PandoraPartyProject

SS詳細

たったひとりだけの君に捧ぐ

登場人物一覧

シラス(p3p004421)
超える者
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
大樹の精霊

 ツリーハウスで二人だけ。『フローラリア』から頂戴したケーキはテーブルの上で堂々と鎮座している。
 テーブルクロスはお気に入りの柄にして、普段は片隅にこぢんまりとしか使わない食卓も客人が来るときばかりは忙しなさに眼を回す。
 そんな愉快な一日を過ごしたアレクシアは壁のコルクボードにメモを一つ貼り付けていた。
 記憶から毀れ落ちてしまった霊樹プルウィアの祝祭おもいでばなしの事を打ち明けた時、大切なものはしっかりと仕舞っておこうと決めた。
 記憶の欠けは、あの奇跡の後遺症だった。遍く奇跡は何人にも代償を求めるものであるらしい。
 告げた時、彼の顔を見るのが恐ろしかった。あの鮮やかな初夏の木漏れ日から逃げ出したい気持ちを掬い上げてくれたのは予想通りの彼だった。

 ――今度は俺が約束する! 他のどんな記憶が消えても俺のことを忘れさせやしない! 俺はアレクシアの中からずっと無くならないから!

 折角の夏だけれども、涼やかな山に行こう。雪が残った真夏の奇跡。標高も高く、雲にも手が届いてしまうようなそんな場所に。
 シラスは指折り数えるように彼女の新しい思い出を模索した。
 雲の上の雪渓を滑って遊んでみたり、雪ダルマ作ったり、それでキャンプして、夜明け前に起きて朝焼けを見るのだと。
 あれをしよう、これをしよう。色々とやりたいことは大きなものから小さな者まであった。
 アレクシアにとっての蒼穹はこの世界の美しさそのものだった。広がる空の下、駆け出せば幸福をくれるから。
 誘いを受けてからアレクシアは直ぐに買い物に行こうとシラスを誘った。心が踊り、彼と必要なものを買い揃えた。出掛ける日程はシラスが任せて欲しいと提案した。
 向かう先の情報も収集したが最終決定は彼がしてくれた。曰く――「ちょっと試したいことがある」のだそうだ。
「楽しみだね」
「そうだね」
 アレクシアにとっての一番すごいと思って居る彼が、同じように楽しんでくれることを願う。
 ちょっぴり、思うのだ。何時だって、彼はアレクシアに楽しい事を教えてくれるけれど、アレクシアだってお返しがしたい。二人が揃って楽しければいいのに――
 同じように楽しんで、同じ事を思って、同じものを見て、素敵なひとときを過ごす。
 そんな毎日を歩んでいきたい。例え、いつかはその道が分かたれてしまっても。幻想種アレクシア人間種シラスの違いは今は見ない振りをしていたかった。

