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心が溶けきるその前に
登場人物一覧
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「また降ってきてしまいましたね」
「……だね。どうしよっか」
トールと沙耶は互いの顔を見合わせ、それからもう一度、降りたバス停から外の景色を眺める。
文明に秀でた練達の中でも比較的田舎のような空気の場所に
コミカルな兎の看板が頭に雪をかぶったまま「ようこそ、ファニー移動遊園地へ!」とポップな吹き出しで2人を出迎えている。粉雪がちらちらと降る奥には、所々に電球の温かな光。
沙耶は改めて、懐から2人分のチケットを取り出した。
――助けてくれて、ありがとうね。これ良かったら持っていって頂戴!
練達の街中で、大荷物を抱えたまま動けずに困っていた老婆を見つけ、沙耶が助けてあげたのは数週間前の事。
礼が欲しくて手伝った訳じゃないと慌てたものの、孫も居ないからだの、腰を痛めて行けないからだのと押し切られ、扱いに困っていたところでトールが声をかけてくれたのは、まさしく天の助けだった。
『せ、折角だから一緒に行かない?』
チケットはたったの2枚。つまるところデートのお誘いだ。今までは気軽に出来ていた事も、
『ありがとうございます。僕でいいんですか?』
問いかけに一瞬、言葉につまった。思い出されるのは天色の瞳。
『キミがどれだけ頑張ってもトールがキミに振り向くとは限らない。
報われずに終わってしまうかもしれない。それでも想い続ける覚悟はあるか?』
突き付けられた現実に、全てを見透かすような双眸にーー沙耶は怯まず、誓いを立てた。
少しでも長くトールの傍にいたい。そのために努力は惜しまない。
その覚悟を示すため、AURORAの加護まで欲したのだ。
『うん。……トールがいい。トールと一緒に行きたいの』
お天道様に見放されたぐらいで、くじけてなんかいられない。沙耶は頬を桜色に染めて俯いた。
「お婆さんにお土産も買いたいし、君が良ければこのまま一緒に……居たい…んだけど…」
言葉が後になるにつれ、ボソボソと小さくなっていく。
そんな彼女の様子を間近で見つめていたトールは、口元に穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「それなら行きましょう。きっと遊園地の中には、温まれる物もあるでしょうから」
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雪が舞う中でも、目を引く物は沢山あった。
カラフルな観覧車や、白馬が駆けるメリーゴーラウンド。ピエロ達がアコーディオンやラッパでご機嫌なBGMを奏で、豆電球の黄色い灯りがアトラクションを温かな色に彩っている。
おもちゃ箱をひっくり返したように賑やかな光景に二人は目を奪われながら、園内の道を行く。
こんな天気だからか、はたまた田舎の宿命か。人の影はまばらで、ゆっくりと楽しむ事ができそうだ。
「風が無くて助かりましたね」
「そうだね。思ってたより過ごしやすくて良かっ……くしゅ!」
小さくくしゃみをした沙耶の肩を、ふわりと温もりが包む。目を瞬かせるとすぐ目の前にトールの顔があって、沙耶は目を見開いた。
トールが自分のマフラーを解いて、沙耶の首へ巻いてくれたのだ。彼のやさしさと間近に感じる距離感に、沙耶はされるがままで身を固くした。
「……っ!?」
「やっぱり少し寒いですよね。何か温まれそうなものを探してきます」
「ぇ、あ、いや……! 私がマフラー借りちゃったら、トールが寒いんじゃ……」
「僕は大丈夫です。すぐ戻ってきますから、そこのベンチで待っててくださいね!」
レトロなミニゲームが集まるテントの軒下に、雪を避けて設置された赤いベンチがひとつ。そこに沙耶を座らせて、トールは白雪舞う銀世界へと飛び出した。
(気を使わせちゃったかな)
ちょこんとベンチに座り、彼が戻って来るのを待つ。マフラーからトールの香りがする事に気が付いて、沙耶は思わずギュッと目を閉じた。
(わ、なんか凄い、恥ずかし……!!)
