PandoraPartyProject

SS詳細

雨宿り

登場人物一覧

劉・雨泽(p3n000218)
浮草
チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠


 ざあざあと烟るように雨が降る。雨に晒された身体からは熱が引いていくのに、こっちだよと引かれた手のひらだけはとても熱かった。
「ごめんね、こんなところで」
「ううん」
 突然の夕立に遭遇した雨泽は、近いからと自身が借りている家へとチック・シュテル(p3p000932)を招いた。
 家――の機能を果たしていないその場所は、ただの衣装部屋だ。買った装飾品や衣服のみを詰め込んだ隠れ家がそこだった。
「これで拭いて」
 室内を濡らさないようにと変化で翼を消したチックの頭に、ふかりと何かが乗った。ふわふわの、豊穣では見られない練達製のタオルだ。
「濡れた上着は脱いで、身体を冷やさないように僕の着ちゃって」
 好きなのを着ていいよと掛けてある着物を指差してから行灯へと火を着けて、雨泽は火鉢を借りてくるねと出ていってしまう。生活に必要な物がひとつとしてないから、服を乾かすことも難しい。
(雨泽の……においがする)
 外は薄暗く、室内には行灯の明かりがひとつ。隅に影が潜む室内をぐるりと見渡しても衣装や装飾品で溢れたここには、きっと寝具のひとつすらないのだろう。
 けれども確かに彼の纏う香りがして。髪にタオルを当てながらキョロキョロと見渡せば香水や文箱を見つけ、存在を感じた。
(これ、見たことある)
 指を伸ばした衣。本当に借りてもいいのかなと言う気持ちもあるけれど、風邪を引いたら彼が気を病む。借りるねと心の中で呟いて羽織れば、雨泽の衣はぶかぶかだった。
「お待たせ」
 行儀は悪いがえいっと足で引き戸を開け、雨泽が帰ってきた。火鉢と何かの包みで彼の両手は塞がっている。
「近くに団子屋があってね、火鉢を貸してくれるんだ」
 常連なのだろう。火鉢を置くと慣れた手付きで包みから団子を取り出して並べ、濡れた上着を掛けてと衣紋掛けを引き寄せた。
「ちゃんと温まってね」
「雨泽も温まる、してね」
「ああ、うん」
 けれど彼は返事と上着を脱ぐだけで、髪を拭いたりもしない。
「また、風邪引く、するよ」
「もう引かないよ」
「雨泽」
 頬を膨らませたチックは先に雨泽がしたみたいに彼の頭をタオルで覆う。
 雨泽は「わ」と言葉を零したが大人しくされるが侭でいた。
「男前に戻してくれる?」
「ふふ。うん、そうする」
「チックのこと弟みたいって思ってたのに、こうしてるとお兄ちゃんみたいだね」
 弟。家族みたいと思われるのは嬉しいことのはずなのに、チックはちくりと違和感を覚え、不思議に思った。
「……雨泽は、弟みたい」
「えー、普段は僕の方が兄です」
 君の弟はひとりでしょ。
 雨泽の声が暗がりに落ちる。
 ぱちりと炭が爆ぜ、雨泽の指が団子をひっくり返す。
 僅かな、けれども少しだけ長いと感じる時間、沈黙が降りた。
「あ」
「あ……ごめん、ね」
「ううん、大丈夫だよ」
 髪を拭くために手を動かしていたら、角へと指が触れたのだ。
「……触る、してもいい?」
「角?」
「うん……だめ?」
「いいよ」
 許しにこくりと唾を飲み込んで、そろりと指を伸ばす。
 宝物に触れるように丁寧に、傷つけないように気をつけて。
 雨泽の角はひんやりとせず、少しだけ温かかった。
「……くすぐったい」
「痛く、ない?」
「角自体に痛覚はないけど、振動は伝わる感じ、かな」
 根本には血や神経が通っているから硬い物で殴られれば痛いし、折れれば出血も伴う。他の獄人は知らないけどねと口にして「今度チックの羽も触らせてよ」と笑った。ふかふかしたものが好きなんだよね、と。
 赤い角はツルツルとしていて、行灯の中で揺れる蝋燭の光に合わせてキラキラと光を反射する。
(きれい……)
 狙われるのも解る気持ちと、もし彼が狙われたらと思うと恐ろしくなった。
 指先で、角の形を辿る。それは核心に触れているような気もした。
 彼の『在り方』に、触れている。――触れる事を許されている。
「……『――』」
 そろり、確認するように『名』を呼んだ。一拍の間を開けて「なぁに」と返る声はいつもと変わらぬ温度で、特別な感情は窺えない。
「呼ぶ、しても……いい?」
「うん。……ふたりきりの時とかなら」
「いや、じゃない……?」
「嬉しいよ」
 君が、気遣ってくれて。
 あのね、と雨泽が続ける。
「今の僕も昔の俺も、どっちも僕なんだよね。……って解っているんだけれど、過去の俺がお前は偽りだって偶に言ってくるんだ」
 豊穣の貴族男子は成人すると名が変わる事が多く、チックが知った名は幼名に当たる。本来なら元服時に父親が新しい名を授けるものを、家を出た時に自分でつけた。ただそれだけだと言ってしまえばそれだけなのだが、あの日置き去りにしたという気持ちが雨泽にはあった。
「家を出たからもう名乗らないのだけれど、チックが知っていてくれるのは嬉しいよ」
「……おれ、呼びたいって思う、している。雨泽のことも『――』のことも、どっちも」
「うん」
 雨泽の家族しか知らない名前。その名を口にできるのが嬉しくて、大切に呼びたいと思った。
 大切に呼びたいけれど、彼の名前は何度だって呼びたい。その名を今はチックしか呼んであげれないのなら、尚更のことだ。
 だからとチックは言葉を続ける。
「また来る、してもいい?」
 秘密基地みたいなこの場所で、また名前を呼べたなら。
 意外そうに瞳を瞬かせた雨泽は「勿論」と笑った。