 あの日の約束の通り、二人は山へとやって来た。候補地の中でもシラスが特に良いと思った場所を選んだらしい。
 鉄帝国のヴィーザル地方。厳しい気候は涼やかに雪を残している。しかし、真夏の太陽は負けじとその存在感を主張していた。
 アレクシアにとっては深緑では余り見られない雪山に、のんびりとした時間が余りにも貴重に思えて深く息を吸い込んだ。
「着いたー!」
 開けた景色にシラスは感極まって声を上げた。深い木々を抜けた先、突如として柔い白肌が姿を見せる。山際一つ、踏み込むだけで暖かな夏の陽射しも何処かに行ったようなひんやりとした空気が頬を撫でた。
「着いたね!」
 笑顔を返したアレクシアは雪で子供の様に燥ぐシラスが微笑ましくて。「アレクシア」と呼んだ彼に続いて雪へと飛び込むようにステップを踏む。
 ぴょん、と跳ね上がって雪を踏み締めれば何時もと違う感覚が足裏に感じられた。
 冠位魔種との戦いも、誰かの命を守るための死闘もこの場所には必要ない。しがらみなんてない、幼い子供のように。
 ふかふかしたパウダースノウに埋まって『シラス』と『アレクシア』を作ってみせる。二つ並んだその中から起き上がるのも少しの苦労。
 笑い合ってごろりと転がれば柔らかな雪がまたも体を包み込む。
「あっ、シラス君、埋もれて行っちゃうよ」
「アレクシアこそ、立ち上がれないかも知れないぜ」
 揶揄うような声音一つにアレクシアは「わ、わ、助けてー」と両手を挙げて見せた。かけ声を一つ出してから身を起こしたシラスがアレクシアの腕を引く。
 唇に僅かに浮かんだ悪戯に気付いて居ても、見て見ぬ振りをして。勢い良く起き上がったアレクシアがシラスの体を雪の中へと倒す。「おあ」と声を上げたシラスがごろんと雪の中に転がれば、真白の世界で彼女の笑顔だけが鮮やかな色彩を宿していた。
「はは、息も白い」
「本当だね、真っ白だ」
 持ってきた橇で雪渓を滑り降りる。勢いが良すぎたって、雪の上では怪我をしない。
 ごろごろと転がって、夏の陽射しを受けながら作る雪だるまは少し不格好に。適当な木の実で顔を作ればアレクシアは「名前を着けよう」とシラスに声を掛けた。
「何が良いかな」
「んー……二人で一緒に考えようよ」
 雪だるまの手は木の枝で、防寒対策だと夏には不似合いな手袋を持ってきていたことを思い出してそっとその手へと引っかけた。ぶらりと揺らいだ腕が「遊ぼう」と誘うようで微笑ましい。
 雪合戦でも、何だって。思う存分子供の様に楽しめる。思いつく限りを何だって遊んでいられる。此処には自分たちを脅かすものなど、何もないのだから。
 一頻り遊んだ後に、シラスはごろりと転がった。アレクシアは彼の隣に腰掛ける。雲も掴めそうな場所、寒々しくて、それでも優しい太陽が注ぐ忘れられない場所。
「……ガキの頃さ、腹いっぱいカキ氷を食べるの夢だったんだよね。この雪じゃお腹壊しそうだけど」
「お腹いっぱいのかき氷かあ、いいね。山から降りたらかき氷巡りでもしてみる? 幻想のガイドブックを買うとか!」
 かき氷を作る魔法なんてものがあれば此処で疲労できたかも知れないとアレクシアが考え込めば、シラスは「じゃあ、次の約束で」と笑った。
 生憎と持ち合わせて居ない魔法だが、そんな物があるだろうかと話せばフランツェルが意気揚々と探しに行きそうだと二人はトラブルメイカーな司教を思い出し顔を見合わせて笑った。
