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6月8日の君へ
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セアノサスは三人家族『だった』。美しい母と穏やかな父。将来は父の後を継ぐことを目標にしていたが、絵本で見た騎士に憧れる事のあるまだ幼い少年である。
尊き神を信じ、その道を進む。たったそれだけのことではあるが、セアノサスは真面目な少年だった。自らの在り方について深く考え、時には父に相談するような『頭の硬い』子供でもあったのだ。
そんな彼に妹が出来る事になった。母に教えられた日に、セアノサスは家令を直ぐに呼び寄せて「育児書がほしい!」と言った。まだ幼い少年の突拍子もない言葉に家令は驚いたが幼子にでも読めるような道徳の本やガイドブックを用意してくれたのである。勿論のことだが、母も父もそんなセアノサスに思わず笑ってしまったのは言うまでもなく。
「セアノサスが父親になるみたいだ」
「セナは立派なお兄様になりますね」
そんな風に言う二人にセアノサスは誇らしげであった。母の体に気遣い、出産が近付けば、邪魔にならぬようにと部屋の外で待機していた。母の苦しげな呻く声を聞きながら「頑張れ」と何度も応援する姿を慌ただしく走り回るメイドは『心の癒やし』と呼んでいたほどである。
遂に生まれたセアノサスの『妹』は本当に小さな体をしていた。まろい掌をぎゅうと丸めて縮こまっている。
セアノサスが妹へと抱いた最初の印象は『小さい』だ。どの本を見ても赤ん坊とはまん丸としていてふくよかであったが産まれたばかりの妹はほっそりとし、直ぐにでも折れてしまいそうな印象だったのだ。
「こんにちは、僕の妹」
そっと手を伸ばしたセアノサスは妹の手が反射的に自らの指を掴んだことに気付き「見ましたか、お母様!」と思わず声を上げた。驚き泣き始めた妹をあやすために右往左往としていた姿を見て母は可笑しそうに笑ったものである。
「セアノサス、セラスチュームですよ」
「セラスチューム……セラ……?」
「ええ、セラ」
セラと呼び掛けてから「ごめんね」とその掌をもう一度ふにふにと撫でた。6月8日、君の産まれた日――セアノサスにとって大切でかけがえのない『妹』が出来た日でもある。
セラスチュームが健やかに成長したある日の事である。誰よりも先に起きたセアノサスは一人で着替えを終えてから使用人達が朝の準備をする厨房へと駆け込んだ。
「おはよう!」
「おはようございます」
恭しく挨拶をする料理人や配膳の用意をする使用人に「約束のものは!?」とセアノサスの眸はきらりと輝く。大人になればある程度の落ち着きを得たセアノサスだが、幼少期は快活で明るく勢い任せな一面があった。それでも真面目であったことには変わりなく、彼は使用人達との約束を数週間前から行って居た。
曰く――「セラスチュームのお誕生日会作戦」だ。セラスチュームが3歳となる6月8日にセアノサスは彼女の誕生日会を行なうことに決めた。
勿論、両親には最初に許可を取っている。朝起きた時からセラスチュームには『一番の誕生日』を味わって貰うつもりだったのだ。
朝食はセラスチュームのこの身のものを用意すると決めて居た。家族で食事をとる部屋の飾り付けは毎晩夜更かしをして――それも勉強を終えて殻、母の許可を取った範囲内だ――準備を行って居る。一人で飾り付けを行えないという理由で使用人達の手を借りたが基本的には出来る限りを自分で準備したのだ。
今日の着替えもセアノサスが用意をしていた。母との相談を行なって、彼女の気に入る動きやすそうなドレスを準備したのだ。ふんわりとしたレースが揺らぎ可愛らしいドレスの腰には大きなリボンが飾られている。髪飾りも揃いの物を用意して今日の主役であることがはっきりと分かるようにとセアノサスはブディックでドレスと睨めっこしてきたのである。
勿論、幼い少年がブディックでドレスと睨めっこしているのは異質な光景であっただろうが「妹の為の服なんです! お誕生日会です!」と告げるセアノサスに店員達は快く衣服を選ぶ手伝いをしてくれたのだそうだ。
