PandoraPartyProject

SS詳細

嚥下する悪のかたち

登場人物一覧

シラス(p3p004421)
超える者
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女

 夜盗を討伐してきて欲しい、と依頼を受けたのは偶然の事であった。ローレットで引き受けた任務の『ついで』にしては重たいその依頼をシラスは二つ返事で了承した。日銭を稼がねば生きていけない事をよく知っている彼にとって、与えられた仕事にYesを返すのは至極当然の事であった。同行するアレクシアの表情に暗雲立ち込めた理由は――恐らく、シラスには分からなかった。
 美しく世界を照らす黒曜の石を飾ったティアラ。寵妃へのプレゼントだと誂えたばかりのそれを盗賊が夜半の内に奪ってしまったのだという。その黒曜の石が良く映える白百合の如き寵妃は泣き塗れて子爵に言ったそうだ。「貴方の愛を盗まれてしまってはわたくしはどうして生きて居られましょうか」と。美しきおんなにそのように言われてしまえば子爵も堪ったものではなかったのだろう。簡単な依頼を頼んだ『ついで』として特異運命座標に簡単なオーダーをローレットも通さずに出したのはそういうワケがあるそうだ。

 ――急ぎ愛しい黒曜の姫のティアラを奪い返してほしい。彼女に涙を流させた者の命は奪ってしまえ。
 これまでだって、嗚呼、見逃して来たけれど強奪などで領民に怪我を負わせ、捕まえんとした男を殺したことだってある!
 あいつらを赦しておけたのはあくまで領民たち同士の話だったからだ。それが飛び火したなら話は早い――

 随分な話だとはシラスも思っていた。領民が殺された時点で『処分』するのが領主の務めだろうと思えど、この腐敗した国ではそうした常識的な事も通らない事はシラスが身をもって体感している。
「盗賊……にしては子供じゃないかな」と、シラスは肩を竦めた。黒曜のティアラを手にしていたのは年の頃はシラスよりやや下だろうか。泥に塗れた少年少女たちであった。幻想国ではよく見られる下級国民であり孤児なのだろう。生きる為に――それはシラスが日銭を稼がねばならないと考えることと同じだ――盗み出したと野良ネコの様に気を逆立てそう言った少年にアレクシアはどくりと鼓動が跳ねる気さえした。
「シラスくん……」
「言いたいことは分かる。けど、『仕事』だからね。それじゃ」
 手にしたナイフは軽い物だったのだろうか。立ち竦んだ儘、理不尽にも家と親を亡くし路地裏に住む少年たちを見遣ったアレクシアの掌に夏に降り荒む雨の様にじっとりと気色の悪い気配が張り付いた。
「お兄ちゃん」と孤児の少女は少年にしがみ付いた。黒曜のティアラを抱えた少女の唇が戦慄いている。シラスは知っていた――この世界は強くなければ野垂れ死ぬだけなのだ。食い物にされて、理不尽に命を絶たれて。そんな事、厭という程に知っていた。冬の寒さに頬を赤らめた少年は噛み付く様にシラスへと飛び付いた。
 ぐん、と。その身を持ち上げる様に捻り上げ一気に身体を地面へと落とす。夜盗を働く少年と特異運命座標であるシラスの歴とした実力差であった。礫の如く地面に投げられたその身体から潰れた蛙のような声が上がる。
「殺すのかよ! 貴族様の宝石ひとつ奪っただけで!?」
「今回が初犯って口ぶりじゃないよね。スリがばれて村人一人殺した事位聞いてるよ」
「あいつらは俺達を殺そうとした! そんなの、正当防衛だろ! 殺さなきゃ死ぬんだ!」
 殺さなきゃ死ぬんだ。少年が吐き出したその言葉はアレクシアにとっては氷の礫の様にごつんと頭を殴られたかのようだった。
「ッ――妹も殺すのかよ! 人殺し!」
 人殺し。寒々しい空気を吸い込んだ肺がちくりと痛んだ気がしてアレクシアはシラスと少年のやり取りを見ていた。少年は殺した事なんて忘れた、と言った。そうしなくては生きていけないから、我武者羅なままに死んだ奴もいるかもしれないと。

 ――いつか、天使になって世界中の不幸を摘み取りたい。
 けれど、不幸な誰かを見る事が幸福な人もいる。その人から見れば私は悪役なのかもしれない。
 ああ、けれど、それでいいの。私にとっての正解は不幸を摘み取る事なのだから――

