SS詳細
翼は墜ち、牙は歪み、心は千々に、銃口は沈み。
登場人物一覧
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「――メリーノさん?」
邂逅は、少なくとも話しかけられた側にとって唐突に映った。
『ローレット』の一角にて。『特異運命座標』メリーノ・アリテンシア(p3p010217)が声のした側へ視線を向ければ、其処にはゆるい黒髪を流す男性の姿が在って。
「あなたは……ええと」
「……ユベニス。少し前、君の妹さんについて話したことを覚えてるかな?」
記憶を探らんとするメリーノに対する男性の言葉が、漸く自身の過去と現在の男性を結びつける。
「そう、だったわねぇ」
「思い出してくれたようで幸いだよ」
若干苦笑交じりで、それでも返答する男性の所作はそれだけでも気品がある。
シャツにジャケットを羽織っただけのラフな格好でも、彼の立ち回りは自然と人の耳目を惹きつけていた。対面するメリーノも併せて、男性はちらちらと人々の視線を受けている。
「どうして、此処に居るのぉ?」
ほんの少しだけ、居心地が悪くなったメリーノは、早めに話を切り上げるべく話題を『本題』へとシフトさせる。
――それが幸か不幸かは、分からなかったけれど。
「……君がここに居てくれて良かった」
それまで薄い微笑みを浮かべ続けていた彼は、表情を引き締めてこう呟いたのだ。
「妹さんの行方が、分かったかもしれない」
「………………!!」
メリーノの拳が、強く握られた。
●
そも、男性……ユベニスとメリーノの出会いはそれほど衝撃的でも運命的でもなければ、前述のメリーノの反応のように、強く印象に残るようなものでもなかった。
メリーノがこの混沌で特異運命座標としての活動を行う傍ら、自身の妹を探し続けていると言うのは彼女の知り合いならば周知の事実である。そうした日々の情報収集の過程で知り合った情報提供者がユベニスであり、両者の関係はその際行った会話一度きりであった。
――寧ろ、そのただ一度の邂逅を今も覚えており、現在に至るまでメリーノの妹を独自に探し続けていたユベニスの執念の方が異常であると。
「……本当に、大丈夫なんだろうな?」
少なくとも、『祝呪反魂』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)は警戒していた。
時刻は夕刻。「とある村落跡」へと歩を進めている数名の特異運命座標達の中で、同道している彼女がすぐそばのメリーノに小声で話しかけた。
「提供された情報に、嘘は無かったのよねぇ?」
「情報屋は『最低限確認できる範囲だが』って言ってたろ。
俺達の出立までの間、裏付けを取る時間もほぼ無かった。依頼を持ってきた根拠も薄い。どう考えてもこれは『面倒ごと』の範疇だぜ?」
――少し前に廃墟群となった村で、目撃情報が在ったらしい。
――短い黒髪と、赤い瞳が特徴的な女性だったそうだ。何よりも、偶然その人と出会った人曰く。
「『ねえさんをさがしているの』、なんてよ。
……今まで碌に掴めなかった手がかりが、少数でもこれだけ一気に出てくるのは可笑しいぜ?」
「――否定は、出来ないかもしれないけど」
真実、メリーノを案じているからこその口調で問い掛けるレイチェルに、しかし対する飛行種の女性は困ったように笑う。
「けれど、これが『依頼』として発出された以上、誰かが受けなければならない、でしょぉ?」
「――――――其れは」
メリーノの言葉に対し、レイチェルは咄嗟に反論することも出来ない。
彼女の言う通り、ユベニスはこの情報の精査を『依頼』としてローレットに託していた。其処に属する特異運命座標として、メリーノらにはこれを請ける義務……とまでは行かずとも、強固な権利は存在している。
「他の人に任せれば良かった、なんて言わないでよぉ?
