PandoraPartyProject

SS詳細

スノウドロップの否定

登場人物一覧

アルヴィ=ド=ラフス(p3p007360)
航空指揮

「隊長さん」
 アルヴァ=ラドスラフに声をかけてきたのはギルドの職員だった。
 アルヴァにとっては数度依頼を通じて顔を見たことがある、けれども名前までは知らない。そんな存在だった。
 彼女の声を無視してそのまま扉から出て行くことも出来たがアルヴァはそうしなかった。足を止め、左目を眇めて振り返る。
「まだ何か」
「少し、お休みを取られてはいかがですか?」
 ギルド職員の表情には気遣うような様子が見て取れた。
「今日だってほら、依頼から帰って来たばかりじゃないですか。少し休んで怪我を治してから向かった方が――」
「その間に、この村の住民は皆殺しにされるかもな」
 アルヴァは受け取った依頼書を気だるげに揺らした。唇に浮かんだ冷笑には壊れ物のような危うさをはらんでいる。
 光を失ったアルヴァの右目は酸素に触れたせいだろうか。微かに濁って石のようだ。焦点の合わない虚ろな視線がギルド職員を映している。
「なにも隊長さんが行かなくてもいいじゃないですか。航空猟兵の皆さんに頼めば――……」
 明らかな拒絶と、そして痛みを伴った銀の片眼に射貫かれて、職員はそれ以上言葉を続ける事ができなかった。
「  」
 アルヴァが黒いフードをかぶれば彼女は腰が抜けたようにへたりと座り込む。去り際にアルヴァの唇がつむいだ言葉は、彼女に対する悪態であったのか。それとも謝罪であったのか。
 床には鮮血が一滴、落ちている。


『なにも隊長さんが行かなくてもいいじゃないですか』
 たった一言を、どうしてこうも思い出すのか。
 白くけぶる息すら煩わしくて、意識を切り替えるようにアルヴァはマスクを目元近くまで引き寄せた。
 厚い雪の積もった薄暗い世界は飛行戦闘を主軸とするアルヴァと相性が悪い。しかも肌を刺す冷気が新しい結晶を連れてきたようだ。
「うおりゃあああっ!!」
 横から襲い来る大振りの斬撃。横薙ぎに振り放たれた斧の軌道を見極めると、アルヴァはほんの少しだけ腰を落とした。
(戦えない俺に価値なんてあるのか。答えはノーだ)
 頭上すれすれを通過した肉厚の刃には虫の巣穴に似た刃こぼれが見える。ろくに手入れもされていない武器を哀れみと共に見送ると、空色の前髪が風圧に負けて、ふわりと浮いた。
 アルヴァは銀の目で盗賊を見あげた。盗賊は驚いた表情でアルヴァを見下ろしている。目が合うだなんて思ってもみなかったという表情だ。
 こんな表情を、アルヴァは前にも見たことがある。
 大抵は敵で、そして時々は冷たくなっていく味方が浮かべていた。
 自分が死ぬだなんて微塵も思っていない。ただ驚き、そして直前まで自分の勝利を確信し、薄く笑っている表情。
 地面についた手を軸に、小柄な身体を回転させる。一度目には足払いを、二度目に隙だらけの腹に体重を乗せた蹴りを放つ。
(俺のせいで、俺が弱いせいで、仲間が傷つき死んでいく)
 分厚い筋肉のせいで思ったよりも深いダメージは与えられなかったが、昏倒させ、目の前から邪魔な巨体を吹き飛ばすには充分な威力だった。
 大振りな攻撃の後は最も隙が多い。硬直しやすく、回避を取る準備が出来ていないからだ。
 その事をアルヴァはよく知っている。
 だからわざと隙を作り、潜んだ敵の攻撃を誘導した。
 避ける事を選択せず、咄嗟に手甲に取り付けた黄金色の盾を展開する。
 ちらつくホワイトノイズの向こうに嗅ぎ慣れた火薬の匂いを捉えた瞬間、鈍重な痛みが腕に奔る。だが致命的な損傷ではない。
 大振りな攻撃の後は最も隙が多い。それは相手も同じことだ。
 呆けた様子でスコープから顔を離した敵の一瞬の隙をつき、アルヴァは狙撃手の背後へと回りこんだ。そして側頭部を狙い思い切り盾を打ち付ける。
 倒れた狙撃手を見下ろすと同時に、あからさまな殺気が空気を震わせた。
 黒いマントを貫くように槍の穂先が突き出し、アルヴァの瘦身がぐらりと傾く。
「殺った!!」
「……そうか?」
 雪のような静かな声だった。感情を削ぎ落した、機械的に放たれた疑問の声だった。
「なっ」
「こんなに卑怯でぬるい槍に俺が捕まるとでも?」
 男は慌てて槍を引こうとしたが、微動だにしない。
 刃先には布が纏わりつき、アルヴァの左わき腹には一筋の紅い線が刻まれている。完全な不意をつき、己の磨き上げた一撃が、ただの掠り傷で終わった。それは腕に覚えがあると声高に叫んでいた盗賊の自尊心を打ち砕くには、充分すぎるほどの差であった。
 男が最期に見たのは自分を睨みつける巨大な漆黒の銃。そして壊れかけの青空だった。

