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赤い花が咲いていた

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠


 身体に刻まれた『烙印』。それを受けてから40日程過ぎた頃にそれは起こった。
 この40日間、チック・シュテル (p3p000932)は様々なことに翻弄されてきた。一番に悩まされ、そして悩まされ続けているのは、とある衝動だ。今まで一度だってそんなことを考えたこともないのに、その衝動はチックの根幹を揺るがし――そうして恐れさせた。
(おいしそう、思う……するなんて)
 ただでさえ翼も真白から灰へ――そして黒へと変じていっている身。全て悪い事のように思えて仕方がなかった。
 傷つけるのが怖かった。
 人の血肉を糧とするのが怖かった。
 日に日に強まる吸血衝動に耐え、己の腕に噛みついた時もあった。
 けれどそれがまだマシであったのだと、チックは思い知る事となる。

 ある日、腹がぐうと鳴った。
 空いた腹が鳴るのはおかしな事ではない。
 しかし『人を見て』鳴ったのだ。
 急速に吸血衝動が湧き上がった。腹が減った。腹が減って仕方がなかくて恐ろしかった。自分がまた変わろうとしているのも恐ろしかった。その内、化け物となってしまう。恐ろしくて恐ろしくて、ただ蹲って泣いて、否定して、自傷するしかなかった。
 その感覚が飢餓であると知ったのは、涙に濡れた虚ろな瞳の前に首が差し出され、訳も分からず『食べてしまった』後だった。いつも通りふらりとチックの前に現れた雨泽はつらいよねとごめんねを口にして、襟を開いた。甘い香りが漂って、もうどうしようも我慢できなくて、ただ本能のままに噛みついた。
 腹が満たされ、正気に戻ったチックを襲ったのは絶望だった。
 赤と白に、目の前が真っ暗になった。
 けれど傷付いた――傷付けてしまった彼は片手で傷口を隠してチックの頭を撫でた。
「ごめんね、全部僕が悪いんだよ」
 君は何も悪くないんだよ。
 僕が誘った。
 僕が噛ませた。
 生きてほしかったから。
 続く言葉は、甘いと感じた血みたいだった。
「お腹、空いたでしょう?」
 数日経てば彼が言う。
「ご飯を食べるのは悪いことじゃないよ」
 甘い毒みたいな言葉が、判断力を鈍らせる。
(……おれ、は……)
 いつか彼の命を一滴も残さず飲み干すのが怖いのに、口に出してしまったら現実になるようで言えなかった。

 そうしていつか、再び絶望する。
 唐突な別れは、『食べきった』事で訪れた。
(ごめん、ね)
 彼が繋いでくれた命を絶つ事を詑びて。
 そうして咲いた赤い花に、白が歪んだ。


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