PandoraPartyProject

SS詳細

君の行く先に

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

 シャイネンナハトがやってくる。喧噪の時を越え、絶望の荒波とも呼べるを探し求めるようにエミリアは進んで来た。
 己の命に代えてでも護らねばならないのは姪だった。スティア。エミリア・ヴァークライトという女の人生には何時だって自己犠牲が付き纏っていたのだ。だからこそ、冠位傲慢による大災に対してもスティアだけでも守り抜かねばならないというのが彼女にとって必要不可欠なる事柄であったのだ。
 ただ、神の国にエミリアは踏込むことは無かった。第一に、騎士であるエミリアは市民の平穏を保つためにも その領域外の避難や被害確認も職務の一つであったからだ。
 スティアが無事である事は漏れ聞こえる戦況報告でしか識る事が出来ない。その顔を見て、五体満足であることを確認せねばエミリアの気は済まなかった。
 黒衣を身に纏い剣を振るう。氷の騎士と呼ばれた、冷ややかな気配を纏う女はその通り名を台無しにするほどに荒んだ剣を振るっていた。長く延ばした金の髪が揺らぐ。
 髪留めが転がり落ちてもエミリアは構うことはない。剣技は兄から習った物だが、随分と粗削りになってしまった。
 兄なら、屹度、鋭く美しい剣捌きで敵を屠り彼女の元に突き進んだのだろう。義姉も冒険者だった。彼女も卓越した魔術で敵に恐れなど抱くことは無かっただろうか。

