PandoraPartyProject

SS詳細

後悔ばかりを雨に歌って。或いは、泥濘の中のアンコール…。

登場人物一覧

アルヴィ=ド=ラフス(p3p007360)
航空指揮
綾辻・愛奈(p3p010320)
綺羅星の守護者

●泥濘に咲く花
 土砂降りの雨が降っていた。
 走って、走って、走り続けて、どれだけ走ったかも分からなくなったころ、アルヴァ=ラドスラフ (p3p007360)は足をもつれさせ、転倒する。
 泥に足を取られるなど、平時のアルヴァであればそんなミスはしない。
 今のアルヴァは疲弊し、傷ついていた。
 だから、転んだ。
 顔から地面に突っ込んで、盛大に泥と水飛沫を跳ね上げて、泥だまりの中に転がったまま動けない。
 腹の傷から血が溢れる。
 雨に濡れた身体が冷たい。
 地面を引っ掻いた指が泥に沈んだ。爪と爪の間に泥が入り込んで、指の先から血が滲む。
 惨めだ。
 惨め過ぎて、目も当てられない。
 冷たい地面に命を吸い取られていく感覚。背筋が冷える。だが、それもいいかもしれない。そんな思いが脳の奥で首をもたげた。
 知らず、アルヴァは涙を流す。
「……ぅ」
 呻き声と共に、喉の奥から血が溢れた。
 最初は涙を堪えようと思った。だが、堪えようとすればするほど、涙は湧き上がって来る。
 止められない。
 瞳いっぱいに溜まった涙が零れて、頬を濡らした。
 幸いなことに今日は雨だ。
 バケツをひっくり返したみたいな土砂降りだ。
 涙の痕は隠せるだろう。
 泣いていることに、気づかれないで済むかもしれない。
「……っはは」
 乾いた笑い声が零れる。
 震えた、力の無い声だ。
 気づかれない? 一体、誰に気付かれないというのか。
 アルヴァは逃げ出したのだ。
 単身、危険な依頼に挑み、大怪我を負って仲間たちに助けられた。
 助けられて、礼も言わずに逃げ出した。
 尻尾を巻いて、逃げ出したのだ。
 逃げて、どこに行こうとしたのか。アルヴァ自身にも分からない。ただ、その場所から少しでも遠くに離れたかっただけだ。
 逃げて何かが解決するわけもないことをアルヴァは理解していた。理解していて、それでも逃げた。その行動は本能に近い。ある種の防衛機能とも言えるだろう。
 アルヴァは無意識に、心の平穏を望んだのだ。
「これでいい……これで、よかった」
 知らず、口を突いて出た言葉がそれだった。

