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四葩に、重ねて
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晴さま、と呼んだのは彼が気軽に呼び捨てて欲しいと告げたからであった。彼との距離感が縮まったことに喜ぶ反面、そう呼び捨てる事は不慣れでメイメイは愛称を付けては同化と提案したのだ。
晴明は不思議そうな顔をして居たが「メイメイがそれで良いのならば」と頷いた。ほっと胸を撫で下ろしたメイメイは「それでは、今日はどうしましょう、か」と視線を外へと遣った。
曇天の空はとっぷりと暗い気配を宿していた。
「前々から、紫陽花をと言っていただろう? 良ければ共にどうであろうか」
「はい。晴さまが、よろしければ」
こくりと頷いたメイメイは雨具の備えがないのだと肩を落とした。晴明は自身が用意しておくと支度を調えてから外出を告げる。ついでのように霞帝が団子を買ってきて欲しいと頼んだのは何時ものことだった。高天御所よりおいそれと出ることの叶わない殿上人だ。そうした我が侭を中務今日に頼むのも気晴らしの一つなのだろう。
「申し訳ないが紫陽花を見た後は茶屋によっても構わぬだろうか。霞帝の好みの団子の取り置きは先んじて部下に文を持たせている」
「はい。後で、取りに、行きましょう」
こくんと頷くメイメイに晴明はほっと胸を撫で下ろした。共に出掛けると予定を空けた癖に最後には矢張り霞帝の用事を付随させているのだ。文句を言われても致し方がないだろうと晴明は考えて居たのであろう。にんまりと微笑んだメイメイに「ならば共に行こう」と晴明は傘を一つ手にして歩き始めた。
高天京の中にぽつねんと存在する高御寺は花の御寺とも呼ばれる風光明媚な場所であるらしい。古くは八百万の庇護を受けた場所であった為に獄人の立ち入りは禁じられていたが霞帝の治世の元では市民の誰もが踏み入る事が出来るようになったのだ。勿論のことだが立場は八枚の扇の中でも主となる天子直属の側仕えなる中務卿だが、彼自身も獄人だ。差別的意識を向けられることはありおいそれと花の御寺に訪れる事は無かったようだが――
「神使の名声も高まった。俺自身も神使の一人である。だからだろうか、斯うして外を出歩くのも何も臆する必要はなくなったのだ。
……実は高御寺には余り踏み入れた事が無かったのだ。新たな発見があればとも思って居る。何か見付けたならば教えてくれると嬉しい」
「……はい。何か、素敵なものが、あるとよいですね……!」
やる気を漲らせ耳をぴるぴると揺らせたメイメイに晴明は大きく頷いた。到着した高御寺の石段を上がり終えてから一息吐く。人影は天気のせいで疏らであった。
誰もが帰路を急ぐのは曇天の空が重苦しい気配を醸しているからだろう。確かに、出掛け際に陰陽頭は「そろそろ雨が降りますよ」と卜占の結果を携えて居たではないか。
(やはり……庚さまの、占いは当たるのですね……)
流石は中務省陰陽寮の長だ、と幼くも見える八百万の顔を思い出していたメイメイの鼻先にぽちゃんと雫が落ちた。はっと顔を上げれば大粒の雫が額を叩く。
それは晴明も同じだったのだろう。袖でメイメイの頭上を覆うようにして晴明は雨粒からメイメイを庇う。ぱちくりと瞬いてから「晴さまが、濡れてしまいます……!」とメイメイは慌てた様に声を震わせた。
「傘を住職に預けてきていた。一度、社務所へと戻ろうか」
荷物になると傘は一帳りだけ用意していたが、それがあるだけでも安心感は違う。急ぎ脚で社務所に向かえば住職は「雨が降ってきましたか」と預けた傘を晴明へと手渡した。
「どうなさいますか?」
「傘もあることだし、もう少しだけ紫陽花を見て回っても構わぬだろうか」
住職は「どうぞ」と快く晴明の提案を受け入れる。雨は訪れる者も少ないことから御守の作成などの軽作業を浦で行って居ることが多いらしい。住職が奥へと引き籠もる事を告げれば晴明も「構わない。貴殿は自由に過ごしてくれ。見て回らせて頂く」と背筋を伸ばし礼をする。慌ててメイメイは同じように頭を下げたが――住職がぱちくりと瞬いたことが印象的であった。
