PandoraPartyProject

SS詳細

微睡む幸せ

登場人物一覧

燈堂 廻(p3n000160)
掃除屋
燈堂 暁月(p3n000175)
祓い屋
深道 明煌(p3n000277)
煌浄殿の主

 明滅する視界が次第に晴れて、ぼんやりと灯された照明が見える。
 燈堂家本邸の地下、座敷牢で廻は目を覚ました。
 ここは『燈堂 廻』が生まれた場所だ。見慣れた天井に安堵を覚える廻。
 身じろぎをしようとして、身体の中がぐるぐると回るような感覚に襲われる。
 迫り上がってくる吐き気に涙が零れた。
「だ、れか……」
 掠れきった声が広い座敷牢の中に響く。一人きりの恐怖が身体を震わせた。

「廻、起きたんだね」
 座敷牢の低い戸を潜って、暁月が入って来る。その後ろには明煌の姿も見えた。
「暁月さん、明煌さん……」
 動かせない身体で必死に二人の名を呼ぶ廻。
「泣いていたのかい? もう大丈夫。全部、終わったんだよ」
 暁月は廻の背を起こし、優しく撫でる。喉が渇いただろうと花蜜入りの水を廻の口に運んだ。
 ふらつく廻を明煌の腕が支える。
「僕、研究所に行ってからの記憶が曖昧で……水の中に居るみたいにぼんやりしてたんです。でも、暁月さんの腕を攻撃してしまったのは覚えてて……ごめんなさい」
「私は大丈夫。明煌さんから腕を貰ったんだ」
 廻は驚いて背を支えてくれている明煌へ振り向いた。そこに在るはずの左腕が無い。袖がだらりと垂れ下がっているだけだった。
「ぁ……、あ、ごめんなさい。ごめんなさい……っ」
 人一倍誰かを傷つけることを恐れる廻が、大切な暁月や明煌を傷つけてしまった。
 一生癒えぬ傷を残してしまった。それがとても恐怖であったのだ。
「大丈夫。お前のせいじゃない。これは俺が暁月にあげたいと思ったからあげた」
「でも……それは僕が暴走したせいで」
 廻は息が苦しくなってくる。上手く酸素が吸い込めていないのだ。
「はぁ……はぁ……」
 同時に身体の内側から膨れる得体の知れない何かは、神降ろしをした影響なのだろう。
 また溢れ出ようとしているのではないか。そんな恐怖が廻を襲う。
「やだ、怖い……はぁ……はぁ……怖い」
「廻、命令だ。落ち着け」
 首に巻かれた赤い縄に触れた明煌が『命令』を下す。
 それは煌浄殿の呪物である証であった。これが在る限り廻は明煌に逆らえない。
 呼吸を強制的に落ち着かせてもらう。
 昔は恐怖でしかなかったこの縄が今は安心出来るものとなっていた。
「ありがとう、ございます……」
 明煌はシルベの縄を使って廻を抱きかかえる。煌浄殿でよくしていたように。
 胡座を掻いた明煌の膝の上に廻がすっぽりと嵌った。
 包み込まれるような温かさに少し心が落ち着いてくる。

 暁月は廻の膝に羽織を被せ、深道三家の現状を手短に伝えた。
 蛇神『繰切』はイレギュラーズ達の協力により神逐されたこと。
『封呪』無限廻廊も正しく解かれ、燈堂の当主が人柱にされることは無くなったこと。
 クロウ・クルァクと白鋼斬影は殆どの力を失ったけれど、健在であること。
 誰一人として、死ななかったこと。

「明煌さんと廻が一番重症だよ。よく頑張ったね、二人とも」
 その言葉を聞いて、廻は安堵を覚え脱力する。
 ずっと張り詰めていた糸が切れたように廻は明煌へ体を預けた。
 暁月は廻の頭を撫でてから、真剣な表情で姿勢を正す。
 これは廻が起きたら言わなければならないことだった。

