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I wanna be your scar.
登場人物一覧
きっと貴方は私を忘れてしまうと思っていたの。
だから、貴方の傷になりたかった。ずっとずっと疼くような。痛みと愛しさを孕んだ、一生傷に。
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手を繋ぐのが当たり前だった。それから、他愛も無い話をしながら横を歩くのも。
でも今日は違った。
「これでいいかな」「はい、問題ないかと」なんて乾いたやり取りを交えて、早足で家とショッピングモールを往復する。
なんだかいけないことをする子供のようだ。口の中が乾いて、やけにどきどきして。繋いだ手の先にいるのは間違いなく共犯者なのに、これから
緊張している。だからこそ口数は少なくて、何故か早足になって。足元を見つめながら歩く星穹と、彼女と繋いだ手をそっと強く握りなおして、ヴェルグリーズは歩みを進めた。二人で暮らす、ザ・タワー『クレティアン』へと帰るために。
乱雑に閉じられた扉には鍵をかけて。脱ぎ散らかされた靴はそのままに、ソファのスプリングが軋む音だけがヴェルグリーズの部屋の中に木霊する。
こんなにも不器用な関係だっただろうか。頭を過るのはそんな不安ばかりで。時計の針がチクタクと進んでいく音だけを聞いていた。
「……ヴェルグリーズ」
「うん、どうしたの」
「準備は、良いですか?」
ビニール袋の中から星穹がピアッサーを取り出した。ピアッサーは1つの穴につき1回しか使えない。だから4つ。ヴェルグリーズと星穹の耳に合わせて買ってきたのだけれど。普段なら丁寧に包装からものを取り出す彼女が、やけに乱暴にピアッサーを取り出すものだから、どうしたってこれから起こるそれに込められた意味を思わずにはいられないのだ。
「うん。大丈夫だよ」
「冷やしたりすると、良いみたいですけど」
「でも星穹殿は俺に痛みを与えたいんだろう?」
「人聞きが悪い……でも、あながち間違っていません」
「ふふ、そうだろう? だから、要らないよ。キミがくれる痛みをしっかり覚えておきたいからね」
軋むスプリング。ゆったりと腰掛けていたヴェルグリーズの上に跨るように座った星穹は、ぎらぎらと瞳を輝かせて。まるで獣のような顔をして、笑った。
「そうですか。では今から……貴方に傷をつけますが。構いませんね?」
まだ穴の空いていない耳朶を撫でる。熱を持った指先がやけにくすぐったい。
「うん、大丈夫。お願いするね、星穹」
ふわりと笑うのは、その温もりが恋しいから。失っていた分を。触れられなかった時間を埋めるように。
さらさらとした銀髪。香るのは間違いなく彼女の香り。太腿の上の彼女の重みを抱き寄せる。緊張しているのだろう、荒い呼気は首筋を撫でて。
きっと、思うほど痛くはないのだろうけれど。でも、きっと痛いのだ。キミが居なかった時間のように、痛くて、疼くのだろう。
だからキミが欲しい。キミから与えられる痛みが欲しい。
それは間違いなく俺に刻まれる痛みだ。キミがいた証だ。
忘れるなんてことはこの命にかけても有り得ないけれど、きっとキミは何度言ったって怖がって信じられないだろうから。
だから、キミと俺を繋ぐ痛みが欲しい。
キミから与えられた傷はきっと、俺とキミの生きた証を永遠に刻むだろうから。
カシャン、と大きな音が鳴った。己を貫通する細い針は。彼女の小さな手から齎された痛みだ。傷だ。それから、想いだ。
どうか私を忘れないで、なんて。忘れるはずがないだろう。だから大丈夫。キミがくれたこの傷は、俺の中で輝き続ける。
キミが死んだ後も。世界が変わっていくであろう未来でも。
「……きっと真っ直ぐに空いたと思いますが。素人なので、期待しないでくださいね」
両の耳朶に煌めくダイヤモンド。少しだけ心配そうな表情。使い終わったピアッサーが2つ、机に並ぶ。
「大丈夫だよ、星穹殿は器用だからね。それにしても……じんじんするなあ」
「だから冷やすか聞いたのに……それより、次は私ですよ」
ん、と拗ねた子供のように。けれど歳以上に大人びた身体が甘えた声を出すのは、普段の彼女には見られない仕草で笑みが溢れてしまう。
髪を撫でて、指に残った一房を耳にかけて。星穹がやったのとは真逆に、焦らすように。丁寧に梱包を解いて、それから耳朶に触れて。
「ちょっと……くすぐったいんですが」
「だって、これからは穴が空くんだし。今のうちに堪能しておかないとね」
