PandoraPartyProject

SS詳細

消えぬ傷跡

登場人物一覧

テアドール(p3n000243)
揺り籠の妖精
ニル(p3p009185)
願い紡ぎ

 深き赤の印。
 首筋に刻まれた加密列の烙印が熱が帯びる。
 鏡の中の自分を見つめたニルは誰かから聞いた加密列の花言葉を思い出した。
 逆境に耐える、だなんて。
「……ぅ」
 ニルは自分の中で開花した烙印を手で押さえる。
 頬は赤く染まり、苦しげに眉を寄せた。自然と出てくる吐息は甘く、切なげだ。
「身体が変なのです」
 喉や腹の奥、果てはシトリィンのコアの中から渇望する手が湧き出てくる感覚。
 それはニルの身体を駆け巡り、一つの強い欲求を脳に送り込む。
「――これが、お腹が空いたということ?」
 秘宝種であるニルには空腹というものが分からなかった。
 けれど、この抗い難い欲求は正しく「お腹が空いた」ということなのだろう。
「みんな……こんなに苦しいのです?」
 ニルは口元を手で隠して、もう片方の手で腹を擦る。
 ブラウスの下に感じる腹の感触に、何だか寂しさを覚えた。

 血への渇望もあるのだろう。
 それ以上に、全身を覆い尽くすような寂しさがニルには耐えられなかった。
「怖い……」
 ニルにはどうすればいいのか、分からなかった。
 初めて感じた強い食欲に思考が鈍る。
 単純に自分の身体が変わっていくのが怖いのだ。

「……テアドール」
 自分の口から漏れた友人の名前にハッと目を瞠るニル。
 こんな時に頼ってしまってもいいのだろうか。迷惑ではないだろうか。
 けれど、同じ秘宝種のテアドールなら何か分かるかも知れない。
「テアドールなら、迷惑なんて思わないです」
 ニルの知ってるテアドールは、誰かの為に尽くす事が幸せであると認識しているのだろう。
 むしろ、頼られる事に喜びを感じるように作られたのだ。
 それは先天的なプログラムであるのかもしれない。
『――初期設定はそうなのかもしれません。でも、単純にニルや皆さんの笑顔が見たいんです』
 友達だから。笑顔が見たい。楽しい気持ちを共有したい。
 その気持ちはきっと人間だってテアドールだって同じだから。

「テアドール……いまどこにいるですか」
『ニル? どうしましたか? 具合が悪そうです。僕は煌浄殿に居ます。廻さんの補助具の調整に』
 aPhoneから聞こえてくるテアドールの声に胸の奥から温かいものが広がった。
「煌浄殿……ニルもいきます。テアドールに会いたいです」
『分かりました。一の鳥居までシジュウさんにお迎えに行ってもらいますね』
 呪物であるシジュウが迎えに来てくれるなら、煌浄殿の中でも迷わないだろう。
 ニルは春用のコートを羽織り部屋を飛び出す。
 烙印を見られないように、人の肌を見なくていいように。
 人とすれ違うだけで、血が吸いたくなるから。今にも飛びかかってしまいそうになるから。
(こわい、怖い、やです……!)
 ニルは涙目になりながら、首を左右に振る。
 思わず駆け出した足が縺れそうになるのを何とか踏ん張って視線を上げた。
 自分の中で暴れ出しそうな吸血衝動を抑え、ニルは一生懸命走る。
 ――はやく、はやく、テアドールの所へ。



 息を切らしながらニルは煌浄殿の一の鳥居前までやってきた。
「うう、お腹が空きすぎて、気持ち悪いのです」
「ニルーーーー!!」
 ふらりと倒れ込むニルの身体を柔らかい毛が支える。
 ニルを背に乗せた二匹の大きな犬は煌浄殿の呪物であるシジュウだ。
「どうした、ニル! ニル!」
「う、う」
 吸血衝動が限界に来たニルはそのまま意識を手放した。
 顔を見合わせたシジュウは頷き、片方は自分の呪物殿へもう片方はテアドールの元へ走る。