 ――エミリア。前を見て。

 その声を思い出せなくなったのはいつからだろう。血の繋がりも無い、種も違うその人は朗らかに笑うのだ。

 ――エミリア、ほら、怖がらなくても良いわ。

 モンスターを前にしても突き進んでいくその人は、姪にも良く似た顔で笑うのだ。エイル。その名を呼ぶ兄の愛おしそうな声を覚えている。
 憧れていた。彼らの様な互いを愛し合う夫婦になる事を。家族になることを。騎士として、命を張る時が来てもその手を握ってくれる人が居ることを。
 ちらつく雪の中でエミリアはそんなことを思い出し、終戦と共に直ぐさまにスティアの姿を探した。敵と聞いていた遂行者の娘を連れて「頑張ったねえ」と笑う傷だらけの彼女を抱き締めてエミリアは「スティア」と呼ぶ。
「わ、何。誰?」
「叔母様」
「叔母様? 若くない? え、キレー」
 やけに気易く声を掛けてくる元遂行者と、親しげに話す姪の眸が愛おしそうに彼女を見る。信頼し、友誼を結んだ相手であることが分かる。
 エミリアは体の力が抜けていく感覚がした。想像しているよりも彼女は大人になっていたのだ。誰が味方で誰が敵かも分からぬような赤子ではない。まろい掌が力を込めて必死に甘える様子でもない。ヴェールとローブを揺らし、一歩一歩、行く先を定めた女の顔をしてスティアは笑っているのだ。
「叔母様、私は大丈夫だよ。ごめんね、また心配掛けた?」
「……当たり前では、ないですか」
「でも、大丈夫。ほら、新しい友達が出来たんだ。なんと、聖女様だよ。元かも知れないけど」
 余計よ、と彼女が唇を尖らせる声だけを聞いていた。にんまりと笑っていたスティアにエミリアは静かに息を吐き出してから「よかった」と笑った。
「スティアも、もう立派になりましたね」
「ふふ、そうかな。そうかも。お父様とお母様が見れば驚くかも知れないね。
 此れから、何があったって天義を守り抜くよ。大丈夫、その為に頑張ってきたんだから、もしも滅びがどうとか言われたってちゃーんと相手してやるんだ」
 屈託泣く笑う彼女にエミリアは「そうですね」とだけ返した。傷の手当てに行くその背を追いかけることは出来なかった。
 己が手を引かねばならないと思っていた。ずっとずっと、護らなくてはならないと考えて居たのだ。母親がそうするように、父親がそうするように、得られなかった愛情を与えるのは己だと。
 ぼろりと溢れ落ちたのは首と落とした牡丹のようなあっけなさ。「ああ、なんだ」と思ったのだ。「私が居なくてもあの子は十分に立派だ」と。
 庇護を与えた雛鳥が巣立つ瞬間のあっけなさと寂しさは一抹の不安となって波濤を作る。襲い来るそれは自らの行く先の曖昧さを伝えているかのようだった。
「……エミリア」
「クレージュローゼ卿」
「酷い顔をして居る。少し休憩をしませんか? 騎士達にも休息をとるようにと命が出ましたよ」
 紅茶を飲みましょうと促す彼に黙って付き従いながらエミリアは息を呑んだ。スティアと逆の方向へと歩き出した己が自分の知るエミリア・ヴァークライトではないように思えたのだ。
 記憶を失い、一人何処かへと旅立ってしまった姪と漸くの再会をしてから年月は過ぎ去った。当たり前の様に危機に飛び込むその姿に留めなくてはと伸ばした手は最早届かないのだ。
 駆けて行く押さない背中は大きくなっていた。切り揃え、リボンを付けて遣った髪は何時の間にやら長くなっていた。
 細く頼りない腕は、それでも何かを守る為に伸ばされたのだろう。その後ろ姿に彼女エイルを見た。あんなにも脆く、嫋やかで、優しげな彼女――冒険者の衣服に身を包み、子供と共に旅立つその日を夢に見た可笑しな彼女。
(……スティア)
 家に帰ったら、エイルの服を出してやろう。簡単な旅装束だった。今なら着こなせるだろう。数着合った。似合いの物を彼女の友人に渡しても良いだろう。
 エミリアはゆっくりと俯いてから息を吐いた。
「エミリア?」
「ダヴィット、心に穴が開くとはこの様なことを言うのでしょうね」
「……貴女はよく頑張ってきたから」
 ダヴィットはそれだけ行ってからエミリアの手を引いた。まるで迷い子になった幼い少女を連れるように、クレージュローゼ邸へとやってきて使用人にミルクティーを頼む。
 ソファーに腰掛けたエミリアを眺めながらダヴィットは何一つ言いやしなかった。
 もうすぐでシャイネンナハトが近付く頃だ。聖職者であるクレージュローゼ邸でも聖夜のミサの準備が行なわれていることが分かる。
 何れだけ大きな戦いがあれど、人は何かに縋らねば生きては行けない。だからこそダヴィットが準備を行なうようにと指示をしていたのだろう。よく出来た当主だ。
(――私とは違うな)
 エミリアはヴァークライトの名代だがこの忙しなさから領地を使用人に任せていた。今、領地に戻れば使用人達に泣き疲れるだろうか。
 それもエミリアがヴァークライトの領地をスティアに変わり管理していたからなのだが――それも、もう必要なくなるだろうか。
「行き場を無くした顔をして居ますね」
「……もう、スティアに世話を焼く必要はないのだろうと思ってしまったのです。
 あの子は私が思うよりも立派になっていましたし。ふふ、大人になったと言うべきでしょうか。そうすると、私はお役御免ですね」
「スティアが結婚するまで待つのでは?」
「……いいえ、それも、もしかすると必要ないのかも知れませんね。あの子ならヴァークライトを背負って行けるでしょうから」
