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永遠に変わらない
登場人物一覧
●花弁
一生懸命あつらえた可愛らしい浴衣。
着付けにはずいぶんと時間がかかったけれど、その分しっかり可愛らしく仕上がったように思う。
くるりと鏡の前で一周してみる。うん、悪くはない。
いつも被る相棒のようなキャップは今日ばかりはお留守番だ。
下駄を出して、かばんをもって。家の鍵を閉める。たったそれだけの動作なのに、今日はいつもにもまして特別に思えるのは、特別な人とのデートだからだろうか?
たったった、と浮かれた気持ちで走り出す。宵空に星が散る頃の待ち合わせ。
待ち人たるおとこ――幻介は、十分前にも関わらずそこにいた。
慌てて手ぐしで髪を整えて、それから。からかうように後ろからとびかかる。
「せーんぱいっ」
「なんだ、そんなに笑って」
「だぁってぇ、先輩がわざわざこんなにめかしこんできてくれたんっすよ? 嬉しくないわけないじゃあないっすか」
すべて本心だ。ただ照れ隠しの行動がオーバーなだけで。
「ったく、相変わらず口が達者だな」
「先輩知ってるっすか? 男子、三日会わざれば刮目して見よって言うんっすよ?」
「へぇ、詳しいんだな。じゃあ刮目して見ればいいじゃないか」
「もう見てるっす。女の子はちゃっかりしてるんすよ?」
くるりと回って見せた浴衣。幻介に響いている様子はなく、そっと帽子を被り直そうとして、それが無いことに気がつく。これでは寂しい顔も誤魔化せそうにない。髪を直すふりをしてそっと袖で顔を隠した。
ウルズが夏祭りに幻介をデートに誘った今日。空はすっかり真っ暗、橙は西へと沈んでいく。はらりはらりと花が散るような可憐さ。風を浚うように幻介が一歩先に歩みを進めれば。
「待ってくださいよ、先輩」
「ああ」
なぜだか今日は、幻介がやけに遠く思えた。
からころとなれぬ下駄の音を鳴らして、その背中を追いかけた。ひらりと風に揺れる烈火は届きそうで届かない。掠めていく掌、伸ばした先。広がる屋台の一角に並んでいたのは。
「……あれ、エルシア先輩じゃないっすか?」
「あら? こんばんは。お二人もお祭りに?」
「はいっす。エルシア先輩もっすか?」
「はい! ここのお祭りは楽しいのだとお世話になった依頼主さんに教えていただいたんです。良ければ一緒に周りませんか?」
きっと下心なんざないだろう。そう決まっている。
だけれど。普段は好ましいはずの彼女の笑みが今日はやけにねちっこくて、粘着質ななにかに思えて。そんなふうに感じてしまう自分が馬鹿みたいで、そんな気持ちを振り払うために一層笑みを貼り付けた。
断れるはずも、ないじゃないか。
「お、だったら三人で食べれる何かが欲しい所っすね? 自分、ちょっと向こうで美味しそうなのを見かけてたんで買ってくるっす、ちょっとその辺で待っててください!」
「う、ウルズさん? で、でもはい、ありがとうございます!」
どうしたら。どうしたら人はこんなにも醜くなれるのだろう。
どうしたら。どうしたら人はこんなにも脆くなれるのだろう。
世界はあまりにも残酷だ。恋をすればするほどに、誰かを妬むことばかり覚えてしまう。人混みに逆らって走り出した自分は、逆らえない運命に抗おうともがく魚みたいだ。
たこ焼き、いかせんべい。それから、それから。両手に沢山の食べ物を抱えてしまうことになったウルズ。本当は何も、目当てのものなんてなかったのに。
ゆっくりと歩きながら帰ろうとした矢先。ウルズはある店を見つける。
きっと普段なら運命なんて気にすることはなかった。けれど。今日のウルズは違った。
神頼みの運ゲー。そんなものにすら頼りたくなってしまうほどには弱っていたのだ。こんなお祭りに誘ったのだって、『恋が叶う』と噂の神社に行ってみたかったから。
(……恋愛成就、ねぇ)
こんな赤い糸くずに何が出来るのだろう、と半信半疑な自分がいる。けれどちゃっかり購入してしまっているあたり自分もまだまだだ。
赤い糸の効果は『好意を向けている相手が近くにいると勝手に動き巻き付く』というもの。なにやら使い方は指輪のように小指に巻いておくだけのようで。
「はぁ……」
こんなものを信じてしまうなんて。なんてぼやきながらもやっぱりしっかり小指に巻き付けてしまう。この恋が叶えばいいと願っているから。
ちゃっかりと自分の小指に巻き付けた頃には機嫌も何とか上を向いていく。
「お待たせしたっす!」
「あ、おかえりなさいウルズさん!」
「遅かったな。何かあったのかと思って心配したぞ」
嘘つき。心のなかでひとり悪態をつく。どうしてお揃いのお面なんてつけているのか。聴きたいことは山々ある。だけれどそれが水を指すことだともわかっている。だから、嫉妬の分だけ嘘を吐く。
「先輩ったら~そろそろ素直になってくれてもいいんすよ? あたしのこととなると真剣になっちゃう、って」
「冗談も大概にしろバカ」
からかうように指を絡めて熱烈なアプローチをかければ飛んでくるお説教。けれど頭を撫でるその手は大きくて、たくましくて。ああ、その意識が自分に向けられているのだと理解したときの嬉しさと言ったら!
