PandoraPartyProject

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今でも、その瞳に捉えたいものは

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠


 ――口の中の血の味にも、もう、慣れてしまった。

『もう一度』

 幾度も聞いたこの声に応じて、少年は再び魔力を集める。
 与えられに適当な宝石を握り、体の中心から手元へと、少しずつ力を移動させていくイメージ。
 宝石が、掌に集められた力に呼応して光る。それは徐々に強さを増していき――けれど。
「……あ」
 光は、ある時点でふっとその存在を消失させる。
 集中力が切れたわけでもない。力を使い果たした感覚も、恐らくは無い。
 彼が引き出そうと、或いは宝石に篭めようとした力は、いつもいつも、或る程度に達するとその時点で供給が失われてしまう。
 なんで。どうして。それを気にする暇も無く。
「ひっ……!」
 少年の背中に、浅く突きたてられたナイフの灼熱感が。
 痛みに苦悶を漏らす。けれどその時点で既にナイフは引き抜かれ、言祝がれたまじないによって傷は跡形も無く治癒されていた。
 要は、そう言う事。眼前に立つ大人は、何時もこうして彼が魔力を引き出し切れないと、様々な暴力で痛みばかりを与えてくる。

『もう一度』

 そうして、その後に聞こえるのは決まってこの言葉。
 こうすれば良い。ああすれば良いという言葉は、この訓練を初めて最初の二、三回だけ。あとは失敗するたびにこうして罰ばかりを与えられる。
「………………」
 魔力の存在を識ること。魔力を操る術を覚えること。そして魔力を高める術を体得すること。
 眼前の大人たちから教えられるのは、そうした面白みのないものばかりだった。彼らは、嘗てこの少年に歌遊びを教えてくれたような大人たちとは違い、自らが必要とするものだけを彼へ求め続ける。
 それを、否定することも出来ない。抗う術も無い中、たかが声を上げて反抗したところで待っているのは、先ほどのような罰だけだ。

『もう一度』

「……っ」
 次は、顔面を殴られる。
 一瞬で癒えるそれが、けれどどうしようもなく恐ろしくて。
「……はい。わかりました」
 少年は。
『うすにびいろ』と呼ばれるその子供は、ただ頷いた。


 何時からすべてが変わったのだろうと、少年は思い起こす。
 変わった羽の色を持つ自らを周囲は遠ざけて。けれど、ほんの少しのひとだけが、彼と仲良くしてくれた。
 たくさんのひとと居られなくても。少年は、それだけで満足していたのに。

 ――知能が遅れているな。しかし内在魔力は……
 ――何。言う事を聞かなければ鞭を与えればいい。大事なのはその素養と「従うこと」だ。
 ――いかさま。であれば自立した考えなど持たせるべきでは無かろうよ。

 同い年の子と遊んで。大人のひとと歌って。
 そんな日々は、知らない大人たちにあっさり奪われた。その後は見ての通り。
 与えられた命令に従うことだけを強いられる日々。その目的すらも、教えられることは無く。
 そうして従わなければ、罰を与えられる。理由も無く、子供に与えられる内容としてはあまりに苛烈なそれを、けれど少年は何度も繰り返されるうちに――反抗も、疑念も、何時しか失われてしまっていた。

『試験だ。教えた成果を見せてみろ』

 だから。
「その選択肢」を与えられた時、少年はほんの少し、救われた気がしたのだ。

『お前を森に放つ。魔物が蔓延る森だ』
『一人で生き延び、帰ってこい。逃げられると思うな』
 
 そんな言葉と共に、森に放逐されたのは、いったいどれほど前のことか。
 座り込み、動けぬままでいた子供の眼前は、現在複数の魔物が立ちはだかっている。
「……ああ」
 少年は、それに対し、戦うことも、逃げることもしなかった。
 ただ、「これで終われる」と。
 振るわれた爪牙を前に、忘と立ち尽くし。
「――――――酷い顔だ」
 けれど、その願いが叶うことは無かった。
 断続的な魔術の奔流で、魔物たちは即座に散らされていき。



