PandoraPartyProject

SS詳細

恋は雨粒

登場人物一覧

劉・雨泽(p3n000218)
浮草
チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠


 ――僕の塒? それは駄目。
 手紙にて『線を引く』と告げられて以降、雨泽からの「それは駄目」が増えた。
 拳一個分だとか、少しだけ。少しだけだけれど以前よりも距離を感じることにチック・シュテル(p3p000932)は寂しさを覚えてしまうけれど、想いを告げた時点でそれは覚悟の上だろう。告げた時点で別れを告げられる可能性だってあったし――昨年までの雨泽ならば迷わずそうしている。
(けれど、これは。ちゃんと考える、してくれている証)
 好意を享受して付け込みたくない。君を大切に思っているからこそそう思うのだと事前に伝えられている。
「僕の所とか、暗いし二人っきりだから駄目だよ。……そうだな、チックの家にしよう」
 たくさん惣菜デリを買って、君の『家族』と一緒に食べよう。
 その提案に頷き返して家へと向かえば、獣種と人間種とおばけの子供達は皆喜んで出迎えてくれた。
「じゅんびをするから、おにいちゃんたちはやすんでて!」
 お皿に綺麗に盛ろうと子供達は楽しげだった。

 家での吸血は、少しいけない事をしているような気もして。
 は、と吐息を零して顔を上げる、この距離が一等近い。
「雨泽」
「なぁに」
「……返事、聞いてもいい?」
 何をなんて聞き返さなくとも解る。聖夜にチックが告げた気持ちへの答え。存外早く聞いてきたなと思いながらも顎を引いた。
「まだ曖昧だけど……いい?」
「……ん」
「正直な所、恋って言うものは良くわからない、かな」
 雨泽なりに沢山考え、他者の話も聞いた。
「今までの僕なら、君が想いを告げた時点で離れていたよ」
 チックはジッと雨泽を見つめていた。少しだけ困ったような表情は『あの日』と同じ。
 小さく息を飲みかけながらも続きを待てば、「でも」と言葉が続いていく。
「それが出来なかった。僕は君を大切に思っているし……こう言うと何だか変なんだけど、生活の一部みたいになっているんだと思う。週に二回は君に会って供血するし、美味しい店を見つけたら一緒にいったり、遊びに行ったりする。そういうのが当たり前になってしまっているから――離れた自分が想像できなくなった」
「うん」
「僕は、離れた方が楽なんだ」
 不安も、想いも、手紙に綴られていた。
「遠くから君の幸せを祈った方が楽。……でも君の幸せに僕が必要なら、僕は君の傍にいるしかないじゃない?」
 逃げ道をいつだって探してしまう。癖みたいなものだ。けれどももう、自ら離れようと思ってはいないという気持ちも、手紙に綴った。
「ひとつ、確かめても良い?」
「いくつでも、いいよ」
「無条件に頷いていいの? 後悔しない?」
「雨泽に対して後悔、それはないって。言えるよ」
 悪い大人の自覚がある雨泽は困ったように笑った。
「口吸いをしてもいい?」
 口吸い。豊穣の言葉。
「……ん。……したい」
 脳内で自身の知っている言葉へと変換し、こくんと頷いた。顎へと手が伸びる。
「嫌だったら噛んでいいから」
「……噛む、しない」
 舌を出して、とまでは言えない。ただ「唇をぎゅっとしないでね」とだけ告げて、雨泽は顔を寄せた。
 選びあった香水の甘い香りがして、視界が雨泽でいっぱいになる。それだけで心臓が飛び出してしまいそうな程にドキドキして、ぎゅうと瞳を閉ざした。その瞬間、ちゅ、と柔らかに唇が触れて。チックは頭も心臓も忙しくなるのに、唇に温かな濡れた感触――舐められたと知った途端、体が跳ねた。何かが腔内へと入り込む。上顎を擽られ、甘い痺れが背中を駆け上がった。ンともフとも取れぬ音が漏れると聴覚が水音をも拾い、恥ずかしさを覚えた。けれど、そちらへ意識を向けてもいられない。知らず引っ込めた舌が、熱と弾力、味覚は甘味を拾い上げた。
(――あ、)
 舌を絡められたと思う間もなく軽く吸われ、それは離れていく。
 臭覚、視覚、触覚、聴覚、味覚。ほんの僅かの間に、五感すべてを雨泽に奪われていた。
 唇を親指の腹で撫でられ、促されるように瞳を開けば、潤む視界の向こうに覗き込む雨泽の顔が見えた。僅かに頬が上気しているように思え、先刻の背を駆けた感覚はきっと快楽で、彼にとってもそれを得る行為なのだとチックは霞む頭で考える。
「気持ち悪い、とか……なかった?」
 ふるり、首を振る。今はそれが精一杯。頭はフラフラで、心はドキドキと忙しい。
「俺も……気持ち悪い、とかはなかった」
 考えが追いつかないチックへ「落ち着かなければ離れようか?」と雨泽が問う。離れたくないと意思を示すように彼へと縋る手に力を籠めれば「じゃあこのまま続けるね」と彼は何故口吸いをしたかを話し始めた。
 彼にとって口吸いとは『好意がないと出来ない行為』との事だった。体の交わりは好意が無くても出来るけれど、五感が近い口吸いはそうではないものであり――求められれば出来るが気持ちが悪いのだ、と。