 何時までも子供の様に楽しんで居たいけれど、其ればかりでは日が沈んでしまうから。シラスは直ぐにキャンプの準備をしようかと立ち上がった。
 ある程度の荷物は手にしてきている。ランタンやリュックはレジャーシートの上でお留守番をして、二人揃ってかまくら作り。
「本で調べてきたけど、自分でやると結構大変だね! えーと……」
「こうかな」
「かまくらって難しいんだね。でも、こうやって一つ一つこつこつと積み上げるのって意外と楽しいかも」
 自分たちで作るからこそ達成感も感じられる。作り上げたかまくらの中にレジャーシートを敷いてから、ランタンに火を灯す。
 仄かな明かりがゆらゆらと揺れる。軽食はアレクシアが用意してくれていた。シラスは持ち込んだ食材を温めるために火をおこす。じわりと雪が溶けて少しばかり覗いた山肌に「久しぶりに緑を見た気がする」と可笑しそうに笑って見せた。
 食事を取り終え、日が暮れてからランタンの明かりの下で二人は思い出話を照らし合わせるように語らった。日記帳に書かれた情報以上に、鮮やかな景色を語るシラスにアレクシアは頷いた。記憶の補完になりえるその話は自分であるのに自分ではないようで。
 まだ見知らぬ冒険譚のようにも感じられる。シラスの口から語られる自分は本当のヒーローのようで、何処か擽ったくもあった。
 一頻り話し終えてからアレクシアが小さく嚔を一つ。シラスははっとしたように近くの毛布を手繰り寄せる。
「流石に冷えるね、大丈夫?」
「うん、大丈夫。シラス君こそ平気?」
 何時もと違う場所で眠るのは新しい冒険の気配をさせて心が躍る。
 何処か落ち着かないアレクシアに可愛らしいと感想を抱いてからシラスは厚手の毛布をアレクシアの肩に掛けた。
「シラス君が寒くなっちゃうよ」
「俺は平気――……ってのは少し嘘だな。うん、寒い」
 やっぱりとアレクシアは笑ってから毛布をそっと持ち上げた。肩が少しぶつかる距離で白い息を吐いてかまくらから空を見上げる。
 こんなお泊まりも楽しくて、シラスは打つかった肩の温もりに少しばかり緊張したように肩を揺らした。
「アレクシア、不思議だと思わないか? 雲の絨毯が俺達を包んでるんだ」
「此処は雲よりも高いけど、星には手が届かないのかな」
 澄んだ空は星がよく見えた。白い息を吐いたアレクシアがかまくらから外を覗けば星々がきらりと揺れている。
「……この星は、何処で見たって同じなんだろうなって思うと不思議だね」
「そうだね。深緑でも、幻想でも、この空は続いていて、同じ星が瞬いてるんだ。
 でも、見え方は違う気がするな。幻想より、深緑の方が綺麗に星は見えそうだし、此処はそれよりもっと綺麗だと思う」
 白い息を吐いてからアレクシアはそっと手を伸ばした。
 届きやしないと知っているけれど、手を伸ばさずにはいられなかった。そうやって、手にしたものは数多くあり、失ったものもまた数多くあった。
 シラスはアレクシアに倣って空へと手を翳す。影が落ちる。星にも空にも手は届かないけれど――何度も繰り返せば星を握りしめていたりしないだろうか。
 瞬く様に輝く星は、記憶にも似ていて。何時だって見えているのに、ふとした刹那に消えてしまう。
「……ふふ、もしも、星を食べたらどんな味だと思う?」
「屹度、吃驚するほど美味しいぜ」
 可笑しな事を口にしてから二人は顔を見合わせて笑った。

