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夜の爛れ
登場人物一覧
唯一無二、愛しきその人が何処に居るのかを分からぬ儘。ノクターナルは夜を彷徨う。
ルウィー、ルウィー。名を呼ぶ度に、毀れ落ちていくかのような幻想。瞬きをひとつ、そのたびに、その輪郭さえも虚ろになるかのようで。
カルウェットを探すノクターナルは『カルウェットが覚えていなかった事』が酷く恐ろしかった。あれだけ、大切で、自分だけのものだったのに。
抱きかかえた花を渡したかった。大切にしてきたそれをカルウェットは喜んでくれるはずだったのに。
「ルウィー」
カルウェットを呼ぶ。その声に応えやしないことにノクターナルはどうしようも無い孤独感ばかりに胸を締め付けられるかのようだった。
唯一無二だった。ずっと傍に居てくれるはずだった、そのひとは目が醒めて、誰かと共に進むことを決めてしまっていた。
酷い話しだと考えた。それまでは自分たちしかいなかったのに。その世界に割り込んできた者が居たのだ。
(あのひとたちを、どうにかしないといけないのかな)
悪い事は考えつかなかった。もしも、決意が出来たならば全てからカルウェットを奪い去るべきだったのだろうか。
そんな事にも想いが行き着かない儘でノクターナルはふらふらとカルウェットを探し求めて歩き続ける。縺れた足では上手く進めず、心の穴を埋めることさえ出来なくて。
酷く、苦しい。
「ルウィー」
どうしようも無い儘、月の光からも逃げるようにしてノクターナルは路地裏に辿り着いた。跣の爪先に飾られていた『爪』は傷付いてしまっている。
パーツが欠けてしまった事よりも尚、心にぴたりと嵌まらぬ部品が苦しかった。
花を握りしめたまま膝を抱えてノクターナルは子供の様に泣いた。夜の喧噪も遠く、自身の嗚咽だけが響くその空間に。
「――ねえ。君、どうして一人で泣いているの?」
じゃり、と土を踏み締める音が立った。ゆっくりと見上げれば柔らかな白髪を有した少年が立っていた。
優しい笑顔に、穏やかな気配を有するその人は「どうしたの」と声を掛けてから視線を合わせてくれる。
「ルウィーがいないの」
「迷子なの?」
「迷ったのは、ルウィーだよ」
「……そっか、可哀想な君は、大切な人を奪われてしまったんだ」
少年は「クルークだよ」と名乗った。声音は優しいが、その口調には冷たい気配が宿されている。ノクターナルはゆるゆると首を上げてから穏やかに笑うクルークを見上げた。
「うばわれた?」
「そう。誰かが持って行ってしまったんだ」
「もっていって」
「……だって、大切だったんでしょう? 『ルウィー』のこと」
クルークの問い掛けにノクターナルは小さく頷いた。その声音は不思議なことに胸の奥深くにまで落ちてくる。
その時、ノクターナルはクルークも同じ苦しみを抱いていることに気付いた。
屹度、目の前の少年も同じように大切な人を喪って、大切な人を奪われた事を怒っているのだ。
自分たちが同じだからこそ、分り合えたのだろうか。傷の舐め合い、と、人が呼ぶような行為の上でさえノクターナルはクルークが分かったように話すことがとても嬉しかった。
「大切だった。ルウィーが、ぜんぶ忘れてしまったことが怖くて……」
「そうだね、きっと、とっても怖いと思う。
僕もそうだよ。兄さんが、僕をどうして
クルークは酷く苦しげな表情を見せた。眉を寄せ、苦しげに地を睨め付ける。
だと、言うのに――誰かが兄の心にするりと入り込んで、クルークの事を過去にしてしまったかのように感じたのだ。
「クルーク?」
「ううん。何にもないよ」
首を振ってからクルークは「一緒だね」とノクターナルの手を握りしめた。
あたたかい、とノクターナルは呟く。久しぶりの、人の体温は心を解して簡単に懐に誰かを誘い込んでしまう。
その和らいだ気配にクルークは貼り付けたような穏やかな笑みを浮かべていた。
御しやすくって、利用価値のある――都合のいい存在だ。クルークも、ノクターナルも欲しいのはたった一人だけ。
理外の理が働く。自身達にとって相互的に都合が良い相手を得られる奇妙な高揚。
「……一緒だよ。僕と、君は。
君にも、僕にだって、
クルークの声が落ちてくる。呆然と眺めていたノクターナルの唇が震えた。
「だから、僕が助けてあげる。僕なら出来るよ。君が唯一無二を取り戻せる様に、"呼んで"あげる」
「とり、もどせる? クルークには、できる?」
「うん。取り戻せるよ。僕も片翼をずっとずっと探してるんだ。
君と同じ。僕達は無くしたものを取り戻す旅に出るだけなんだから……ね?」
唯一無二のその人以外は何も要らない。クルークの若草色の瞳は光を宿し、その色彩全てを変えて仕舞ったかのように深く、悍ましい色をしていた。
クルークの美しい若草色の瞳が、何処までもノクターナルを飲み込んでいく。見詰めているだけで、ノクターナルは全て叶う気がしてしまったのだ。
「旅に、でる」
呟いてから、ノクターナルは握りしめていた花が枯れていくことに気付いた。
枯れ落ちていくのは、カルウェットにプレゼントしたかった花だった。野に咲いていたそれらをプレゼントすれば、カルウェットが冠にしてくれたのだ。
野原を転げ回って、花畑で手を繋いで笑い合ったあの時。大切に大切に、摘んで置いた花が枯れていくことさえもノクターナルは気にならなかった。
クルークの翼が爛れ、夜が崩れていく気配がする。その気配が妙に心地良くてノクターナルはクルークにされるが儘だった。
黒翼の少年はそっとノクターナルの頬に触れた。つるりとした陶器の膚を撫でる指先が優しい。優しい温度に、溶かされるかのよう。
ノクターナルはもう、何も怖くは無かった。
ぐずぐずに崩れていって仕舞う柔い思い出など、対して興味は無かった。クルークにとってのノクターナルは駒に他ならない。
(気の毒に)
唇を動かさずに、そう言った。
(気の毒に、気の毒に――僕達は夜にしか生きていられないのに)
顔を寄せる。額をこつりと打ち合わせてノクターナルの眸を覗き込んだ。
美しい、作り物の眼球に気配を宿す。
炎の海の中で苦しみ足掻いたあの夜なんて、クルークには必要も無く。
目が醒めてたった一人になって終ったあの夜から抜け出そうとするノクターナルは酷く、疎ましかった。
――有り得なかった。この小さな夜が救われることが、クルークには酷く疎ましくて、酷く、羨ましくて、酷く、妬ましかった。
「これで、ルウィーは、取り戻せる?」
「取り戻せるよ。大丈夫、君のかたわれはずっとずっと一緒に居てくれるから」
嗚呼、その前に。
僕らは陽射しの下で絶望するのだ。
それで、構わないのだ。優しい優しい、夜のかたわれがどう思おうなどとクルークには興味は無い。
「……だから僕の目的も――ちゃんと手伝って、ね?」
――もしも、君が最愛のあの人を、傷付けるようなことがあれば。
全て、僕が奪ってしまうかも知れないけれど……ああ、それは、仕方が無い事でしょう? ノクターナル。