PandoraPartyProject

SS詳細

夏空に緑風

登場人物一覧

アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女
アレクシア・アトリー・アバークロンビーの関係者
→ イラスト


 苦しい冬を越え、春の温かさに雪が溶け、そうして燦々と太陽の煌めく夏がやって来た。生命が謳歌し、育まれる季節だ。鉄帝の人々は次の長い冬のための蓄えを秋に作るために植物をたくさん育てねばならない。
 だが、必要なのはそれだけではない。の、民が心穏やかに暮らすため、平和に夏も秋も迎えるため、奔走しなくてはならない者が大勢居た。
「うーーーー」
 その中のひとり、イネッサ・ルスラーノヴナ・フォミーナはスチールグラード都市警邏隊の自身の執務室で唸っていた。
 外は明るく太陽が輝き、空は青々として、鳥も元気に歌っている。最近では市井の人々にも笑顔が増え、春にはまだボロボロの戦禍の爪痕だらけだった首都の建物の建て直しや石畳の敷き直し等、順調に復興が行われている。……とはいえ無限に金銭が沸いてくる訳ではないため、重要度の高い場所から進めていき、何年もかけて復興していく。我々鉄帝の民はこれしきでは膝をつかぬと軍部でも民間でも士気は高い。また、建築関連の仕事は、市民たちの職に繋がる。国の金庫は苦しく多くは支払えないのは申し訳ないことだが、されど腐らずに職にありつけてその日の家族の食糧を賄えるということは多くの市民の心を健やかにできた。パトロールで市井に出ては支えあう姿を目にする度、イネッサは鉄帝の未来を見いだせていた。
 だが。
「うーーーー」
「少佐、本日は休暇だったのでは?」
「そう、なのでありますが」
「……休むのも仕事の内だと我々にはいつも仰られているじゃないですか」
「そうなのでありますが!」
 でも! 確認すべき書類が! こんなに!
 バターン! と机に倒れ混みたいのを我慢する。折角重要度や内容で分類してあるのが台無しになる、と理性が止めた。これを仕訳し直すとなるとまた仕事が増える。
「少佐、お客様です」
 コンコンと確りした音のノックに、イネッサは「入れ」ではなく「どうぞ」と応じた。
「イネッサ君、元気にしてる? 今日はお休みって聞いたんだけど……」
 明るい声と共に入室したアレクシアの姿にイネッサは「アレクシアチャン!?」と立ち上がり、アレクシアの視線が書類の山の間を移動するのを見てわたわたと手を振った。
「……忙し、そう?」
「いえ! これは、その! ちょっと片付けに来ただけで!」
「ご覧の通り少佐はワーカホリックですので、気にせず連れ出してやってください」
「そう? それならよかったよ」
 忙しいのなら遠慮しておこうと思いかけたアレクシアだが、イネッサの部下の言葉的に「これは連れ出さないといけない」という使命感も抱いた。
「私にイネッサ君の一日をくれないかな?」
 即座にふたつ返事が返り、けれども往生際悪くあれやこれやと部下へと指示を出し、ふたりは鉄帝の市街地へと繰り出した。