 アレクシアの脳裏にはいつの日か読んだ御伽噺が浮かんでいた。そうだ、彼らはアレクシアという少女の目から見れば不幸の中にどっぷりと浸かっていた。人を殺さねば生きていけない程に切迫した状態であった孤児の少年少女。それは、悲しみの中にあり、救いたいと願った存在であるはずなのに。
「シラスくん」と呼ぶことができないままにアレクシアはその動向を見ていた。シラスと少年の会話は薄氷の上を渡るような問答の繰り返しであった。人を殺した。生きる為には仕方がない。どうしてようもなかった。殺さなくては生きていけなかった。その言葉をシラスは『当たり前』の事のように認識した顔をして「そっか」とだけ返した。
「――大体はわかったよ」
 シラスはそう言ってからナイフを振るった。
 分かったけれど、『殺さない』訳ではなかった。オーダーは殺す事だった。彼との対話から少年には人の命を奪った事があるがそれに罪の意識を感じて居なかったことは明らかだった。生きる為には仕方がないと認識し、それを重く感じ取っていないのだろう。只、今は保身の為にシラスへと『殺さなきゃ死ぬ』と抜き身のナイフを握りしめて襲い掛かっている。
 赤が広がり少女の叫び声が上がる。ティアラを抱えた彼女を逃がすわけにはいかなくて、シラスはその口を塞いだ。
 アレクシアが目を見開く。ばしゃり、と音が鳴ったのはそれと同時だ。少年との対話の中で、幼い少女を『囮』にして村民を殺したことは明らかだった。少女だってそれに対して罪を抱くには余りにも幼かった。だからこそ、此処で逃がせば盗みを続ける事など分かり切っていた――分かり切ってはいた、のに。
「――う」
 錆鉄の香りが周囲に広がっている。アレクシアは口を押えてその様子を胡乱に見つめた。
 顔を上げれば降り出したばかりの雪が子供達の華奢な身体の上に降り注ぐ。美しい、白い雪が粧う様に地面に触れた途端、水と化した雪に流される赤は排水溝へと吸い込まれていく。ティアラを布袋に入れながらシラスは「終わったよ」とアレクシアを振り返った。
「アレクシア……?」
 口に手を当て、その様子をじっとりと見つめていたアレクシアの瞳に不安と驚愕が浮き彫りになっている。シラスはそれを見て愕然とした。「死んだの?」と確かめる様に問い掛けた声音にシラスは小さく頷く事しか出来なかった。
 罪の意識も悪である事など、何の感慨もなくナイフを振り下ろしたシラスにとって、アレクシアのその反応は予想外にも等しかったのだ。確かに、彼女の性格は知っていた。心優しい魔法使い。性急に仕事を進め過ぎたのだろうともシラスは認識していた。
 けれど、今、この段階までシラスは相手に対して何の罪悪の意識もなかった。少年たちと同じだ――『そうしなくちゃ生きていけなかった』『殺さなくては死ぬ』からだ。
 初めてスリをした日の事はもう忘れた。それを憶えてはいない様に、依頼で殺した一人目がどの様な容貌であったかさえシラスは忘れてしまった。善悪の区別も記憶しておらず、その命を憶えて置くという労力さえ使うに適さない存在だったのだとシラスの中では昇華されていたはずなのだ。

 ――殺したから、どうだっていうんだ。それよりも先に進まなくっちゃいけない。
 必要なのは価値だ。自分という商品価値。知らしめて、押し上げて、確かめて、繰り返しの作業だ。
 その作業に、感傷なんて必要ない。もっともっと、高い場所に行かなくちゃならないから――

 ……昇華していた。アレクシアのその蒼褪めたかんばせを見るまでは。何も考えちゃいなかった。寧ろその時はこの後の予定をどうしようかな、位の日常の延長戦だったのかもしれない。
 ごくり、と喉が鳴ったのは気のせいではなかったらしい。滲んだ唾液と共にアレクシアへと向けた言葉はどうやらごくりと嚥下してしまった。
 その蒼褪めたかんばせに「こいつらは殺されるだけのことをしたんだ。だからキミが気に病むことなんてないさ」なんて御為ごかしでしかない。思考の外に合った綺麗事で彼女の心に沸き立った不安と焦燥を拭えるなんてシラスも思っては無かった。だから、嚥下して喉元を通り過ぎた熱に不快を溜める様に息を吐きだした。
「あ、ううん。 おつかれさま……」
 へにゃり、とアレクシアは笑った。何時も通り、彼の仕事を労わる為に言ったはずの言葉は今は空っぽの響きを湛えていた。そうだ、彼は別に何か悪い事をした訳じゃない。仕事だった――そして、相手は人を殺したことがあると言っていたではないか。
『悪だと判別した』相手である以上、殺さなくてはならなかった。殺す事を求められた以上、それを受諾した段階で覚悟は決めておかねばならないのだから。排水溝に飲まれていく赤と錆鉄の匂いにくらりとした気がしてアレクシアはゆっくりと俯いた。

