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ブラザーズ・シークレット
登場人物一覧
「あっ!」
境界世界「コバルトレクト」、トロメーア近郊。
リュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガーは見慣れた後ろ姿を見かけて、はしゃぐように足を速めた。
深く赤みがかった紫色の短髪にひょろりとした上背の高さはそうそう見間違えるものでもない。
「イーさーん!!」
振ろうと手を上げて、歩いて来た通行人に肩がぶつかる。
「あ、ゴメンナサイっ。大丈夫デスか!?」
「ッてぇなぁ。何すんだよ、このガキ!!」
慌てて謝るが、血走った眼の男はリュカシスの胸倉をつかみあげた。
「わあっ!?」
目の焦点があっておらず、顔が赤い。強い酒の匂いもする。
(よ、酔っ払いだー!?)
此処が鉄帝であればリュカシスも容赦なくグーで反撃しただろう。
しかし此処は境界世界。
「ウムムムッ」
下手に手を出して、相手に大怪我でもさせてしまったら大事だ。
「えっとえっと、どうしたら許してもらえマスか?」
「許すとか、なにふざけた事、言ってやがる!?」
無条件の降伏を示すために両手をあげてみたが、正常な判断を失った相手には効果が無いようであった。
(何発か殴られたら許してもらえるかな?)
振り上げられた拳を見上げてから、リュカシスぎゅうっと目を瞑った。
「そこまでにしておけ」
「誰だ、テメェは」
「……はぇ?」
いつまでたっても衝撃がこない。
恐る恐る目を開けたリュカシスが見たものは、男の拳を背後から抑えるイーハトーヴ・アーケイディアンの姿であった。
「イーさ……!?」
名を呼ぼうとして、リュカシスはいつもと違う雰囲気のイーハトーヴに戸惑った。
どんな時でもニコニコと優しい微笑みを絶やさない彼が、表情を一切削ぎ落し、冷えきった目をしている。
イーさん、いつもと違って何だかカッコいいけど、すこし怖い。
「真昼間から酒かっくらってガキに喧嘩売るとは、良い大人の見本だな。反吐が出る」
「煩ェ! テメェには関係ねえだろうが!!」
「大ありだ」
剃刀のように鋭い目線で見下されると、直接睨まれたわけではないリュカシスの背までゾクリとしてしまう。
「そこのガキは俺の弟のダチでな。つまりお前は俺に喧嘩を売ったって訳だ」
「なっ、あ、いだだだだだだ!!」
ぎりぎりと骨と関節の軋む音がリュカシスの元まで届く。
「もう一つ付け加えてやるなら俺はお前の恩人だ。そこのガキを殴った所で、折れたのはお前の華奢な指の方だろうからな」
相手の耳元で脅迫めいた言葉を紡ぐイーハトーヴの声は今まで聞いたことの無い種類の物だ。
「ヒィ……ッ!!」
千鳥足で逃げていく男を嘲笑と共に見送ったイーハトーヴは、目線でリュカシスの行方を捜した。
「……」
最寄りの店のイーゼルに身体を隠し、半分だけ顔を覗かせたリュカシスがイーハトーヴによく似た男をじっと見つめている。
「あの、助けてくれて、アリガトウゴザイマス……」
警戒心むき出しで、しかも片言で礼を告げるリュカシスに、イーハトーヴはお手上げといった様子で肩を竦めた。
「おいネネム、後は任せた」
「は!? え、ちょ、ノルデ!? そこでぶん投げるのか君は!?」
がらりと声質が変化し、どちらかと言えば普段のイーハトーヴに近い雰囲気に戻ってきた。
しかし、リュカシスから見れば、いきなり怖いイーハトーヴが慌て出したようにも見える。
お互いに引きつった笑いを浮かべて、そうっと視線を交差させる。
「や、やあ。はじめまし、て?」
「イーさんじゃないー-!!」
遂に限界地点を越えたリュカシスがびゃーっと鳴いた。
「オバケ!? イーさんにとり憑いたオバケデスか!? でも助けてくれてアリガト!!」
「あ、えっと、当たらずとも遠からずというか、ね。うん。どうしたしまして。助けたのはノルデの方だけど、えっと、あの、リュカシスくん?」
「はい?」
名前を呼ばれたリュカシスは金色の瞳をきょとんと瞬かせた。
「とりあえずお店に入りたいお客さんの邪魔になるから、ゆっくりと中で話そう、か?」
「わぁ~~っ!? ゴメンナサイ!!」
看板の後ろから飛び出たリュカシスは顔を青くしたり赤くしたり、忙しなく周囲の客へぺこりと頭を下げた。
●
「イーさんのお兄さん?」
「そう。オフィーリアやメアリのことは知ってるよね?」