「君の本当の名前は神路結弦だ。もう、燈堂廻を名乗らなくてもいい。君は自由なんだよ」
 暁月の言葉に廻は胸に手を当てる。
 本当の自分の名前。ネクストの情報で知っているとはいえ、戻って来た記憶はそれを裏付けるもの。
 もし、神路結弦を選んでしまったら。もう暁月とは家族では居られないのだろうか。
 この世界に来て、心から頼れる人は暁月だけだった。親といってもいい。
 そんな人と離れてしまうのが廻は怖かった。
 けれど、暁月は自分が居ない方がいいのではないか。
 役目も必要なくなったいま、自分を置いておく理由など無い。
 今はいいかもしれないけれど、今後疎まれてしまうかもしれない。
 暁月がそんなことをしないと分かっていても、人間の心は分からないのだ。
 それに、また暴走してしまって傷つけてしまうかもしれない。大切な人を傷つけるぐらいなら離れてしまった方がいいのではないかと苦しくなる。
「あ……僕、は……」
 辛うじて紡いだ言葉に詰まって息が苦しい。
「廻、大丈夫。廻が暁月と離れたくないなら、離れなくても良い」
 後ろから手を握ってくれたのは明煌だった。廻の心の機微を読み取ったのだろう。
 普段は人の心など察することは出来ない明煌ではあるが、暁月へ向ける感情には人一倍敏感であった。
 同じように思っていたことがあるからこそ、廻の気持ちが分かるのだ。

 明煌の手を握り返した廻は暁月をじっと見上げる。
「僕は、燈堂廻です。暁月さんの……家族でいたいです」
 深道三家は廻に対して酷い仕打ちを行った。春泥も明煌も暁月も、糾弾されて然るべきもの。
 けれど廻は、そんな彼らを許し傍に居たいと願うのだ。
「これは、誰の指図でもない。僕自身の意志です」
「廻……」
 堪らなく愛おしさがこみ上げ、暁月は廻を抱きしめる。
 謝らなければならないことだって沢山あるのに。辛いことだっていっぱいあったのに。
 廻は自分たちと傍に居たいと言ってくれる。暁月はそれが嬉しかったのだ。
 詩織を失い、廻に依存していたから。手元から離れてしまう事が本当は怖かったのだ。
 けれど、今回の戦いを経て暁月も一歩前へ進むことが出来た。
 廻がその名に囚われることなく、前を向けるように。暁月も役目に囚われない道を歩む事ができる。
 それは、自分達を必死に救おうとしてくれたイレギュラーズが居てくれたから選べた道。

 イレギュラーズが居なければ龍成は死んでいた。
 暁月も精神崩壊で命を絶ち。暁月が死ねば明煌も生きる意味を無くす。
 廻は泥の器のまま腐り、神の杯に成った時には既に人では無くなっていただろう。
 紡がれた運命は、決して引かれた道順では無かった。
 特異運命座標が勝ち得た光の先に、この幸せがあるのだ。

「僕、思い出したことがあるんです。明煌さんが持ってた夢石にも無かったものだと思います。僕の秘密だったから。もしかしたら春泥さんだけは僕の記憶を見てそれを知ってたのかもしれないんですが」
 廻はゆっくりと、少しだけ照れくさそうに微笑む。
「僕は元の世界で、明煌さんと暁月さんに会ってるんです」
「え? どういうことだい?」
 廻の元の世界は丁度、希望ヶ浜のような『現代日本』に近いものだったのだろう。
 一般人は怪異を知らず、秘密裏に能力者が暗躍し、人々の安寧を守る世界。
「高校二年の春休みに、雨の京都で迷子になっていたところを拾われたんです。その時、僕には悪霊が憑いていてそれを二人が祓ってくれたんですよ。明煌さんも暁月さんも格好よくて僕は憧れたんです」
 それが廻の『初恋』だったのだろう。
「長い休みの度に、二人の所へ行って。沢山遊びました。
 でも、大学受験で会えなくなり、そのまま疎遠になって……僕は事件に巻き込まれて、自ら命を絶った。
 そこで未練があったんでしょうね。僕自身も地縛霊になってしまった。
 それを、元の世界の明煌さんと暁月さんが祓ってくれたんです。
 生まれ変わったら、今度こそ幸せになってほしいと言われました。
 そして気付いたら僕はこの世界に居た」

 その廻が隠していた記憶を見たからこそ、春泥は彼を泥の器に使ったのだろう。
 元の世界の明煌と暁月の願いさえも叶えようとしたのかもしれない。
 最後には全員が幸せになれるように。

「だから、僕は……今、とても幸せなんですよ」
 戻って来た全ての記憶をかみ砕けているわけではない。悪夢にうなされる夜もある。
 それでも、今この瞬間を廻は幸せだと思っている。
「ありがとうございます。暁月さん、明煌さん。僕の家族で居てくれて」
 廻の言葉に暁月は、明煌ごと強く抱きしめる。
 この大切なぬくもりを離さないと誓うように。