もし、依頼の相手が本当にかのちゃんで、一番に見つけてあげることが出来なかったら……」
「……きっと、わたしはわたしを許せないと思う」と。
眇めた瞳で、メリーノは言う。忸怩たる面持ちのレイチェルは、それに対して終ぞ言葉を失って。
「……二人、とも?」
その背後から、彼女らに声が掛けられた。
声の主は――『燈囀の鳥』チック・シュテル(p3p000932)は。おずおずとした様子で、それでもはっきりと二人に話しかける。
「依頼主さんが、ね。
もうすぐ、目的の村跡に、着くって」
「はぁい」
「……わかった」
一方は普段通りに、他方は義務感を隠し切れぬ声音で、それに応えた。
現在、依頼目標が居るとされる村に向かうメンバーは、依頼主であるユベニスを含めた六名で構成されている。
バランスは――良いとは言えない。唯一前衛を務められるメリーノが移動中の最前列に位置し、レイチェルはその横に。チックとユベニスは前後方のいずれからも奇襲を受けることが無いよう、パーティの中央部に配置されている。
そして、残る二人は。
「……お師匠?」
「どうかしたかい、リコリスさん」
最後列に位置する『死食らう血狼』リコリス・ウォルハント・ローア(p3p009236)は、自らが師匠と呼び慕う『彼岸花の弱点』リーディア・ノイ・ヴォルク(p3p008298)へと、静かに呼びかける。
きょとん、とした表情でリーディアを見上げるリコリスは、しかし自らに問い返す彼の声音ににこりと笑い掛けながら、その片腕を掴んだ。
「何でも、ないよ」
「そうかい?」
何時ものリーディアの反応に、何時ものリーディアの体温に、だから、リコリスは「何でもない」と呟いた。『そう思い込むことにした』。
唯一、彼女だけが察知した前兆。
「すぐそばの大切な人が、居なくなってしまう感覚」を、否定しながら。
●
目的地点に着いた頃、陽は既に落ち切ってしまっていた。
「……人気は、無いね」
村落跡には、当然ながら誰も居なかった。
事前の情報によれば、村人が少なくなったこと、また村の収入減であった作物の不作がここ何年か続いていたこともあり、近くの大きな村が各々の住む場所の開拓を条件に移住することを提案したのだと言う。
「そもそも、目撃した奴ってのはどうしてこの場所に居たんだ?」
「元々は此処の村人だったらしいよ。移住の際、家族が置いてきてしまった玩具や小さな家財を取りに戻ってきたらしい」
レイチェルの問いかけに対しても、如才なく答えるユベニス。
……その反応にしても、彼女からすれば「あらかじめ用意してあった」ように思えて気に入らない。
(――――――否、違う)
此処に至って、レイチェルは認める。ユベニスを初めて見た彼女からして、この男がメリーノに向ける好意は明らかであると。
翻って、レイチェルが彼に対して心穏やかでないのはそうした感情に対する一種の嫉妬が理由だ。同時に、それが自身の冷静さを欠く理由にもなっていると言うことも彼女は理解している。
尤も、当のメリーノ本人はそれを歯牙にもかけていない様子ではあるが。三者三様の反応に、残る面々は一先ず「触れやすい話題」から入ることにして。
「……これから、どうする?」
「さて、そもそもが大きくない村だ。
前後衛のバランスが不安定な私達では、戦力を分けるのは得策とは言えないだろうし――」
部隊を分けるよりは、固まって行動を。
……そう語ろうとしたリーディアが、瞬間、誰よりも早く気付いた。
「………………」
「リコリスさん?」
傍らの弟子が、忘とした目で一方を見つめていることを。
視線を追う。その先には確かに『誰か』が見えた。
――或いは、それは黒髪と赤目を覗かせた女性のようにも。
「お師匠」
「……ああ。みんな、彼方を」
片方の手で女性が見えた側を指し示し、残る片手でリコリスの肩に手を置く。
そうした途端、リコリスが弾かれたようにリーディアの方を見る。
「っ……え?」
「……?」
明らかに、異常な反応だった。
リーディアの指示に対し、残る面々も遠方の人影にづいたのだろう。佇む女性らしき存在へと、急ぐことはせず警戒しながら進んでいく様子を尻目に、リーディアはリコリスに問い掛けた。
「どうか、したのかい?」
「え、え? だって。
お師匠はここにいて。『でも、あっちにもお師匠が居て』――」
「………………!!」
言葉を受けて、リーディアが改めて女性の側へと視線を向ける。
その様子は変わらない。見える姿は依然黒髪赤目の女性の――いや。
「……皆、止まれ!」
瞬間。
リーディアの視界に映った女性が、「チックの姿に変化した」。
――――――。
チックの似姿が、妖しく笑む。
刹那、地中から這い出た幾本もの巨大な触手。
それらが何度も、繰り返し特異運命座標らを轢き潰そうと倒れ込み、瞬く間に戦場は土埃に満たされた。
●
「……っは!」
呼吸もままならない環境で、襲い来る触手から逃げる術も無かったユベニスを真っ先に抱えたのはメリーノであった。
「大丈夫かしらぁ?」
「……情けないね。有難う、助かったよ」
無事な様子を確認して後、メリーノは背後を振り返る。
周囲に味方の様子は確認できなかった。初動で広範囲の攻撃を繰り返し自分たちを散開させながら、同時に土煙で満たすことで相互の連携を取りづらくする敵の手腕によって、特異運命座標達は見事に分断させられていた。
問題は、それが知性ある行動の結果かどうかである。若し是であるならば、此処で非戦闘員であるユベニスを放置して仲間を探しに行くのはどう考えても不可能だ。
(……仕方ないわよねぇ?)