 アルヴァの種族は寿命が短い。
 そのことをアルヴァは自覚していた。実年齢は17歳だが、身体の成長……つまりは老化の速度は人のそれを上回る。
 この分であれば、40歳から50歳でアルヴァの命は尽きるだろう。なんとなく、自分に残された時間がどの程度なのかは分かる。
 まだ30年ある。
 あと30年しかない。
 どちらにせよ、アルヴァは周囲の仲間たちより先に死ぬ。一緒に戦場を駆け抜けた仲間たちを残して、気づけば1人、老いて死ぬ。仲間たちについていけなくなる日が来る。仲間たちに置いて行かれる。
 それが怖い。
 怖くて、怖くて、仕方が無い。
「そもそもの話……あとどれだけ満足に戦えるかも分からないんだ」
 泥まみれの右手を握る。
 雨と涙によるものか、それとも片目が見えないことによるものか。握りしめた拳が少しだけぼやけて見えた。今は感覚でどうにかなっているが、距離感さえ狂い始めているのを自覚している。
 それでもアルヴァは戦えている。
 数々の任務に参加し、しっかりと戦果を挙げている。
 けれど、それと同じぐらいに迷惑……或いは、手間をかけていることも理解していた。例えば、大きな怪我を負ってしまえばアルヴァは途端に日常生活さえもままならなくなる。自分1人では、自分の面倒さえ見れず愛奈の世話になったこともある。
 愛奈はそれを気にしていない。
 傷ついた仲間を介抱することに、嫌悪感や面倒を感じる類の女性ではない。
 だから問題は無い。
 そう思えれば、どんなに楽だっただろうか。
「力が入らない」
 握った拳の感覚が鈍い。
 血を流し過ぎたのか、それとも身体が冷えたことに起因するのか、指先が冷たくなっている。もしもこのまま、指先の力が戻らなければ武器を握ることさえ出来なくなるかもしれない。そんな不安が、そんな恐怖がアルヴァの胸を締め付ける。
 そうなってしまえば、イレギュラーズとしての活動を行うこともままならなくなるだろう。
 と、そこまで考えてアルヴァは笑った。
 ここで死ぬかもしれないのに、自分はまだイレギュラーズの一員として戦うつもりでいるのだから。仲間の前から逃げ出しておいて、それでも戻った後のことを考えているのだから。
 負けず嫌いな性分は、死の縁にあっても変わらない。
 自分はまだまだ、イレギュラーズでありたいのだ。
 戦う者であり続けたいのだ。
 誰かと肩を並べて、認めてもらいたくて。
「そのために、強くなりたかった」
 だから、1人で戦いに赴いた。
 結果はどうあれ、愚かであると非難されてさえ、その想いが間違っているとは思えない。強くなりたい、強くありたいという想いが間違いであるはずがない。
 アルヴァは、アルヴァなりの方法で世界に対して吠えたのだ。
 だから、きっと間違いではない。
 そのはずなのに、頭の中のもやもやが消えない。
『本当に?』
 脳裏で、もう1人のアルヴァが問いかける。
 独りで強くなることに拘るのは、本当に正しかったのか?
 正しいはずだ。
 アルヴァが強ければ、彼女はきっと死なずに済んだ。
 大切な仲間だった。
 航空猟兵を組織した際、覚悟を決めたはずだった。自分を含め、隊員たちがいつかどこかで命を落とす可能性は最初から考慮していたはずだ。
 そういう戦いだった。
 命を落としたのは、彼女1人では無かった。
 仕方が無かった。
「そうは思えない」
 声に出せば、その想いが強くなる。
 彼女が命を落としたのは、自分のせいだと思えてならない。自分が弱かったから、考えが及ばなかったから、覚悟が足りなかったから、仲間の1人が命を落とした。
 自分の愚かさの代償を、未熟さの代償を、自分の代わりに仲間が払って命を落とした。
 実のところ、それはきっと思い上がりも甚だしい。人の生き死にとは、つまるところ“運”である。どれだけ身体を鍛えても、どれだけ武技を身に付けても、どれだけ作戦を考えて事前の準備を整えたって、死ぬときは死ぬのだ。
 何もかもを、アルヴァが背負い込むことに何の意味も無い。時間は巻き戻らない。失われた命は戻らない。零れた水は2度と盆に戻らない。既に起きた出来事は、ありのまま事実として受け入れるしかない。
 けれど、アルヴァは考え続けなければいけない。
 どうすれば、あの時、仲間は死なないで済んだのかを。
 次に同じようなことが起きた際、どうすれば仲間を守れるのかを。
 自問自答の迷宮は、暗く、長いものだった。
 そうして、やっとのことでアルヴァが辿り着いたゴールは、答えは「自分が強くなればいい」というものだった。
 それが隊長としての矜持と責任だと思った。
 思考の袋小路に迷い込んだアルヴァの視野は狭まっていた。
「仲間を……隊員たちを、彼女を守れる強さが欲しい。それの何が間違ってる。間違ってないだろ! 強くなきゃ、誰も守れない!」
 あの日。
 隊員の1人が戦いの中、命を落としたあの日のことを思い出す。無力感に気が狂いそうになる。手の平から、指の隙間から、陽だまりのような笑顔が零れ落ちて行った瞬間を、アルヴァは今でも夢に見る。
 その度に悲鳴を上げて目を覚ますのだ。
「愛奈が死んだら、俺はどうする」
 アルヴァはすっかり自覚していた。自分が綾辻・愛奈 (p3p010320)という女性に対して特別な感情を抱いていることを。彼女を失うことに対して、これ以上ない恐怖と不安を抱いていることを。
 だが、想いを告げたところで何になるというのか。
 お互いに、いつ死んでもおかしくない身だ。思いを告げたが最後、彼女が目の前から消えてしまうのではないかという恐怖もある。
 最後の1歩が踏み越えられない。
 理性がそれを邪魔するのだ。
「逃げていただけかもしれない」
 泥に塗れ、雨に打たれ、アルヴァは呟く。
 何もかもから、逃げ出したかった。責任からも、自身の実力不足からも、想いからも、何もかもから。
 結局、逃げられなかったが。
 逃げても、逃げても、追いかけて来た。
 否、それらはずっとアルヴァの肩と背中にのしかかっていた。
 運んで来ただけだ。
 運び続けて、重さに耐えきれなくなって、こうして泥の中に倒れ込んでいるのだ。
「もう嫌だ。こんなの、嫌だ」
 とうとう、アルヴァは泣き声を上げた。
 暗い森の奥深く、雨の降り注ぐ泥濘の中、アルヴァは泣いた。
 出血多量で意識が曖昧になる中で、アルヴァは声を枯らして泣き叫んだ。
 その声が虚しく響き渡る。


