SS詳細
重なる想いと、約束と
登場人物一覧
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依頼から数週間が過ぎた。
あの日抱きしめた相棒の――星穹の肩は、異様な程に華奢に思えたのを覚えている。
枯れて、燃えて、灰になって。
そうして消えて、空っぽになった彼女の左の籠手の『中身』。痛みに顔を青くして気絶した彼女の姿を見たのは二度目のことだった。
上手く笑えないままに、時間ばかりが過ぎていく。心配そうに鳴いた猫の頬を撫でても、どうしようもない不安感だけが胸に残っている。
腕を失った彼女を抱きかかえ病院へ走った後、自分にできたことは何も無い。
欠けてしまった彼女の左腕の代わりに自身の一部を分け与えることも出来ない。彼女はまた一つ、大切な一部を失ったのだ。
そうして会うこともないまま、ずるずると今日に至っている。
(……このままでいいとは、俺には思えない)
これまで通りに、は、きっと無理だ。
だから。変わらなければいけないし、知らなくてはいけない。
逃げるつもりはないし、向き合いたい。
相棒だから。信じているから。そして――何より、貴方が大切だから。
心が身体を追い越した。突き動かされるままに、走って、走って、走って。
そうして。待ち合わせの場所――海の前で佇む女が一人。それはまるで、出会ったばかりのあの頃、共に過ごした夏を、思い出すかのように。
「本当は。会いたく、無かったのですが」
今までに無いほどに苦々しい顔を浮かべた星穹は、困ったように薄く微笑んだ。
「海ならば、貴方が来ないかと思ったのですが……残念です」
「残念だったのは星穹殿の方じゃないかな。俺は会いたかったし……こんなことくらいじゃ、めげない」
「……会いたかった?」
「ああ。これは俺の我儘に過ぎないけど……頼ってほしかったんだ。俺は、キミの相棒だから」
潮風はヴェルグリーズの鉄の身体には厳しく、波風は星穹のまだバランスの取れない身体には易しくはない。
星穹はふらつきながら、己を嘲笑った。
「貴方はただの女に――ましてや、隻腕の女に。貴方の盾が務まると思っているのですか」
泣きそうな顔をしていた。震えた声をしていた。
それは、自分自身のこれまでを否定することに他ならないからだ。
魔種を相手した戦い。
夜妖と対峙した戦い。
共通の友人の為に戦ったこともあれば、大迷宮への戦いに呼ばれたヴェルグリーズを追いかけたこともあった。
それは混沌のみならずR.O.Oでだって変わらない。
どんな戦いも。ヴェルグリーズを守り、共に戦ったことすらも。全て全て、無駄だったと。無価値だったと。言っているようなものだった。
一度。星穹が劣等感を顕にしたことがある。
その時と似た顔をしているように、ヴェルグリーズには思えた。
泣きたいのに泣けない。泣いてはいけない。星穹はずっと、笑みで己の心を取り繕ってばかりだ。
けれど。
(……ここで引いたら、もう星穹殿は帰ってこない。そんな気がする)
嫌だと。近付かないでと明確に拒絶した星穹。頑固で、真っ直ぐで。そんな相棒の姿を、ヴェルグリーズは誰よりも理解しているし、知っているつもりだ。
「……星穹殿。キミの腕がたった一つだとしても、キミが俺を守ってきてくれた『今まで』は何一つ変わることはない。そして俺は……叶うなら、これからだって『そう』が良いんだ」
目を見て。真っ直ぐに。逸らそうとするならば、近付いて。けれど。
「同情は!! ……っ、同情ならば、不要です」
遮った。
星穹は、尚も笑って。
「髪を洗うのも、服を着るのも苦労しますとも。ですが、ですが隻腕であろうとも生きていくことはできる」
涙が落ちそうになるのを、空を仰いで必死に堪える。吸った息が。吐き出した声が。やけに震えていた。
「――けれど、片腕しかない私が『今まで通り』に、貴方を守ることなんて……出来や、しないのです」
