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夏と花火とあなたの体温
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夕焼けがあたりを照らしている。
夏の夕暮れだ。
どこか澄んだような、それとも霞んだような。夢の内にある様な。
夏の夕暮れというのは、どうにも、そう言う感覚を覚えさせる。
となれば、こういったものは、夢なのかもしれない。夏の、夢。それが人の心から滲み出して、世界を不思議なように彩っているのかもしれない。
夏の夕暮れは、夢の世界であるのだから、起きることは、楽しいことであるはずだった。例えば、夏祭りであったりするのだろう。
祭りばやしが聞こえる。和風のそれは、どこぞの旅人の文化の名残だろうか。屋台なんて言うのも、或いは、そうなのかもしれない。混沌世界は、いろいろな世界の文化の混じりあったものを見せることがある。この街の夏祭りなどは、そう言った、『日本』の様なものの名残が見えたものだ。
此処がどこそこの国で街で、等と語るのは野暮というものだろうか。なぜならこれは夢の中の出来事で――素敵な思い出となる現実に間違いないからだ。雑音は少ない方がいい。こういう時は。
聞こえる祭囃子と、人の声。それは、『日常』というものに間違いなかった。それは、ローレット・イレギュラーズであるイーリンや、シャルロッテが生きる日常で、守った日常だった。
「何がいいかしら」
イーリンが、そう言葉を紡いだ。夕暮れの空を写した瞳は、どこか優しいオレンジをしているような気がする。
「いろいろあるみたいね。たこ焼きとか……輪投げとか。射的なんてのもあるみたい」
「一つ一つ、回っていこうか」
シャルロッテが言う。
「時間はあるよ」
「そうね。でも、あなたも疲れてしまうんじゃないかしら?」
イーリンが言う。シャルロッテの足は、自由に動くものではない。だから車椅子を使っているのだが、そのために色々と気を使うことは使う。気を遣う、か、とシャルロッテは思った。なんだか随分と、丸くなったような気がした。自分で言うのもなんだけれど、昔は……そうでもなかったような気がした。他人のことなど、特にどうと思わなかったはずだ。
それが、気を遣う、等と考えるようになったのは、間違いなく、自分が変わったという事なのだろう。もちろん、自分一人の力ではなく、それはイーリンの影響であったり、騎兵隊の皆の影響であったりするわけだ。
変わった、という事は、好ましい、と、今のシャルロッテはそう思う。かつての自分だったら、そうは思わなかったかもしれない。誰かとともに歩くことも……選ばなかったかもしれない。
「いいや、ボクは大丈夫だけど」
と、シャルロッテは言った。
「君の方こそ、ボクに合わせるのは大変だろう?」
「あら、それこそ大丈夫よ」
イーリンは笑った。その笑顔も、どうにかこうにか、取り戻せたもののはずだった。
イーリン・ジョーンズは加速度的人間性を失いつつある。それが彼女の背負った業であるのだが、それでも、と、献身的にそれを食い止めているのが、仲間であり、友であり、シャルロッテであった。イーリンはまだ、ギリギリのところで人を保っているようだった。それがいつ、手のひらからこぼれるのかわからないものだとしても。
イーリンの手が、酷く冷たいことを、シャルロッテは知っている。それが、イーリンの失った何かなのだという事も。
「歩調を合わせるのは好きだわ……大切な人とは、特にね」
「君は、そう言って先頭を行ってしまうタイプだ」
シャルロッテは苦笑する。
「いつも……何とかついていているよ」
「あら、ごめんなさい?」
イーリンが苦笑した。
「でも、皆ついてきてくれるでしょう?」
無邪気な信頼ともいえた。でもそれが当然のことで、当たり前の事だった。そうやって、イーリンが走って、その隣についていく。シャルロッテにとっては、それがこれまで続いてきた、そしてこれからも続くべき、当たり前なのだと思う。
「だから、このお祭りでも、先頭を行っていいんだ、司書殿。
ボクは振り落とされないよ、絶対にね」