味方が此方を見つけてくれることを願うしかない。そう考えたメリーノは、一先ず適当な家屋へと身を潜めようとユベニスの手を引く。
「煙の間に見える建物、分かるかしらぁ?
あそこまで走って、暫く隠れようと思うのだけど」
「……分かった。覚悟を決めるよ」
隠し切れない緊張が、握った掌から伝わる。それを気付かぬ振りしたメリーノは、一つ頷いて建物へと一気に駆け出した。
「……っ!!」
煙中から見えた触手は、合計で三本。
その何れも、視認できた距離はひどく近く、またユベニスを引き連れるメリーノにそれを躱すと言う選択肢は存在しなかった。
一本目。空いている片腕で触手を上方に弾く。
二本目。躱せずとも身を捩ることで衝撃をある程度受け流す。常人ならば覚える吐き気と痛みを感じぬまま、メリーノは更に足を踏み出す。
そして、三本目。
「――――――な、」
足を止め、メリーノはこれを真正面から受け止めた。
但し、繋いでいたユベニスの手を建物の方へと放り投げながら。
隠れていて、とは言えなかった。先述のように、魔物に言葉を理解するほどの知性がある場合、彼の隠れた建物ごと破壊される可能性が極めて高い。
(先ずは、この厄介なコを対処してから……!!)
巨大触手から与えられるダメージは確かに大きいが、しかしその動きは緩慢であり、確りと対処すれば倒すことは容易い。メリーノはそう考えて武器を構える。
事実、メリーノの考えは正しかった。「彼女さえいなければ」、だが。
「わあ、おっきな刀ですね!」
「………………え?」
ぱっと、赤色が咲いた。
腕から吹き出し、零れ落ちる赤色。目を見開いたメリーノが、自分を傷つけた相手を終ぞ視線で追えば。
「でも、その刀がボクに触れるまでの間。ボクの爪と牙は一体何度あなたに届くでしょう?」
フードを被ったリコリスが、俯いたままで呟いた。
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リーディアは、あの女性――女性に見えた『何か』が、チックの姿へと変化した時点で全てを察していた。
アレは恐らく疑似餌のような存在だ。それを目視した対象が、「その時点で最も必要とする人物」へと姿を変えることで自身の元へと誘導させ、近づいた対象はその後地中に潜行していた触手によって殺され、恐らくは『何か』の養分とされる。
リコリスが『何か』をリーディアだと視認したのは言うに及ばず、リーディアの側も『何か』の姿がチックに変化したのは、恐らく異常な反応を示したリコリスに対して癒術を掛けて貰う存在として彼を必要としたことが理由に挙げられる。
「拙い……!!」
状況は最悪だった。
敵の能力が周知されないまま分断されてしまっている。未だ触手が地に叩きつけられ、もうもうと土煙が舞い続ける戦場にて、次に現れる人影が果たして「本当の仲間」である保証は何処にも無い。
この辺りが、「事前情報の裏付け」だけで済まさざるを得なかった情報不備の弊害で在ろう。少なくとも今できることは真贋があやふやな味方の捜索よりも、土埃の発生源である触手を確実に減らしていくこととリーディアは考え、狙撃銃を振りかぶられた触手に向けて構える。
先のメリーノ同様、触手はその奇襲じみた初動の攻勢と、物理攻撃、耐久に偏重したと思しきステータスを除けば然したる脅威ではない。積極的に此方を狙う様子も無いそれらを一本、また一本と、少しずつ、けれど丁寧に討伐していくリーディアの表情は冷たく。
「……お師匠」
けれど。
その表情は、いとも容易く崩れてしまうものでもあった。
「たすけて、お師匠」
血に塗れたリコリスの姿が、刹那だけ見えた。
「リコリ……!!」
土埃で、それはすぐさま見えなくなる。
追うべきか、否か。逡巡しているうちに再び煙の間から覗いたのは、フードを被ってメリーノに飛び掛かるリコリスと、それに応戦するメリーノ。
(――何方、が)
『本物』なのか。
否。或いはどちらも本物であった場合は?
