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ある野球少年の悪夢

登場人物一覧

清水 洸汰(p3p000845)
理想のにーちゃん

●一打席五安打
 清水洸汰は旅人である。
 無辜なる混沌に異世界より召喚された、可能性パンドラを持つ者――彼らは原罪の呼び声を受けることはなく、反転し魔種になることはあり得ない。
 だからきっと、その日洸汰が悪夢を見たのは偶然だった。
 モンスター退治を終えて、依頼人からお礼にと出されたハンバーグの付け合わせがピーマンだった。それを我慢して食べた。ほんの少し、嫌な気持ちになった。
 そんな、夜だった。

●ホームランでマイナス一点
 昼下がり、幻想の表通り。
 郵便屋の男性が走り、仲睦まじい母と子が手を繋ぎ、焼き立てのパンの香りがする店から紙袋を抱えた少女が頬を緩ませ出てくる――そんな、穏やかな時間が流れる場所で。
 からから、と高い音を立て金属が擦れる音がして、その音の方向に目をやれば――ゆらり、どこかの路地裏から出てきた一人の痩せ細った男に、その空気が張り詰める。

――マジか、こんなところにスラムのヤツ?
――おかあさん、あの人こわい。
――見ちゃいけません、行くわよ。

 誰も彼もが、その異質な男を目に留める。そして、本人に聞かれないよう小声で脅え、嫌悪し、足早に去ろうとしていた。
 その男は、一言で評するなら『ここにいるはずのない存在』だった。
 痩せ細り骨ばったその身体には、あちこちに擦り傷や青痣が散り、色艶を失った黒髪は瑞々しさの欠片も無い。からから、と引き摺っていたのは――手に持った鉄パイプだろうか。でも、これはどこかで見たことがある形のような。
 恐怖心に、そんな好奇心が勝ってしまった少女は視線を上にやり――

「ひっ……!」

 ぎょろり、窪んだ眼窩の奥から覗く血走った眼。髭も剃らずの伸び切ったまま、頬のこけた男。その言い知れぬ恐怖に思わず声が漏れ、紙袋を落とす。
(なにあれ、こわい、何か変!)
 落としたパンなど知らない、あれの傍にいてはいけない。逃げ出した少女の脳裏に過ぎったのは、いつだって太陽みたいな友人。
(コータくん、助けて……!)
 草野球のヒーロー。いつだって、どんなピンチだって格好よくやって来てくれる――同じ年頃の、元気な少年だった。
 心臓が音を立てる。何かにせかされるような、呼ばれるような!

 ――彼女にとって幸いだったのは、眼前にいた男の正体を知らなかったこと。そして、その後の光景を目にしなかったことだろう。

「やらなきゃだめだそうやらなきゃ遊んでるヒマないぞぜんぶぜんぶ壊してどけてオレが楽しくなきゃだめで」
 走り去る少女を空虚な目で見送ったその男――『傲慢』の呼び声に呼ばれた洸汰は、浅黒く汚れた左手の爪を噛みぼそぼそと呟く。
 急かされるように身体を小刻みに揺らしながら歩けば、目に入ったのは色鮮やかな野菜達。
「食べ物ならやる、ほら、なんでもいい、好きなだけ持っていってくれ!」
 店主が蒼褪めた顔で指さしたそこに並んだ、緑の野菜。

「あ」

 瞬間。
 からからと音を立て引き摺っていた金属――ひしゃげたバットを手に構え。
 普段より幾分か荒く、それでいて普段通り豪快なそのフォームで振りぬけば。
 並んでいたピーマンが、真っ赤なパプリカに変わっていった。

「こんな物あっていいはずがないそうどけなきゃ、どけなきゃいけない、そうだから退け、オレは嫌いなんだこんなもの!!」
 ――好きなものは好きでだから嫌いなものは嫌いで、好きな物だけ食べたくて嫌いなものは嫌でだから、だから!
 騒然とする通りを、からからとバットを引き摺り進めば――そこには、真っ赤な線が続いていた。

 そうして嫌いなもの、邪魔なものを壊して。
真っ赤な線が辿り着いたのは、いつもの公園だった。
 笑い声が聞こえる。子供達がボールを投げて遊ぶ、そこは――

「そこ、オレの場所」

「やだねーっと!」
遊びに夢中な子供たちは、男の返り血にも、バットにも、異様さにも気付かない。
「潰すぞ、ガキ」
「なんだようるせーな……ッ!?」

 振りかぶって、ホームラン。
 生温かいこれは、優勝のビールかけなのかもしれない。
 やらなきゃ、もっとあれもこれも壊して、好きなものだらけに。
 ビールかけ? なんだっけそれ、オレは、オレは――?

●スリーアウト満塁
 ――なんだ、このほっぺたの温かい感じ。
「うわ、パカおのよだれじゃんか! 朝ご飯は待ってろって!」
 洸汰が飛び起きれば、パカダクラのパカおが「ふええ」とゆるい声で朝を告げる。
 いつもの朝、いつものベッド。けれど、どこか気分が悪いのは。
「変な夢見たような? けど、よく覚えてないんだよなぁ……ま、いっか! 今日も晴れてるし野球日和だぞー!」
 ばっと布団を蹴り飛ばし、水玉模様のパジャマからお気に入りのジャージに着替えたら。
 いつもの洸汰の一日が、始まる。

 清水洸汰は旅人である。
 彼らは原罪の呼び声を受けることはなく、魔種になることはあり得ない。
 だからこれは、洸汰の見た――『あり得ない悪夢』の話。

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