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Life goes on
登場人物一覧
Lumiliaは旅人である。ローレットから声が掛からない限りは、彼女はこうして広い広い世界を巡っている。
かつて師と呼んだひとは、今は隣に居ない。その代りに、傍らには白猫一匹。
アイリスという名の白猫と共に歩みを進めていると、やがて丘の向こうに街が見えてきた。
「日が暮れる前に辿り着けて良かった」
野宿は免れたとLumiliaは小さく安堵した。
●
見つけた宿は決して質は良くなかった。埃っぽいし、宿主の態度も横柄。
「……散歩でもしようかな」
居心地の悪い宿であるが、どうせあとは寝るだけなので、気分転換と観光がてら、Lumiliaは街をぶらりと歩く。
もうすっかり日が暮れ、月と星が顔を出している。正面に視線を戻すと、猫を抱える少年とすれ違った。
「タロウ、もう逃げるなよ!」
タロウと呼ばれた太ましい猫は不機嫌そうに鳴きながら、少年に抱かれていた。
Lumiliaはその光景を微笑ましく思いながら、次の角を曲がろうとして──立ち止まる。
「……」
僅かに聞こえる旋律。
Lumiliaは知っている。これは呪いの旋律だ。自身も行使できる呪歌なのだ。聞き間違えるはずもない。
嫌な予感がしたLumiliaは急いでさっきの道を戻る。
だが歌の主どころか、さっきの少年と猫も、見つける事は出来なかった。
●
「……ここは」
Lumiliaはその日、夢を見た。
辺りを見回すとさまざまな猫が、ある一点に向かって歩いている。
「……アイリス!」
白い毛並に、青い瞳。リボンを首輪代わりにした白猫を、Lumiliaは追いかける。
「何、これ」
その先。石床の敷き詰められた道の真ん中に、閉じられた扉が不自然に鎮座していた。
扉の中からは、歌が聞こえる。子供たちが合唱しているような、楽しげな歌だ。
好奇心に負け、ゆっくりと扉のノブに手をかけようとした、その瞬間──。
「きゃっ」
痩せた灰色の猫が、急に飛び出した。
何かを訴えているような目だった。しかし、Lumiliaがそれを言葉にする前に、目が覚めた。
「……夢」
安宿の硬いベッドに、背中が痛む。
嫌な汗がじとりと少女にまとわりついている。
汗で濡れた下着を脱いで別の下着に着替え、簡単な身支度を済ませると朝食を摂るために宿を出た。
●
「『勘』のいい娘だ。いや──『耐性』があるのやも」
宿を出た少女の動向を視線で追う影。
「まあいい」
影は、するりと去って行った。
●
「……歌と共に、子供と猫が一緒に消える?」
「はい、一週間前から毎日」
朝食を出してきた店員が不安げにそう言った。
予定変更。もう一日滞在期間を延ばそうと考えた。やはり昨日聞いた歌は目的があって行使されたもの。
これはただの好奇心。お節介でもない。誰かから頼まれたわけでもない。
その事件の全貌が気になる。ただ、彼女自身がそう思ったからだ。
そうと決まれば街ゆく人に声をかけ、事件について聞いて回るLumilia。
「歌を仕事にしている人? そういうのは聞いたことないな」
「いやあ、皆目見当付かないね」
──しかし、その足取りは一切掴めない。
「ふう……」
当てが外れ、歩き疲れたLumiliaは休憩がてらカフェに入った。鼻腔をくすぐるダージリンの香りは、Lumiliaにとっては良質な癒しである。
柔らかい日差しの昼下がり。不可解な事件が起きているなどとは思えぬ平和な光景。
レンガ調の街並みを眺めながら、Lumiliaは情報を整理する。
「この町に吟遊詩人や、歌を生業とする人は居なかった。そして呪歌の主は、バッソ・カンタンテ。そして呪歌を行使出来るのは、魔術的要素のある人だけ」
低く、伸びのある男性の声。そして並の人間では呪歌など使えない。最低限、魔術や魔法の知識がある人間。
とすれば──。
「……」
紅茶を飲み干すと、一筋の光が見えたような気がした。
●
「成程、それで私の元に」
「はい。セスさんが、この町で一番魔術の研究に熱心とお聞きしましたので」
Lumiliaは、とある男の家を訪ねていた。
このセスと言う男は、家に籠って日々魔術の研究に没頭しているのだとか。
「買いかぶりすぎだよ。しかし君も幼いのに、随分と素晴らしい魔力の素養があるようだね」
いえ……と、Lumiliaは曖昧な返事を返す。
「ついてきたまえ。せっかくだ、茶でも出そう」
家に籠りきりの偏屈そうな男だと思っていたが、随分と社交的だった事にLumiliaは若干の困惑を隠せずにいる。
「! アイリス」
──と、何処からかやってきた白猫がLumiliaの足にすりよってきた。
どうして此処に、いや、その前に。
「ついてきちゃダメじゃない」
その様子を見ていた、高価そうなティーカップを運んできたセスが問う。
「おや、その猫は?」
「あ……すみません、すぐにお家から出しますので」
