SS詳細
愛とは毒であり薬でもあり
登場人物一覧
●
「その薬、本当に必要?」
灯りで照らされる部屋。机を挟んで向き合う二人。その内の一人――『闇之雲』武器商人(p3p001107)の確認するような言葉に、もう一人――『夜鏡』水月・鏡禍(p3p008354)は無言で頷いた。
二人を挟む机の上には紫の液体が詰められた洒落た小瓶が一つ。薬品の類であると分かる紫色は、武器商人の瞳の色に近い。
隠していない灰色の瞳には、覚悟が滲んでいる。
「ええ」
「ふむ。だったら、キミはこの薬を得るのに何を差し出すのが相応しいと思う?」
武器商人は長い髪を一房人差し指に絡ませると、前髪の隙間から輝く紫の瞳を覗かせて鏡禍を見つめる。彼の覚悟を値踏みするかのように。その視線に物怖じする事も無く、鏡禍は唇を開いた。
「対価はこれで如何でしょうか?」
力強く言われた言葉と共に彼が懐から取り出したのは、小さな箱に入った、鏡の欠片。大きさは成人男性の指の第一関節ほど。彼自身であり、同時に彼の住処でもある手鏡から取れた物だ。それが何を意味するのか、武器商人には何となく察した。
「その対価を渡すと類感呪術とか比じゃないくらい
影響の与え方がどのような物なのかを明示しないのは、武器商人本人にも分からないからだ。ただ持っているだけでなのか、それとも力を注ぐ事によるものなのか。そして、影響を与えた結果どうなるのかは分からない。
武器商人の言葉を聞いても、鏡禍の意志は揺らがないようだ。「構いません」と言い切った声に迷いは一切無い。
暫し考えるように黙り込んでから、武器商人は短く「わかったよ」と答えた。
己は商人であり、客の要望と覚悟に応えた。それだけである。意思の確認も行ない、彼からも同意を得た。ならば、これ以上何を望むというのか。
互いに持ち寄った品を相手に寄せて、それぞれの対価を受け取る。
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
丁寧に一礼して踵を返す鏡禍の後ろ姿を、手を振って見送る。
閉じられたドアを見ながら、武器商人は渡された箱の中身をハンカチで掴んで持ち上げた。商品に素手で触れないのは商人の基本である。綺麗に磨かれている鏡の欠片を見ながら、武器商人は一人呟く。
「愛とは本当に厄介だね」
愛おしいという気持ちは
愛で強くなる者が多いであろうその一方で、ふとした事で不安になったりする事もある。
今し方まで武器商人の前に立っていた、妻への愛に生きる男もまた、例に漏れず。
嘆息を一度しつつも、彼は改めて鏡の欠片を見つめ、口元を三日月に形作った。
「何はともあれ、よろしくね」
●
あの取引から数日が経った。
鏡禍は、あの日得たものを未だに使えずにいた。
彼があの取引で望んだのは、『愛する人の本音を聞くための薬』である。その対価として差し出したのは先述の物。
我が身の欠片を差し出す程に切羽詰まっていた……と言うには、些か語弊があるかもしれない。結婚し、妻となったというのに、彼女からの愛情に不安を覚えていた。
そんな風になったのも、彼女と自分の明確な違いを自覚しているのもあるだろうが。
鏡禍はその名の通り、鏡を本体とする妖怪である。対して、妻は普通の人間種だ。そんな二人が種族の差を超えて結ばれるに至ったのは奇跡の一つと言ってもよい。尤も、この混沌世界において種族差による婚姻など珍しくもなかろうが。
兎にも角にも、鏡禍は妻への愛を知り、妻の愛を得たのだ。それで満たされている事に間違いは無い。
けれど、その分不安も生じるのが愛というもの。
――本当に自分を愛しているのだろうか。
――自分が愛を乞うたから仕方なく付き合ってはいないだろうか。
――彼女はもしかしたら、本当は……
などなど、不安は尽きぬ。
(厄介なものですね)
己の気持ちすらままならぬ。
そして、不安から、『愛する人の本音を聞くための薬』を望んでしまった。これを望むのは彼女に対する裏切りであると、鏡禍は決定づけた。故に、先の取引で彼は自分の欠片を対価としたのだ。
椅子に座ったまま、改めて、机の上に置いた薬瓶を見つめる。この商品を売ってくれた商人の瞳に近い鮮やかな紫。
手に入れたというのに、それを未だに使おうとしないのは、もしも不安が的中するような事態になったらと思うと怖いから。