「……その、住職さまが、驚いていらっしゃった、のですが……」
「ああ。神使といえば、神逐から高天京を救った英雄であっただろう? 勿論だがこの高御寺からも穢神となった瑞神の姿が見えていた。
其れ等に立ち向かった志士が丁寧に挨拶をした物だから驚いたのだろう。我らにとって神使は救国の志士であり、信ずるべき存在であるから」
晴明の説明にメイメイはむず痒さを感じていた。英雄と呼ばれてしまえば妙な心地にもなるというものだ。出会えた事への感謝を抱くのと同じように、彼の側を歩めるのはその時の出来事があったであるとメイメイはよく分かって居る。
「……救国の志士と言えども、ただの人であるのにな」
「え……は、はい。そうです、ね。晴さまは、特別視、なさらないのですか……?」
つい、気になった。自身はこの国に訪れた来訪者だ。それ故に、彼から見た自分についてが気になったのが本音でもある。
気を許すように笑いかけてくれるようにはなったが、それだけでは自身が戸惑うばかり。メイメイは背伸びをするように晴明へと問い掛けた。
「そうだな……最初はそう、と思って居たが、諸国を廻り皆と共に戦場を駆けずるようになってからはそうは思わなくなった。
メイメイも、皆も、俺と代わらぬ存在でありながら可能性に愛されたが故に戦場を走っている。強い心の持ち主だ、とは思うが特別な存在だとは思っては居ない」
晴明はおとがいに指先を当てて考え倦ねるようにそういった。その言葉にほっと胸を撫で下ろした自分がいることにメイメイは気付いて居る。
もしも、ここでイレギュラーズとは特別な存在であると、晴明がイレギュラーズであれど一線を引いた存在であるかのように言われてしまったならば――
(それは、すこし……悲しい、です、ね)
視線を彷徨かせてからメイメイははっと顔を上げた。花を見に行きましょうと声を掛ける。
一本だけの傘。それはメイメイの側に少しだけ傾いでいる。メイメイは「晴さま、濡れてしまいません、か」と不安そうに見上げたが、晴明は緩やかに首を振るばかりだ。
「気にしないでくれ。メイメイは濡れていないか?」
「あ、は、はい。大丈夫、です」
頷き、傍らの温もりに、その近さにメイメイの心臓が跳ね上がった。泥濘んだ土を踏み締める。四阿まで歩いてしまえば、そこで雨宿りをして花を眺めることが出来るだろうか。
メイメイは「花の御寺、と、呼ばれるだけあって、種類が豊富……なのです、ね」と晴明をちらりと見遣る。
「ああ。いつかの帝も花を好んだらしい。此処はその方にとっての憩いの場であったのではないかと言い伝えられている。
俺が以前メイメイに紹介したあの離れも霞帝にとってはその様な場所であった。天子であろうとも人は人、休息が取れる場所というのは必要なのだろうな」
晴明が眼を細めて笑ったその顔を見て、メイメイは合点が言った。先程の『救国の志士と言えども、ただの人』という言葉は――
(あれは、霞帝さま、の事だったのですね)
賀澄殿、と呼び慕う彼は本当の兄弟のようであった。異邦からの旅人であると云う今園 賀澄という青年は召喚され混沌へと辿り着き、更にはカムイグラへの『バグ』召喚によって此岸ノ辺にやってきたのだそうだ。そんな彼の正義感に、そして、困った人を放っておけないというお節介な性格に、四神達が惹かれ始め彼は『神霊の加護を持つ青年』となったらしい。そうして、その人が帝という座に着くまでに様々な困難があったのだろう。
(屹度、帝だから、と……そう、言われることも、多いのでしょう、ね)
霞帝を思いやっての言葉であったというならばその忠義は素晴らしいものである。メイメイは何時如何なる時も主君を思う晴明の横顔を眺めてから小さく笑った。
「……どうかしたのか?」
「いえ、晴さまは、芯の強い方だな、と」
「そう、だろうか」
ぱちくりと瞬いた晴明にメイメイはこくりと頷いた。雨脚が少しばかり強くなってくる。緩やかに歩を進めていた晴明の持つ傘も雨を弾いては小さく揺れた。