銃把を握る手が、引き金に掛けた指が、震えている。
「出来ない」と。リーディアが何方に対しても撃つことを諦め、その銃口を逸らそうとした。
それで終われれば、良かった。
「……ごめんなさいねぇ」
声が、聞こえてしまった。
振りかぶられた太刀を、見てしまった。
瞬間、リーディアは迷わなかった、狙撃銃を構え、銃口を『其方』に向け、一瞬の躊躇すらなく引き金を引く。
――銃弾は、狙った場所に寸分たがわず命中した。
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メリーノに、リコリスを傷つける心算はなかった。
但し実際、リコリスの挙動はメリーノよりも早く、このままでは自分が消耗することは目に見えていた。故にこそ彼女は牽制のための一撃をギリギリ当たらない範囲で撃ち込み、リコリスが怯んだ隙に土煙の中に隠れ逃げようと考えていたのだ。
……結果として、それは失敗に終わることになる。
大太刀の一撃は、それが放たれる直前にリーディアによって武器を弾かれた。無防備になった身体をリコリスが裂いて、遂に戦う力を失ったメリーノへと、上空から巨大な触手が。
「――――――!!」
誰かの、声が聞こえた。
それはリコリスだったろうか、リーディアだったろうか。或いは最初に分かれたままのレイチェルや、チックや、また土埃の向こうに居る筈のユベニスだったのかもしれない。
すんでのところで少しだけ身をひねったメリーノの背中側を。「そこにある翼を」。触手は叩きつけ、重さに耐えかねた翼はその大半がへし折れ、或いは千切れるように彼女から断たれてしまう。
「……あ」
痛みは無かった。そのようになる能力を、メリーノは持っていた。
それでも、あまりに失われた血肉が、彼女の意識を酩酊に誘う。倒れ伏したまま動けなくなった彼女の隣で、千切れ落ちた翼を手に取る人影が見える。
「きれい」
「………………」
「おいしい」
「……そう、それは、よかったわぁ」
獣のように。ただ、感情と欲望に身を任せ、千切れたメリーノの羽根を貪るリコリスに微笑みかけるメリーノは、最後の力を振り絞り、リコリスのフードをそっと外した。
「……?」
変化は、緩やかなものだった。
こくん、とメリーノの羽根を嚥下したリコリスは、其処で漸く思い出す。
不意の土煙。沢山の触手。逃げ回り、また仲間を探し回る中で見えた傷だらけのリーディアの姿。
「たすけてくれ」と、そう言った師匠の為に、リコリスはフードを被り、彼が指し示した先に居たメリーノを――。
「あれ。めりーの、さん」
戦いつかれたリコリスが、とろんと瞳を落とす。
「どうして、はねがないの?」
次いで、眠って。
その様子を見届けたメリーノは、せめて微笑み、ぽつりと呟いたのだ。
「気にしないで、ね?」
――倒れ伏した二人の上に、降りかかる触手が在った。
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「待って、レイチェル……!」
「下がってろ! アンタまで守り切れねえ!」
――恐らく、突如として起きた戦闘に於いて、最も『幸運』だったのがこの両者だった。
味方が分断されて後、運よく直ぐに合流できたレイチェルとチックは、その後即座に残る仲間の捜索に回った。
尤も、その後の経過は芳しくない。元々が後衛型である二人では繰り返し近接攻撃を行う触手への対処は難しく、数発のダメージを受けた後、適当な建物に隠れてはチックに因る回復を繰り返している。
無論、このような状態では捜索自体も遅々として進まないことは明白だった。
結果として、現在。被弾を覚悟で戦闘音が激しい場所へと突っ切るレイチェルを、チックが追う形で続いている。
「か……っ!」
触手の攻撃は、重い。
