PandoraPartyProject

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しらないひと

登場人物一覧

アルム・カンフローレル(p3p007874)
昴星

 総合公園は人で溢れかえっている。露店から伸びる人の列、公園は人ばかりが目立ち、歩くのも露店を見て回るのも大変なほどだった。でも、これが夏なのだ。それに夏祭りは賑わねばならない。露店では大粒の汗を滲ませながら忙しなく、一方で楽しそうに焼き物を焼き、かき氷機で氷を削り、カラフルなシロップと練乳を美しい氷に垂らしている。
 アルム・カンフローレル(p3p007874)は鮮やかな緑の目を輝かせ、人々の声を聴く。その声はラジオのように心地よく、賑やかで華やかな声は幸福を運ぶようだった。夕暮れの空はまだ明るくて強い日差しが降り注いでいる。だからだろう、人々はかき氷や冷えた果物、アルコール飲料を持つのだ。

 ──浴衣、似合ってるじゃん。
 ──ありがと、あんたも似合ってる。
(初々しくていいなあ)

 ──人多すぎ! ねぇ、たこ焼きどうする? めちゃ並ぶよね?
 ──ん~、でも、たこ焼き食べたくない?
 ──食べたい!
 ──じゃあ、ビール買ってくるよ。飲みながら待とう?
 ──え、いいね。最高だわ!
(分かる、たこ焼きは食べたいよねぇ。それに、飲みながら待つのも大賛成。いいなあ、俺のビールはどこぉ?)
 アルムは笑った。ホテルのバーも楽しかったけど夏祭りも楽しい。額の汗を腕で拭い、アルムは小ぶりな瓶ビールを持つ自分を想像する。その、黄金色の液体を喉の奥に思いきり流し込みたいと思った。

 ──ほら、早く!
(うん? あっ)
 すぐにアルムは微笑む。赤い狐の面を被った子供がアルムの横を通り過ぎていった。手にはくじ引きで当たったのだろう。玩具の拳銃があった。彼女のスカートが揺れる。
 ──暑いのに元気だなぁ。
 父親だろう。柔らかな視線を向けている。
 ──迷子にならないようにねぇ。
 青と赤のかき氷を両手に持った母親が笑いながら叫んだ。
(きっと、忘れられない思い出になるだろうな)
 アルムは思った。この記憶が彼女を幸福にするのだろうかと。熱風が吹く。その風には、人々の熱と美味しい香りがした。夏だ。でも、そろそろ終わってしまう。だから、今を、夏を全力で楽しんでいるのかもしれない。

「■■■」
 声が後ろから聞こえた。親しげで甘ったるく、■■■■■■不鮮明な声だった。だから、振り返ることもなかった。今日は一人で、誰とも約束は
「■■■?」
 それなのに──また、同じ音が聞こえる。見知らぬ声。だけれど、その音はアルムと言っているような気がして──でも。アルムの額から汗が流れる。アルムは小首を傾げ、歩きだす。何故だろう、此処から離れたかった。
「■■■」
 ああ、また、聞こえる。でも、その声は本当に知らなかった。でも、もしかしたら。ああ、視線を感じるような気がする。
(嫌だなあ)
 振り返ることが至極、怖かった。蝉の声が聞こえる。アルムは息を吐き、胸に触れる。汗ばんだ掌に心臓の音が響いている。
(もしかして、お化けとか? いや、それはないかな……多分……)
 お化けはこの時間には現れないはず。顔を歪め、青ざめる。なんだろう、足音が追いかけてくるような気がした。唾を飲み込む。訳も分からず、アルムは逃げるように駆けだす。耳のピアスが揺れ、はっきりと耳に届いた。それさえ、恐ろしく感じる。人のすき間を──走ってハァハァと浅い呼吸を繰り返した。ふと、我に返る。
(どうして、俺は走っているのかな……)
 分からなくなって立ち止まる。瞳に芝生が映った。ハッとする。下を向いていたらしい。ゆっくりと顔を上げる。空は少しだけ暗くなっていた。心臓が苦しい。

