PandoraPartyProject

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初恋薊

登場人物一覧

フェルディン・T・レオンハート(p3p000215)
海淵の騎士
クレマァダ=コン=モスカの関係者
→ イラスト
クレマァダ=コン=モスカ(p3p008547)
海淵の祭司

 ――きっともうこれ以上、おひい様は人を愛したくないのだと思います。


 時刻は少し遡る。コン=モスカ領、慣れた様子で足を運ぶ機会も多くなったフェルディン・T・レオンハートは幻想王国で流行しているという茶菓子と馨しい花の茶葉を手土産に昼下がりにやってきた。アポイントメントと呼ぶべき特別な約束が会ったわけではないが、クレマァダ=コン=モスカの様子を伺いにやってくるのは彼にとっての平穏な日常の一つである。
「ああ、良く来た……と言いたいのじゃが、すまん。少し忙しい」
「いえ。折角なので手土産だけでもと思いまして」
「祈祷が終わったら時間がとれる。その、それから……少し遅めのアフターヌーンティーでも良いのではなかろうか。
 あ、も、勿論、フェルディンのこの後の予定次第じゃが! うむ、無理強いはせぬ。断じて無理強いではなく、提案じゃ!」
 慌てた様子で言葉を重ねる彼女のその仕草一つ一つが愛らしい。フェルディンは思わずくすりと笑ってから「なら、待たせて頂いても良いですか?」と首を捻った。
 赤ら顔で慌てた様子で侍女長メリンガァタを呼び寄せるクレマァダは適当に茶でも出して持て成してやって欲しいと告げた。
 祈祷や祭司長としてある程度自身が父と分担している政務を熟したら優雅な午後を過ごすのだと彼女は胸を張る。フェルディンからすれば己の為にそうした準備を行ってくれるクレマァダが愛らしく見えてしまう。勿論、それはメリンガァタにとってもそうなのだろう。
「承知致しました。茶菓子は後ほどという事でしたら、お茶のご準備だけさせて頂きます」
「あ、メリンガァタさん。こちら、土産の茶菓子です」
「有り難く頂戴致します」
 メリンガァタとフェルディンを一瞥してから「では、頼んだぞ」とクレマァダは背を向ける。
 慌てた様子で走り去っていくクレマァダの背を見送ってからメリンガァタは土産の茶菓子をフェルディンから受け取って微笑んだ。
 彼女が帰還するまで幾許かの余暇が出来る。フェルディンにとって待つことは苦ではないが、持て成す側のメリンガァタにとってはとはどうにも扱い辛いのではなかろうか。
 つい、困り顔を見せれば穏やかに目尻を下げて居たメリンガァタは「フェルディン様」と温和な語調で呼びかける。
 メリンガァタはクレマァダに宣言した通り、茶を振る舞ってくれるのだろう。珈琲と紅茶、ジュースなど何が良いかと丁寧な物腰で訪ねてくれる。
「ああ、じゃあ珈琲を頂戴しても良いですか? ……紅茶は彼女とご一緒したいので」
「承知致しました。お土産の茶葉をおひい様とご一緒にと言うことでしたら一度其方もお預かり致しますね」
 メリンガァタは一度厨房に下がってからティーセットを持って顔を見せた。小皿には魚を模したクッキーが少量。少しの間のお茶請けに、との事なのだろう。
 メインはクレマァダとの茶会の席。故に、少しだけ気を落ち着かせておく為に心ばかりの準備をしてくれるのだから、よく教育された侍女長だ。
 かちゃり、と音を立ててセッテイングされて行く茶器を眺めながらフェルディンは緊張したように背筋をくん、と伸ばす。
 馨しい珈琲の香りが鼻先を擽った。ミルクは如何なさいますかと問い掛けるメリンガァタの仕草、ひとつひとつを眺めていたフェルディンは何時もはクレマァダが然うして貰っているのだろうと感じ、ついついクレマァダが出て行った扉を眺め遣る。
 つい先程出て行ったばかりだというのに何時戻るだろうかと気にしてしまう辺り自分はどうにも堪え性がないらしい。
 それも致し方ないと言って欲しい。忙しいというならば、追い返せば良いものの共に過ごす時間を優先しようとしてくれるのだ。そんな一つ一つの仕草が愛おしい。