なんだかんだで優しいその撫で方に頬を緩ませ、ちゃっかり手を繋いだ際に赤い糸が幻介の小指に移っていたりなんかして。ああ、彼にも己と同じように好意があるのだ、という事を確認してにんまりするけれど。
ぷつん、なんてあっけなく糸が切れてしまう。
「あ……」
ウルズが漏らしたため息。今日はなんだか、ついてない。
そんなウルズの悲しさや陰りにも気付くことはなく。進もうとした拍子に転びかけたエルシアを咄嗟に支えようとして手を取る幻介の姿が、一歩後ろを行くウルズの視界一面に映る。
先輩とはそういう人だ。
困っている人がいたら助けを出して。手を差し伸べて。だから、迷うこともなかったのだろう。……ああ、ほら。あんなに必死で、心配そうで。そんな顔、あたしにしたことあったっけ?
なんだかやけにスローモーションだ。好きな人と、恋敵が幸せそうにしていて嬉しい理由なんて無いのだけれど。今日はいつもにもまして嫉妬心が強い。どうしてだろう?
「大丈夫か、エルシア?」
「は、はい、ありがとうございます幻介さん。助かりました」
差し伸べられた幻介の小指についていた赤い糸は。まさか、なんて思ったけれど。今日の運の悪さならありえないこともない。
「……」
ああ、やっぱりか。
神様は自分に味方することはないのだろうか。
「あれ、なんでしょう、これ」
「なんだ?」
「いえ、糸がついてたみたいで……」
はらりと振り払われた赤い糸は雑踏の中に落ちて、踏まれて、消えていく。
どうして。
こんなにも想っているのに。1mmくらいは、振り向いてくれていると思ったのに。そんな素振りだって0ではなかったのに。
苦い。苦しい。叫び出したい。そんな気持ちを押し殺して、小指がうっ血するほどにきつく、きつく巻き付けた。
けれど。
「ウルズさん、あの屋台行ってみませんか?」
「……」
「ウルズさん?」
「あ、ああ、ぼーっとしてたっす。いいっすよ、あれ……型抜きっすよね?」
「そうです!」
ふふふ、とたおやかに微笑むエルシアは可愛らしい乙女のそれで。同じ相手を狙う恋敵だというのにこんなにも優しくしてくれるから、自分の醜さが浮いて見えたようで嫌になってしまう。
ついてこようとする幻介に『女子会です』と遮ったエルシアは、ウルズの隣で型抜きの型をがりがりと削りはじめた。
「なにか、お困りごとですか?」
あたしのなにを知っているんだ。
「……私に力になれることはありますか?」
あたしのなにがわかるんだ。
そんなこと考えたってどうしようもない。そうだとわかっているはずなのに思考を止めることが出来ない。
己の内に生まれた疑心を無かったことにする為に。
人の為と書いて偽りと読むように。
もう幻介の優しい嘘でしか救われない、告白を決意する。
ずっと呟いていた。好きだと。愛していると。だけれども彼はそれを受け入れることはしなかった。
だから今日限りで最後にしよう。こんな胸を締め付ける思いに苛まれ続けるのも。
エルシアには悪いが。先に好きになったあたしの気持ちを組んでもらおう。……なんて押し付けがましいにも程がある。けれど、今日はそんなことを考える余裕すらもないくらいには、焦っていた。
「実は……あたし、」
――幻介先輩に、告白しようと思ってるんっす。
それを告げたとき。
エルシアの表情は、まるで自分が告白でもされたかのように、真っ赤な顔をしていたのだった。
●その日の月は、とても綺麗なものでした。
ああ、そうだ。
女というのは卑怯な生き物なのだ。
協力してきた恋敵を押しのけてまで。たったひとりの最愛に、見つめてもらいたいと願うのだ。
「……あれ、ウルズ? お前達二人で行ってきただろう、エルシアは」
「先に帰られたっす。なんでも依頼があったそうで!」
「そうか」
特に興味を示す様子もなく。ただぼんやりとあたりを見回す幻介。
その視界の中にウルズはいない。その簡単で単純な事実が、苦しい。
けれどそうだ。邪魔者だって追い返した。だから今こそ言わなくてはならない。
幻介の手首を掴み、人混みのない神社の境内を目指す。
「ウルズ?」
「先輩、ごめんなさいっす。ちょっとだけ時間がほしいっす」
綿あめみたいなふわふわした気持ちでもない。
かき氷見たくカラフルでもない。
たったひとつのウルズの気持ち。ただ、幻介に選ばれたい。