Lumiliaはアイリスを外に出そうとするが、セスはそれを静止した。
「構わないよ。それに何だか君たちを見ていると、昔を思い出す」
「昔、ですか?」
「そう──私にもかつて、友とも呼べる猫が居た。もうずいぶんと前に亡くなってしまったがね」
──ごめんなさい、と謝るLumiliaに、セスは笑いながら手を振った。
「はは、気にすることは無いよ。それに──もうすぐ会えるんだからね」
「え?」
「何でもないよ。それより、紅茶でも飲みながら魔術について語り合おうじゃないか」
Lumiliaは、静かに俯いた。
抱きかかえられていたアイリスがしなやかに降り立つと、その端正な顔を歪ませ毛を逆立てる。
「やはり……あの事件は、あなたが起こしていたんですね」
セスの手が止まる。
「その紅茶には、薬か何かが盛られていますね。そうでしょう?」
ふ、ふ、と口元を吊り上げ、セスから笑いの息がこぼれる。
「……その様子だと、最初から私を疑っていたみたいだね。なぜだい?」
Lumiliaは人差し指と中指を立てる。
「この街には、魔術に詳しい方が二人居ました。一人は、ケインという方。そして、もう一人は貴方」
「そうだね。ケイン君も優秀な魔術師であるはずだ。では何故私を疑う?」
「ケインさんには先ほど会いましたもの。彼は数週間前から喉を激しく痛めていました。歌うなんてとても出来ません。だから呪歌を行使出来るのは、貴方一人だけです」
うす暗い家に高笑いが響く、響く。
「ははッ、成程。素晴らしい! 益々楽園に迎えたくなったよ!」
セスは傍らの本を開くと、すぐさま戦闘態勢に入った。
「連れ去った子供と猫をどこに隠しているのですか?」
「皆、私が作り上げた『楽園』で幸せな夢を見ている。そこに君たちも連れて行ってあげよう」
セスの誘いに、Lumiliaはゆるりと首を振った。
「あいにく、一つの場所に根付く事は出来ないんです。私はまだ、旅を続けたいから」
その返答に、セスはやれやれと首を竦めた。
「ふっ、まあいい」
黒い魔力が迸る。
Lumiliaはそれを避けると、髪飾りを変化させ、桜色のエストックを具現化させる。
「貴方ほど優秀な魔術師が、一体どうして?」
刺突を軽快に避け、セスは大きく距離を取る。
「私は幼き頃、大切な友が居た。灰色の猫だ。種族こそ違えど、私たちは親友だったんだ。
だがな、その猫を面白半分にいじめ殺した連中が居た。友を救えなかった無力な己を恨んだものさ!」
セスの口にどす黒い呪詛が満ちる。
「しかし生命流転の儀式さえ成功させれば、私の友は生き返る! 子供の命7つ、猫の命7つ──そのために必要な犠牲なのだ!」
命を贄とし、大切な人を蘇らせるという邪法。無論、それで生き返る訳もない。
それでも縋る人間は居た。セスは、邪教に憑り付かれていた。
「そして君たちが、栄誉ある7人目と7匹目だ!」
男の呪歌がLumiliaの耳を劈く。力を奪われ、膝を付きそうになるLumilia。
「確かに凄まじい力です。でも──!」
エストックが、男の腕を貫く。
Lumiliaの思いは、力は、男の呪歌に打ち勝った!
「ぐああっ!」
男は本を取りこぼし、呪いの歌が止まる。
「これで終わりです」
エストックを首元に突きつける。
「何故だ、完璧だったのに。くそお、折角、折角最後のチャンスだったのにッ!!」
Lumiliaはぴしゃりと言い放つ。
「嘆いて過去に縋るのは駄目。大切な人を失っても、それでも──それでも『私たち』の人生は続いているんですよ」
男が、目を見開いた。
「貴方も、わかるでしょう?」
ぶわり、と風が吹いた。
「あ……」
男の瞳に涙の粒が光った。
彼の視線は、Lumiliaを見ていない。その、後ろ。
Lumiliaも、ゆっくりと振り向いた。
「どうして君が……」
少女の目にも確かに見えた。
小さく、小さくたたずむ、痩せた灰色の猫を。
「あの猫は、夢の中に出てきた……」
セスは頽れた。
「まさか……私の行いを止めるために?」
顔を手で覆う。
「どうして気付けなかったんだ」
「憎しみも迷いも、目を曇らせますから」
凛として、Lumiliaは答える。
幽霊となってなお、友の過ちを止めようとした猫と人の友情──それは、少女の胸に熱い何かを残した。
「……迷惑をかけてしまったね」
セスはLumiliaの隣を通り過ぎ、その猫の元へ歩いていく。
「行こう」
灰色の猫は、たった一鳴き。にゃあと答えると、男と共に歩いて行った。
Lumiliaとアイリスは、小さくなっていく男と猫の背中を、ずっと、ずっと眺めていた。
●
──もうそれきり、この町にあの歌は聞こえなくなった。
居なくなった子供たちと猫も、無事に家族のもとへ帰ってきたという。
「良かったね」
Lumiliaは旅の支度を済ませ、朝早くに街を出た。
その傍らには、やはりあまり鳴かない白猫が居て。
──さあ、次はどこへ行こう? 気ままに、赴くままに。少女と猫の旅は続いていく。