 ――殺さなくてもいいんじゃ?――

 今から誰かを殺せと言われ、殺せる筈がなかった。シラスは躊躇いなく殺すのだろうが、アレクシアは殺す必要なんてないんじゃないかと考えてしまった。その価値観と感性の違いがのっぺりとした壁の様に存在する気がしてアレクシアは咥内に滲んだ唾液をごくりと飲み干した。
 赤と黒――まるで酸素に触れて色味を変えた血液の様な――濁った靄を思いだす様にアレクシアは唇を噛んだ。その蒼に染まった白い頬にシラスは何も声をかけることができなかった。
 忖度しただけなのだ。彼らの罪状なんて必要以上に考えず――もう忘れた――依頼に合致した、そして、出来ると判断したから殺しただけなのだ。強者と戦う様な昂ぶりを感じたわけでもなく弱者を捻る呆気ない死が其処にあっただけなのだ。実に合理的判断であったのだとシラスは認識していた。けれど――彼女にそれを強要することも、言葉を飾って向ける事も、誤魔化す事もとても汚いものに思えてならなかった。
 黙り込んだシラスに、アレクシアはいつも通りの「おつかれさま!」から感情を悟られていたのだと察した。鋭利な刃の様に彼の行いを糾弾したわけではない。只のなまくらを抱えた儘にどうしてと泣いている非力なだけではないか。
 生命というモノは儚く、そして、脆いものだと何時かの日実感したのだ。バーチャルの中で握り占める事になった兇刃は重たくアレクシアの掌をべたりと赤く染めているだろうか。『逃げ癖』の様に己に寄り添ったその感情をシラスに押し付ける事は出来ないのだとも理解していた。
(――命を奪わないっていう、選択肢があったなら。それを追い求めたいと思うんだ、なんとか、できないのかな……)
 なんとか。
 黙り込んだシラスにアレクシアは彼は正しかったと頭の中で繰り返した。彼は正しい。彼は仕事のオーダー通りにやったのだ。
 殺してきて欲しい。命を奪って来いと云うクライアントのオーダーを真っ当にこなしただけだ。どちらかと言えば自分のこの思考の方が間違いなのだとアレクシアは認識していた。仕事というモノは自身の感情に左右されてはいけないのだという。白百合の様に白く、病的に細い指先が兄を探し求めてぴくりと動けど、肺一杯の冬の空気を厭う様に身体をうごめかした少女の背を撫でる事さえ『人殺し』には許されないのだ。
 笑みを張り付けた儘にアレクシアはシラスを見ていた。内心では期待していたのかもしれない。無意識化でシラスに対してアレクシアは『自分と同じように考えてくれている』という認識を与えていたかもしれなかった。流れる時間は冬の冷たさで嫌という程に感じられた。
 僅かに唇を戦慄かせてアレクシアは「シラスくん」と彼を呼んだ。常の通りと貼り付けた笑顔の上には空元気が腰かけている。胡坐をかいた嘘にはきっと彼も気づくだろうか。
「さ、帰ってご飯でも食べよ!」
 無理くり吐き出したその言葉にシラスはは、としたように息を吐いた。その唇から漏れだした白に冬が寒いものなのだと感じ取りへにゃりとワザとらしい笑みを浮かべて見せる。アレクシアとシラスの中に隙間風のように吹いた冷たい気配を払う様に、大袈裟にシラスはうんと背を伸ばして「そうだね、俺もお腹空いたよ……今日は俺がつくろうか?」とアレクシアを振り返る。
 気づけば降り出した雪は深々と積もり全ての罪を覆い隠す様に飲み込んでいく。人殺しを悪だと糾弾する者がいたならば、こうして隠されていく悪の形を気づかぬ儘に日常を謳歌するのだろうかとシラスはゆっくりと歩き出した。
「おっ、ほんとに? じゃあお願い!」
 何時も通り。その言葉を何度も飲み込んで、アレクシアはシラスの隣へと走る。
 毎日のルーティンならば、シラスに笑みを浮かべて彼の部屋にお邪魔してこっそり蔵書を増やして笑うのだ。この本が面白かったから読んでみて欲しいな、なんて。そうやって悪なんて知らない顔をして過ごしていなければ、どうにも消化できない思いが喉元からつっかえて溢れ出しそうで。
「何がいいかなあ」と惚けて出したその声にシラスはにんまりと笑って見せた。
 互いに考える時間が欲しかった。そこに流れた時間は短くとも長く感じられるほどに――心の隙間を感じさせたから。

  • 嚥下する悪のかたち完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別SS
  • 納品日2019年12月10日
  • ・シラス(p3p004421
    ・アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630

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