 フェルディンにとってクレマァダは可愛らしい人だ。彼女に直接的に愛だ恋だと語らうつもりはないが、胸に秘めた想いは確かに存在していて。
「おひい様ですか?」
「ああ、はい……今日も忙しそうで、疲れてやしないかと……」
「そうですね。日々、忙しなく過ごしていらっしゃいますからお疲れではありますでしょう。
 ですが、フェルディン様とご一緒に過ごされることはお嫌いではないようですよ。あの方は、表情に全て出ていらっしゃいますから」
「はは……」
 真実、傍で彼女を見てきたメリンガァタとて『可愛いおひい様』の感情の発露を良く分かっていた。フェルディンだってそうだ。
 あからさまに己に対して好意的な仕草を見せてくれているのに此れで毛嫌いされているとしたら女子とは何かと頭を抱えねばならない程である。
 此の儘、席を辞したならば彼女は残念がって「何じゃあやつ」と唇を尖らすのだろう。その結末まで想像してからフェルディンは唇に笑みを浮かべた。
 そんな緩んだ表情を微笑ましそうに眺めていたメリンガァタは何気なく「おひい様は素直な方でいらっしゃいますから」と告げ――そして、冒頭に戻る。
「きっともうこれ以上、おひい様は人を愛したくないのだと思います」
 メリンガァタはにこやかな目尻を崩さずにそう言ってのけた。続く言葉はフェルディンにとって予想外のものだった。
 フェルディンの動きはぴたり、と止まる。まるで蛇にでも睨め付けられたかのような感覚。
 ぎこちなく乾いた吐息が唇をなぞった。湿り気さえ喪ってしまった呼気は緊張の気配が滲みフェルディンはメリンガァタを眺め遣るしか出来ない。
「……愛したくない、ですか?」
「はい。おひい様は大切な片割れを喪われてから変わられました」
 それは幼少期のをずっと見てきたからこその言葉であったのだろう。メリンガァタはゆっくりと目を伏せる。
 まるで、何かを思い出すように憂うような声音は潮騒のようにフェルディンの胸へと迫る。
「あの方は、真実ひとりきりとなってしまわれました。孤独、ということではないのです。
 カタラァナ様は、お隠れになる時に、クレマァダ様から弱さも連れていってしまわれた」
 片割れを喪ったとき、彼女は泣いたらしい。あれほど気丈に振る舞い、何事へでも立ち向かう勇気を持っている淑女はこのコン=モスカで一人泣いたのだそうだ。
 故郷コン=モスカを捨てるように広い海原に旅立っていったを羨むことはあれど、彼女は自信こそが祭司長であるとイレギュラーズに冷たい言葉を投げかけた。それが心配の裏返しであったことは分かる。
 あれだけ分かり易い表情に厳しい色を乗せて「萎びた昆布の方がましじゃ」「海の藻屑になりたいのか、戯けめ」と貶むように言葉を重ねたコン=モスカの祭司長。絶望に隣接しているからこそ、幾人もの命が散る様子を見てきた彼女――其れだけ、強がっていた彼女は、この場所で泣いたのだ。
 カタラァナ=コン=モスカは波濤の中に散っていった。歌声と共に竜の息吹を受け止めて。そんな彼女を思い一人で泣いた彼女は姉と同じ力を手に入れたのだ。
 己の中に慣れ親しんだコン=モスカの『祭祀』の力が抜け落ちて行くように、彼女の弱さをカタラァナは持って言ってしまったのだとメリンガァタは静かに言う。
「弱さを、」
「……そう、きっと今の彼女は、1人で何だって出来てしまうのです。
 我慢を我慢とも思わず、ひとに頼ることだってしないで。只の1人で、誰にも頼らぬようにと進もうとするのです。
 愛したい人がだから、自分が重りにならないようにすることだって!
 その人が
 あんなに人との繋がりを大事にする子が、ひとりきりでいられてしまうのです」
 人と人の繋がりを大切にするが故に、絶望の海へと漕ぎ出でることを拒絶していたクレマァダ=コン=モスカ。カタラァナのたったひとりの妹。
 フェルディンはメリンガァタの言葉に己が初めて彼女に出会ったときに嘘偽りなく感じた言葉を思い出す。

