SS詳細
秋色を手ずからに
登場人物一覧
卵を丁寧に解き解したら、砂糖と牛乳を加えて混ぜ合わせる。粉をしっかり振るい入れて、溶かしバターとシナモンを加えて生地は完成。次は確か、と、チック・シュテルは青果店の気の良い女主人の言葉を思い出した。
ファントム・ナイトも近付き浮足立つ賑やかな街角で、実りに富んだ秋の味覚をのんびりと吟味していた時だった。立派な南瓜が目に入り、これを使った甘味でも作れないかと思ったのだ。すぐ側に並べられた林檎の幾つかと共に手に取ったチックは、そこで恰幅の良い女店主に南瓜と林檎を使った甘味の作り方を教わった。元は別々に使うつもりだったのだけれどと刹那戸惑いはしたが、話の上手い彼女の説明にすっかり興味をそそられてしまった。難しい事はないからと、教わった手順を頭の中で何度も繰り返しながら、チックは必要となる材料を買い揃えて手早く厨に立ったのだった。
薄く切った林檎は、色が変わらないように生地に混ぜ込んでしまう。その生地を、バターを薄く塗ったパウンド型に、底が見えなくなる程度の少量注ぐ。林檎と同様に薄く切った南瓜をその上に敷き詰めたら、また林檎入りの生地を少量。南瓜と林檎入りの生地が層になるように作業を繰り返し、生地が底をついてパウンド型が嵩を蓄えたら本体は完成だ。
別のボウルに用意していたナッツに、小麦粉と砂糖、油を入れ、木べらで混ぜ合わせる。滑らかにする必要はない。ぱらりとしたそぼろ状になったクランブルを、型の中の生地上にざらりと振りかける。
熱しておいたオーブンは丁度良い火加減だ。型を中へ入れて扉を閉じ、時計を見て時間を計る。焼き色を見ながら一時間程度と言っていたから、随分と時間が空いてしまう。片付けを終えたらお茶の準備でもしようかと、ぺったりと汚れた食器類を洗いながらチックは考える。
――今日はアップルパイにしよう?
ああ、そうだった。余分に買った林檎で元々の予定だったアップルパイを作るのでもいい。食欲旺盛な家族達なら、これらもぺろりと平らげてしまう事だろう。胸を覆った懐かしさとほんの小さな痛みにゆうるりと口端を緩めたチックは、頭の中でレシピを思い浮かべる。昔は手順の僅かな隙間を手助けする程度だったけれど、今はもう全工程を一人で作り上げられるまでになった。まだあの味には及ばないかもしれないけれど、と瞳を細めて、チックは香ばしい匂いが立ち始めた厨の隅で小麦粉とバターの残量に思いを馳せた。
- 秋色を手ずからに完了
- NM名杜ノ門
- 種別SS
- 納品日2023年10月17日
- テーマ『『Autumn Sunday』』
・チック・シュテル(p3p000932)
※ おまけSS『手ずからの幸福』付き
おまけSS『手ずからの幸福』
バターをたっぷりと使った生地が焼ける香ばしい匂い。熱された秋の味覚も負けじと芳しく香る。家中に充満したご馳走の気配に、家族達が続々と姿を見せ始めた。飲み物は僕が用意するよ。じゃあ俺は食器。わくわくとした明るい表情でお茶の準備を始める家族達に柔らかく微笑んだチックは、ん……ありがと、と彼らの頭を優しく撫でた。
「皆が笑顔になる……してくれた、から。……嬉しい、な」
美味しそうな南瓜を見て真っ先に考えたのは、家族達の喜ぶ顔だった。ふわりと微笑むチックに、彼らもきゃらきゃらと笑う。
熟れた南瓜の橙の層が美しい甘さ控えめなガトーインビジブルは、物足りないであろう子供達の為に南瓜のホイップを添えて。さくさくのパイ生地と甘く煮た林檎のフィリングが自慢のアップルパイは、焼き立ての熱々を。子供達の用意してくれたジュースでは、口の中は甘さの氾濫で混乱してしまいそうにもなるけれど。美味しいと喜ぶその顔を見る事が出来た事が幸せだと、チックは僅かな疲労があっという間に霧散していくのを感じていた。