幾度も、幾重にも、その身を打ちひしがんとするそれらに耐え、しかしレイチェルは進み続ける。前に、前に。
「レイチェルさん!」
「!!」
瞬間、声が掛けられる。
見えたのはユベニスだった。最初の頃よりかは幾分か薄くなった土煙の向こうで手を振る彼の元に辿り着けば、レイチェルは簡潔に問う。
「他の奴らは!?」
「……メリーノさんが僕を此処まで連れて来てくれた。確認できる限り、彼女はあっちの方向に居た」
最も聞きたかった情報を聞いたレイチェルは一つ頷き、彼女はチックをユベニスに押し付けてその方向へと走っていく。
「アンタは此処で依頼人を守ってろ!」
「……、分かった」
咄嗟に、レイチェルへ些少の回復を施し。チックはその言葉にどうにか頷く。
軈て土埃の向こうに消えた姿を見届け、チックは不安そうに両手を組む。
「……彼女は、メリーノさんが大切なんだね」
其処に、独白じみた声がかかった。
「二人は、恋仲なのかな」
「……。おれは、わからない、です」
一応は依頼人であるユベニスに敬語を使いつつも、チックは何処か忌避感のようなものを彼から感じていた。
依頼前の親しげな様子、敵が現れて以降の必死な様子、それらに対して、今彼が見せている表情は余りにも落ち着き払っていた為だ。
まるで、そう。これまでの全てが演技だったかのような――――――
「チック君、って言ったっけ。
君にも、大切な人は居るのかい?」
「……居ます。たくさん」
「そうかい。それは、例えば」
――君が癒えない傷を負えば、嘆き、慟哭してくれるほどに?
「……え?」
言葉の意味を、チックが理解するよりも前に。
めきめきと言う音が響き、破壊されゆく家屋の天井から、触手の一本が叩きつけられる。
それまで、その場を手当たり次第叩きつけていた触手が、遂にこの家を選んだのだ。
そう。
「それは」、純然たる偶然であった。
●
二人に降り注ぐ触手の雨が在った。
リーディアがそれを幾本も撃ち抜き、レイチェルがそれを幾本も灼き。
……けれど、間に合わなかった触手も、あった。
「っ!!」
――よーちゃん、と呼ぶ最愛の姿が、喪われる様を幻視して。
――「させるかよ」と、知らず、言葉が口を突いて出た。
覆いかぶさるように、その真上に飛び込むレイチェル、
四つん這いの姿勢を作り、地表との間に空いた隙間にメリーノ達を挟み、彼女は耐える。何度も、何度でも。
「大丈夫よぉ、よーちゃん」
「……めーちゃん」
時間が、どれほど経ったろう。
気づけば、触手はリーディアによってその本数をあと数本にまで減らされていた。それでもレイチェルとて最早耐えることは出来ず、意識はあるものの地に倒れ伏す。
「痛くないの。わたし。
……今まで言ってなくて、ごめんね?」
(……嗚呼)
悲しい事実を、けれどこともなげに呟くメリーノ。
何より。例え痛みが無かろうと、傷つき、血を流し、片翼を千切られた愛する人の姿を見て、レイチェルは守れなかった不甲斐なさに涙を零す。
(いやな「お揃い」に、なっちまった)
或いは、片翼と言う符号にほんの少しでも喜びを覚えた、自らの醜さに対して。
「………………」
それを最後まで見ていたリーディアは、残るリコリスの元へと近づき、血に濡れた口元をそっと拭った。
「――――――俺は」
自分は、何をしたのだと、ただ慙愧に震える。
あの瞬間。メリーノがリコリスを攻撃した時、傍目にも其処に殺意や戦意が無かったことは見て取れた。
それでも、彼は自らが溺愛する弟子を優先した。結果としてメリーノは片翼を失い、力尽き、またそれを庇わんとするレイチェルにも甚大な怪我を与える結果となった。
「お師匠」
刹那、聞き知った声が「背後から」する。
無貌の表情で、彼は振り返った。其処にはいつも通りのリコリスが、暖かな笑顔で彼を見つめていて。
「魔物『たち』をやっつけたんですね。さすがお師匠です!
