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東風ふかば
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豊穣郷は四季豊かである。故に、雨季ともなれば長雨が続くことは珍しくもない。さあさあと降る雨の中、高天御所を訪れた妙見子を快く出迎えてくれた黄龍は「待っておれ」と声を掛け、霞帝の側に着いていた晴明を呼び出した。
「妙見子殿」
「晴明様、お忙しいところに失礼致します」
「いや、霞帝が暇だからしりとりをしたいなどと言い出しただけなのだ、気にしないでくれ」
妙見子はぱちくりと瞬いた。想像していたよりも朗らかで気易い性格の天子は来客を知らされてから「俺も行く」とでも言ったのだろうか。そんな気苦労が彼から滲んでいる気がしてついつい笑みを零した。
「御所は何時も楽しげですね。見ていて心が温まります」
「もう少し大人しくしてくれれば嬉しいのだが……霞帝はそうも行かぬ性分なのでな」
肩を竦めた晴明に妙見子はくすくすと笑って見せた。世界を破壊することに特化した物の怪、自らをその様に称する彼女が御所へと踏み入れることを拒絶したのは、霞帝に合せる貌がないと言うことではあった。だが、鉄帝国での一件を経て、随分と彼等とも心通う仲になったように思えるのだ。
「妙見子殿が斯うして御所に訪れるようになってくれただけでも喜ばしい」
「ふふ、そう仰って居ただけ、嬉しいです。その……本日は我が侭を言っても宜しいでしょうか?」
晴明は「ああ」と頷いた。安請け合いをする彼に「本題を聞く前に了承しては駄目ですよ!」と言いたくもなったが提案した身である。本日はそんな彼の甘さを利用させて貰うことにしよう。
妙見子が晴明へと用意した贈り物は黒と紫を基調とした狩衣であった。北辰の化身である妙見子が機織り術式を賭けたその代物には星の衣装が艶やかに踊っている。一目見ただけで誰からの贈り物であるかが良く分かる一品だが、それ故に晴明は平時には着用することは少ないようにも見受けられた。
「お送りした衣を身に着けていらっしゃっている所を見たいのですけれど」
「……ああ、そうだな。俺も用意をして貰った装束を着用するならば妙見子殿の前だ、と思って居たのだ。貴殿から提案して貰えて喜ばしい」
晴明は御所の中にも居室を有している。外に帰る家はあるがほぼ御所の中で生活していると言っても差し支えはないそうだ。着替えてくるから待っていて欲しいと告げた彼は、待つ場所として御所の庭園を指定した。しとしとと雨が降っているが、紫陽花が美しいのだと言う。
「迷わないだろうか? よければ、案内を付けようか?」
「あ、案内ですか? いえ、その様な……皆様お忙しいでしょうから……」
慌てる妙見子に「大丈夫だ、神霊は厳かな存在だが暇だ」とのっぴきならないことをさらりと言ってのけた。案内役を買って出たのはぽてぽてとした小さな子犬だった。白い艶やかな毛並みを有した彼女は「わたしは黄泉津瑞神と申します。この地の守り神で、ええと……一番、強い精霊です」などとふんわりとした自己紹介を行って居る。
「ひえっ……その様な方に案内して貰うだなんて…!? も、申し訳ありません。本当にご迷惑を……!」
「いいえ。晴明は……あの子は、私も幼少の頃より見てきましたが、両親も早くに亡くしており御所で賀澄と過ごす日々の方が多かったものですから。
友人と呼ぶ存在が遊びに来るなど滅多になかったのですよ。だから、微笑ましいのです。このような子犬に言われても何のことだか、と思われるかもしれませんが」
小さな子犬の姿をしているがその本質はこの地が出来てから守護者として君臨する大精霊――神霊だ。瑞神は朗らかにそう告げてから「これからもあの子と仲良くしてあげてくださいね」と尾を揺らした。