 ――おいしそうな香りがする。
 ぼやけた視界の中でニルは良い香りのする方向へ鼻を近づけた。
「おひさまの匂いがします。お花の匂いも」
「あ、ニル起きた」
 頭上から降ってきた声にニルはぱちりと銀の瞳を瞬かせる。
「あ、れ? シジュウ様?」
 犬から人間の姿になってるシジュウが視界いっぱいに見えた。
 その向かいには、テアドールが心配そうな顔で此方を覗き込んでいる。
「テアドールも」
「大丈夫ですか? 一の鳥居で倒れたと聞きました。具合がわるいのですか?」
 何時もより食い気味にテアドールはニルへと質問を投げかけた。それは心配の表れだろう。
「う、う」
 テアドールの顔を見たニルは安堵で顔をくしゃりと潰す。
 ぽろぽろと涙を零すニルをテアドールは優しく抱きしめた。
「大丈夫ですよ。安心して涙が出るのは普通のことですから」
 しばらくテアドールの腕の中で泣いたニルは、腹の奥から広がる吸血衝動に気付いた。
「ぁ、う」
「どうしました? どこか痛いのですか?」
 心配そうに顔を覗き込むテアドールにニルは顔を上げる。
 テアドールの首筋に自然と目が行った。白くて美味しそうな肌。
「……烙印をつけられて」
「烙印? あの吸血鬼になるという噂の」
 胸を押さえ苦しみ出すニルの襟元には赤い烙印が見えた。
「はぁ、はぁ……血、が……ほしいです」
 ニルの口元を見ればわずかに犬歯が尖っている。血を吸いやすいように身体にも変化があるのだろう。
「良いですよ。僕の血を吸って下さい」
 本来秘宝種には『血』は流れていない。されど人間が血液で体内の栄養素を循環させるように、秘宝種も魔力や電子回路によって生命維持がされている。
 それは混沌世界の『人間』の枠に収まる以上、逃れられぬ制約でもあった。

「テアドール」
 露わになったテアドールの首筋に目が眩むニル。
 そっと唇を近づけ、人間の体温と同じ温度に保たれている皮膚に歯を立てる。
 限りなく人間に近くなるように作られたテアドールの肌は柔らかくプツリと皮膚が割ける。
 ニルは溢れてくる『血』を零したくなくて、口を大きく開けてかぶりついた。
 口の中に広がる甘くて砂糖菓子みたいな魔力が舌を転がる。
 喉の奥に落ちていく甘美な味。
 初めての吸血。
 初めての食事。
 初めてのテアドールの味。
 何もかもが『おいしくて』。
 ニルはその魅惑に取り憑かれるようにテアドールの首筋を啜った。

「ふぁ、っ……」
 耳元でテアドールの小さな声が聞こえ、ハッと顔を上げるニル。
 胸の真ん中をにあるコアを押さえて目をぎゅっと瞑っているテアドールが見えた。
「テアドール、痛かったですか? ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。少しコアが」
「大丈夫ですか!?」
 思わず大きな声を出してしまったニルに、シジュウはビクリと身体を震わせる。
「うお、びっくりした! そんなに大変なのか? コアっていうのは」
 シジュウの問いかけにニルはこくりと頷いた。
「テアドール、コア見てもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
 胸のリボンに手を掛けたテアドールは、しゅるりとそれを解き、ブラウスの前を開ける。
 テアドールの胸元には『ベスビアナイト』の宝石が輝いていた。
 ニルはテアドールのコアを真剣に見つめる。
 初めて見るテアドールのコアは傷一つ無く緑色に輝いて美しい。よく見れば中に微細な魔術回路が施されているようだった。そこに魔力が流れる度にキラキラと輝くのだろう。
「何とも無さそうです」
「よかった、コアが傷付いたら大変ですからね」
 秘宝種にとってコアは命そのものだ。だから、決して傷つけてはならないもの。

「ニルもコアがあるのか?」
 シジュウはテアドールを見つめてからニルに顔を合わせる。
「はい、ありますよ」
 テアドールとシジュウになら見られても大丈夫だと判断したニルはブラウスのボタンを外す。
 解かれたブラウスから眩く輝くシトリンが現れた。
「はー、すごい綺麗だな?」
 感心したようにコアを見つめるシジュウはニルをひょいと抱き上げ膝の上に座らせる。
「わ、シジュウ様?」
「コア、綺麗だな!!」
 シジュウはニルの両手首を掴み固定してから、もう一対の手でニルのコアに触れた。
「ひぁ!?」
 思わずニルは身を捩るが、両手首を掴まれていて身動きが取れない。
 シジュウにはニルのコアを壊そうという意志は無いだろう。ただ純粋に綺麗なものを触りたいという想いなのだ。だからこそ足で蹴るなんて事は出来なかった。
「……ぁ、」
 ジジュウの指先が表面を撫でる度に、身体中に電流が走るみたいにぞわぞわした。
 ぶんぶんと首を振って耐えるニル。抵抗しようにもシジュウの力には到底及ばない。
 もし、シジュウが力加減を誤ってコアが傷付いてしまえば、どうなってしまうのだろう。
 恐怖と身体中に走る電流がニルの頬を染めた。
「ゃっ」
 次第に烙印が熱を持ち始める。
 先程テアドールの魔力を貰ったばかりだというのに、コアを触られると『おなかがすいて』しまう。
「ふぁ……っ」