他の女が幻介の魅力に気が付きはじめたときから焦る気持ちを押し殺していた。きっと彼は誰のことも選ばない。だから、誰にとっても平等だ、なんて。
だけど今はもう違う。幻介が誰かを選んだっておかしくはないと、そう確信めいた予感が働いている。だからいまここで区切りをつけなくては。
恋に卑怯も抜け駆けもない。もしもあるのなら、一番最初に好きになったウルズが優遇されるべきだ。……なんて、傲慢で、醜くて。どうしたって、可愛くはなれないけれど。
「先輩」
花火が咲いた。
そういえば花火大会だったか。
だけれどもそんなこと気にしている余裕は、ウルズにはない。……風が吹いている。いつもと変わらない、風が。
「お願いが、あるっす」
声が震える。
幻介は何も言わない。
ああ、こんなときまで優しいのか。それとも……逃げているのだろうか?
もうわからない。心が麻痺してしまったのだろうか。
きゅっと深く被ろうとしたキャップ。手は空を切り、そうして気付く。自分もまた、逃げようとしていたことに。
「嘘でも良いっす、嘘でも良いから、」
願う。祈る。
どうか、この心が届くようにと。
「……一度だけ、あたしのことを好きって言ってくれないっすか」
運命なんて信じない。
それでも、信じたい。きっとこれまでは無駄ではなかったのだと。あなたの言葉で、そう思わせて欲しい。
泣くつもりではなかったのに涙が溢れる。両手で拭っても、拭っても。それは止まることを知らない。
ああ、だから嫌なのだ。きっと困らせてしまっていることは理解している。けれどそれ以上に、こんな涙でさえも彼を咎め引き留める枷になりうるのだとしたら。
なんて浅はかな考えを受け入れることが出来てしまいそうになる。
それは彼の心を踏みにじり弄ぶ行いだと理解しているのに。それなのに。
心のどこかで期待している。同情した彼がこの気持ちを受け入れてくれるのではないかと言うことに。
「ウルズ」
「すまない」
最低の自分にお似合いの結末だ。
嘘を吐き続けてきた。笑い、からかい、そうやって自分を守ってきた。ならば、こんな仕打ちも仕方ない。自分が招いた結末なのだから。
「あー、っ、……やっぱり、っすか?」
気丈に。笑顔で。それから、それから。
真心をこめて育てた恋心はいとも容易く砕かれた。そんな想像だってしたことはあったくせに、やけに胸が痛い。
「……やっぱり、こんなもの効かないっすね」
赤い糸は働かない。
いいや違う。最初からウルズとは結び付いていなかったのだ。何かを言おうとし、何かを語ろうとすればするほどに目頭は熱くなる。
馬鹿みたいだ。
どうしてこれ以上足掻く必要があろうか。
花火に夏祭り。二人きりで誰にも邪魔されず、想いを伝えて、フラれて。最高のシチュエーションでも。最良のタイミングでも叶わなかった。
彼の心は自分には奪えなかった。
「やっぱり……幻介先輩の心の中に、あたしの席はもう無かったんすね」
言葉には常に責任が付きまとう。
自分のことが好きでないだけならば、いつか自分の事を好きにしてみせるという覚悟でいた。
自分の強みは『絶対に諦めない事』だと思っていた。
(けど、エルシアの事が好きなら仕方ないじゃないっすか……)
ぼろぼろと溢れて止まらない涙はもうウルズにすらも止められない。
叶わない恋じゃないと思っていた。いつか彼は振り向いてくれるだろうと。そんな気さえしていたけれど。
もう、無理だ。
ついに心は折れてしまった。
どうしようもないことを理解してしまった。
エルシアにわざわざ時間を譲ってもらったのに、と後悔の念が頭を過ったところで気付く。
失恋してしまった今、自分が彼のところにいる必要はない。むしろ彼女がいるべきなのではないか、と。
口をついて出た言葉は。
「エルシア先輩とお幸せに、さようなら」
そんなこと思っていないのに。
幸せにするのは自分がよかった。
さようならなんてしたくない。
けれど。けれど、彼がそれを望まない。ならば答えはひとつ。
立ち去るのみだ。
「おいっ、ウルズ……!!」
制止の声が聞こえた気がするが一度走り出したら止まらない。
熱い目蓋を押さえ、誰にも見られないように。今すぐこの世界から消えてしまえるようにと走り続ける。
(ウルズってこんなに早かったか!?)