「ここのベーカリーがおすすめです! あっ丁度焼き立てのようですね。ここのブルーベリーのパンと珈琲を買って、テラス席で食べるのが最近のアタシの楽しみなのですよ」
 アレクシアが最近はどうかと尋ねたから、イネッサはまずは最近の楽しみへ案内をした。ふんわりと柔らかにバターの香りが広がるのは、それだけでも復興の証しとも言える。最低限のバターだけの、もしくはバターを使わないポソポソとしたパンで耐え忍んでいた時は終わったのだ、と。
 でも折角だから少し歩いて公園へ向かおうとイネッサはアレクシアを誘った。街中には石畳が敷かれ、人々の憩いの場である公園では踏み荒らされてしまった芝を育て直している最中だ。砲撃や暴動で折れてしまった木々も植え直され、夏の日差しを浴びて生き生きと翠を輝かせている。
「休日はこうしていつもの警らコースとは別の道を歩いて、町が息を吹き返していくのを見ています」
 鉄帝の復興になることならと労を惜しまずに過ごす彼女は、変わりゆくその景色が愛おしいのだろう。柔らかに細められたその瞳が、言葉にせずとも彼女のこれからの全てを伝えていた。
「アレクシアチャンは? 最近はどう過ごしていました?」
「私は相変わらずドタバタとあちこちを飛び回っているよ」
 春に鉄帝を終えた後は覇竜へ行って、それから今は主に天義へ。
「遂行者とかいう人たち、こっちにも来ていないかな?」
「遂行者……自分は遭遇したことはありませんが、何やら暗躍している組織と聞き及んでいるであります」
 仕事に関わる事は少しだけ言葉遣いが固くなるイネッサをチラッと見て、アレクシアはパンを頬張った。砂糖もブルーベリーもたっぷりと使われたパンは甘くて、仕事のストレス解消にも糖分なのかな、なんて小さく笑った。
「ふふ」
「どうしました?」
「ううん。イネッサ君は甘いものが好きだなぁって」
「そうですね。初めて会った時も甘いものを食べましたし」
「懐かしいね。もう一年経っちゃったんだ」
「来年はきっと今よりも鉄帝は復刻していますし、またあのカフェへ行きましょう」
「そうだね、それじゃあ同じ物を頼んじゃう? 私は確か3種のベリーがたっぷりなパンケーキで」
「アタシはクルミとクリームチーズに蜂蜜をたっぷりと掛けたパンケーキを」
「うんうん、そうだったね」
 明るい声が弾むように続き、アレクシアは首肯した。
 けれど、イネッサはそこで言葉を切った。
「……今のは引掛けです、アレクシアチャン」
「え……」
「ごめんなさい、騙すような事をして」
 だが、そうでもしなければ確かめられないと思ったのだ。
「キミには……記憶の欠落がありますね?」
「あはは、バレちゃったかあ。……気付いてたんだ?」
「……はい。たまに、少しだけアレ? と思うことがありまして」
 少し、噛み合わない。それが幾度も続けば訝しむ。隠し切ることは難しく、いつかはバレてしまうだろうと思っていたアレクシアは、素直にイネッサへと自身の現状を話した。
 全て隠さず、出会った日のことももう朧げなのだ、と
 手の中のパンも消えて飲み物もなくなって、陽が傾いた。
 アレクシアの言葉の全てを聞き終えてから、イネッサはそっと唇を開いた。
「アタシ、たくさんお手紙を書きます、ね。これまでも、これからも、たくさん」
 今日はこんな出来事があったよ。
 こないだは何処其処へ行ったけど、次は彼処へ行きたいな。
 美味しいカフェを見つけたから、今度一緒にいかない?
 あのカフェは正解だったね! クリームがすごく美味しくて、クリームだけでおかわりいっぱい欲しいくらい!
 今度の休暇が○○なのだけれど、時間があったらちょっと遠くまで小旅行しない?
 ……そんな、何でもないような話をたくさん手紙に綴るのだ。アレクシアが記憶を失ってもふたりが過ごした時間は失われないから、アレクシアが見返した時に「そんなことがあったんだ」って思えるように。思い出さなくっていい。ただそれがあって、その時にイネッサがどう思ったかの片鱗に触れて貰えるだけで、イネッサは嬉しい。
 記憶が抜け落ちてしまうアレクシアも、自身で日記を記している。けれどそれを後から読んでも他人事で、実感がない。記憶というものは、何処から何処までをさすのだろう。たくさんの人たちと笑みを輝かせ、大切な君ともたくさんの美しいものを見て、大好きな友人と楽しいを共有して……そうして作った愛おしい思い出。けれどもアレクシアは一方的に、自分だけが忘れてしまうのだ。日記の中のアレクシアは輝かしい日々を過ごし、その感動や喜びを綴っているのに……アレクシアにはそれを見ても「そうそうあの時は」なんて喜びを再び花咲かせることはできない。
 きっとイネッサからの手紙も、そうなるかもしれない。――それでも。
「イネッサ君……私も、手紙を書くね」
「うん。たくさんください。アタシがアレクシアチャンの分までアレクシアチャンの気持ちを憶えておきます」
 だから、大丈夫であります。
 イネッサが夕陽を背にして笑った。きっといつも通り、元気で明るく、爽やかな笑顔なのだろう。けれど逆光でしっかりと見えなくて、泣かせてはいないだろうかと無理に言葉を紡がせてはいないだろうかとアレクシアは彼女を案じ、ごめんねの気持ちが溢れた。
 そんなアレクシアの手がきゅうと握られる。
「イネッサ君?」
「アレクシアチャン」
 不思議に思って見つめれば、手を握るために近付いたイネッサの顔はよく見えて……真剣な色にアレクシアは少し緊張した。
「そういうことなので」
「う、うん」
 ごくり、と喉が鳴った。こんなにも真剣な顔で、彼女は何を言うのだろう。
「今日は此方に泊まりますよね? そうですよね? でしたらアタシとパジャマパーティーをしましょう! そうしましょう! あっ、パジャマをお持ちではないでありますか? それなら買いに行く必要がありますね……ううう、アレクシアチャンには可愛いパジャマを着てもらいたいのに、他国よりも物資が安定しないこの状況が憎いです!」
 ああなんて一日は短いのだろう! もう空は夕陽が染めているし、夕焼け空はあっという間に終わって直に夜がやってくる! マシンガンが如き勢いでポンポンポンと言葉を発したイネッサは急ぎましょうとアレクシアの手を引いた。
 夕陽の中、ふたりは駆けていく。青春みたいに。
「アレクシアチャン」
「うん、イネッサ君」
「忘れてもいいです」
「…………」
「あっ、悪い意味ではなくて。幾ら忘れても、アタシはこの手を離さないし、アレクシアチャンの周りの人もきっとそうです」
 イネッサは全てを口にはしないけれど、アレクシアに救われた人たちは彼女の周りに大勢いるのだろうと感じていた。アレクシアの優しさに、その魔法に、その存在に。
「だから、思い出をたくさん作りましょう。忘れたって、忘れきれないくらいに」
 キミのそういうものの中に、アタシも混ぜて。
 欲張りでしょうか? ううん、欲張りでもいい。
 だって友達って、そういうものでしょう?


PAGETOPPAGEBOTTOM