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置いていかれた者同士
登場人物一覧
海洋王国、フェデリオ島の中にある──シレンツィオ・リゾート。
夏の時期ならば、弾けるような笑顔の者で溢れていることだろう。
だが今は厳しい寒さの冬だ。寂れたとは言わぬがずいぶんと人は疎らである。
「ここが……」
そして、その場所に似つかわしくない、祭服を着込んだ男が、明るい煉瓦の小道を踏みしめている。
天義の司祭、リゴール・モルトン(p3p011316)。
なぜ、彼がここに居るのか──それは。
『もし、お互い無事だったら、お前のお友達のアランの事を教えてくれよ。お茶でも飲みながらさ』
そう、キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)と約束していた。
キドーは、リゴールのかつての親友──グドルフ・ボイデル(p3p000694)と、友であったのだ。
その約束を果たすため、男は天義の国から数日間かけ、このフェデリア島に赴いた。
キドーは此の地で一代にして社長として成功させたのである。
『あんたも色々と忙しいかもしれねえけどさ、観光ついでにウチに来いよ』
そうして此度、招待を受けたはいいものの──。
「地図を貰い忘れてしまったな。誰かに聞けばわかるだろうか──もし」
リゴールが声をかけたのは、地べたにしゃがみこんで駄弁っていたガラの悪そうな二人組の男だ。
「なんだあ、このハゲ」
「オイ、待て」
二人は、すぐに白と金の祭服に目を向けた。金を持ってそうで、弱そうな壮年の男。
『無番街』のチンピラやギャングは、あまり外の者に牙を向かぬものである。
しかし例外はいる。二人組からしたらヒリついたような刺激も少なくなってきたところに『カモ』がきた。
ちょうどいい、今日はこいつから遊ぶ金でも──と、ぎらついた目を向ける。
「よう、坊さん。迎えに来たぜ」
「キドー様」
後ろから声をかけられる。振り向けば、緑の肌に尖った耳鼻。シワ一つないスーツと、豪奢な毛皮のコートを羽織った男。
彼の側に控えるのは、統率された『正社員』たち。
「ハ、ハヒ……ルンペルシュティルツの……」
「ヤ、ヤベエ、行こうぜ」
二人組は声の主──キドーからさっと視線をそらし、足早に去っていく。
「おや……彼らはどうされたのでしょうか」
「便所でも近かったんだろ。放っておけよ」
さて、とキドーは声を上げる。
「此処は冷える。事務所に行こうぜ」
道すがら観光案内でもしてやるよ、とギザギザの歯を見せるのだ。
──場所を変え、ルンペルシュティルツの応接間。フランクに話ができるよう、しかし見栄えはよくこだわり抜き、質素すぎず豪華すぎないように作ったものだ。
ソファには猫がいる。しかしそれは、くあ、とあくびをしたと思ったら、ソファから棚に移動してわざわざキドーが集めたコレクションを蹴飛ばしてからそこで丸くなった。
ああ、ずいぶんとふてぶてしい猫だ。
「あーあーあー」
片付けるのダリイ~と呟きながらも、秘書が持ってきた紅茶を啜る。
「どうだい、天義の茶はあんまり知らねえが、ここのも結構うまいだろ。ちょっとしたスパイスをブレンドしてあるんだぜ」
「ええ……刺激的な味です。きっと、あの国に居たままならば、一生飲む機会はありませんでした」
故郷を襲った神の帳──冠位傲慢ルスト・シファーとの激闘も、何だか夢のような話に思えた。
こうして生きて、温かい茶を飲むことができている。
本題に入ろう。と、リゴールはカップを置くと、小さなゴブリンに視線を向けた。
「キドー様は彼の事を、聞きたいと」
「ああ──俺が知ってるのは、山賊グドルフ・ボイデルの姿だけだったからな。
なにか隠し事してるのは、わかってたんだ。だが、それだけだった」
キドーは三賊として、友として過ごした男の事を思い返していた。
用心深い男だった。悔しいほどに。死線をくぐり抜け、酒を飲み交わし、深い絆を繋いだと。
そう思っていたのに。うつむいてギリ、と歯を噛み締めた。
「……昔の彼は、嘘をけっしてつかない男でした」
「え?」
口を開くリゴールの言葉に、キドーは顔を上げた。
「幼かった頃、アランが高熱を出した事がありました。
ふらふらしている彼に向かって大丈夫か、と心配すると、大丈夫だと言う。しかし結局、三日三晩寝込む羽目になりまして」
なんだそりゃ、意味わからねえ。キドーは呆れてしまう。
「嘘ついてるじゃねえか」
「そうではありません」
「なぞなぞ問題を出してほしくて呼んだ訳じゃねえんだぞ」
リゴールに当たっても仕方ないとわかっていても、つい強めに返してしまう。
眼前の司祭は、遠い目を、していた。
キドーは息を呑んだ。
「本当に、大切だと思っている人にこそ、頼れると思っている人にこそ……彼は本心を隠しました。
