PandoraPartyProject

SS詳細

解凍してください

登場人物一覧

寒櫻院・史之(p3p002233)
冬結
冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)
秋縛

 炎のぬくもりに、柔らかさに、立ち眩みを覚えた羽虫の末路など、描写する価値が有るのだろうか。かつて存在し、かつて焚かれ、今尚、再生を続けるアイスクリームの冷たさに脳味噌が誤認させられた。知っての通り、この再現性アーカムと呼ばれる空間はとある旅人が故郷への思いにやられて創り出したものだ。駒形切妻屋根のひとつから、道往く人々の面構えまで。何処までも何処までも、無茶苦茶で、故にこそ秩序的な旧き良きアーカムの光景。きっと誰かさんが暴走したとしても、きっと誰かさんが生贄にされても、混沌世界が『ある』限り、この平穏は、不穏は、狂ったヒトサマの思考回路めいて廻転を続けるのだ。そんな、ご執心を極めた街とやらに興味を持った人物がひとり。顔も名前もひどく普通だが、取り敢えず、性別だけは考えておくとする。女だ。在り来たりな導入には可愛らしさを添えた方がよろしい。女は歩いている。テキトウに選んだアイスクリームを愉しみながら、只、歩いている。ヤケに冷えてきたところで、女は身体を震わせた。ああ、そう謂えば、今日の宿を決めていなかったな、と。薄らぼんやり頭の隅に落っことしながら。
 この季節に宿を決めるのを忘れていたとは、些か、考えが足りないのではないか、と、突っつかれても仕方のない事。近くのお家から漂ってきた、コトコト、何かを煮込む匂いに軽くクラクラとさせられる。まずい。このまま、カボチャの頭みたいに、同じところをぐるぐると歩いていたら、それこそ、凍死して終うのではないか。だからと謂って見知らぬ女が、顔も知らない人間が、ノックをしたなら、いよいよ、撃たれてしまっても文句は吐けない。はぁはぁと、真っ白い息を散らかしながら、マッチを売る少女みたいに総てがボヤけてくる。もう限界だ。女はその場で蹲った。獣みたいに、饅頭みたいに、坂を転がるようにして暖とやらを求める。これじゃあ、如何して旅行に来たのか、遊びに来たのか解らないではないか。制御を失った感情が路上へと滑っていく。ゆっくりとゆっくりと排水溝へと、地の底へと自分そのものが溶けだしていく。いや、溶けているなら酩酊に心身を委ねてしまえば好いのだ。よく考えたら、凍結していない。むしろ、熱を感じている。欲しい、途轍もなく欲しくなった。この、積もってくる雪から抜け出す方法を、あの、奈落のような場所で見つけ出したかのように――呆気なく意識を手放した。
 声が聞こえる。彼方から、遠方から、私を招き入れる、反響するかのような、意味を懸命に孕ませようとする音。コツコツと、コンコンと、当たり前のようにズガズガと、頭蓋骨をノックしてくる意地汚さ。誰なのか、確認するのも、眼球を使うのもひどく億劫だったが、頭蓋骨への痛めつけが無視し難いものへと変わっていく。そう、そんなにも私の頭の中をグチャグチャにしたいって謂うなら、ええ、見てあげる事くらい、してやっても良いか……。窮鼠が猫を噛むように、ペットが飼い主に噛み付くように、私は目の玉とやらをイッパイに酷使してやった。その結果、私が見たのは人間だったのだ。片方は眼鏡をしており、赤い瞳と真っ黒いショートな至って普通の青年。もう片方は無垢が衣を纏って歩いているとでも説明すべき、赤い瞳で銀色な、ちょっとだけ赤い少女。如何やら私は彼等に助けられたらしい。未だに重たい身体を転がしたら、成程、ここは小さな小さな、お部屋の類に見える。奇妙な事に天井が、全体が、角々としているが私の疲弊が取れていない所為だろう。ええっと。ありがとう? それと、申し訳ないんだけど、ここは、何処なのかしら。