 五感。その言葉にまた、チックの頬が熱くなった。
「気持ち悪くならなかった。それはつまり、俺も口吸いが出来るくらいには君を好いている、ということでしょ? それを確かめたかったんだ」
 チックほどでは無くとも、想いの向きは同じかもしれない。書物に記されているようなトキメキというのも覚えたことがなく、好きの違いも解らない。けれども心と体が拒絶をしないのなら、『そう』なのだろう。
「金魚か林檎みたい。……もしかして、初めてだった?」
 まだ息が上がっているチックを覗き込んだ雨泽が首を傾げる。過去にあった痛いことをした人にされたと思われたくなくて急いでこくこくと頷けば、「そう」と雨泽が小さく笑った。
「軽くにしたけど苦しかった? 呼吸、慣れてくれると嬉しいな。……俺はまたしたいから」
 赤い顔で見つめ、呼吸を浅く繰り返しているチックの唇が再度指の腹で撫ぜられ、此処にまたしたいと思っているよと知らしめる。
「う。うぅ……」
 顔から湯気が出てはいないだろうか。
「また今度、してもいい?」
 ねぇチックと言葉が降ってきて、返事を求められている。
「……おれも、また、したい」
「うん」
 どこか迷いが失せたのだろう。にっこりと笑う雨泽に先刻までの困ったような気配はない。その笑顔にチックはホッと吐息を吐き出してから、少し体を離した。話が出来るだけの適切な距離を保とうと。
「……答え、出た?」
「そうだね」
 ゆっくりとした深い呼吸をひとつ。
「俺は、君が好きだよ。君と同じだけ……ではなくて、君の想いに比べたらずっと小さいと思う。書物にはドキドキするとか書いてあったけれど、そういったものを覚えたことがないから恋はやっぱり解らない」
 チックの手を掬い、互いの指先を交差させた。
「けど、傍に居たい。君に隣に居て欲しい」
 不安なことは沢山ある。都度悩むであろうことも手紙に正直に記し、それらはチックが受け止めると約した。その気持ちは雨泽の言葉を聞いても変わらない。
「おれは雨泽を……翠雨を、一人の人間として、愛してる」
 好きだと言って貰えるだけで泣きたいくらいに嬉しくなってしまうし、傍に居たいと手を握られるといつだって幸せになれて、絶対にこの手を離すものかと思うのだ。
「沢山の雨泽を、知りたい。友達以上の、その先の存在として。沢山の表情を、間近で見たい。笑顔も……びっくりした顔、だって。……雨泽に、対して。おれはすごく欲張りになる、しちゃう」
 欲を自覚している。それでももう、離れることが出来ない。
「悲しい時や、心が冷たくなった時は。傍に寄り添う、したい。雨泽から打ち明ける、される前から。そう、思ってたの」
 雨泽に掬われた手。その手にもうひとつの手を重ねて逆に包み、引き寄せて頬を寄せる。
「恋人と、して。……君の隣に居たい。雨泽の帰る場所の一つに、させてほしい」
「君が望むのなら……君の元には帰るよ」
 間が空いたのは『チックの家にという意味ではなく』と言う事だろう。
「君と恋仲になってもいいんだけど、ふたつ条件があるんだ」
「……条件?」
「お願い、かな。約束して欲しい。俺の命よりも君の家族の――子供達の生活を優先すること。子供達を引き取った責任がチックにはあるんだから、一番は彼等のことを。君が喪われたら彼等がどうなるかを、考えて」
 チックは小さく息を飲んだ。
 だから、今日。答えを聞かれそうだと解っていて、君の家に行こうと雨泽は言ったのだ。
 チックが守るべき笑顔は、先刻出迎えてくれた笑顔であるべきだ、と。
「ん。わかった」
「もうひとつは……愛を教えて欲しい。恋は解らないけど、愛はきっと解るようになると思うから。君の愛で俺のこの気持ちを愛の形に育てて。俺が君のことを愛してるって言えるように」
「沢山伝える、出来るよ。覚悟していて」
「お手柔らかに」
 チックが見上げた雨泽は穏やかに笑っていて、その瞳には自分だけが映り込んでいた。溢れる愛おしさで自身からも口付けたくなり、そっと顔を近づけていく。顔が近寄るに連れてゆっくりと瞳を閉ざし、吐息を感じ取れるほどに近づいた。自分からの口付けはあの日ぶり。勇気を振り絞ったあの日の自分を褒めてあげたい。あの時頑張っていなかったら、今こうしてふたりの時間を過ごしていないのだから――。
 けれど。
「おにいちゃんたち、じゅんびできたよー!」
 廊下から子供達の声がした。トンとチックの唇に触れたのは、唇よりも堅い雨泽の手の平で。遮られたことに驚いて瞳を開ければ、少し意地悪く笑う灰色があった。
「恋人の時間はおしまい」
「時間がある、の?」
「だってチックは皆の保護者だから。ちゃんと『お兄ちゃん』をしなくちゃ」
 ほら行こう、お兄ちゃん。雨泽が手を引いてチックを立たせる。
「……雨泽、意地悪」
「そうだよ。君はそんなことで僕を嫌わないんでしょ?」
「意地悪」
 ――今知ったの?
 いつもより意地悪そうに笑う雨泽の顔もかわいいと思えてしまうのは、惚れてしまった弱みだろうか。


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