「しかし、折角の外出時に雨なのは……申し訳がない。豊穣郷は四季のはっきりしている風土だ。故に、こうした雨季がやってくるのだが……」
「いいえ、雨の匂い、雨の音。それも風情があって、わたしは好き、です」
「……そうか。俺も、好きだ」
雨のこと、雨のこと。繰返すようにメイメイはその言葉を噛み締めてから「は、はい」とぎこちなく笑った。
濡れてしまった肩を気にするように手を伸ばしたメイメイに「大丈夫だ」と晴明は応えその肩をぽん、と叩く。
「見て下さい、晴さま。きれいです、ね!」
「ああ」
くるりと背を向けて、赤くなった頬を悟られぬようにメイメイは紫陽花を指差した。嗚呼、全く以てこの人は『此方のことを察してもくれない』のだ。
メイメイと名を呼び捨て、距離を詰めて来たかと思えば少年のように朗らかに笑う。その顔を見れば黄龍達の心配を直ぐに察してしまうのだ。彼は『中務卿』として過ごしてきた時間が長いが故に、『晴明』として友誼を深めることが少なかったのだろう。
その立場に雁字搦めになって居るわけではないが、もういい大人が少年のような態度をとるのはそういう所なのだ、と感じ取ればメイメイも僅かな余裕が生まれてくる。
恋愛初心者の少女に、そうした事に疎い青年。足並みは緩やかであろうとも自分たちの速度で進んでいけることが確かな実感となるのだ。
「メイメイ、見てくれ。葉に蛙が腰掛けている」
「わあ、本当ですね。此方を、見て――」
はた、とメイメイは動きを止めた。可愛らしい雨蛙を見付けたまでは未だ良かった。背後に晴明が身を屈め、丁度メイメイの顔の隣から覗き込んできたのだ。
思わず息を呑んだのはその距離が近かったからである。余りに気にする素振りもなく話しかけて来た彼に何気なく返しそうになったが。
(ち、近い――)
唇を引き結んだ。限界だというようにメイメイの頬が赤く染め上がる。硬直したメイメイに「メイメイ?」と声を掛けてから晴明ははたと、近付きすぎた距離に気付いた。
「済まない」
「あ、い、いえ……」
「どうか、不快に思わないでくれ。その、余り、考えて居らず……淑女に何て事を……申し訳ない」
勢い良く立ち上がった晴明の雨傘から雫がぼたぼたと落ちてくる。メイメイの視界を濡らしたが気にする事は無く振り向けば、何処か慌てた様子で晴明が視線を逸らしていた。
気恥ずかしかったのか、それとも自らの行いを失敗だと感じたのか。何時もは視線を合わせる彼は珍しく明後日の方向を向いて顔を掌で覆っている。
「晴さま」
呼び掛ければ晴明は「すまない」とか細い声でそう言った。ああ、これは――
(不快、だなんて)
メイメイは可笑しくなって笑う。距離が近く、緊張したのは確かだった。それでも不快感なんて感じて等居ない。メイメイの向ける仄かな恋情はまだのんびりと歩き出したばかりだけれど――
「大丈夫、ですよ。不快では、ないですし、……照れてしまった……と、言えば良いでしょうか」
少しだけ。駆け足になってみても良いだろうか。晴明がはた、と顔を上げた。
「雨で、誰も見ていません、よ。晴さまと、距離が近付くと、その……緊張してしまう、のです」
「不快では」
「ない、です」
「……そうか」
頬を掻いた晴明にメイメイは肩を竦めてからふい、と視線を逸らした。どうして照れたのだ、とは聞いてくれない。不快ではないから、そうしたっていい、という言葉を込めたって伝わらない。
嗚呼、全く以て、この人は――
「四阿で休憩しましょう。……雨上がりの、楽しみがあります。ほら、晴さま、見て下さい……虹が、出ています、よ!」
気付けば止んでいた雨に晴明は傘を降ろして空を見上げた。気付けば掛かった虹の美しさに、青年は「気付かなかった」と呟いてからそっと手を差し伸べる。
「四阿から虹を共に見ようか、お詫びに後で団子をご馳走しても構わないだろうか?」
「はい、是非。晴さまも、ご一緒に」
揶揄うような声音でそう告げてメイメイは晴明の手を取った。
- 四葩に、重ねて完了
- GM名夏あかね
- 種別SS
- 納品日2023年07月13日
- テーマ『『イチリンソウの雫』』
・メイメイ・ルー(p3p004460)
・建葉・晴明(p3n000180)