 後には。
『うすにびいろ』と、一人の青年が残された。


「立てる?」
「………………」
「そうか。まあ、俺も多少は休憩したいし」
 差し伸べられた手に対し、緩やかに首を振るった少年に、黒髪の青年もまた彼同様腰を落ち着ける。
「なぜ、こんなところに?」
「……戻って来いって」
「戻る?」
「生きて、戻って来いって。試験だって」
「ああ……」
 少年の言葉に、ふんと鼻を鳴らした黒髪の青年は、瞳の光を失った子供をじっと見遣る。
「それで、戻るつもりなの?」
「……うん」
「戻りたいの?」
「………………」
 再び、首を横に振る少年。青年は、其処で言葉を一旦切った後。
「……なら、君に選択肢をあげよう」
「? せんた、く」
 そう。と言った黒髪の青年は、少年の前で二本の指を立てる。
「一つは楽な道だ。このまま再び魔物が来るのを待ち、今度こそ食べられて何もかもを終える道」
「……うん」
「もう一つは、俺の援護を借りながら、君が言う『試験』を出した人たちの元へ戻る道」
「……また、言うことを聞くの?」
「『聞かなくていい』」
 諦念と共に発された問いを、しかし黒髪の青年はきっぱりと否定した。
「正確には違うかな。その場限りの返事はしておこう。
 けれど、これからずっとその人たちの言いなりになる必要は無い。君が大人になって、十分な力を身に着けたら、改めて彼らの元から逃げ出せばいい」
「………………。」
 瞠目と共に、困惑の表情を浮かべる少年。
「無論、こっちは先ほどと違って茨の道だ。これから先ずっと苦しい思いをすることになるだろう。
 けれど、その果てで君は自由を掴める。君のしたいこと、やりたいことをやってもいい人生を送れる」
 その言葉こそが、少年にとって何よりの『希望』だった。
 傍からすれば根拠も、責任も無い提案。けれどそれはこの少年にとって、既に諦めた過去の思い出を呼び起こすには十分なそれで。
「……。もう、いちど」
「うん?」
「うたを、うたえるかな。
 ともだちと、あそべるかな」
 余りにもありふれた願いを前に、青年は小さく笑む。
 伸ばしたその手が、少年の髪をくしゃりと撫でて。青年は祈るように言葉を発する。
「俺が約束するよ。きっと君は、この先素敵な名前を貰って、沢山の人達と縁を紡ぐ事になる」
 うんと遠い未来だとしても、必ず。そう言った青年に、チックは終ぞ、ぼろぼろと涙を零して嗚咽を漏らした。
「ぼく、は……『おれ』は……。
 唄いたい。もっと、あそびたい。みんなと、なかよく、なりたい……!!」
「……そうか」
 その思いの発露こそが、即ち青年への答え。
 最初の時と同様、差し伸べられた手。
 少年はそれを見て――今度こそ、その手を握り立ち上がる。
「なら、往こう。先がどれだけ険しく、遠くとも」
 少年は、その時初めて青年の顔を確りと見た。
 夜を刷いたような黒の髪と瞳。柔和な笑顔を少年に向ける彼は、そのままゆっくりと腕を引く。
「その果てに――君自身が守りたいと願うものを、見つけられるといいね」



 それは、既に『彼』が思い出し得ることが無くなった。一つの記憶の原風景。
 一人の少年はその後、故郷へと帰り、再び理不尽な暴力にさらされながらも研鑽を積み、ある日を境に再びの自由を手に入れる。
 けれど、その全ての切っ掛けとなった青年の姿だけを、時と共に忘却しながら。
「――――――?」
 時は経ち、現在。ありふれた街の只中にて。
 すれ違う町民を何となく目で追った『彼』――チック・シュテルは、すぐさま視線を戻して街中を進んでいく、
 ……すれ違った相手は、黒の髪と瞳をしていた。


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