 
●自家撞着の辿り着く先
 溜め息が聞こえた。
 泥を踏み締める足音がした。
 顔を起す元気も無い。アルヴァはすすり泣きながら、ただ近づいて来る誰かの気配を感じていた。
「……何となく察してはいましたが。貴方本当に分からず屋ですね?」
 そんな声が降って来た。
 愛奈の声だ。
 言葉を返す元気も無いし、そうする勇気も“今の”アルヴァには残っていない。
 アルヴァの心は折れていた。
 最後に残った理性の糸は細く、か弱い。
 けれど、しかし、少しだけでも残っているのならそれを手繰り、繋ぎ直せばいいだけだ。アルヴァにはそれが出来ない。だから、愛奈が代わりに繋ぐ。
「大事なこと程言葉にしないと、伝わるものも伝わりませんよ?」
 そっと、アルヴァの頬に愛奈の指が触れた。

「鉄帝の一戦からこちら、思い悩んでいることぐらいは察していました」
 誰の目から見ても、アルヴァの変化は明らかだった。
 きっと、愛奈以外の仲間たちも彼の焦りに気が付いていた。気が付いていて、何も言わなかった。男が1匹、残酷な世界に向かって吠え猛る様を誰が邪魔出来ただろうか。
 例え、その結末がいかなものだったとしても。
「本当のことを言えば、もっと以前から気付いていました」
 涙ながらにアルヴァの零した独白の全てを聞いたわけではない。
 だが、この日、この時、愛奈はアルヴァの心に触れた。少なくとも、アルヴァの抱える悩みと焦りの一端には触れた。
 理解した、とは言わない。
 本当の意味で、人が他人の心を、思考を理解することは出来ないからだ。
 共感も出来ない。
 愛奈は愛奈であり、アルヴァではないからだ。
 ただ、知っただけ。
 知るだけでいい。知ってもらうだけでいい。それが救いになることもあるし、知ってもらったという事実に背中を押されることもある。アルヴァの場合は、手を引かれたというべきか。導かれた、というべきか。
自問自答の迷路から、アルヴァはこの時、やっと1歩を踏み出したのだ。
「今すぐ答えが出る問題でもないでしょうし、自分一人で解決するものでもないでしょう」
 濡れて、泥だらけの髪を愛奈が撫でる。
 雨に濡れて2人……ただ、静かな時を過ごす。
 しばらくして、アルヴァの嗚咽が止んだころ、愛奈は次の言葉を紡いだ。
「だからこそ……だからこそ、航空猟兵(われわれ)にぐらいは相談して欲しい。私だって召喚されてから独りだったのです」
 生まれた時から、死ぬ瞬間まで、人は結局1人きりなのだ。
 1人きりでは耐え切れないから、1人きりでは生きていけないから、1人きりでは寂しいから、人は群れる。仲間を作る。手を繋ぐ。時にはすれ違うし、時にはそこに愛だって生まれる。
「航空猟兵という縁をくれたのは貴方ですよ?」
 アルヴァという1人の少年が、残酷な世界を生き抜くために作った群れが航空猟兵という組織では無かったか。
 互いに背中を預け、肩を貸し合い、命を賭して生き抜き、戦い抜くための組織なのではなかったか。
 アルヴァには責任がある。
 それは、航空猟兵の仲間を守るという責任ではない。
 最後まで、仲間と共に戦い抜き、互いに命を預け合い、笑い合う責任だ。
 居場所を作った者が負うべき責任だ。
「私はここに居ますから。……とりあえずは帰りましょう。手当しないと」
 脱力したアルヴァの身体を背中に担ぐと、愛奈は雨の中を歩き始めた
 細い背中だ。
 先の任務で疲弊しているのか、愛奈の足取りは覚束ない。
 それでも、彼女は役目を果たした。
 疲れた時には肩を貸し、互いに支え合うという、航空猟兵の一員としての役目を果たした。
 涙が止まらない。
 泣き顔を見せないよう、アルヴァは愛奈の肩に顔を押し当てた。
 そして、彼は告げる。
「ごめんなさい」
 その声は、愛奈の耳に届いただろうか。


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