全ての準備は整った。セアノサスはうきうきとした様子で起きたばかりのセラスチュームを覗き見た。瞼を擦り、眠たげにぬいぐるみを抱き締めていたセラスチュームをメイドが「お召し替えを致しましょう」と穏やかな声で抱き上げる。
セラスチュームの姿が見えなくなったが――「わあ!」という声が聞こえてサプライズが成功したことを直ぐに悟った。やったあと小躍りしそうになったセアノサスは何事もなかったように父に声を掛け「食事をしましょう」と誘ったのであった。両親は口元が緩みっぱなしのセアノサスが『朝のサプライズ』を成功させたことを知り顔を見合わせて笑っていたが、幼いセアノサスはまだ気付かぬままである。
小さな足音と共に、慌てた様にやってきたセラスチュームが「お母様! お父様! セナお兄ちゃん! 見て、見て!」とその場で跳ねる。可愛らしいドレスに、揃いで用意した靴も髪飾りもセラスチュームには良く似合っていた。
「まあ、可愛い! セラスチュームどうしたの?」
「あのね、お着替えがあったの!」
「おお、セラスチューム。もしかして妖精さんが用意してくれたんだろうか?」
「妖精さんが!? ……そ、そうかも。かわいい! あのね、これ、ふわふわなの!」
スカートをついと持ち上げてからセラスチュームが揺らぐフリルと魅せ付ける。繊細なレースも、ふんわりとしたフリルも、セアノサスの眼には『妹が着るからこそよく映える』のだと認識していた。
「それにね、この熊さんにもお揃いの服があったのよ」
何時もセラスチュームが抱いていたテディベアにもお揃いの服を、と用意したのは母である。自身の小遣いでセラスチュームの洋服を買うことに決めたセアノサスのために母は「ならお揃いのお洋服をテディベアにもプレゼントしましょうね」と提案してくれた。
「妖精さんは凄いな、流石、セラスチュームのことをよく分かって居る」
父がセラスチュームの頭を撫でれば、セラスチュームは嬉しそうに身を捩った。ぬいぐるみのことも、自分を褒めて貰えたことも、全てが嬉しかったけれど――眼前の兄の眸が、堪え切ることの出来ないほどに嬉しそうに微笑んでいるその表情だけで分かって仕舞ったのだ。
(これは、セナお兄ちゃんが用意してくれたんだ)
そう直ぐに察知したのはセラスチュームも兄が大好きだったからだ。三才の誕生日を迎えたばかりの小さな妹は『お兄ちゃんのお嫁さんになる』と言って憚らない程に兄の事を慕っていたのだ。
「さあ、セラ、食事にしよう?」
「すきなものばっかり!」
いそいそと席に着いてから可愛らしい幼児用フォークを手にしたセラスチュームが声を上げた。その嬉しそうな感情の込められた声音にセアノサスは思わず頬を緩めた。
ディナーは両親がとびきりのものを用意すると聞いていた。ランチは一緒にピクニックに出掛けるつもりだ。幸いの晴天に恵まれた事から、彼女の着用するドレスでも出掛けられそうな草原に行き、一頻り遊んだ後は花束をプレゼントするつもりなのだ。
花をプレゼントすると母に告げたとき、「物語の騎士様のようね」と母は揶揄うように笑った。セアノサスが花束をプレゼントするという結論に行き着いたのも物語からである。
眠りに就く前に母が読み聞かせてくれた絵本では騎士が姫君に花束をプレゼントしていた。ああやって、花をプレゼントすればセアノサスの『お姫様』は屹度喜んでくれるはずである。
食事を楽しんでから、セアノサスは早速、セラスチュームをピクニックへと誘うことにした。
使用人に注文していた花束をとりに行って貰い、それをバスケットへと忍ばせた。馬車に乗って近くの草原でのんびりと過ごしながらランチをとる。完璧なプランニングだとセアノサスが自画自賛している中で、セラスチュームは「お兄ちゃん、準備は出来た?」と声を掛けた。
「勿論! さあ、行こう」
草原で遊び回るセラスチュームを追掛けてセアノサスはにこにこと笑っていた。楽しげに走る妹を見ることがセアノサスにとっては何よりも幸せだったからだ。
「お兄様!」
お兄ちゃんと呼んでいた彼女が背筋をピンと伸ばして、そう呼んだ時には思わず笑ったものだった。