叫ぶようだった。断定するようだった。
そうであれと願うように。そうであろうと決めつけるように。
「星穹殿は……本当に、そう思っているの?」
「……っ」
「俺の相棒は、キミ以外の誰かでもいいと思っているの?」
星穹は俯き、首を横に振った。
「――じゃあ、そんな意地を張らないで。形は変わってしまうかもしれないけど、俺達の絆は変わらない。そうだろう、星穹殿」
ぽん、と頭を撫で。欠けてしまった腕を見て。
「……それから。キミの腕を失わせてしまったこと、本当に、申し訳なく思っているよ。俺ももっと、何か出来たんじゃないかって、ずっと考えていたんだ」
ヴェルグリーズは腰を深く折った。それは自らが知っている最上の謝罪であり。忠義であり、もう二度と同じ轍は踏まないという決意の現れで。
「だから……もう強がらなくていいんだよ。せめて
「……わた、し」
ぽろ、ぽろ、と涙が溢れ落ちる。両目から溢れ落ちるそれを拭えるのは、もう一つしかない右腕だけで。
ヴェルグリーズはそんな星穹の涙を拭い、抱きしめ、背を撫でた。
泣かないように。忘れないようにと、必死に涙を堪えようとする星穹を、受け入れた。
もう元には戻らない左腕を憂いた。
仲間の失った両足を悔やんだ。
己の無力を、嘆いた。
そして――ヴェルグリーズが助けに来てくれた時。本当は安堵して、酷く嬉しかったことを、忘れた。
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「……少しは、楽になった?」
「はい、その……すみません」
「ううん、謝ることなんかじゃないよ」
少し短くなった銀糸も。痛々しい傷痕も。もう二度と元には戻らない左腕も。そのすべてから、目を逸らさないと決めている。
潮風は夕に染まり、橙の地平線が煌めいた。
「星穹殿にいくつか頼みがあるんだけど……聞いてくれる?」
「頼み……?」
不思議そうに首を傾げる星穹にヴェルグリーズは頷いて。
「まずは……もう、無茶はしないでほしいし、困ったことがあったら頼って欲しい。心配するし……俺がヒトじゃないからって、傷付かない訳じゃないんだよ?」
「……善処は、します」
「ちゃんと無茶はしないって言い切ってくれないから……俺が同じように無茶をしてしまっても星穹殿は怒れないね?」
「……」
「俺は心配で気がどうにかなりそうだったんだけど、星穹殿にもそんな気持ちを味わって貰うことになるのか……」
「~~っ、もう!! 解りました、出来る限り控えますし、頼りますから!」
「ふふ、言い切ったね?」
「貴方が言い切らせたようなものではありませんか……全く」
「だって、そうでもしないとキミは躊躇いなく全てを犠牲にしそうだから」
星穹からの否定の言葉はなかった。
ずっとそうだった。
彼女が命を懸けるときはいつだって本気で、傷付いて尚全てを護ろうとしていた。それを肌で感じていた。そんな彼女が誇らしくもあり、その身体についた傷に胸を痛めていたのは、星穹以上にヴェルグリーズだったから。
「それから……自分のことを、大切にしてほしいな。星穹殿はもう大切にしているつもりかもしれないけど……星穹殿が思う何倍も大切にしてほしい」
「……わかり、ました」
そんなことを頼まれるとは思って居なかったようで、星穹は瞬き、了承する。
「でも……それを言うなら、ヴェルグリーズもですよ」
「俺も?」
「はい。貴方は時折……手の届かない場所に行ってしまうのではないかと、心配になります」
ヒトの命は短く。そして同様に、ヒトである星穹の命もヴェルグリーズより短い。
(俺からしたら、キミの方がよっぽど不確かで、消えてしまいそうなんだけどな……)
心配しているのはこちらの方だ、とは言わない。きっと彼女も同じように不安を抱えていることだろうから。
「……貴方も。自分を大切にしてくださいね」
