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驟雨の頃に

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

 行ってきます、と何時ものようにスティアがローレットへと向かった。彼女が記憶を取り戻してから、エミリアは幾度もその背中を見送っては来たが未だに慣れやしない。
 雨脚がこれから強まるであろう曇天の中、彼女は急ぎ脚でヴァークライト邸を後にするのだ。一雨来るのだからもう少し、と声を掛けたが急ぎの依頼があるのだと冒険者めいた言葉を口にした彼女にエミリアは一抹の寂しさを感じていた。
 幼く、そして頼りない彼女を守り抜くと決めてから随分なときが立ってしまった。エミリアは休暇を邸宅で過ごしながらも姪の依頼が危険度の低い簡単なものである事ばかりを考えて居た。心配というのは家門存続のために、彼女が当主となるべきだからと認識しているからと言う理由だけではない。エミリアにとっては兄の忘れ形見であるスティアを実の娘のように認識していた。
(種族も違うのだから、私が老いて行けどもあの子はまだ年若いままなのだろう。……きちんと生きて返ってきたら、の話なのが何とも言えない)
 紅茶に口を付けてから、菓子を摘まむ気にもなれずエミリアは嘆息した。先程まで、クッキーを摘まみ上げてスティアが嬉しそうに話していたのだ。空になったソファーは妙に伽藍堂に感じられて、さっさと自室に引き上げようかとエミリアは立ち上がる。
 その刹那に来客が会ったと知らせに来た執事は何処か渋い表情をしていた。エミリアはその表情をよく知っている。嘆息してから、さっさと迎えに行ったのは使用人達も彼の扱いには困惑することが分かりきっていたからだ。
 玄関へと向かえば、やはり、と言うべきか、肩を雨で濡らした男が何時ものように花束を抱えて立っていた。
 自称、陽の光に愛された褐色の肌を有する男はエミリアの『元』婚約者である。ダヴィット・クレージュローゼは「エミリア」と明るい声を投げ掛けた。エミリアは途端にげんなりした表情を浮かべ「何のご用ですか」と嘆息する。
「君に会いたくなった」
「私はそうでも無いですが」
「はは」
 君、と彼がエミリアを呼ぶときは大体『オフ』モードなのだろう。貴族クレージュローゼ家の当主ではない、エミリアの友人であるダヴィットとしての振る舞いだ。
 使用人に花束を手渡して「エミリアの私室に活けてくれ」と勝手なことを頼んだ彼に文句を言う気も起きず、エミリアは「どうぞ」と客間へ移動した。先程までスティアと茶を飲んで歓談していた痕跡だけが残されている。ダヴィットはそれを見てからぴたりと足を止め「誰がいたのですか?」と問うた。
「スティアです」
「ああ、良かった。君が知らない男と歓談していたのだと思えば気が狂うかと」
「嘘をよく吐く……。私が誰と話していようと、気にも留めませんでしょう?」
「いいや、大いに気にすることでしょう。幼少期からの付き合いだと、砕けた口調で君に話しかけても、君は私を名前ですら呼んでくれないのだから。
 コンフィズリー卿のことはリンツァトルテと呼んでいるし、もしかして君は年下趣味だったりしたのだろうか」
「そんなことありませんが?」
 思わず棘を孕んだ口調でそういえばダヴィットは笑った。エミリアとて、彼を前にすると口調が厳しくなっていることは自覚している。
 ダヴィットが砕けた様子で話しかけてくれるのはエミリアが元婚約者である事が大きい。クレージュローゼ家の当主として振る舞うときにも、そうした尊大な態度は見せるが、それでもはにかむような笑顔を見せる機会は多くはない。
 エミリアだから、というのが大きい。それが分かって居るからこそエミリアは彼に一閃を置くことに決めて居たのだ。何せ、彼との間には『特別な関係性』は残ってやいないのだから。精算した関係を今更どうしようという事は無い――無い筈なのだが。
「エミリア、今日は一段と冷たいな。……何かあったのか、教えて貰っても?」
「どうして貴方に説明しなくてはならないのですか」
「君を好いている男に説明したくないというのはご尤も、だけれど……君を一番に理解している昔なじみに説明するというので手を打とう」
 朗らかに笑った彼は使用人に紅茶を用意させるように指示をして――此処がヴァークライト邸であるのに、勝手な振る舞いだ――エミリアの隣に腰を下ろした。
 何故隣に座るのだと冷ややかな視線を浴びせるエミリアを気にする事は無くダヴィットは使用人の寄越した茶を啜りながら下がるようにと指示をした。
 僅かな静寂の中でエミリアは、それ以上は『エミリアが話すまで』は何も言うつもりのない男に観念したように息を吐出す。
「……スティアが今日もローレットの依頼だと出掛けていきました。暫くは屋敷に帰ってこないでしょう。
 最近は騎士団としての動きも活発で、私も顔を合わす機会が少ない。折角の休暇でしたから、一緒に過ごそうと話していたのですが――」
 どうやら急ぎの依頼が舞い込んだ様子だとスティアはローレットへと向かってしまった。エミリアはぽつぽつと話す。軽い装備だけを手にしてスティアは言ってきますと出掛けてしまうことを。エイルが――彼女の母が夢見た覇竜領域の冒険を行って居ると聞いたときには胆が冷えたのだと。
 イレギュラーズとして格別な力を手にしていようともエミリアにとっては可愛い姪である事には違いないのだ。だからこそ、どうしようもなく心配なのだと。
「エミリアはスティアを大切にしていますから。良く分かりますよ。
 ……そうでなくては私との関係を清算しなかったでしょうから」
「恨み言のように言う」
「スティアを恨んでなど。寧ろ、スティアにヴァークライト家を任せて自分は家を捨てたいと貴女が言ったならば叱ったでしょうね。
 貴女が本音を直隠しにして、遁れるようならば私はそれを許せない。だからこそ、素直にスティアの傍に居たいと願った貴女を好ましく思って居るのです」
 エミリアはぽかんとダヴィットを眺めた。本来ならば婚約破棄された彼が不服に思う部分であっただろうに。そうした事も噯にも出さずに彼は笑ってみせるのだ。
「心配なのでしょう」
「はい」
「不安でしょう。嗚呼、良かった。そのタイミングにエミリアの元に来ることが出来た」
 どういうことですかとエミリアが聞く前にダヴィットはその唇にクッキーを押し当てた。むぐと小さく呻いたエミリアを眺めてからダヴィットは柔らかに笑う。
「今の私には君を抱き締める資格が無い事が悔まれるが、傍に居ることは出来ますからね。
 そんな栄誉あるタイミングで訪れた私はやはりツイていたのではないでしょうか。君の悲しみに少しでも触れることが出来たのだから」
「何を言って居るのですか」
「打算的だと白状しているのです。手に触れても?」
 白々しいと視線を送ったエミリアが答える前にダヴィットはエミリアの手を握り締めた。自身等の関係性は底までで精一杯だ。婚約者ではない男女が斯うして隣り合って座って触れ合うだけでも許されない。それぞれ貴族の家門を背負う身であるからには清廉潔白でなくてはならないと認識しているのだ。
「大丈夫ですよ、あの子は何時だって帰ってくるでしょうから」
「はい」
「スティアが帰ってきたら婚約を発表しませんか」
「それは話が違う」
「はは」
 小さく笑ったダヴィットはエミリアの表情に僅かな変化が出たことに気付いてから、他愛もないことを話し始めた。
 雨は未だ降り続くらしい。それまでは、此の儘で。


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