親交があまり無いような人には、その本心を吐露したりするのです。よくもまあ、こんな天邪鬼がいたものです」
「は──」
「彼は、嘘をつかないことで有名でした。ふっ、冗談も大概にしてほしいものです。
関係の薄い周囲の者から見たら、それはそれは正直者であると思われるでしょうね。『嘘をつく相手』を選んでいるのだから」
もやもやとした霧が、感情が、一気に晴れていく気がした。
もう届くことは無いあの男の背中が、かすかに見えた。
知らない顔をした男が、知っている顔で笑っていた。
「じゃあ、あいつ……あいつは」
カップの紅茶が跳ねた。波紋が揺れる。視界が揺れる。
確かに山賊という顔は演じていたものだった。聖職者という顔を殺し、傲慢にも己を山賊と扱えと。
それでも山賊として振る舞うたび、あいつは心をすり減らしていたかもしれない。
一緒に暴れて、盗んで、嫌な事、やらせてたのかもしれねえや。今になってそう過ったこともあった。
けど。
「キドー様……貴方達の友情は、嘘ではなかったのですよ」
リゴールの言葉に、キドーは顔を伏せた。
カップの中の紅茶には、己の顔がうつっていた。
なんて顔してやがる。グドルフが見たら、きっとそう笑っただろう。
「……何が、知らねえ奴だよ」
──最初からわかってたじゃねえか。
どこまでも素直じゃねえやつだって──。
「……キドー様。これを」
リゴールが、するりと机の上に手紙を差し出した。
「聖竜の力で、私の元へ届けられた手紙です。そこに、貴方のことも記されていました。
──いいえ、正確には貴方の名は記されていません。ですが私は、貴方だと確信しています」
「……読んで、いいのか」
静かに頷くリゴール。キドーは視線を手紙に落とし、ゆっくりそれを開いた。
『すべてを記す── アラン・スミシー』
『冠位傲慢、ルストは遂行者の核──神霊の淵を糧に、帳を下ろそうとしている。
神霊の淵は、遂行者の命そのものであり、神の国で滅びない理由である。
しかし、その神霊の淵こそが、冠位傲慢のほころびである。
冠位傲慢は不死である。しかしその権能を維持するための力を削げば──不死性は失われる。
聖竜の欠片は聖女と引き合う。聖女は必ず冠位傲慢の側にある。
聖女を追えば、冠位傲慢に迫る事ができるだろう。
勇者たちに、祝福のあらん事を。
──此処からは、極めて私的な私信である。
リゴール。すまない。
どうか、私の夢を聞いてはくれないか。
私は、幼い頃を過ごしたあの孤児院を再びつくりたかった。
私と、おまえと、先生の三人で……。
そのための資金を……少しずつ、溜め込んでいた。
派手に金を使わざるを得なかったから、本当に少しずつだが……
その金は自由に使ってくれ。おまえになら、どう使われてもかまわない。
幻想国に、『燃える石』という酒場がある。
そこのマスターに、その金を預けている。
無口だが、突然の私の頼みを断らなかった。
信頼のおける人だ。きっと、おまえにも良くしてくれる。
……もうひとつ。
私の善き友に、こう伝えてはくれないか。
もう、私が居なくても、やっていけるなと。
そして君と過ごした日々は、刺激に溢れ、心から楽しかった、と──』
──本当に最後まで……。
キドーは、手紙をリゴールに突っ返した。
「……あいつはさあ。置いていかれるやつの気持ちなんか、これぽちも考えちゃいねえよ」
「……そうですね」
「……勝手だ、どいつもこいつも……俺を置いていきやがって……」
「……そうですね」
くしゃくしゃになった顔は、おおよそ他人に見せるべきものではないはずだ。
でも、眼の前の司祭の顔もきっと、自分と同じはずだ。
だって、今だけは他人じゃなくて、司祭じゃなくて、社長じゃなくて、何でもなくて──ただ、置いていかれたもの同士なんだ。
「悪かったな」
すっかり冷めた紅茶を飲みきって、キドーはリゴールを見送るためにソファを立ち上がった。
ふてぶてしい猫は、そっぽを向いて、尻尾をゆらゆらさせていた。きっと、寝たふりをしてくれていた。
「いいえ、こちらこそ。紅茶、ご馳走様でした」
きれいに一礼したリゴールが微笑む。
「天義にもぜひお越しください。キドー様のお気に召すものがあるかは不安ですが……」
「あー……ありがたいけど、遠慮しとくわ。あんたはともかく、裏稼業のやつと一緒に居ると周りはいい顔しねえだろ」
そういうと、リゴールは目を細めて。
「彼と同じ事を言うのですね」
「は?」
「……それでは、また」
「あ、おい!」
呼び止める前に、リゴールは部屋から出ていった。
静かになった部屋で、キドーはただ、立ち尽くして──やがて、窓を開けた。
冷たい風が部屋に入り込むと、不機嫌そうな猫の鳴き声が聞こえる。
(なあ。あんたはやりきって満足かもしれねえけどよ。俺さ。あんたに生きていて欲しかったよ)
──誰にも聞こえない呟きは、風に乗って揺れて、やがて吸い込まれて消えていった。