「お祭りのエスコートにしては、重い言い方だけど」
イーリンはくすりと笑った。
「じゃあ、たこ焼きからにしましょう。好きなのよ、結構。
ソースとマヨネーズをたっぷりのやつがいいわ」
イーリンが、ととと、と歩いていくのを、シャルロッテは車椅子で追った。深紅の浴衣と、紫の長い髪。遠くに行ってしまいそうなそれを、しかし絶対に見失わないように、追う。
「一舟でいい? 一緒に食べましょう?」
「うん。その方がいいね」
一舟のたこ焼きをもって、イーリンが振り返る。隣に立ってみれば、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。
「はい、あーん」
「そういうの、する?」
シャルロッテが目を丸くした。
「いいじゃない? たまには――いえ、でも、熱いかしら。冷ましてあげるわね」
ふー、とたこ焼きに息を吹きかける。どうにも、イーリンははしゃいでいるように見える。心から、今日という日を楽しんでいるように感じられた。そしてそれは事実だろう。イーリンにしてみれば、今は『新しく、そして好きなヒトと一緒に居られる時間』だった。それを楽しまない少女はいるまい。ギリギリの人間性が、まだその内にあることを、シャルロッテはうれしく思う。
「これくらいで大丈夫かしら? はい、あーん」
シャルロッテが、少し気恥ずかし気に、口を開けた。放り込まれたタコ焼きは、まだだいぶ熱かったが、香ばしくておいしい。
しばし祭りを見て回る。平凡といえば平凡で、どこにでもあるといえばどこにでもある祭りの風景は、しかし祭りというそれ自体が非現実的な光景でもあるという事もあり、決して人々を飽きさせるようなことはない。
「くじ引きなんてどう?」
イーリンがった。
「一等は、あのぬいぐるみですって」
「祭りのくじ引きか」
シャルロッテが、ふむ、と口元にてをやった。
「ああいうのは……客寄せだろう。そもそも、本当に当たりくじが入ってるのかな?」
「あら、問題発言よ、それ」
くすくすとイーリンが笑った。
「お祭りって、雰囲気じゃない? ……まぁ、確かに、当たりくじが入ってなかったら腹が立つけど。でも、思い出はできると思う」
「思い出か」
そういうものなのかもしれない、と、シャルロッテは思う。結局の所、思い出だ。日常という、思い出。それはあまりにも普通で、普通に行う事であった。
自分たちは普通ではない、と思う。色々な、理由から。そんな普通ではない二人が、普通を演じている、ともいえた。普通ではない二人が、普通になれる時間である、とも。となれば、普通を演じられる日常というものが、それはとても、尊いものなのだろう、と気づかされるというものだ。なんともくすぐったいものだが、嫌な気分ではない。
「じゃあ、思い出を買おう。一回ずつでいいかな」
「それでいいわよ。ふふ、最高の思い出を手に入れてあげる」
二人で屋台の入り口に立って、胡散臭いくじ入れの中に、順番に手を突っ込んだ。安っぽい紙で作られたくじを、二人で見つめあう。
「どうせだからね、より階級の高いくじが当たった方が勝ち、という事にしよう」
「勝って、どうするの?」
「そうだね……かき氷でも奢るよ」
「ブルーハワイがいいわね」
「じゃあ、それで」
二人は笑うと、その安っぽい紙を切り裂いて、思い出に変えた。
イーリンが抱くと、大きなパカダクラのぬいぐるみも様になるものだ。空いた手にしたブルーハワイのかき氷も、彩があって良い。
祭りの大通りから少し外れると、些か静かな広場にたどり着く。祭りの穴場、といえばその通りで、地元の人間くらいしか知らないような場所だ。
オレンジ色だった空は徐々にイーリンの髪のような紫にかわって、ほどなくして青と黒の中間くらいの色になった。空にはぽつぽつと星の光が見え始めて、月が張り切って輝きを見せ始める時間帯だった。
「お疲れ様」
イーリンが笑う。
「楽しかった」
「祭りはまだ終わりじゃないけどね」
シャルロッテが言った。
「もうすぐ、花火が上がる」
「そうね、それも楽しみ」
