PandoraPartyProject

SS詳細

青黛の秘

登場人物一覧

澄原 水夜子(p3n000214)
恋屍・愛無(p3p007296)
終焉の獣

「雨、降りますよ」
 ビニール傘を手にしていた水夜子は何気なしに愛無へと声を掛けた。細雨がぽつぽつと地を叩き始めた頃合いだ。水夜子が手にしていたaPhoneには雨雲レーダーが映し出されている。それを頼りにやってきたとでも言う様に、彼女は傘を傾けて愛無へと差し出した。
「そうか。今日は雨の予報だったか」
「ええ。降水確率は80%ですから、信じてあげる方が優しいとでも言わんばかりの一日です。
 降らないときは降りませんし、どちらかと言えば晴れ間の方がよく見えるので信用度はやや下がり気味ではありますが、今から降りますよ」
「それは予感かい?」
「いいえ、匂いがしたので」
 すんと鼻を鳴らしてから水夜子は「しますでしょう?」と問うた。確かに湿っぽい香りがする。雨が降る前の束の間の気配だ。愛無は「その前に屋根のある場所へ移動しよう」と水夜子を誘った。まだ濡れていないコンクリートを踏み締めて、近場のショッピングモールにでも退避すれば良いだろうか。再現性東京はこういう時、便利が良い。雨が降れば簡単にノキを借りることができ、安価で雨具を購入することが出来るのだ。それが彼女の日常である。愛無のように、混沌全土を飛び回ることはなくこの狭苦しい再現性東京で暮らす彼女の日々を垣間見る瞬間だ。
「私は雨って案外好きなんですよね。雨の日にぼんやり窓の外を眺めていたくなる事ってないですか?」
「どうだろう。ロマンチストならばそうなのかもしれないが。人によっては雨の日を毛嫌いするとも聞いたよ。水夜子君は好ましく思う方なのか」
「ええ。私は雨を好んでいます。まあ、そうとは言っても突然降り始めて、衣服が濡れてしまうのは些か遠慮したいことではありますけれどね」
 水夜子は外をぼんやりと眺めながらそう言った。曇り空のせいで窓硝子は反射して二人の顔を映している。愛無は横を見ることもなく水夜この表情を眺めることに成功した。どうにも、能面のように生気の宿らぬ顔をして、彼女はぼんやりと眺めて居る。
「雨をどうして好きなのかは聞いても?」
「――考えたこともありませんでしたね。どうしてでしょうか。全てを洗い流してくれそうだから、なんて。
 私は水夜子、名前にも『水』を含むからかも知れませんね。澄原も『水』の属性ではあります。思えば私は水に縁が深いのかも知れません」
 水夜子は窓硝子に手を伸ばした。テナントの硝子はよく磨かれており、外の様子を覗き見ることが出来る。ぺたりと指先をくっつければ、その指先の後が窓硝子に残った。
「ふふ、眺めて居るだけが一番良いんですよ。何だって渦中に入り込みたくはないですから。元より私という人間は薄っぺらいくらいが丁度良いのです。
 あまりに重たい荷物は持っていない方が良い。だから、雨が降って簡単に流されてしまうような存在でありたいのかも知れませんね。
 澄原水夜子という存在は何も持っていない方が望ましいのだと私は思っています。空っぽの器で合った方が、より多くを受け入れやすいのですもの」
 そんなことを、何気なく言う水夜この横顔を眺めながら愛無は「水夜子君は時々消えてなくなりたいとでも言うようなことを言う」と言った。視線を揺れ動かして、水夜子をまじまじと眺める。紫色、雲のように掴み所の無い彼女は従姉達と比べても、何処かぼやけた印象を覚える相手である。愛無にとっては近付いたかと思えば簡単に離れてしまうような掴み所の無い彼女を気に入っていたが、同様にどうしても掴みたいときに手を掴めないという不安感さえ覚える。
「私は、そうですねえ、消えてなくなりたいわけではないのですけれど。どうしようもなく私とは何かと不安になる事はあるのです。
 自分自身で、目的を見付けることが出来ないと言うべきでしょうか。まあ、これまでの自分の行動原理が誰かによるものであったというのが大きいのかも知れませんね」
 水夜子が晴陽の傍に居るのは彼女の父親の意向が大きい。怪異事件などに携わるのは晴陽が夜妖の専門医であるからに他ならず、水夜子がそうした事に詳しくなったのも、彼女が晴陽の助手を勤め上げるからだ。外に出ることが少なく、基本的には安全地帯に居る晴陽の代わりにフィールドワークを行ない、怪異について掘り下げて情報を齎す役割が水夜子には存在している。
 詰まる所、使い捨ての道具として自身を利用することを前提に水夜子は『配置されている』のだろう。それが彼女の父親の意向であり澄原家に寄り食込むための工夫であったのだろう。水夜子もそれを翌々理解しているのだ。
(ああ――)
 だからこそ、彼女は晴陽が勝手気ままに誘いに応じて外へと出て行った時に取り乱した。流れるままに流されてやって来た彼女の『流れに逆らうような動き』に危機感を覚えたのだろう。実にらしくない反応だったが、それが彼女の本性であるような気がして愛無は珍しい物を見たと喜んだものだ。それが愛情というラベルを貼り付けた一種の独占欲であることは気付いてはいた。それを悟られないようにしてから愛無は水夜子の表情を硝子越しに盗み見ていた。
「だからこそ、雨は嫌いじゃないのでしょうね。雨は、空から落ちてきて、されるが儘に地へと叩きつけられます。
 そうやって、終るだけ。作られて、落とされて、そして、気付けばただの流れの中に混ざり込んでいくのです。無貌の人間であれば、没個性で沈んでしまえば何も苦しむことはないですからね」
「水夜子君はきゃらくたーというものが濃いと認識しているのだが。君に無個性というのは難しいように思える。皆が皆、あれほど怪異に好意的ではないだろうし。それにはじぇらしーを覚えるほどなのだが」
「うふふ。私の個性って倒錯してますから。でも、秘密ですよ。こんな弱々しい私は、居なくて良いのですよ。
 明るくて、元気で、何時だって笑顔で誰かを翻弄するような女の子でなくってはなりません。知っていますか? 怪異のことを好きですが私って、怪異には余り好まれないのですよ」
 愛無は意外だと水夜子の顔を真っ向から眺めた。にんまりと微笑んでいた彼女は「怖がらない人間は怪異にとって、同業者みたいなものですし、見えていても聞こえていても、我が強すぎては受け入れる事も出来ませんでしょう」と付け加える。好奇心が旺盛すぎるのだと、そう言っているのだろう。怪異の成り立ちからその全てを探るように手を伸ばしてしまう。だからこそ、彼女はどっちつかずなのだ。
 怪異に対して『身を引く』事も出来なければ『受け入れる』事も出来ない。使命があると、それを一心に背負って其の儘、怪異に向き合ってしまえば出来上がるのは『怪異を前にして曝け出すことを求めている研究者』のようなものだ。己が怪異そのものにならなくては余程でない限りは怪異には好かれることはないのだろう。
「成程、だから、水夜子君が案内人なのだろうね。怪異に近い割に、怪異には好かれにくく、怪異が傍に居てもその影響を余りに受けない。澄原としても使い勝手の良い駒であったというわけだ。だが、君の良さはそれだけではないと想うのだが。それを語るには僕はどうやら君について余りに知らないことが多いように感じられる」
「ああ、そうかもしれません。ミステリアスな女である方が、魅力的ではありませんか?」
 雨は気付けば止んでいて、愛無の前に立っていたのも何時も通りの彼女であった。


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