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屍人に愛はいらぬ
登場人物一覧
「……グラオクローネ、楽しかったな……」
ジェイク・太刀川はベッドに横たわっていた。思い出が走馬灯のように走っていく。
夜乃幻が俺の死兆のことで悲しそうにしてたのは心が苦しかった。だから、気晴らしに連れて行ったリップバーム屋に行った幻が艶やかな唇してやがるもんだから、つい舐めとってやったっけ。そしたら、ウブな幻は耳まで真っ赤にしちゃってさ。もう可愛いったらないよな。
それに恋人V.S.爆発しろ団も面白かったよな。幻と恋人を守るために奇術したのはいい思い出になったぜ。幻が必死に想いを込めて織ってくれたミサンガ。蒼色と灰色で俺の為にと一生懸命織ってくれたっけ。すまないな。誓いは守れそうにもないぜ。
ジェイクはミサンガを丁寧に外して、ベッド脇に置く。もう楽しい時間は終わりだ。俺の命がどれぐらいで終わるかなんて俺自身が一番知ってる。死の、呪いの、嫌な臭いがプンプンしてきてやがる。
俺はもうすぐ死ぬ。コン・モスカの儀式で生き延びれたとしても、俺は冠位魔種を倒して、幻とずっといられるのか。否だ。そんなに物事が上手くいくわけなんかない。幻と死に別れて、幻を泣かせるなんて俺は嫌だ。幻には、ずっと笑っていてほしい。他の男に預けるなんて嫌だが、それで幻が幸せになるなら……。
——だから、おれは今日、幻に別れを告げる。
バーの場所と時間、会いたいと一言だけ添えたメッセージカードと金貨袋だけを持って、俺は幽鬼のように幻の家のポストにメッセージカードを入れる。これでもう後戻りはできない。
幻が家に帰ってくると、ポストにジェイクのメッセージカードが入っている。行ったことはないバーのようだ。新しい体験をさせてくれるのだろうか。ジェイク様が喜ぶように思いっきりおめかしして出かけよう、そう心に決めて、喜びで地に足がつかないような気持ちで、家に入る。
ドレスを並べて悩んだが、星空を写したような柄が煌くドレスにした。希望の星になりたいという意味を込めて。唇にはグラオクローネで買ったリップバームを。ミサンガに合わせて、両手首に星柄の煌くブレスレットを。胸元には銀でできた狼のブローチを。
鏡の前でくるりと回ってみる。悪くない気がした。ジェイク様は喜んでくれるかしら。いつものように綺麗だよと言って、頭を撫でてくれるだろうか。
心は高鳴って早鐘を打って煩いくらいだ。早速そのバーに向かうことにした。だが、バーの扉を開いた幻は、すぐさま冷や水を浴びせられるような光景を目にすることになる。その光景とは泥酔したジェイクが綺麗な女性を両腕に抱えてニヤニヤと鼻の下を伸ばしている姿だ。
ジェイクは幻の姿に心が痛む。だがすぐに切り替えて、金で雇った女にすかさず耳打ちする。
「ジェイク様、かっこいい〜! 大好き〜!」
「ジェイク様は私のモノよ! 邪魔しないで!」
「かわいこちゃん達、どっちも大事な俺の女だから俺の為に喧嘩しないでくれ。お、幻も来たか。膝に乗せてやろうか?」
「……結構です。それよりも、これが今日のデートで御座いますか?」
「そうだ。なんでそんな不満そうな顔をしているんだ? 今日はブサイクだな。もうちょっと化粧すれば、そのブサイクな顔も綺麗になるかもしれないぜ」
幻は自分の綺麗の基準がわからない。ジェイクの言葉だけが全てだった。だから、不細工と言われれば、そうなのだろうと思ってしまう。心が酷く傷ついた。
「今まで綺麗と言って下さったのは嘘だったのですか」
ジェイクはただひたすら心が痛かった。涙を浮かべる幻の前に、両手の女の百倍、いや一万倍は美人だと言ってやりたかった。頭を優しく撫でて、綺麗な髪を手で梳きたかった。だけど、今は幻をただ突き放す為に設定した
「そうだな。死ぬ前ぐらい自分に正直になったっていいだろう? 幻のようなつまらない女を有頂天にするために言葉を尽くすより、いい女とセックスして死ぬ方が何千倍もマシだ」
幻は常日頃から怯えていた。自分はつまらない女なのではないかと。自分の興味は奇術だけだった。面白い話なんて知らない。ならば、自分にできることはただ一つ。
「身体を捧げれば、貴方は満足してくださるんですか? ならば、服など脱ぎましょう。貴方に抱かれましょう」
ジェイクは内心焦った。幻の裸を他人の目があるところで見せられるものか。そんなのは俺だけが知っていればいいことだ。そして、幻にこんなことまで言わせる自分自身にほとほと愛想が尽きた。幻の顔は涙で歪んでいるけれど、それでも誇り高く、俺に愛されることだけに心を砕いてばかりいる。俺には元々勿体ないくらいのいい女だ。だが、幻のストリップショーなんてごめんだ。
ジェイクは立って幻に近づき、胸の狼のブローチごと服を引き千切る。幻は声を上げそうになって、必死に我慢する。
「そういうところがつまらねぇっていうんだよ。セックスのイロハは知っているのか? 知ってる訳ねぇよな? 俺が教えてねぇんだから」
そうしてジェイクは女達の方へ戻って、胸を直に弄りながら、言い捨てる。
「それなら、経験豊富で若いねえちゃんのほうがいいに決まってる!」
「やだー、ジェイク様ったら、エッチ〜!」
「そんなに弄られちゃ、わたし本気になっちゃうかも〜?」
幻はジェイクがセックスというモノをしたがっているのは知っていた。具体的にはよく知らなかったが、それすらも拒絶されたことがショックだった。胸を隠しながら、バーから逃げるように走って出て行く。
ジェイクは、それから暫く放心したように、ぼんやりとしていたが、両手にいる女に金貨袋を投げて「帰れ」と言い放った。女達は「何よ! 女の振り方ってもんがあんでしょ!」「あんたの振り方は下の下の最低よ!」「胸の揉み方も乱暴で下手くそだし!」と言いたいことを言って金貨袋を持って出て行った。それぐらい言われても仕方なかった。ただ耳が痛かった。
「アルコール度数の一番高い酒!」
マスターは黙って、グラスを出す。ジェイクは呑みながら、ただ一人自分に言い聞かせるように、これでよかったんだ。これが幻のためなんだと繰り返す。そうでなければ、やりきれなかった。幻のショックを受けた顔が頭を過ぎって仕方ない。杯をいくら重ねても、あの顔だけは目に焼き付いて消えそうにもなかった。手にした狼のブローチが何度でもあの顔を再生させた。でも以前プレゼントした、そのブローチを捨てることもできなかった。
幻は気がつけば、部屋に着いていた。ただ服を脱ぎ捨てゴミ箱に捨てる。アクセサリを机の上に投げつける。あの時、悲鳴でもあげていれば違った結末になったのだろうか。否だ。結末は変わらなかっただろう。ジェイク様に最後に言われた言葉と行動が頭の中で何度も何度も再生される。僕もセックスというモノを知っていれば、違ったのだろうか。つまらない女でなくなったのだろうか。奇術師の欲望から生まれた自分を初めて呪った。奇術師であることを初めて呪った。普通の女として生まれなかったことを初めて呪った。
腕のミサンガを見る。僕の羽根と同じ蒼色とジェイク様を表す灰色のストライプ。ジェイク様の誓いの証を胸に抱きしめる。決してあの時の誓いは嘘じゃないと信じて。