シャルロッテはベンチの近くに進んでいって、そこで『腰をおろした』。イーリンは、隣のベンチに座ると、ようやく、二人の視線が同じくらいになった気がした。
二人が並んで、空を見上げた。まだ花火は上がらない。
「……思い返せば」
イーリンが言った。
「いろいろあったわね」
ふと、思い出す。
大きな戦いは幾度も起こった。
海洋の決戦。
幻想の巨人たち。
鉄帝の混乱。
あげれば、枚挙にいとまはない、といえるくらいの、大きな戦い。
そこでいつも、騎兵隊として、二人は、仲間たちは、戦ってきた。夜空のスクリーンに、思い返せば自分たちの戦いと思い出がうつるような気もした。
「私がリーダーで、貴方が軍師」
「いつも、君の役に立ててるか、って思ってる」
シャルロッテが言った。
「不安ってわけでも、自分に自信がないわけでもない。
でも、世に絶対はないから――ほんの些細な可能性でも、起きうるものだから」
「でも、あなたの立案は完璧よ」
イーリンが言った。
「いつも、助けてもらってる」
そういって、肩を寄せた。イーリンの右手が、シャルロッテの左手を握る。
あまりにも冷たかった。
体温が、失われているような気がした。それが、イーリンの失ったものなのだと思ったときに、シャルロッテはイーリンの右手をやさしく握り返していた。
「だとしたら、光栄だね。
少しでも、力になれているのならば」
イーリンの仕事は膨大だ。騎兵隊も、領地の事も、事務仕事も、ローレットの一員としての仕事も……休まるときなどほとんどあるまい。
それに加えて、イーリンは、急速に壊れていく。人間性を失っていく……。それが、シャルロッテには、たまらなく、つらい。
少しでも力になれているのならば、と、シャルロッテは思った。本当にそうだといい。イーリンの負担を、少しでも減らせるのならば……。
何度でも、この手を握ろう。その手から零れ落ちるものを、自分の手で、食いとどめよう、と。
「ああ、そうか」
と、シャルロッテはつぶやく。
「なに?」
と、イーリンが言った。シャルロッテが、なんだかくすぐったそうに、笑った。
「ボクは……君を守りたいんだ。戦場でも、日常でも。この世界の、ありとあらゆるものから、君を」
そういうのへ、イーリンは目を細めた。言葉は紡がない。うれしさと、諦観と。何か色々がないまぜになった感情が、イーリンの中に渦巻いていたいからだ。
シャルロッテも、それをわかっていた。わかっていても、言葉にせずにはいられなかった。これは、決意であって、宣言であった。自分への。そして、大切なものへの。
たとえ命尽きようとも、と、シャルロッテは思う。それは言葉にはしなかった。すれば、少しだけイーリンは悲しむかもしれない、と思った。今は、楽しい時間だったから、それをあまりにも、ほんの少しの棘でも、悲しいものにはしたくなかった。
命尽きようとも。その命とは、自分のことでもあり、イーリンの事でもあった。どちらの、命尽きようとも。最期の時まで、自分は秘書として共に在ろうと、そう、強く、強く思ったのだ。覚悟であり、想いであった。
答えは、待っていなかった。「守ってね」なんて、イーリンが言うわけがないと思っていた。そういう、人だから、きっと惹かれたのかもしれなかった。
「秘書としては」
シャルロッテが言った。
「今日は……遅くまで、予定を開けてるから。
ゆっくり、していくとしよう」
そういって、空を見上げた。遠くの方で、ひゅう、ひゅう、という音が聞こえた。みれば、光が、空に昇っていく、ちょうどその時だった。
「そうね」
イーリンが頷いた。
「今日は、ゆっくりしていきましょう」
そういった瞬間に、空に赤とか、黄色とかの、いろいろな色が咲いた。夜空に浮かんだ、様々な、花々だった。思い出、というのであれば、きっとこの景色は強く、それに焼きつくのだろうと思った。触れ合った肩の感触と、夜空の花火、そして、握りあった、暖かい/冷たい、貴方の、体温。そういうものが一緒になって、思い出というキャンバスに強く焼きついて絵になるのだ。
それがきっと、いつまでも心に残って、生きる指標になるのだと思った。混沌とした世界で、それだけは絶対で、二人を繋ぐものになるものになるのだろうと、強く確信させる思いだった。