 ──もっと自由に、素直に生きるべきだ。
 貴女だって為政者である前に、一人の人間なのだから。

 だが、だがどうだろうか。もっと自由に、素直に、クレマァダが只の一人として生きて行く姿を見ていれば。
 刻を重ねて彼女の傍に立ち続けてきた自分が彼女に懐いてしまったこの心の内は。
 彼女の自由を奪う結果を齎すのではなかろうか。だって――この想いは。ひとりきりで居たいと願う彼女の重りになりたいと願ってしまった。
「――だから、ねえ、これはお願いなのです。あなたは、あの子の足枷になってもらえませんか?」
 その時ばかりはメリンガァタはおひい様とも、クレマァダ様とも他人行儀な言葉を紡ぎやしなかった。
 フェルディンの目には彼女をずっと傍で見守ってきたおおらかで優しい姉が立っている気さえしたのだ。
「――ボクに。許されるのでしょうか……?」
 ――その言葉を口にすることがフェルディンにとっては恐ろしかった。
 自由に生きて良いと、手を引いて大海原へと誘ったはずの己が彼女の行く道を阻んでしまうのではないか。
 それはモスカの祭司長として凜として一人で立っていた彼女を苦しめる感情おもしになってしまう。愛するモスカ。クレマァダは故郷を愛している。
 その感情さえも全て、否定してしまうのではないかと恐れて仕方がなかった。
「それを聞く相手はどなたでしょう」
 メリンガァタは穏やかな笑みを崩さなかった。冷め切った紅茶を取り替えましょうとティーカップを手に、その場を辞そうとする侍女長の背中を眺める。
 彼女がいて、サンブスカが居て、そして領民達が居る。
 クレマァダがこのコン=モスカを背負い、歩いて行こうとするその道程はどれ程までに過酷な物であろうか。
 彼女が祭司長としてだけではない、何れは辺境伯を継ごうとするならば。喪われた片割れが背負うはずだった重たい荷物も一人で背負わねばならぬのだ。
 フェルディンとて旅人だ。故郷を思わないこともない。辺境の小国を治めた王の嫡子として育ってきた経験もある。
 何れは故郷の地をもう一度――と考えなくてはならぬ立場であることも分かる。自らの責の重さも理解している。それは生き別れていた妹とて同じであった。
 共に故郷に戻らねばならぬと妹と共に言葉を交しあったこともある。心の何処かでその結論に懊悩し、苦悩を抱え続けて居ることもある。
 確かに、彼女を思い浮かべればこそという現実を受け入れがたいと感じてしまっていた。
 妹も、同じだろう。この世界で縁が紡がれれば紡がれるほどに。己も、妹も戻るという選択肢に揺らぎが出来た。
 それでも。
 だが、それよりも、なによりも――

 フェルディン。

 彼女の声音が、どうしても離れなかったのだ。満面の笑みを浮かべて答えてくれるわけではない。少し照れたような、困り切ったような顔をして外方を向く。
 かちゃり、と茶器がテーブルにもう一度置かれた。紅茶を淹れ直したメリンガァタはそれ以上は何も云うまい。
「……ボクは」
 ――そうだ、それでも。ボクがどうして、畏れ多くも彼女の側に立ったのか。それは、彼女の、クレマァダの心からの笑顔を、見たかったからだ。

「――許しなど。請うていては、届かないか」
 そう、独り言ちた。
 疾うの昔から、自分の心の中には彼女がいて。最早、元の世界への帰還の天秤の上には乗せられていなかった。
 旅人と純種。生まれた世界が違えども、己の中で彼女が大切な存在であることは確かなのだから。

 ――愛したい人がだから。

 屹度、其れこそが彼女の優しさだったのだ。フェルディンと別たれるその日を恐れるように、1人で歩みゆく事を選ぼうとしてしまった。
 彼女の感情に蓋をさせて、踏み込まさせず踏み込まず。愛することもなくなあなあの関係性を続けて居られるほどフェルディンは利口ではなかった。
 しん、と静まりかえっていた室内に息を切らせたクレマァダが「待たせた」と戻り来る。
 先程まで着用して居たのであろう儀礼服ではなく、幾許かラフな洋装を着用して居たのは本当にのんびりとしたティータイムを過ごしたいという意思表示なのだろう。
「お疲れ様でした。それでクレマァダさん」
「む?」
「……いえ、お土産を喜んで頂けると嬉しいのですが」
 彼女の名を呼ぶだけで、心が沸き立った。
 この感情に名前を付けて、貴女に伝えるのは――

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