 ――――
 ――

 檜の湯船に流れる水音が脱衣所まで聞こえてくる。
 明煌は燈堂家の風呂場で着物を脱ぐのに悪戦苦闘していた。
 何せ左腕が無いのである。今まで出来ていたことが困難になるのは当然のことで。
「不便だよね。ごめんね」
「いや、自分で出来るし……謝らんでええし」
 申し訳なさそうに明煌の帯を暁月が引っ張る。
 普段の日常生活は三蛇たちを左腕代わりにしている明煌だったが、風呂の時は暁月に頼るしか無かった。
 三蛇たちの接続の関係で明煌の傷口は閉じられていない。
 風呂に入る時は暁月がその傷を癒し、呪符で塞いでいた。

 身体を洗い湯船に並んだ二人は、湯の温かさにほっと息を吐く。
「さっき、廻と話してたとき、結構痛かったでしょ。廻に心配かけないように平気なふりしてた」
「余計、泣くやろ……あいつ」
 明煌は自分の意志で暁月に左腕を渡した。それでも廻は負い目を感じてしまう性格である。
 痛がってしまえば心配は悲壮に変わるだろう。
 身を縮こまらせ震える姿はもう見たくない。
「……そうだね。まだ安定してないだろうからね。神降ろしの代償は直ぐに癒えるものじゃない。
 記憶も全部戻っているから、寝込んでいる間もうなされていたし」
 戻ってきた記憶を脳が処理しようとしている。それは辛い過去を夢で見るようなもの。
「でも、今日目が覚めて良かったよ。少しずつ回復してる証拠だね」
「うん……自分で腕とか動かせてたし。煌浄殿にいた時は、動かせなくてテアドールが魔法具着けてたから。どんどん、弱っていって。一日中寝てて……何度も息を確認した。だから、いま喋って動いてるの、凄いなって感動した、さっき」
 廻が衰弱していく様を傍で見守るなんて、暁月は耐えられないだろう。
 最初は暁月を救うという大義で動いていた明煌は廻を大切だと思う様になり、やがて全てを救いたいと願うようになった。めざましい心境の変化だ。
「明煌さんは、すごいな……全部救ちゃった」
 暁月は明煌の左肩に頭を寄せる。傷口に触らぬようそっとを頭を預けるのだ。
 明煌は左肩に乗る重みを心地よいと感じる。いつまでもこうして居たいと思えるほどだ。
 傷口の呪符に触れる暁月。呪符は水を弾くように作られており、その上だけは何も濡れていなかった。
「全部救うのは、俺だけじゃ無理だった。皆がいたから、暁月も廻も頑張ったから」
 明煌は右手で暁月の頭を撫でる。
 子供の頃に、そんな風に頭を撫でて貰ったと暁月は懐かしさに目を細めた。

「そういえば義手、そんなに嫌なの?」
 預けていた顔を上げて明煌は首を傾げる。
「……今は、暁月の傍に居た方が安定する。まだ、完全に馴染んでないやろ? 左腕。それに治ったら、帰らんとあかんやろ」
 まだ一緒に居たほうがいいと、明煌は暁月へと説明する。
 移植した腕を右手で掴む明煌。夜妖を祓う時に付いたであろう傷跡がいくつもある。
「こっちはミアンを保護したときのやつ。こっちはシジュウに噛まれたやつ。他にもいっぱいある」
「いっぱい頑張ったんだね」
 暁月の言葉に照れたのか、明煌は湯船から立ち上がった。
「もう出るのかい?」
「うん……」
 浴室から出てタオルで身体を大雑把に拭き、新しい着物を右手で肩に掛ける明煌。
 既に着替え終わった暁月が明煌の着物を持ち上げる。
 後ろから袖を通し、前に回って合わせを揃えた。襦袢と着物の仮帯を締めて整え、半帯を腰上に当てる。
 前から抱きしめるような形で帯を締めて、最後に位置を調整した。
 暁月に着物を着せて貰うのは何だかそわそわとしてしまう。
 いつもより近い位置にある体温に、悪戯をしてみたいと思ってしまうのだ。
 つむじを押してみたり。
「何……? 何で押したの」
「なんとなく」
 視線を逸らして眼帯を着ける明煌に暁月はくすりと笑みを零す。

 明煌の気持ちは、以前聞いている。
 あの時は受入れることも、否定することも出来ずにいた。
 だって明煌と暁月は幼馴染みの叔父と甥の関係だ。
 好意を寄せてくれるのを拒否するつもりはない。
 ただ、明煌の気持ちに応えるには、暁月の覚悟がまだ足りないように思えた。
 明煌のことは好きだ。ただ、恋愛感情かと言われれば疑問がある。ただ、嫌いではない。
 割り切れない関係性。大人になってさえ、分からないことだらけだった。
 子供の頃のままなら、好きという気持ちだけで傍にいられたのだろうか。
 儘ならないと暁月は明煌の隣を歩きながら考えに耽るのだった。


PAGETOPPAGEBOTTOM