「もちろん!!」
苺の乗ったショートケーキを食べて落ち着いたリュカシスは、お砂糖をいれた紅茶を持ったまま元気よく肯定した。
オフィーリアは今もリュカシスの隣に座っている。何度も一緒に戦ったイーハトーヴのお姉さんたちだ。
「僕たちはその、兄版ってところなんだ。ぬいぐるみの身体が無いからイーハトーヴの身体の中にいるんだよ」
「本日はこれまたドウシテお外に?」
不思議そうなリュカシスの問いかけはもっともで、それこそ目下ネネムを悩ませている問題でもあった。
イーハトーヴ……ネネムの前にはブラックコーヒーしか置かれていない。その香りがリュカシスを何だかそわそわとした気持ちにさせるのだ。
「さっき階段で転んだイーハトーヴが気絶してね……」
「えぇ!?」
リュカシスの声がひっくり返った。
「い、イーさんは、だだだ、大丈夫ナノデスか!?」
「だ、大丈夫。応急処置は終わってるから」
「良かったぁ」
立ち上がったリュカシスは、ほうっと息を吐きながら再び椅子へと座る。その素直さと正直さにネネムは思わず微笑んだ。
「気絶している最中に財布を擦られそうになったからノルデが出てきて……あとは君も知っている通りだよ」
「説明してくださってアリガトウございましたっ」
「いえいえ、聞いてくれてありがとうね」
ネネムと名乗った青年の説明に、リュカシスはピッと背筋を伸ばして礼をする。
「……なんというか」
そのまま少しだけ戸惑うようにリュカシスは話を切り出した。
「ネネムサンは、学校にいる外国語の先生に似てますネ」
「えっ、そうかな?」
「はい。鉄帝を出ると力や拳以外で会話しなくてはいけないので、
「へ、へぇ……」
笑った顔はイーハトーヴによく似ているが、どことなく引きつっている表情は見慣れないものだ。
少しだけ寂しい気持ちになってリュカシスは再び紅茶に口をつけた。
「ノルデサンはちょっとだけ戦術の先生に似てマシタ」
「そうかも……あ」
ネネムは頷き、慌てたように声をあげた。
「イーハトーヴが起きそうだから変わるよ。弟をよろしく」
「はいっ!!」
「それと」
「?」
眉を下げながら笑うのがネネムの癖なのだろう。可笑しそうに笑いをかみ殺している。
「ノルデがね。怖がらせて悪かったってさ。じゃあ、またね。リュカシスくん」
瞼を閉じたイーハトーヴを眺めながら、やっぱりイーさんのお兄さんたちだなぁとリュカシスは思った。
先刻までとは違う、ぽかぽかとした温かさがお腹のなかにある。
「……あれ? リュカシスがいる……ここってコバルトレクトじゃなかったっけ」
「うふふ、おはようございます。イーさん」
寝ぼけ眼のふわふわとした声で告げるイーハトーヴを見て、リュカシスは秘密を打ち明けるように笑ってみせた。
「イーさんを待っている間に、ボク、とっても素敵なヒトたちとお話したよ」
「え、どんな人?」
イーハトーヴの琥珀糖の瞳が優しく瞬く。
「ヒント! イーさんもよくご存じ!!」
「うーん、誰かなぁ……あっ!?」
目の前のブラックコーヒーへと自然に手を伸ばしたイーハトーヴは察したようにリュカシスへ微笑んだ。
おまけSS『こちらが製作者のルカ・インビンシブルです』
テーマ
友達の家に来た時、友達は不在でちょっと歳の離れたご兄弟に出迎えられてしまい、めちゃくちゃ緊張するけれど滅多にお会いできない相手を前に興味や憧れやその他諸々の感情をこめた視線を送ってしまって色々聞きたくなっちゃうけど恥ずかしいからやっぱり聞けないし、相手にはそれがバレていると、とってもとっても可愛い。
●
「良かったの? ルカ・インビンシブルの作品を見たいって二人に言わなくて。今まで極秘だったのが公開されるって、あんなに楽しみにしてたじゃないか」
「それはお前もだろ。無限機関が動力エネルギーが歯車の熱効率と美しさが何とかかんとか言ってただろうが」
「それはね。うん。ちょっとはしゃぎすぎたって自覚はある……けど、だって、ねぇ? 折角イーハトーヴがコバルトレクトで友達と会ったのに、邪魔したら悪いよ」
「……珍しく気があったな」
「珍しくってどういうこと? え、あれ? ちょっと待って。こっちの方面って潜水ドッグ方面じゃない?」
「どういうことだ? アイツら、もしかしてルカ・インビンシブルの作品を観に来たのか」
「待って待って、オフィーリア。その顔は何か知っているんでしょ!?」
「作品を観るまで内緒って、待てよ。この流れ、以前にもあったな……」