幻介もまたその背中を追い掛ける。
只管に距離が空いた。けれど、ふいにウルズは立ち止まる。
様子がおかしい。
追い付かれることを許すようなウルズではないと知っていた。けれどそんな違和感を気にしている余裕はない。息も絶え絶えになりながらウルズの肩を掴み振り向かせる。
「おい、お前、まだ返事は……」
「……誰っすか?」
咲き誇るはスチータス。
風に揺れるは変わらぬ心。
「ええと……はじめましてっすかね? あたしはウルズっす。先輩はなんて言うんすか?」
謝罪よりも先に。
苦しむよりも先に。
涙がこぼれるよりも先に。
――泡沫のスチータス。
熱も。恋も。愛も。
全てまやかしだったのかと思わずにはいられないほどにけろりと笑うウルズ。
「……人違いだった」
彼女は運命を『捨てた』。
そうであるならば。同じように幻介も捨ててしまわなくてはならない。
彼女と出会った運命を。
これでよかったのだ。……だから、悲しむことはない。
落胆の色を滲ませた幻介の背中を見送ったウルズは。
「――っ、あああ……!!!!」
声をあげて泣いた。
もう二度と交わることはないであろう運命を『選んだ』ことに。
何一つ変わらないままの心。たったひとつの嘘。
『幻介を忘れた』という嘘も。突き通せば、真実になるだろうかと願いながら。
一方のエルシア。草の茂みで声を押し殺していた。涙を流し、ウルズ同様に泣いていた。
最初に幻介を好いたのはウルズだと知っていた。それなのに、二人の関係を壊してしまった事に気付いて動揺していた。今、起きたことはなんだ? これは現実か?
告白を見守らなくては。
恋をしている二人の結末を。そして、自らの結末を見届ける義務があった。
自らの人生に悲劇的な結末を望んでいた。けれど真実の恋におちた。
そんな自分をウルズは笑って受け入れてくれた。だから、そんな彼女が先に告白するときいて嬉しかった。何よりも真っ直ぐな彼女を同志として隣で見続けてきたのはエルシアだから。
けれどウルズは捨ててしまった。
彼に出会った運命も。彼へと抱いた恋心も忘れてしまったのだと幻介に思わせて。
泣きじゃくるウルズの声。遠ざかっていく幻介。
二人の間に生まれた亀裂は。もう戻ることはないのだと、そう知覚する。
「母をこの手で殺めた罪深い私に、恋をする資格なんてなかったんですね……」
エルシアならば何か話を知っているのではないか。
そう思って走り回る幻介。けれどエルシアもまた、幻介を拒み、捨てる。
……ウルズが戻ってくるまで幻介の前には現れるまい。そんな痛々しい決意と共に。
ああ、けれど。幻想種の彼女にとって人間の命とは瞬きと共に消えてしまうような脆いもので。道が再び交わることは、無いかもしれないのに。
ふたつの恋の終わり。
夏の夜に溶けて消えた淡い願い。
二人の女の恋と、一人の男の縁の終わり。
ただあなたに選ばれたかった。好きだと言われたかった。
けれどもう、叶うことはない。
スチータスは咲き続ける。永遠に変わらない心の痛みを、ウルズの胸に刻み込んで。
最初から貴方を好きにならなければよかった?
……いいや、違う。
貴方と出会うことが出来てよかった。
そんなことを伝えることも出来ないままに、貴方と縁を別つこの不義理が。
どうか、許されればいいと願って。
今此処に書き記そう。
彼女らの恋は。
永遠に、潰えた。