は、はい?」と途惑いに声を漏した。自らの過去は確かにクラースナヤ・ズヴェズダーの者から聞けば容易に識る事が出来よう。
 あれだけの事があったのだ。過去の事は知られていて当然ではあるが、不公平とこの人は言ったのだろうか。アミナがぱちぱちと瞬く様子を一瞥してからルブラットは静かに続ける。
「だから、私の昔話も聞いてくれないかと思ってね。まあ、茶菓子でも食べながら聞いてくれ」
「あー、いえ! 不公平だなんて全然! ……でも、そうですね。貴方の昔話、聞いてみたいです」
 アミナに緩やかに頷いてからルブラットはぽつりぽつりと言葉を連ね続けた。
 ルブラットが産まれた世界は混沌とは違う滅びが差し迫っていた。それは病だ。悍ましき病はパンデミックを引き起し、無数の死を齎した。
 まるで黒い死に満ち溢れた悍ましき世界だ。疫病熱は直ぐさまに死者を産み出し、解決に至るまで永き時間を有することとなる。その病はどこから来たのか。
 慈悲も与えられず、神を信じない者への断罪であると声高に叫ぶ者も居た。誰もが疑心暗鬼になり、血眼になって病の原因を探しながら、死を目の当たりにし、次は己の番かと怖れ続ける。
 それがルブラットの産まれた世界だ。
 そんな世界でルブラットは皆を救える医者になりたいと願っていた。だが、その願いは儚く、脆く。皆を救う事など容易ではなく、蔓延する病によって荒れ狂う世界は救いなど何処にもありはしなかったのだ。
 信仰こそが救うというならば、信奉していた。毀れ落ちる涙を見届けるばかりでは、苦しみに喘ぐことしか出来ない。
 祈りを捧げようとも神は口を閉ざしたままだった。ルブラットの信仰は脆いものであるかのように感じられただろう。
 尊き命は死を迎えたならば耳乾燥とした死者の数の数列に矮小化されていく。それは何れ喉に苦しかった事であろうか。
 いつの日にか苦痛が歪み、転じて、罪を犯した。
 そうして、混沌へと辿り着いた。己が如何に弱くて罪深いと思っていたとしても、幸福は作り上げられると知った。
 その理由は彼女だ。アミナ。一人の弱い少女。聖女に憧れ、自らの命など擲っても全てを救うことを願っていた娘だった。
「後は知っての通りだな。こうして、君の前にいる」
「そう――だったん、ですね……」
 アミナは息を呑んだ。飢えと吹雪に襲われて、人でありながら人を喰らう者が居た。幻覚に、愛しい者を殺す者だって見た。
 そうして命が擲たれて行く場所に立っていた。それがアミナの立場だった。
 ルブラットの話を聞いている中でアミナの脳裏に浮かんだのはあの凍える世界だった。真白き世界は全てを奪い去ってしまう。白は死をも顕すように。
 その世界で、アミナはルブラットと自身の境遇が重なった。それから、自身が重ねるなんて、きっと烏滸がましいとさえも考えた。
 沢山の死を見送ったがアミナは聖職者だ。医者ではない。医者であったルブラットは毀れ落ちていく命をどの様に見詰めていたのだろう――?
「……有り難うございます。聞かせてくれて」
 これまで、ルブラットはどんな生活をして居たのだろう。過去や考えて居ることを深く知りたいともアミナは考えて居た。
 それは友人に向ける興味もあれば、気になる異性に向けた興味でもあった。アミナにとってルブラットは放っておけるような存在では無かったのだから。
 もしも、ルブラットの心の柔らかい所に踏込んでしまえば迷惑になるのではないかとも考えて居た。ルブラットから見たアミナがどの様な存在であるかをアミナはよくよく分からなかったから。
 ルブラットが不快に思う事に自らは触れたくは無かったし、ルブラットが離したくないというならば敢て問い掛ける事もしないと決めて居た。
「いいや、聞いて欲しかったんだ」
「はい。聞かせて貰えて、良かったです」
 アミナはぎゅうとスカートを握り締めた。こうべを下げてから息を呑む。
 暗く、悍ましい恐怖の気配がひたひたと迫り来る感覚がアミナには居ていた。
「この先はどうなるのだろうな。終焉に抗う戦いで、私は死んでしまうのだろうか」
 アミナは勢い良く顔を上げた。目を見開いてひゅうと引き攣った息を漏す。アミナのかんばせをまじまじと見たルブラットは思わず呻いた。
「……すまない。最初の理由は半分嘘だ。きっと、君に代わりに覚えていて貰いたかったのだ。何処かの世界に、無為に死に、今やただ一人しか覚えていない人々が存在したことを」
「そ、そんな」