「シジュウさん、あまりコアを触ってはだめです」
 テアドールの言葉にニルのコアから手を離したシジュウ。
「そうなのか? 痛いのか?」
「爪を立てたら痛いかもしれませんが、撫でるとくすぐったいのです」
 心配そうだった顔が「なるほど」と納得したような笑顔になる。
「あ~、廻も舐めたりくすぐると、ふにゃふにゃになるからな。遊び過ぎるとすぐ壊れるから。前も補助具外れたまま遊んでたら、明煌にアホみたいに怒られたからな。ニンゲンは優しくだな」
 うんうんと頷いたシジュウは、ふと気になってテアドールを見つめた。
 ニルを捕まえたまま、もう片方の手でテアドールを引き寄せる。

「じゃあテアドールが触ったらくすぐったいのか?」
 シジュウはテアドールの手を取ってニルのコアへ近づけた。
「えっ」
「どうでしょう?」
「あ、その……」
 テアドールに触れられる、そう思うだけでニルの全身に緊張が走る。
「触ってもいいですか?」
「は、はい……」
 そんな風に聞かれたら断る術を持たない。テアドールになら触れられてもいいと思っていたから。

 柔らかい指先がニルのコアに触れた。
「ぁ……」
「すみません、痛かったですか?」
 テアドールの問いかけに首を左右に振るニル。
 痛くは無い。くすぐったくもない。けれど、恥ずかしくて溶けてしまいそう。
 秘宝種にとってコアは命そのもの。それを触らせるのは勇気がいるのだ。
 テアドールの指先がコアの稜線を撫でるたび、腹の奥がむず痒くなる。
 それは先程覚えたばかりの、空腹に近しいもの。
 更に烙印が熱を持つ。お腹が空いたと訴えかけてくる。抗えぬ衝動が言葉に乗る。
「テアドール、血を……魔力をください」
 ニルの苦しげな表情にテアドールは「いいですよ」と応えた。
 シジュウに掴まれて身動きの取れないニルに代わって、テアドールは自ら首筋を差し出す。
 皮膚を啜る水音が、部屋の中に反響した。
 ニルの頭を抱え込むテアドールは、水色の髪を指先で撫でる。

 吸血に夢中になり。コツリ、とコア同士が触れあった。
「ひぅ!」
「あっ!」
 弾けるようにひっくり返ったテアドールへ、シジュウから解放されたニルが駆け寄る。
「大丈夫ですか? テアドール?」
 ゆるゆると肩を揺すられたテアドールはニルの頬に手を伸ばした。
「びっくり、しましたね。ごめんなさい。僕が気を付けていればよかった」
 コア同士を打つけるということは、硬度が低い方に傷がついてしまうということ。
 何方が低いかを確かめる事すら出来ない『禁忌』である。

 それでも、コア同士が触れあった瞬間。
 お互いに流れた電流と、心地よい恍惚は――もう一度味わいたいと思ってしまうものだった。
 もし、同じ硬度なら。
 テアドールとニルはお互いを見つめ合う。
 指先がお互いのコアに触れた。満ち足りた幸せが身体中に広がる。
 けれど、指先だけじゃ足りない。もっと深い所で繋がりたい。
 魂の根源。己自身の核という最も大切なコアで。
「テアドール、いいですか? ニルは傷付いてもいいです」
「はい、僕もニルになら傷つけられても構いません」
 コア同士を触れさせること、それは秘宝種にとって禁忌。
 されど、相手に傷つけられても良いと想えるのなら、それは絶対的な所有印となる。

 ゆっくりと転がったニルの上にテアドールが覆い被さった。
 ニルの額に口付けを落して白い頬に自分の頬をくっつける。
 親愛、友情、大切だと思う気持ち。
 少しずつ近づいて来るテアドールの視線にニルは頬を染める。
 触れあったベスビアナイトとシトリンのコア。
 流れ込む魔力は身体中に行き渡り、恍惚の痺れが吐息となって口の端から零れた。



 パキリ――、と。
 同時に欠けたお互いのコア。
 絶対的な所有印を見つめ、満ち足りた気分だとテアドールとニルは微笑みあった。


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