「チック、晴れたみたいだよ」
 初めて会った日みたいに、雨泽が言った。
「……『――』」
「なぁに」
「もう少しだけ、ここに居てもいい……?」
「いい、けど……」
「……あまり歓迎、しない?」
「ううん。でも何もないよ?」
 雨泽が詰め込んだ服や装飾品ばかりで、誰かをもてなすための物は何ひとつない。
「君がいてくれたら、おれはじゅうぶん……だよ」
「チックがつまらなくないならいいけど」
「つまらない、は……ならない」
「えー、本当に?」
「なる、しない!」
 すぐに雨泽がからかってくるから、唇を尖らせてしまう。
 誰かをもてなす物は何もないけれど――此処は雨泽の宝箱だ。
 彼の宝物のひとつになれた気がして、チックは胸が満たされていくのを感じた。
(おれ、雨泽の特別……なる、したい……? ……どうして?)
 思い起こせば最近、ずっと不思議だと思っていた。
 ふたりだけの内緒が減ってモヤモヤしたり、話せなくて寂しかったり、見てくれるだけで暖かな気持ちになったり、手を引かれるのが嬉しかったり、もっと一緒にいたかったり、手を繋ぎたかったり、心を暖めてあげたかったり、幸せをあげたかったり――。
 その気持ちはすべて、親しい友人だからだと思っていた。けれども親友と呼べる燕の青年にも、パン屋の青年にも、同じ思いを抱いただろうか。
(どうしよう、おれ……)
 気付けば、今までの親友たちへ向ける気持ちと違う思いを抱いていた。
 友愛と違う気持ちは、なんというのだろう? 家に帰ったら辞書を引いてみた方がいいのかもしれない。
「チック?」
 黙り込んでしまったから、からかったから怒っちゃった? と雨泽が覗き込んでくる。
 雨泽の色素が薄い瞳に、チックが驚いた顔で映っている。
 それだけで何故だが嬉しくて。……嬉しいのに、不安になる。
(……雨泽はおれのこと、どう思う、してる……だろう?)
 嫌われてはいないだろう。けれど、どうしてだかとても気になった。
(おれ……もっと知りたい……)
 欲張りになっていく自分を、彼はどう思うのだろう――?


PAGETOPPAGEBOTTOM