さあ、そいつらを全部殺しちゃいましょう? みんなは向こうで待って――」
「黙れ」
銃弾が、『魔物の』額を撃ち抜いた。
「黙れ、黙れ、黙れ」
銃口を額に当て、何度もリロードしては撃ち込む。終ぞ能力のヴェールから現れた姿は、それまで魔物が偽ってきた仲間の似姿とは似ても似つかぬ、かろうじでヒトガタと呼べる植物の繊維の集合体だった。
「お前が、お前が、お前が、お前が――――――!」
穴だらけにされ、轢き潰され、最早原型など留めなくなった状態の魔物に尚も銃弾を撃ち続け――漸くリーディアは静止する。
「……俺が、皆を傷つけた」
敵と、或いは惑わされた仲間と戦い、血に塗れた仲間たち。
その中で、ただ一人。何の傷も負っていないリーディアが、膝を屈して涙を零した。
――結果として。
調査対象の正体は、元村落を根城とした強力なモンスターであったことが判明し、これにより調査にあたった特異運命座標達は依頼人からの報酬のほか、『ローレット』による特別手当も支給されることになった。
……それは、ともすれば。
その身に、或いは心に、癒えることのない傷を負ってしまった冒険者たちへの、せめてもの謝意だったのかもしれない。
状態異常
おまけSS『――けれど、失われるはずだった橙眼は』
「……やっぱり、『特別』なのは彼女だけ、なのかな」
潰された瓦礫の中から、ユベニスが這い出て立ち上がった。
触手と、倒壊する建物。その両方から自らを庇ったチックは気絶している。それを気にも留めず、彼の視線は未だメリーノ達の側へと向けられていた。
「獣種の女の子も、狙撃手くんも。結局自らの『愛』に心を惑わされた。
旅人さんと飛行種くんの反応を見逃してしまったのは残念だが――」
……実のところ、ユベニスは此度の『調査対象』が、見た者の心に応じて姿を変化させる魔物であると知っていた。
それでも、その上でユベニスはこの依頼を提出した。実際彼が出した依頼内容は『村落跡に姿を現した人影の調査』であり、それ自体に違法性はない。「例え依頼人がその正体を知っていようと」。
「……メリーノ。
君は、『最初から気づいていた』ね?」
件の魔物の性質からすれば、メリーノにはそれが長年探し求めていた妹の姿に見えただろうし、そうなれば彼女は警戒するでもなくあの魔物に近づいていったはずだ。
けれど、そうしなかった。それはメリーノがあの魔物の能力に惑わされなかったと言う証左でもある。
「……やはり、俺を満たしてくれる存在は、君しか居ないと言うことか」
――ユベニスは、『真実の愛』を探し求めていた。
それは、金で見せかけの愛を振りまく彼にとって一個の命題でもあった。薄っぺらな言葉と身体だけの愛に惑わされず、ただ一人、妹に向ける本当の愛情を抱くメリーノを、ユベニスは今も渇望している。
だからこそ、彼はメリーノを、またその周囲を試した。此度の魔物のような「大切な者への感情を利用する」魔物を探し求め、それらに何の対策も講じることのできない素面の状態で相対するように彼は仕向けた。
結果として、やはりユベニスの「お眼鏡にかなった」のはメリーノだけであった。
それが一体いかなる理由か――例えば、無痛や無感であるメリーノには、実のところ五感へ相互に訴えることで効果を発揮する魔物の幻惑がそもそも聞きづらかった、等――までを、彼が考えることは無かったけれど。
「………………」
唯一意識があるリーディアの視線は、未だリコリスの方へと向けられている。
ユベニスは瓦礫の元へしゃがみこみ、気絶しているチックへと手を差し伸べる。
助けるふりをして、差し伸べた手から指先を伸ばし、その片目を抉ろうとしたユベニスは……しかし、それを途中でやめた。
「いい加減、卒業しないとね」
――手持無沙汰に、『玩具』を弄る真似は。と小さく独り言ちて。
「メリーノ。
これから、俺は本気で君を手に入れる」
静かな、そして歪んだ決意を口にした彼は、そうして瓦礫をどかし始める。
「――リーディアさん、手伝ってもらってもいいかい?」
その過程で、次に彼が気鬱げなリーディアに声をかけた時には、心配そうな、けれどチックを救わんと必死さを覗かせる、真摯な好青年のような表情が在った。