 エミリアは俯いた。マグカップにミルクティーを注ぎ入れた使用人は幼少期のエミリアはマグカップを好んでいたことを知っている者だったのだろう。
 テーブルへとマグカップを置いてから直ぐに部屋より辞した。二人だけになってからダヴィットは「なら、私の出番でしょうか」と囁いた。
 ゆっくりと立ち上がり、ソファーに腰掛けたエミリアの前に立つ。見上げるエミリアに「貴女の迷うときに、私は傍に居る事を決めていたのです」と笑った。
 何があろうとも彼だけはずっと傍に居た。エミリアも知っている。その優しさに縋るように見上げれば彼はそっと膝を付いた。
「エミリア、改めて言わせて欲しい」
 見下ろす事になった柔らかな銀の髪に穏やかな緑の瞳、幼いあの日と比べればうんと大人になったその人。
 指先を包んでいた手袋が脱ぎ去られる。久方振りに素肌に触れた。幼い日に手を引いて走る彼とは違った無骨な、決して握る事のがないはずだった刀の鍛錬を詰んだ硬くなった指先。
「スティアならばどんな困難でも越えて行ける。私達の想像をも超えて、うんと強くなっただろう。
 だから、貴方はもう縛られなくとも良いのです。兄上と義姉上とて、貴女を縛り付けることを望んだわけではありませんでしょう」
 指先をなぞる褐色の肌。エミリアはその様子をじっと見下ろしていた。斯うして膝を付き恭しく挨拶するのは彼の気障ったらしい一面だった。
 騎士になるまで。姪が産まれるまで。姪が大きくなるまで。三度の約束と、反故にした婚姻の話。時がまき戻るように彼は笑った。
「貴女のような黄金の薔薇と出会えたことに感謝を――」
 そっと手の甲に口付けてからダヴィットは囁いた。
「結婚してくれませんか、エミリア。貴女の障害を私は取払いましょう。貴女の苦しみも悲しみも私が受け止めましょう。
 貴女が惑うというならば、私は幾らでも待ってみせる。この命が尽きようともあの日、貴女と初めて出会った日から私は貴女だけを見てきた」
 エミリアは唇をきゅっと引き結んだ。ヴァークライト家は不正義と言われ、断罪を経て再建した家門だ。
 今やイレギュラーズとなったスティアの活躍でとも呼ばれるようになった最前線の冒険者。騎士であったヴァークライト家から輩出された聖職者。
 詰まりは、聖職者の家系であるクレージュローゼと婚姻を結んでも何ら可笑しいことはないのだ。何せ、変わり者の当主は刀までもを嗜んでいる。
「……私は騎士です」
「跡取りは騎士でも聖職者でも構いません」
「……私は、断罪が為に処刑を執り行いました」
「それが正義のためであると言うならば聖騎士は決して汚れたわけではない。
 今も、貴女が身に纏う黒は確かに貴女の行く先を示しているでしょう。それは正義と大義を示す純粋なる黒だ」
「私はヴァークライトを護らねばなりません」
「私は大家族で構いませんよ。エミリアの不安がなくなるなら、沢山の子に囲まれ幸せに過ごしましょう。
 永きを生きるスティアが遠く旅に出るならば子をヴァークライトの養子に出せば良い。スティアの弟とするのはどうでしょう?」
「……そういう事を言っているわけでは」
「そういう事ですよ。必要以上に背負い込むのが貴女の悪い癖だ。
 スティアだって、弟が、家族が増えるならば大歓迎でしょう。貴女の血が通った子供であればヴァークライトを引き継ぐのにも良く似合う。
 ああ、名付けはスティアに頼みましょう。それが良い。スティアならばきっと喜んでくれますよ。我らの婚姻を祝ってくれる」
 エミリアは饒舌に全ての不安を取り除くダヴィットを見ていた。眉を寄せ、エミリアは「用意が周到なこと」と呟いた。
「はは、そうだろう。……貴女の不安を理解出来るだけの長い時間を待っていたから」
 ダヴィットはそう笑ってから、エミリアを見た。エミリアは、何かを見透かされた気がして居心地が悪そうに肩を竦める。
「次に君が言う言葉はね――『考えさせてください』だ。スティアとも相談し、それから、どっちつかずにはぐらかして笑うのです。
 けれど、此れが最後かも知れない。貴女を困らせたくはありませんから。貴女が不安に思う全てをぶつけてくださればそれで構わない。
 ……それを解決できないのであれば私は、貴女に恋い焦がれることを止めましょう。エミリア・ヴァークライト。私の黄金の薔薇。どうか答えを頂けませんでしょうか」
 緑青ひとみは此方を見ていた。引き結ばれた唇は何時もと違った緊張が滲んでいる。
 言葉などなくとも、理解出来てしまうほどの途方もない時間を過ごしたのだろう。いいや、スティアに言わせればそれも瞬きの一部であるかもしれない。
 エミリアとダヴィットの一生はスティアにとっての微睡みにも近しい筈だ。人間には想像も付かない幻想種の長きときの一部。
 それでも、エミリアは大人になった。少女時代に置いてけぼりにした感情に蓋をし続けることなど出来ず平坦にならして来た感情に起伏が表れる。
 それはまるい輪のようなものだった。至る先など知らぬ顔をした感情は火が付けば膨れ上がる導火線だけが見える。湿気て仕舞うことも無かったそれが見る見るうちに存在を溢れさせた。
「……考えさせてください」
「それは肯定的と捉えても?」
 己は騎士である。己は貴族である。己は――そんな決意など脆く、少女がそうするように頬を染めてからエミリアは唇を震わせた。
「分かって居るでしょう」、と。


PAGETOPPAGEBOTTOM