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銀世界に足跡を刻みながら、トールは雪降る遊園地を見回す。フード販売の馬車を遠目に見つけて近づくと、メニューにホットココアの文字を見つける。
「すみません、2杯いただけますか?」
ウサギの仮面をつけた店員が愛想よく頷き、ポッドでミルクを温めはじめる。
ココアが出来上がるまでの間、トールが思い出していたのは、マフラーを巻いた時の沙耶の反応だった。
頬の紅潮を隠そうと、慌てた様子でマフラーに顔をうずめる様は恋する乙女。沙耶自身は気づいていなかっただろうが、耳まで赤くて結局全てを隠しきれていない所も可愛らしかった。
少し前までの沙耶なら、「こんなの借りなくてもへっちゃらだ」なんてトールへマフラーをつっ返していただろう。
鼻の頭が寒さで赤くなっても、強さをその瞳に宿し、余裕げな笑顔さえ見せて。
(……もしもそうなっていたら、僕はきっと、違和感を感じても納得してしまっていたでしょうね)
沙耶にはいつも、自分の事を助けてくれる。だからせめて、彼女がやりたい事を尊重してあげたいとトールは常々思っていた。
(今の沙耶さんは、前よりも柔らかい笑顔で、キラキラした瞳で……あれが彼女の本当の姿なら、僕は今まで彼女の何を見ていたのでしょう)
今の振る舞いが"等身大の結月 沙耶"の物だとしたら、これまでの自分の反応は彼女を傷つけていたかもしれない。
強がりの仮面を外した沙耶は、恋愛の経験が少ないトールでさえすぐ気づけるほどに、
「お待たせしました、ホットココアお2つになります」
「あ……、はい。ありがとうございます」
声をかけられてハッと我に返り、トールはハート型のマシュマロが浮かぶココアを2つ受け取った。雪がカップへ入らないよう身体の陰に隠しつつ、来た道を戻る。
(好意を向けられるのは凄く嬉しい事なのに、こんなに胸が締め付けられるのは、どうして……)
沙耶の気持ちはトールに向いている。しかし、その好意全てを受け止める事は叶わない。
トールには、すでに愛する人がいるのだ。たとえ彼女の目がない場所でも、不義理をする事はできない。
とぷん。揺れる水面に溶けかけのハートがココアに沈む。
待たせていた沙耶が、雪を踏みしめる音に気づいて顔を上げた。
ーー赤と青の視線が絡まる。
「お待たせしました。近くの売店でホットココアを売ってましたよ」
「ありがとうトール。凄く温まれそうね!」
ホットココアみたいに甘い気持ちだけ、ぎゅっとひとつに溶かし込んで、大切な人に与えられたら……どんなに幸せだったろう。
せめて沙耶が満たされるように。男として、好いてくれた彼女に、感謝の気持ちを返せるようにーーそれが真面目なトールなりの
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ふわふわ湯気の立ち上るココアを口に含めば、熱と甘みが口いっぱいに広がる。ほう、と一息ついて、沙耶はテントの出入り口へ視線をやった。
(……あ)
笑い合い、お揃いのマフラーを着けて寄り添いあう若い男女。手袋をつけた互いの指を恋人繋ぎで絡め合い、通り過ぎていく。その姿は、雪の中でもとても温かそうに見えた。
あんな風になれたら。そんな羨望がぐるぐると心の内側に渦巻く。
赤いベンチに並んでココアを飲む沙耶とトール。二人の間にはまだ、猫一匹挟めるくらいの距離があった。
以前ならば気にも留めない、互いが不快にならない程度のパーソナルスペース。けれど今の沙耶には、もどかしい距離感。
(ちょっとだけ……ちょっとだけだから)
飲み終わった紙コップを傍らに置いて、沙耶が座る位置をずらす。トールの方へ視線を流すが、彼はココアを飲みながら何か考え事をしている様で、詰められた距離に気づいていない。
(トールの横顔って、やっぱり綺麗だな)
長い睫毛が揺れる。瞬きさえも美しい、端正な顔立ち。こんなに近くでじっくり観察できる事も今まであまり無かった気がする。
鼓動が早鐘をうって騒がしい。トールに聞こえていたらどうしよう……そんな不安と、もっと気持ちに気付いて欲しいという我儘な気持ちがせめぎ合う。
トン、と肩が触れた。そこでトールはようやく、沙耶が甘えてきた事に気づく。
「さ、沙耶さん?!」
「……嫌だったら、素直にそう言ってくれていいからね」
「そんな事は、ないですけど……っ」
甘えられる事に慣れないトールは、思わず身を固くした。右手にまだカップを持っていてよかったとも。
空いていたら、そのまま手を繋いでいたかもしれない。ただ繋ぐなら構わないが、恋人繋ぎは避けなければ。けれども沙耶は拒んだら、きっと悲しい顔をする。
(テントの中でも息が白くなるぐらい寒いですし、このくらいのスキンシップ、仲がいい妹相手ならするーー…しますよね? 多分)
分かりやすく甘えてくれているのだから、自分からも何かしてあげたい。トールはその後、悩みに悩んでカップをベンチに置いた。そしてベンチの背に腕をまわし、ぽんぽんと沙耶の頭を優しく撫でた。
「……!」
「すいません。こういう時、どうしたらいいか分からなくて……」
「ううん、凄くいい。……トールの手、温かいね」
拒むどころか受け入れるようにスキンシップを返してくれたトールへ、沙耶は幸せそうな笑みを浮かべて言葉を返す。
慣れないながらも、好きの気持ちを表現すれば、ちゃんと気持ちを返してくれる。そういう優しいところも、彼の素敵なところだからーー
一緒にいるほど、もっともっと、トールの事が好きになる。
(後悔なんて、する訳ないよ。だって私……こんなに幸せだもん)
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沙耶が頭を撫でられてから30分後ーー
二人はまだベンチに座りっぱなしだった。
((こういうのって、いつ離れたらいいんだろう?!))
スキンシップに不慣れゆえ、離れるタイミングが読めない二人は揃って身動きが取れなくなってしまったのだ!
甘えるのも甘えられるのもまだまだ未熟な沙耶とトール。二人の甘酸っぱい関係は続く。
- 心が溶けきるその前に完了
- NM名芳董
- 種別SS
- 納品日2024年01月09日
- テーマ『蒼雪の舞う空へ』
・結月 沙耶(p3p009126)
・トール=アシェンプテル(p3p010816)