いえ、アーカムなのは理解しているつもりだけど。問うてみたら二人は愉しそうにお喋りを始めた。え? ちょっと待って。もう一度話してくれないかしら。咀嚼出来ない。彼等の言葉が、一言一言が私には咀嚼出来なかったのだ。わからない。原因はまったく、考えても考えなくても、辿り着ける気がしない。強烈な不安感に苛まれて、吐き気に襲われて、胃酸か何かを漏らしてしまった。この白い物質はアイスクリームだ。アイスクリームに決まっている。まさか、私の身体から膿みたいな、肉片みたいな、蠕動するものが這い出てくるなんて、在り得ない。寒くないのに身体が嗤っている。暑くないのに身体が分泌している。自分勝手なガチガチが歯と歯の間を通り抜けていく。彼等の反応と謂えば、そう、普通だ。極めて普通に、当たり前に、私を心配してくれていた。だが、如何した事か。急に彼等は私の事を睨んだのだ。何故だろうか。理解出来ない、咀嚼出来ない、出来ない事に追われて、魂を攫われた気分に陥る。突如として向けられたマイナスの感情に私の四肢は燃え上がった……!
 ウェンディゴ症――再現性アーカムで流行した不治の病。うつ症状を抱えている人間、つまり、狂気を抱えている人間ほど罹り易く、それに加えて自覚症状が現れ易いもの。その症状はシンプルで在るが故におそろしく、最初は飢餓感だけなのだが――率直に説明してしまえば、そう、ウェンディゴ症に罹ったものは好んで人肉を食すようになるのだ。獲物を見つけて自宅に招き入れ、時間をかけて骨の髄まで啜っていく。だが、その時点で『喰われた』ものはまだ幸運だ。本当に運の悪いものは即座に感染し、身体が燃えるような錯覚に陥る。そうして、其処から逃亡してしまい。新たな化け物として誕生してしまうのだ。助けを求めて道を駆け、地を駆け、空を駆け抜け――あのさ、カンちゃん。追い掛けなくてもいいかもしれないね。えー。でもさしーちゃん、明日のお肉の調達どうするの? そんな、可愛らしく首を傾げられたら、さっきの奴を捕まえるしかないじゃないか。そうだよね、僕、なりかけを一度食べてみたかったんだ。羊羹の代わりに真っ赤なゼリーだ。おはぎの代わりに真っ赤な塊だ。ドンペリを流し込む必要などなく、只、紅イ月を観察すると好い。
 嫌だ……嫌だ。死にたくない。殺されたくない。お腹が空くのはわかるけど、私だって捌かれるのは嫌なんだ。走る、奔っている、それなのに、如何して再現性アーカムから抜け出せない。空より、宙より、覗き込んでも、尚、あの二人は嬉しそうに私を追いかけてくる。もっと早く走らなければ。もっと速く奔らなくては。燃え尽きる事のない四肢を狂ったように動かしていく。私は生きるんだ。生きて、生きて、生きて、美味しいお肉を咀嚼するんだ。私は何を謂っている……? 私はいったい、何様のつもりで涎を垂らしている。再現性アーカムにはたくさんの人が住んでいる。ひと、ひと、ひと、ひと、ひと……。ダメだ。身体が重たい。減速している。落ちている――私は墜落している!
 ドクドクと世界が消失していく。頭蓋骨を殴られ、叩かれ、割られた所為か。ボコボコと身体がひんやりしていく。雪とやらに半身、浸かっているからか。未だに『生』に縋っている私の血肉が観察された時、言の葉の意味がようやく解った。ねえ、しーちゃん。わかっちゃったみたい。でも、カンちゃんはこれを食べたいんだろう? うん、食べたい。アノマロカリスみたいに、刺身で食べたいな。本当だったらアルコールで麻痺させたいんだけど、カンちゃんは未成年だからそのまま、スプーンで……。
 赤い星だ。赤い目の玉だ。
 四つの星だ。四つの目の玉だ。
 私をほじくる為に……。


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