「お兄さん、焼き鳥買わない?」
 声。アルムは息を呑んだ。日に焼けた青年がアルムを見つめ、笑っていた。
「あ。えっと……ビールもあるかな?」
 声が掠れていた。急に空腹と喉の渇きを覚える。そうだろう、走ったのだ。でも──どうしてだろう。
「あるよ、キンキンに冷えたビールがね」
 青年はもう一度、笑った。
「なら、一つずつ欲しいなぁ」
 汗を拭い、微笑む。
「一つ? 二つじゃなく?」
 青年は眉根を寄せ、アルムをぎょっとさせたのだ。黙ったまま、見つめ合う。青年はを吐いているようには見えなかった。むしろ、困惑している。
「え、と……一つでいいの?」
「う、うん」
「そう」
 ぎこちなく会話が進む。それはもう、変わることはない。拭ったはずの汗が顎を伝う。青年はいったい、何を見ているのだろう。怖くて聞くことが出来なかった。
「……」
 気分を変えるようにアルムは露店の端で買ったばかりのビールを口にする。唇に触れる苦みと炭酸の強さに目を細める。美味しくて水を飲むように喉を鳴らしながらビールを飲んだ。胃の腑にビールが落ち、幸せになった。怖いことはもう、起きない。そんな気がする。そして、焼き鳥とビールを交互に味わい、ふぅと息を吐く。美味しかった。今度は何を食べようかと濡れた唇を舌先で舐めていると──甘いバニラ香水の香りがした。

 その瞬間、トン、肩を叩かれたのだ。
「ひいっ!?」
 それは親しげで馴れ馴れしくて気味が悪い。そう思っていたら、熱く湿った手が、指が、アルムの手を引いた。
「あ」
 身体が跳ね、涙が滲む。そして、反射的に振りかえり、呆然とする。だった。だが、それは当たり前のように人の形をしている。夏色のシャツに淡いジーンズに白のスニーカー。その顔は男にも女にも見えた。見つめ合う。何を言えば良いのか分からなかった。
「やっぱり、アルムだ」
 その人は言った。途端にぎょっとし、顔が強張る。
「えと、その……?」
 アルムは震え、を見た。
「会えるなんて運命だね」
 その人は妙に甘い声を吐き、ねっとりとした視線をアルムに絡ませるのだ。
「……運命? 俺と?」
(なんだろう。この人、知り合い? 俺が忘れてる? 混沌での記憶は全部残ってるハズなんだけど……)
 混乱しながら考える。もしかしたら依頼で会ったことがあるのかもしれないと。だけれど、痺れを切らしたようにその人は無表情になって一瞬笑った。
「何、その顔。私達、付き合ってるのに」
「へ?」
 強く握られた手と言葉に怯えてしまう。理解すら出来なかった。
「私の誕生日にクリームソーダを食べに行ったじゃん、覚えてないの?」
「そ、そうなんだ……ごめん。え、えと? あ、あれ? そうだっけかな」
 目が泳ぎ、汗がだらだらと流れていく。知らない記憶だった。でも、その人はそれを事実のように話している。俺は忘れてしまうから。遠くに行ってしまうから。深い仲にはならないはずなのに。
「また、して! 今日、アルムと夏祭りに行きたかったんだけど先に友達に誘われちゃってさ。会えたら嬉しいなぁって思ってたんだよ。それに。焼き鳥美味しかったんだね、ビールも。でも、飲み過ぎちゃ駄目だからね」
「え、あ……うん。ありがとう……」
 眩暈がした。両脇から汗がぬるぬると溢れる。
「じゃあ、アルム、私行くから。あとで連絡するね」
 パッと手が離れる。
「う、うん。待ってるよ……」
 驚く。ああ、俺は何を言って。
「じゃあね、アルム。愛してる、から──」
 アルムの長髪に口づけ、その人は手を振った。
「うん……またね」
 強張った笑みを浮かべる。やがて、その人は見えなくなった。息を吐く。考えても考えても、分からなかった。だけれど、手を振り返すことだけは、と思った。


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