ひび割れた頬に手が伸びる。右腕では、頬に手を添えることすら出来ないのだと気付けば、すっとなぞるだけで終わって。
それは後悔だ。近くで守れなかったことに対する苦悩。いくら相棒であろうとも、ずっと側に居ることは叶わないから。
だから、星穹は願った。どうか末長く、生きていて欲しいから。
「……解った。約束するよ。ほら、星穹殿。小指を出して」
「小指?」
笑ったヴェルグリーズ。右手の小指を差し出せば、同じように小指が差し出される。
「指切りげんまん、だよ。約束したんだから、破っちゃだめだよ?」
「……はい、解りました」
「さてと……それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「すみません……ヴェルグリーズには、毒でしたよね」
「まあ否定はしないけれど……ちゃんとキミと話し合うためなら、薬みたいなものだよ」
少しずつ変わって行く関係。夕焼けに紺が滲み煌めいた海は、星が煌めいて見えた。
失ったものはもう元には戻らないけれど、失ったからこそ気付けたこともある。
お互いのことをどれだけかけがえのない存在に思っているか。
相棒の名前は伊達などではなく、ただ互いを信じているからこそ背中を任せようと思えるのだ。
「そういえば、星穹殿」
「はい、なんでしょう」
「ドライヤーに困っているんだっけ? 食事もしばらくは大変だと思うし……俺で良ければ、手伝いたいんだけど」
「さ、流石にそれは……」
「あれ? さっき困ったことがあったら頼るっていっていたのは嘘だったのかな……?」
「…………ヴェルグリーズ!!」
「あはは。頼ってくれるんじゃないの?」
「そうかもしれませんが……!!」
「……でも、本当に。キミに頼って欲しいのは、心からの言葉だよ。なれることならキミの左腕の役目も果たしたいと思っているし……」
「……左腕?」
「ああ。支えたいし、力になりたいからね」
「…………私、貴方には本当に弱いのですが!」
つい頷いてしまった星穹に対し、ヴェルグリーズは得意気な笑みを浮かべ。
「本当? ふふ、そうか。腕がなるよ」
「……無理は、しないでくださいね」
「勿論」
初夏の熱気を孕んだ風は心地よく、二人の絆はより強く。
二人が出会って一年の月日が過ぎようとしていた。
おまけSS『私の左腕』
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「……」
「ヴェルグリーズ」
「……っ」
「ヴェルグリーズ」
「……ふふっ」
「ヴェルグリーズ!!」
星穹の少し短くなった髪は、義手のない手で結ぶことはできず。
少しの間だけヴェルグリーズに面倒を見て貰っている星穹の生活は一変した。
まず食事。面倒になるととらなかったこともあるくらいにはがさつでずぼらな生活をしていたのだが、怪我を治すためにも食事は必要だと言うヴェルグリーズの厚によって三食きっちりと(らされ)るようになった。
次に風呂。流石に中に入るわけにはいかないのでそこは星穹の努力もあるが、ヴェルグリーズはドライヤーが得意になった。
最後に髪を結うことなのだが。
「……あの。遊ばないで頂けます??」
「でも似合ってるよ?」
「そういうことではなくですね……!!」
今星穹はポニーテールを経由しみつあみ、二つに結ってみたりと少々遊ばれている。
立ち上がって邪魔をすればいいのだが、膝の上で猫が寝ているので動くわけにもいかずされるがままになっている。
「これも可愛くて良いと思うんだけどな」
「人間には年齢というものがあるのです」
「でも星穹殿、記憶がないならまだ19歳辺りかもしれないだろう?」
「……それは飲酒ができないのでこまりますね」
「お酒はしばらく控えた方が良いと思うけどね」
「解りました、宿に戻って私のとっておきのお酒を持ち込みましょう」
「星穹殿???」
――――To be continued.