到着した庭園には紫陽花の花が咲き誇り、雨の中でも見目麗しい。色とりどりの花を用意する庭師の手腕には感服する。瑞神は晴明が来るまで花を愛で、その後は散歩に出掛けるのだとちょこりと座っていた。
「あのう……瑞神様は……」
「瑞でよろしいですよ」
「瑞様は、晴明様とずっと一緒に居られたのですよね。黄泉津の守護者……つまり、この豊穣郷の守り神で、この地そのものであらせられると……?」
「はい。わたしは豊穣郷の守護者で、この地そのもの。黄泉津はわたし、わたしは黄泉津。黄泉津が穢れればわたしも穢れを孕むのです」
ちょこりと座った瑞神は「晴明が来ましたよ」とすくりと立ち上がった。小さな子犬はまたもぽてぽてと歩いて散歩に出掛けて行ってしまう。
そんな背中を眺めてから晴明は「瑞神と一緒だったか。彼女ならば、物静かで穏やかだ。黄龍よりも気易く話せる相手であろう?」と妙見子へと声を掛ける。
「いえ、あ、はい。そうですね……神霊……豊穣郷の守り神であらせられる神霊の皆さんは皆、霞帝様に加護を与えていらっしゃいますが、その中でも瑞様は一番なのでしょうね。
本当に朗らかで暖かな空気が致しました。まるで、豊穣郷そのものであるような……私がこの地に感じている感覚と同じであったと言うべきでしょうか」
「ああ、そうだろうな。彼女が健やかであれば国は栄え、彼女に危害が加わればそれこそ国家は沈み行く。そもそも、彼女自身に危害が加わることは早々ないことではあるのだが」
それが『あって』しまったのがイレギュラーズが豊穣郷に踏み入れた事の話だった。
「ところで……その、どうだろうか」
「ふふ、迚もお似合いです。着用して頂けて本当に嬉しく思います」
星々を散らした衣を身に纏う彼は何処か照れくさそうな表情を浮かべていた。確かに、普段の彼の装いと比べれば、雰囲気が変化する。降ろした髪もその気恥ずかしげな動きと共に揺らいでいた。
「髪は、結わえなかったのですか?」
「ああ。……どうするべきか迷ってしまったのだ」
そっと手を伸ばせば、艶やかな黒髪が妙見子の指先から滑り落ちる。無意識のうちに触れていたと顔を赤くした妙見子は「あ、いえ、申し訳ありません!」と手をばたばたと動かした。
「いや……妙見子殿なら結わえるのも得意なのであろうな」
「こ、今度、結わえましょうか……?」
恐る恐ると問い掛けた妙見子に晴明は「良いのか?」と何処か嬉しそうに頷いた。妙見子は「勿論!」と意気込んでから、声が大きすぎたかと思わず口元を覆う。
目の前の青年に感じているのは恋情と言うよりも愛情、と言うべきなのだろうか。彼だけではない、黄泉津瑞神や霞帝の事も、この黄泉津のことを護りたいと願っているのだ。
嫋やかな乙女の抱く、繊細な感情と呼ぶよりも、何よりも大きな愛情を抱いていた娘は頬を赤く染めながら「結い紐を用意しておきますね」と呟いた。
晴明は嬉しそうに頷く。彼の纏った星に自らの衣装を織ったのは少しだけの独占欲だったのかも知れない。守り切ると言う祝福を込めた彼と、黄泉津を守り抜きたいという愛情の形だ。
「今度、晴れ間が見えた日にはこの装いで出掛けよう。雨の日ばかりだが、時折見える晴れも良いものだ」
「ええ、ええ、是非。……黄泉津を案内してくださいますか? まだ、知らない場所にも行ってみたいのです」
「勿論。妙見子殿は何が好きだろうか。食事でも、風景でも。満足頂けるよう、案内すると誓おう」
大きく頷いた晴明に妙見子はにこりと微笑んだ。さあさあと降る雨の中、もう少しだけ話をしよう。
- 東風ふかば完了
- GM名夏あかね
- 種別SS
- 納品日2023年07月12日
- テーマ『『イチリンソウの雫』』
・建葉・晴明(p3n000180)
・水天宮 妙見子(p3p010644)