 一方で地面に倒れ伏した相手を見るアルヴァの目は氷のように冷えていた。
 腕に自信がある盗賊だと聞いていたのに、とんだ期待外れを掴まされた気分だ。弱すぎて鍛錬にもならない。
「ッ」
 落胆と共に疼きはじめた痛みは、腕か、腹か。それとも全身からか。
 傷喰みで蝕まれたアルヴァの身体と生命は、いつ毀れてもおかしくなく、特異運命座標として与えられた祝福ギフトはもう使えない。
「は、はは、こんな戦い方してたら皆に怒られそうだな」
 避けられた筈の一撃をわざと受けたのは、心がそう動けと命じたからだ。
 あの世にいった仲間たちにどやされるのも、そう遠く無いのかもしれない。
 弱くなっていく己を誰よりも理解し、危惧しているのはアルヴァ自身だ。
 自嘲を顔にはりつけたまま、横腹の傷に触れる。
 仲間に置いていかれるのが何よりも恐ろしかった。
 だから肩を並べて戦えるように、より一層鍛えて強くなる必要がある。
 
『求めているのは、それだけ?』
 しんしんと降り続ける雪の中で子供の声が聞こえた。
 辺りには倒れた盗賊以外、誰もいない。アルヴァは灰色の空を見上げた。
『強くなるのが望み?』
「そうだ。もう二度と、仲間を失わないために」
『本当に?』
「何が言いたい」
 服用している薬のせいか。追い詰められた肉体が精神に影響しているのか。聞こえてくる幻聴の疑問に、次第に頭の髄が痺れていく。
『戦うのは自己満足のため?』
「ちがうっ」
『助けを求めないのは自尊心のせい?』
「ちがう……」
『さいきん仲間の顔を見た?』
 麻痺したように身体が動かないのは雪のせいだろうか。
『本当は、誰かに罰して欲しいと願っているんじゃない?』
「わか、らない」
 やや舌足らずな声でアルヴァは応えた。
 自我というものがまるで見当たらない、感情の抜け落ちた顔が首を傾げる。
「そうだったら、良かったのにな」

 なにも隊長さんが行かなくてもいいじゃないですか。航空猟兵の皆さんに頼めば――……

『何故、あの言葉に傷ついたの?』
 それは、と恐る恐る口をひらく。
「ほめてほしかったのに、いらないって言われた気がしたから」
 アルヴァの心が角砂糖のように、ほんの少しだけ欠けた。
「おれはただ、守ってくれてありがとうって。いっぱい痛いのにがんばってくれてありがとうって、言ってほしかっただけなのに」
 それは正気のアルヴァであれば表に出す事の無い弱音であり、身勝手さだった。
「やさしくしてほしかったのに」
 雪にまぎれて言葉は消えていく。深い疵は身体を苛み、深い痛みは精神を苛み、まだ柔らかなアルヴァの自我を削り続けた。寒いのは嫌いだと、アルヴァは小さくなった己の身を抱きしめる。
 白い世界で、彼を抱きしめられるのは孤独だけだった。

おまけSS『雪に溶けた角砂糖』

 ふと意識が浮上する。
 もしかすると自分は気を失っていたのだろうか?
 とんでもない失態だと残った片手で顔を覆い、首を横に振った拍子に白い雪が頭上から落ちた。
 果たしてどれくらいの時間、自分はここに居たのだろうかとアルヴァは疑問に思う。
 肩に降り積もった雪を手で払い落とすと周囲を見渡す。
 雪はどうやら降りやんだようだ。 白銀の世界のなかに三つほど、墓標のように奇妙に盛り上がっている。
 暫くすれば村人が様子を見にくる手筈となっている。
 まだ息のある者を拘束しておけば放置したままでも大丈夫だろう。
 終わったことに対して、驚くほど何の感傷もわかなかった。
 脇腹の血も止まっている。唇を確認することはできないが、恐らく顔と同じく寒さで蒼褪めている事だろう。
 そう長い時間、意識を失っていたわけではなさそうだ。長くて三十分程度かとアルヴァは当たりをつけた。
 そういえば、この森を通り抜ければ馬車の乗り換え所があるはずだ。
 一度、拠点に戻るか。
 それとも連続して別の依頼に足を伸ばしてみるべきか?

 アルヴァは迷う事無く次の依頼用紙を取り出した。
 次は一対多数の乱戦が期待できそうだ。


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