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恋する乙女とビターチョコ
登場人物一覧
夜の森は不思議な世界。黒い木々が深々と生い茂り、昼間はあんなに美しい花々も蕾を閉じて眠っているよう。
ホーホーと鳴く鳥の声。ガサゴソとなる茂みの音。キラリと光る何者かの目。何が出てもおかしくはない雰囲気。
だけど、ここは私の庭のようなもの。私はお散歩が大好き。お散歩してると、綺麗なモノや不思議なモノを見つけたりできるんだもの。それに私が働いている喫茶店に飾る花や蜜、木の実も散歩中に調達するんだから。
ここは、いつものお散歩ルート。暗くても、私の綺麗な羽根が照らしてくれるもの。何が出たって怖くなんかないわ。
「あら、こんなところに泉なんてあったのね?」
その泉の底からは虹色の光がオーロラのように輝き、水は綺麗に透き通っていて、泉の底に、まるで宝石のような虹色の小石が転がっているのが見える。綺麗な泉! お散歩は発見があるから楽しいのよ。
虹色の小石を拾って、喫茶店へのお土産にしよう。こんな綺麗な泉のこと、みんな知らないに違いないわ。
泉の側によって泉の中の小石を拾おうとしたとき、泉に私が二人写っているのに気がついた。
思わず、泉から飛び去って横を見やる。私じゃない私も同じように泉から飛び去ったようだ。何故なら、真横に私と同じ可憐で可愛い顔があり、少し気にしてる胸のひらたさから身長、羽根に至るまで同じに見えるから。
「あなた、一体何者よ!」
『私は本物のオデット・ソレーユ・クリスタリアよ』
「はぁ? あなたが私だって? バカなこと言ってると怒るわよ? オデット・ソレーユ・クリスタリアは、この世界に私一人よ!」
『私が本物よ! 私は早く元の世界へ帰って、片思いの彼に会いに行きたいの!』
——言葉を失ったわ。
今まで喫茶店の人を始め、誰一人にも言ってないことを知ってるなんて。私の秘密をいけしゃあしゃあと口に出すなんて!
「……なんで、あなたがそのことを知ってるのよ……!」
『彼のことなら、なんだって知ってるわ。歳は18歳程度で、すらっとした赤毛の青年でね。赤茶色の瞳で、私の悪戯をいつも微笑んで見守ってくれる優しい人。華奢なのに大剣使いで、実は魔法生物な……』
「うるさいうるさいうるさい!!! もう聞きたくないわ!!!」
なるべく考えないようにしていた。なるべく思い出さないようにしていた。辛くなるから。会いたくなるから。なのに! なのに! 人の心に土足で踏み込んできて、あなたは一体なんなのよ!
苛立ちながら、光の球を投げつけまくる。ソイツはそれを全て避け、平然と言葉を連ねる。
『そんなことをしたって無駄よ。だって、私はあなただから。あなたがすることぐらい分かるわ。そんなことより、あなたは気にならないのね……。……彼の命が残り少ないことを……。……私は、とても心配だわ』
私が最も聞きたくないことをどうしてズケズケと言うのよ。私は、あなたなんかより、優しいの! 姿がどれだけ似てても、あなたなんか私じゃないわ。
「……なんで……なんで……なんで……そんなことを平気で言えるのよ……!」
『平気じゃないわよ!!! 彼のことが好きだから、心配なのよ!』
胸が苦しくなる。そう、私は彼のことが好き。今でもずっと大好き。ソイツは、まるで私の代わりとでも言わんばかりに、さめざめと泣き続ける。
泣かないでよ。泣きたいのは私よ。心の傷を抉られて、並べられて、晒されて。心をズタズタに切り裂かれて、温かな血が全て流れ落ちてしまうような感覚だわ。そして、その代わりに、冷たい流氷が私の心を凍てつかせていくのよ。
『……グスッグスッ……、私は彼に会うために帰るの。元の世界に帰ってやらなきゃいけないことがあるんだから……』
「……黙りなさいよ。これだけ、私の心を傷つけておいて、それ以上、何を言うつもりなの……?」
『だって、決めなきゃ始まらないのよ、何ひとつ。心は止まったまま進まないわ』
言うことなんて、分かりきっているのよ。
「じゃぁ、あなたは、そこで、ただブツブツと喋っていればいいわ。私が付き合う義理はないものね」
そうやって、出ていこうとしたとき、ソイツが私の足を掴んで、鬼の形相で睨みつける。
『逃げるの? 全部分かっているくせに。早く帰らないと、彼が死んでしまうかもしれないのに……。それを救うには村人全員から魔力を吸い上げて、彼に与えるしかないのに……。あなたは会いたくないの? 生きている彼に! それとも、諦めているの? この世界に来て、随分時間が経っているものね! 彼はもう死んだかもしれないものね!!』
「ええ、そうよ!!! だから、なによ! どうやって帰ればいいかも分からないのに、どうすればいいっていうのよ!!!」
『最初から諦めているあなたに言われたくないわ! あなたは喫茶店での穏やかな日々に満足しているんだものね! 信頼できる店長、大切な友人達、やってくるお客さんと仲良くしていればいいわ! 村人を殺すのも躊躇うぐらい幸せな生活だものね! 彼がいなくてもいいんでしょう?!』
「勘違いしないで! 彼のことを忘れたことなんてなかったわ! 彼のためなら村人全員殺すことだって平気よ!」
『じゃぁ、今の平穏な生活が捨てられるの? やっと店員として認められるようになって、自分の居場所ができたっていうのに!』
「それは……」
『ほら、答えられないんだわ。あなたは人を沢山殺す度胸もなければ、彼が生きているか確認する些細な行動さえ、とれないのよ』
「……違う……。……そんなことない……! 私はやれるもの……! 彼のためになら何だってやれるもの!」
『ただ恋に恋しているだけなのよ。村人の命だって限りがあるものね。帰って村人を全員殺したとしても、ほんの少しの時間しか一緒にいられないかもしれないものね』
「あなたは本当になんなのよ! 私と彼のなにが分かるのよ! もう離しなさいよ!!!」
渾身の光の球が足元で炸裂して爆音を上げる。足から手が離れた。その隙に、とにかく遠くへ遠くへと逃げる。もう何もかもから逃げ出したかった。
気がつけば、木漏れ日すら通さない深い森の中。夜か朝かも分からないままに、ただ私は泣き続けていた。
帰るかどうかなんて、簡単に決まられるわけないじゃない……。そんなに簡単に決められたら、こんなに悩んでなんかないわ!
バカバカバカ! バーーーカ! あんなやつ、大っ嫌い!
どうして、私なのよ。私の姿で、私の心を乱すだけ乱して! 酷い! あんなの私じゃない!
簡単に帰るとか言わないでよ。帰りたいなんて言えるわけない。帰らないなんて言えるわけない。会いたいなんて言ったら、きっと後悔する。
もし彼と会って、もしもよ、もしも彼が死んでいたら、私はどうしたらいいの……。ただでさえ人の死はもう見たくないのに。私に帰って、好きな人が死んでいくところを、好きな人が死ぬところを、好きな人が死んでしまったところを見ろっていうの?
そんな自分が死にたくなるような思いを私はしなければいけないの?
そんなの嫌よ! 絶対に! 絶対に! 絶対に嫌よ! 何もかも決めたくなんてない。何もかも決められない。
滾れ落ちた涙は小さな水たまりを作り、私の顔を否応もなく写し出す。自分の顔なんて今は見たくなかった。
——もしも奇跡が叶うなら、生きている彼にこの世界で出会いたい。
——そんな都合のいい奇跡ぐらい夢みてもいいよね?