「アレクシア、起きて」
 日の出前に起きてから眠気眼のアレクシアを誘ってシラスは歩く。
 時間帯、天候、季節、本で調べた限りでは条件はぴったりだ。アレクシアをあっと驚かすような――そして、忘れられないような景色を見せてやりたかった。
 誰と行ったか忘れてしまっても、景色だけはその記憶にこびり付いてくれるだろう美しい世界。
 その中に彼女を連れていきたくて。
「何処に行くの?」
「お楽しみ」
「……お楽しみかあ」
 アレクシアは頬を緩めた。素敵なサプライズをしてくれるのだろう。彼がこの場所を選んでくれた。
 その時からその景色が選択の理由に入っていたならば、嬉しい。シラスがアレクシアに見せる為に考えてくれたとっておきのプレゼントなのだ。
「アレクシア、もうすぐだよ」
「うん……少し、寒いね」
「そうだね。暖かくしてきて良かった」
 夏でも身を包んだ空気は冷たくて。シラスは傍らのアレクシアの横顔を眺めた。何かを期待したような鮮やかなエメラルドの眸。
 その横顔に光が差していく。濃紺に朝焼けが差してくる。光は薄らと紺碧のキャンパスを塗り潰し――
「わあ」
 一面の雲海が照らされた。朝焼けに染まった雲海にアレクシアは思わず声を上げた。
「綺麗だね、山と海を欲張った景色だぜ」
「そっか、これもひとつの海、なんだね……」
 はっとアレクシアは息を呑んだ。蒼穹に広がる海があるなんて、すっかり忘れてしまっていた。
 ただ、見惚れるように景色を見詰めるアレクシアの横顔をシラスは眺めていた。
 朝焼けに照らされて、嬉しそうに笑った彼女を見るだけでこの場所に来て良かったと思わせてくれるから。
「凄いね、シラス君。君との旅は驚きの連続だね」
「そうだね、アレクシア。来ることが出来て良かった」
「うん、良かった。とっても、とっても楽しい」
 何時だって、彼との旅は楽しかった。シラスは新鮮な驚きと、笑顔をくれる人だから。彼と共に過ごす旅が詰まらなかったことはない。
「綺麗」
 何度だって、口にした。
 鮮やかな緋色の海。手を伸ばせば届いてしまいそうな蒼穹の彼方。
 少女と少年の旅は、『ヒーロー』と『勇者』の旅に変化した。
 時には見ている方向さえもすれ違ってしまうような二人ではあったけれど。ぶつかり合って、互いの方向を見定めてきた。
「綺麗だね、シラス君」
「そうだね、アレクシア」
 ――この旅も、二人にとってかけがえのないものになるのだから。
 けれど。
 アレクシアは唇を震わせる。恐ろしいのは失うことだ。
 記憶の欠けは、あの奇跡の後遺症だった。遍く奇跡は何人にも代償を求めるもので、己の記憶は蝕まれて失われていく。
(……いやだな)
 アレクシアはぼそりと呟いた。
 この日もいつかは忘れてしまうのだろうか。こんなにも、大切な人と共に過ごす愛おしい毎日を。
 失うことは恐ろしい。忘れてしまうのは死ぬのと同義だ。記憶が死んでしまうのだ。誰にも弔われることもなく、アレクシアのなかでひっそりと死んで、無かったことになる。
 それは酷く恐ろしくて立ち止まってしまいそうになる。
 ああ、けれど、アレクシア・アトリー・アバークロンビーは立ち止まるよりも多くの花を咲かせていこうと決めたのだ。
「シラス君」
「ん?」
 アレクシアは呼び掛けてから彼の瞳を覗いた。美しい、夜の色。
 この色を忘れることはきっとないだろう。何時だって夜はやってくる。明けない夜はないと笑えど、静寂の夜も愛おしく抱き締めて居られるから。
(――君の眸の色は、夜だ。何時だって、となりに居てくれる色彩だ)
 シラスはぎゅっとアレクシアの手を握りしめた。柔い掌はそっと握り返してくれる。
 もう、随分とその掌が小さいことを知った日は遠くなった。初めて手を引いた日を彼女は覚えて居るだろうか。
「楽しいね」
「ああ、そうだね」
 楽しいと笑う彼女の笑顔を見られるだけで幸せだった。
 シラスは握る手の力が無意識のうちに強まってしまったことに気付く。
 この記憶だっていつかは彼女の中から毀れてしまうのだろう。それでも、彼女と新しい世界を見て、新しいことを知って、思い出を増やす旅をするのは楽しかった。
 毀れてしまうなら、そんなこと構うこともない溢れる思い出を作れば良い。
 記憶に蓋をする事なんて無い。忘れてしまうならば、忘れたって、良いくらいにもっともっと、何時だって彼女を満たしてやればいいのだから。
「アレクシアが今日の自分を忘れても、俺はずっと覚えてる。
 明日のキミも未来のキミもいつまでだって大好きだ」
 明日、目が醒めて全てを忘れてしまったとアレクシアきみが言うならば。
 シラスは間違いなく答えるだろう。じゃあ、昨日の君よりも楽しい一日にしよう。
 あしたが来ることを恐れるならば、迷った君の鏡になろう。シラスが彼女が誰なのか、何時だって教える事が出来るから。
「ありがとう」
 ぽつりと零してからアレクシアは右手の暖かさだけを感じていた。

 今日という日に、君が隣で笑っていた。
 今日という日に、君がくれた思い出がアレクシアを強くする。
 だから――前を向いていける。

「アレクシア」
 呼んだその名前は愛しい響き。麗しく愛おしい、『俺の花アレクシア』。
 咲き誇った日常に水を遣るその役目をささやかにでも分けてくれたことが嬉しくて。
「次は、何処へ行こう。その次も……数え切れないくらいの約束をしようか」
 君は、戯けたように笑った。

 ――世界でたったひとりだけのヒーローに捧ぐ。

  • たったひとりだけの君に捧ぐ完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2023年02月09日
  • ・シラス(p3p004421
    ・アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630

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