このまま使う機会が無いままというならば、何の為に取引をしたのか。
とはいえ、先述の通りの嫌な考えが的中して今ったらと考えると……。
堂々巡りになってしまった思考を振り払うように、頭を振る。
(…………あと三日。その間に何も無ければ、その時に使いましょう)
己で刻限を決める。その刻限を延ばす可能性が有り得そうだと、自分で思ってから、苦笑いを浮かべた。
愛するという事は、時に優柔不断を生むのかと思い知る。
嘆息して立ち上がり、小瓶を片付ける為に手を伸ばした時、視界が歪んだ。ぐにゃり、と、例えるなら細長い縦状の波線のような歪み方をして。
「あ……?」
膝から力が抜けそうになるが、どうにか力を入れ直し、テーブルに両手を乗せる事で倒れる事を防ぐ。
俯いたまま、息を鼻から吸う。そして、唇から少しずつ細く零していく。
それを繰り返していく内に、漸く視界は正常に戻り、失いかけていた足への力も元に戻った。
またか、と今度は溜息を零す。どうにもここ最近、身体の調子が思わしくない。
今みたいな事もそうだが、元々自分が持っている妖力が扱いにくく感じる事もあった。
妻や知り合いの前では出来るだけ何事も無く見えるように努めている。心配をかけたくないのが第一だが、自分の弱い部分を出来るだけ見せたくないという意地もほんの少し。というか、この身体が不調をきたした所でどこへ相談すれば良いのか。人間ではなく妖怪なのだから医者にかかってもどうにもならない気もする。
一見すれば原因不明とも言えるこの身体の不調。鏡禍には少しばかり心当たりがあって。
不調が始まったのは、数日前の取引の後から。とすれば、渡した欠片に何かがあったのではないか、と。武器商人に渡した以上、どう使うかは向こう次第である。何をしているのかを詰めるのはお門違いというものだろう。
『その対価を渡すと類感呪術とか比じゃないくらい
あの時の言葉を思い出す。つまり、この不調はその影響の結果なのではないか。
(…………でも、あの人なら悪いようにはしないはずですよね?)
薄く笑う武器商人の顔を思い出す。何を考えているか読めない所はあるが、商人としては信頼に値すると思っている。影響の結果、自分がどうなるのか気にはなるが。まさか、変貌はしないだろうとは思うけれども。
ふぅ、と溜息をもう一度零す。
願わくば、影響の結果が悪いものになりませんように。
●
あの取引から数日。
武器商人は暇を見つけてはアレコレをしていた。その内の一つに鏡禍から貰った本体の一部も含まれている。
椅子に座り、対価として受け取った品を棚から取り出す。本人が箱に入れてくれたおかげで、管理が楽だ。
鈍く光る鏡面が映す範囲はとても少ない。武器商人の顔も一部しか映らない。
武器商人は広げた布でそれを箱から出し、丁寧に磨く。
鏡禍は己の眷属の大切な友人である。少なくとも、彼はそう聞いており、故に鏡禍から渡された品も大事に扱おうと決めていた。
(さて、大事にすると決めたものの、どう愛でようか)
最初に思ったのはそれで。
けれども、悩んだ時間はたったの一分。
武器商人は小さな鏡の欠片を磨きながら、力を注ぐ事にした。
その者にとっては、それも愛で方の一つである。
丁寧に磨きながら、鏡の欠片に合った力を注いでいく。鏡禍は鏡の妖怪であり、その力は妖力だという。彼の妖力と合うように調整し、注ぐ『力』を『妖力』とする。
武器商人の『力』は、本人にもよく分かっていない。そもそも、ソレがどういったものなのかすらわかっていないので、己を『純粋な「力」が意志や感情を持ったモノ』と定義しているにすぎない。
だけど、自分が『力』を注ぐ結果、何かしらの影響を与える事は分かっていた。過去にいくつものやってきた事を考えると、己の個人への影響は割と大きい――ように思う。
それは今手元にある鏡禍の欠片に対しても同様ではないかと、思ってはいた。影響が良い方か悪い方かはまだ現時点ではわからない。
慣れぬ内は相手側に身体に不調をきたす。今頃、彼の方でも身体に異変を感じている事だろう。
武器商人は彼が影響の結果どうなるのかを考えはしない。何故ならば、武器商人にとって、その行為は親愛や好意の表現でもあるのだ。
(たくさん愛でようねえ)
三日月のように細めた口で微笑みを浮かべて、鏡を見つめる。