「捕まえた!」と手を掴めば「捕まっちゃったあ」とセラスチュームは笑う。貴族の生まれである以上、人前では兄を『お兄様』と呼ぶように躾られた幼い妹は、両親の教えの通り『貴族らしく』振る舞って見せたのだろう。
窮屈な生まれではある。だが、だからこそ裕福に過ごしていられることをセアノサスは知っている。
「お兄様、これからどうする?」
「うーん、じゃあ、掴めたのぎゅーだ!」
大人びて見えた妹の髪を優しく梳いてから、後ろから抱き締めた。小さな妹がきゃあと声を上げて手足をばたつかせて笑う。
ほら、何時も通りの妹に逆戻り。セラスチュームは貴族のしがらみも何もかも、感じなくて良いのだとセアノサスはそう願うように思い切り彼女を抱き締める。
「セラ」
「ふふ、セナお兄ちゃん」
笑うセラスチュームに「大きくなったね、セラ」とセアノサスは囁きかけた。
これから、もっともっと『大人』になれば抱き締めることだって許してくれなくなると『育児書』に書いてあった。
まるで父親めいた事を言う兄が可笑しくてセラスチュームは「ぎゅってしてもいいのに」と唇を尖らせる。そんな時が来るだなんてセラスチュームにも想像がつかないのだから。
「いいの?」
「お兄ちゃんならいい」
「そっか。ぎゅう」
きゃあきゃあと笑ったセラスチュームに「僕がセラを護るからね」とセアノサスは声を掛けた。
体を離し、セラスチュームの手をぎゅうと握り締める。まるで御伽噺の騎士がそうするように膝を付いて手を握る。
「御伽噺の騎士様のようになって、君を護るよ。セラ」
「ずっと、セラを護ってね、セナお兄ちゃん」
勿論だと微笑めばセラスチュームは直ぐにセアノサスの腕の中へと飛び込んだ。愛おしい妹、大切で小さな光。
バスケットの中に忍ばせていた花束をそっと手渡せば、セラスチュームは「お姫様みたい!」と楽しげに笑った。
これからもずっと一緒に居ようと約束し、ランチの準備が整ったのだと呼びに来た母の元へと手を繋いで駆けだした。
ふと、そんなことを思い出したのは、聖騎士団の内部が慌ただしくなった頃だった。
「セナ」
『セナ・アリアライト』は名前を呼ばれてから顔を上げた。雑務に追われていたのは、彼が保護した少女ブーケを家に帰してからだ。
彼女の出自を洗おうとも、何も情報は出てくることはなく、躓きかけた。その状態で外に出るのも何だと自ら雑務を処理すると申し出たのである。
「どうかしましたか」
騎士団の上官に当たる女性を眺めてからセナはゆっくりと立ち上がった。引き受けていた書類の整理はこれで終わりだ。脱いでいた上着を羽織ってから、彼女に「向かって欲しい場所がある」と声を掛けられた。
「了解致しました」
使い慣れてしまった剱は、アリアライトに養子として受けいられれたその日に義父がプレゼントしてくれたものだった。
――御伽噺の騎士様のようになって、君を護るよ。セラ。
どうして思い出したのだろうとセナは自嘲めいた笑みを浮かべた。彼女が――セラスチュームが『星穹』だったならば。
今の自分には彼女を守るだけの力はあるのだろうか。妹を碌に護れず、彼女を喪うだけなのかもしれないという恐怖が胸の中に締め付ける。
イレギュラーズとなった妹と、名に萌えることのない自らならばその力の差は歴然で。
――セナ様を御守りします。
あの凜とした声音を思い出してからセナは深く息を吐出した。こうしてうかうかとしている内に彼女は死地へと飛び込み、更に傷を負ってくるのだろうか。
相棒と呼んでいた青年が居たが、彼も無茶をしそうな性質だった。恐らく、セナには言われたくはないだろうが。
(……せめて、お前にだけは生きてて欲しいんだ。セラスチューム。
もしも、お前が、『星穹』だったなら。……危険も無く、何処かで幸せに笑っていて欲しい)
セラスチュームが生きていく未来を守りたかった。
そう決めたのだ。6月8日の君に。愛しい愛しい小さな掌を握り締めたその時に。
セナはゆっくりと立ち上がってから「参ります」と一声掛け、召集へと応じたのであった。
- 6月8日の君へ完了
- GM名夏あかね
- 種別SS
- 納品日2023年07月12日
- テーマ『『イチリンソウの雫』』
・星穹(p3p008330)
・星穹の関係者