「堪能するようなものでも、ないと思うのですが……」
語尾がどんどん小さくなっていく。居心地悪そうに、耳だけがみるみる赤くなっていく。からかうのはここまでにして、なんてわざと口からこぼせば、「もう!」とそっぽを向かれてしまった。
「それじゃあ、空けるね?」
「……はい。お願いします」
長い髪は邪魔になる、なんて星穹は言うけれど。折角伸ばしている髪に触れる良い機会だ。巻き込まないように反対の肩へと流してから、膝の上の彼女が落ちないように自身の方へと寄せて。頬に手を添えてから、針を通した。
カシャンと音が鳴る。星穹にも傷が生まれて。きっと星穹もヴェルグリーズと同じように思っているのだろう。「嬉しい」と。
「そういえば、私はピアスを持っていないのですが……」
ファーストピアスは定着に時間がかかる。だからしばらくはつけっぱなしで塞いでおかないといけないのだけれど。
「ああ、大丈夫。俺が用意しておいたから」
「え? あ、ありがとうございます」
「ふふ、俺はやられっぱなしは性分に合わないからね。目を閉じていてくれるかい?」
「……全く、困ったひとですね」
同じように、ピアスを耳に通す。熱を持った耳朶は熱くて。それから、愛おしい。
「どうかな? 痛むかな?」
「まぁ、私も冷やしていませんからね。それよりも……お待たせしました」
「はは、そうだね。待ってたよ。俺がこれを見つけた日から、キミが帰ってくるまで」
2ヶ月と21日。空けた今日は別だから、きっと3ヶ月。居なくなった日以上に、キミをずっと待っていた。
「……だから、帰ってきたでしょう。貴方が、キスをして連れ帰ってきたんですけど」
「はは、そうだね。キミにキスをして、それから連れ帰ってきたよ。お姫様抱っこでね」
「私達、不健全ですよ」
「でも嫌じゃないんだろう?」
「……」
「ふふ。キミのことならなんでも解るよ」
「あのですねえ……」
「ねえ、星穹殿」
「もう、なんですか!!」
「おかえり」
「……っ、ああ、もう……!! ……はぁ。ただいま、ヴェルグリーズ」
「うん。おかえり」
ぎゅう、と抱きしめた温もりがどれだけ大切かを実感するのは、いつだって失ってからだった。
いつの主も、遠ざかって消えて、死んでから。どれだけ大切だったのかを痛感していたけれど。
でもこうして、星穹は戻ってきた。だからこそ解る。キミがどれだけ、大切な存在であるのかを。
ずっとずっと待っていた。こうやって、幸せに笑える日を。キミが帰ってくる日を。ずっとずっと。
だからきっとこれからは、キミを離さない。だってキミは俺の相棒だから。キミの力になりたいから。
ずっと忘れないとか、永遠とか。絶対嘘です、なんて悲しそうに笑って、信じてくれないキミへ。嘘じゃないくらい信じさせてあげる。
だけどもう今は忘れられなくなったって思ってるんだろう? 俺にはわかるよ。
だって俺はきっと誰よりもキミを隣で見てきたから。
おまけSS『私だってわかる。』
私だって知っている。
貴方が甘えるときは「ねえ」と口を開くこと。
相手が可愛いなと思うときは「ふふ」って笑うことを。
それから。触れるときはきっと誰よりも優しく触れてくれることを。
ずっと忘れないとか、永遠とか。絶対嘘です。
でも、きっともう忘れられなくなりましたよね。だって、貴方にも傷をつけたから。
きっと妬いていました。貴方は色んな人に愛されるから。ずっと長生きするから。私よりも、うんと。未来を生きるから。
だから寂しかったし、妬いていたのです。貴方の未来に居るひとたちに。
でももう平気です。もう、だいじょうぶ。
いくら私が愚かでも、私にだってわかります。
貴方がどれだけ私を大切に想っていてくれていたのか。信じてくれていたのか。
ずっと忘れない、の言葉が嘘じゃなかったことも。わかりました。
だから、ありがとう。面倒な私の願いを、聞いてくれて。
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「あれ、父さんと母さん、耳……」
「ああ、空。どうかな、似合うかな」
「うん、似合う。母さんが選んだんだよね?」
「……はい、そうですよ。お父さんに似合いますか?」
「うん、すっごく。ねえ母さん」
「はい、なんですか?」
「今度俺にも、服を選んでほしいな。俺とも出掛けて欲しい……」
「……うん。一緒に、沢山出掛けましょうね」
「あ、ずるい。俺も一緒に行きたいな」
「父さんはもうしばらくいい」
「そんな……!」