 譫言めいた声を発してからアミナは唇をやんわりと閉ざした。もしも、ここで『馬鹿なこと言ってないで、帰って来て下さいよ! 私の手を引いてくれるんでしょう!?』と一喝することが出来たならばどれ程に良かっただろう。
 純粋で無垢で、誰よりも勝利を信じている可愛い女の子になれたならば何れだけ簡単だっただろうか。
 それでも鉄帝国の動乱を乗り越えてきてしまったアミナにはそれは出来やしなかった。幼い少女のような性質から変化し、大人びてしまった『聖職者』の娘は簡単に約束を結べるような幼さを持ち合わせてやいなかった。
 無条件に未来なんて信じられない。吹雪が全てを攫って言ってしまったあの夜のことを忘れてはならないのだ。
 あの時のように、何もかもを信じていられたならば――きっと、ルブラットを叱り付け、輝く未来を夢想しただろう。
 そんなことはなかった。そんなことは出来やしないのだ。純粋ではなくなってしまった。
 飢えと吹雪で、そして鉄帝国の動乱で多くの人々を見送ってきたアミナは命なんてものは簡単に喪われてしまうと言う実感があった。
 飢えは突然やってくる。吹雪は全てを覆い隠し、そして、世界が変貌する滅びは全てを飲み食らう大穴のように命を丸ごと連れ去ってしまうことを知っている。
(……どれだけ願ったって、どれだけ祈ったって、手を伸ばしたって、神様は、この人を簡単に連れて行ってしまうんだ。
 この人が私にとって何れだけ特別であったとしても、この人にとって私がどれ程に良き隣人であったとしても、神様は私の言葉なんて聞き届けない)
 知っているからこそ、アミナは簡単には神に縋ること何てしなかった。聖句を口にするときはあれほどまでに信心深い者となろうに。
 アミナという娘はそれを出来やしなかったのだ。故に、そっと手を伸ばす。ルブラットの指先に触れてから「ルブラットさん」と呼び掛けた。
「……約束します。覚えていますよ。ずっと。貴方の世界のことも、貴方のことも。
 でも、きっと帰ってきて下さいね。英雄になんかならなくても、どんなに格好悪くても構いません。……独りで待つのは、寂しいですから」
 少しだけ、ほんの少しだけ欲が見えた。神様だってこれくらいの欲深さは許してくれるだろう。
 アミナはまじまじと自身を見下ろしてくれるその人を見た。
「有難う。やはり君は優しいな。私は――私も……」
 帰ってきてみせるという約束を容易にすることは難しかった。そんな言葉を紡ぐことにさえ戸惑った己を恥じたのだ。
 自分は常に看取る側だった。自分は常に殺す側だった。そんな己に生きていて欲しいと願うだなんて――初めてだったのだ。
 今を生きている。そして、未来を待ち望んでいる。彼女は眩い光のように、真っ直ぐにこれから先を自分で切り拓く気概を有しているのだろう。
「だから、約束……してくださいますか?」
 アミナの問い掛けにルブラットは本当にその約束が出来るのかと思い悩んだが、その手をぎゅっと握り直した。
 もう彼女には悲しい想いをさせたくは無かった。それは、ただ、ただ、純粋な感情だったのだろう。
「生きて、帰ってきてみせる。そうして、また一緒に――」
 そこまで言ってからアミナは「ふふ、決められませんよ。一緒に、何をするかなんて」と朗らかに笑った。
「紅茶が冷めちゃいましたね。淹れ直しましょう」
「アミナ?」
「……私、きっと、沢山したい事があるんですよ」
「聞いても?」
「恥ずかしいですけど」
 アミナはそう前置きをしてからどこか照れ臭そうに、夢を語る少女の顔をした。
「シャイネンナハトに贈り物をし合うとか、一緒に街を歩きたいです。
 オーロラも見ましょう。炊き出しも手伝ってくれますか? これから、沢山の事があります。鉄帝だって夏があります、冬があります。
 私は鉄帝国から出たことがありませんから……いつか、他の国にも連れて行ってください。その時は休暇を取ります。あ、お土産屋さんも教えてくださいね」
 世界が無事であったなら。そんな冠がついてしまうような夢を明るく語った彼女にルブラットは緩やかに頷いた。
 嗚呼、何時かそうしよう。彼女が望むのであれば世界中を廻るのだって悪くはないだろう。先輩には酒を買って帰るのだと意気込む彼女は何時だって明るく強い。
 それでも、その笑顔に陰りが見えたのは――この世界に終わりが近付いているからだった。
 黒き霧は全てを覆い隠そうとする。其れ等が風に吹かれて何処かに行ったならば、また君の手を握りしめて歩いて行けるのだろう。
 今はそれだけを、考えて居た。


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