PandoraPartyProject

SS詳細

5月1日、12時00分

登場人物一覧

イーリン・ジョーンズ(p3p000854)
流星の少女
アト・サインの関係者
→ イラスト
アト・サイン(p3p001394)
観光客
フラーゴラ・トラモント(p3p008825)
星月を掬うひと

 ラウリーナによるクーデターは、結局のところ未遂に終わった。当然と言えば当然であった。エーニュという組織は既に狂気の渦に取り込まれていて、真っ当な――と言っても、人間的保身と欲望に満ちていたが――人間などは、とうにほとんどが組織には存在しなくなっていたのである。
 ラウリーナが遁走したのちに、それ故に強硬派、今やエーニュそのものとなった狂気の徒らは、結束をより硬く、先鋭化した。二度目の成功体験を与えてしまったのだ。ラウリーナにとっては、皮肉な結果となったことには違いない。
 金庫番たるラウリーナが去り、エーニュには経済的危機が訪れる筈だった。だが、ラウリーナという『悪』が去った組織には、より先鋭化した狂信的な寄付金と、『理解あるスポンサー』がとりつき、以前と変わらぬ資金供給を成功させていた。これは、多くの観察者が察しの通り、『スポンサー』がラウリーナから直接的にエーニュへ資金を回し始めたことを意味する。
「おそらく、ラウリーナに寄生していた虫が、宿主を我々に変えたのだろう」
 と、ベーレンは言った。
「今は良い。いずれその尻尾を掴み、報いは受けてもらう」
 血気盛んに言う彼ら。汚毒を逆に利用してやろうという腹積もりではあったが、しかしその実態は、釈迦の掌の上で踊る猿に過ぎない。『スポンサー』はより悍ましく、邪悪に満ちた人物ではあった。
 彼らがおかれている真実はさておき、エーニュ内部の士気に関していえば、これまで以上に高調していた。前述したとおり、二度の成功体験が、彼らをより『傲慢に』していたのだ。
 誰もが声を高らかに言う。
 攻撃すべし。
 反撃すべし。
 恐怖テロルを。
 外の醜き悪魔どもに正統なる報復を!
 止めるべきものはもはやいない。悪魔ラウリーナは去ったのだ。ここには純粋な女神リッセしかいない。純粋な正しさが、組織を蝕んでいた。ビュアな狂気が、組織を包んでいた。ここに魔種はいない筈であったが、しかし呼び声のように、狂気は伝播し伝染した。結局のところ、人は人のまま狂うのだ。

 5月1日。正午、12時ちょうど。昼休憩をわずかに伸ばして生み出されたこの時間に、エーニュ組織人員は、本拠地の地下塹壕の中で、薄暗い明かりの中に集められた。ぎらぎらとした瞳は明確な期待に満ち溢れていて、彼らの視線の先のリッセが、演説台の上から彼らを見下ろしている。
「諸君。集まってくれてありがとう」
 女神リッセは言う。
 最前列に、親衛隊とでもいうべきベーレン直属の戦闘部隊『シルマ部隊』が控えている。その先頭に立つ部隊長であるティーエ・ポルドレーは、子供のような、或いは『待て』を命じられて肉を目の前に吊り下げられた犬のような、期待に満ち溢れた視線を壇上に向けている。吐き気を催すほどにピュア。
「まずは、先日、我が同盟員たちの悲劇的な衝突が起きてしまったことを、心より悼み、私は反省する。
 彼らを導けなかったのは私の責任であり、諸君らがその手を同胞の血で汚してしまったことは私の罪である。
 ラウリーナを悪く言わないでほしい。彼は優しすぎたのだ」
 どよ、と構成員たちがざわめく。それを落ち着かせるようになだめたのが、これも最前列に立つアストラ・アスターだ。アストラはその手をあげて構成員たちを制すると、リッセに視線を向けた。リッセが頷く。
「諸君らは、彼を、私達に反抗した悪魔だと思うかもしれない。それは事実の一端だ。だが、彼がその拳を我々に向けたのは、結局のところ、我々が誰かを傷つける事を止めたかったのだという優しさにあるのだ。我々は、報復を心の絆とし、ここに集った。彼はそれを良しとしなかった……それは彼の優しさだ。
 恨まないでほしい。蔑まないでほしい。彼の優しさは、ここ迄我々がつながるために必要であり、そしてそれを排除することは正しい通過儀礼だった」
 おお、と構成員たちが声をあげる。殺人の肯定。これからもこれまでのもにも。女神のお墨付きだ。
「時間をかければかけるほど、優しさが、心を惑わせる。それは正しき人の、正しきあり方だ。世界はそうであるべきだが、時にそうでない者たちもいる。
 彼のザントマンのように、我々を傷つける悪しき者に、優しさは不要。だが、我々は正しき人であるが故に、時に優しさに、その心を蝕まれるのだ。
 ラウリーナがそうであったように、悪を傷つける事を、誅することを、躊躇する。そのような優しさが、私達の心には必ず存在する。
 我々は正しい。故に、優しさは、時に邪魔になる。
 私は、ラウリーナの件で学んだのだ。待つことは、優しさに身をゆだねる事だ。それでは、正しきは実行できない。
 故に、我々は速やかに行動を起こすべきだと、ここに宣言する」
 おお! 構成員たちから歓喜の声が上がった。リッセの呟く演説の滅茶苦茶さなどを、理解でき指摘できる人間などは、この場には存在しなかった。
 リッセは、一人一人の目を見るように、壇上から構成員たちを眺める。その顔から、考えも感情もうかがえない。だが、構成員たちは一方的に、リッセからの期待と熱意を向けられているのだと都合よく解釈した。
(ついに! ついにこの時が来たんだ!)
 ティーエが胸中で、興奮気味に呟く。決行の時は、既に小隊長たちに告げられていた。後は、その言葉を仲間に伝えるだけだ、と。その時が、ついに訪れたのだ! 今日にいたるまで、その喜びを表に出さぬように、ティーエは必死だった。その欲求をトレーニングにぶつけ、はち切れんばかりの歓喜を内に秘め続けることに成功していた。
 本当は、今すぐ叫び声をあげたい気分だ。だが、まだ。まだ、リッセの言葉は続く。
「攻撃目標は司教フランツェル及びアンテローゼ大聖堂。
 魔女ヘクセンハウスの称号を人間種が継いだことは過ちであり陰謀であり不正である。直ちに正されなければならない」
 シンプル、それだけを告げた。ざわめきが、辺りを支配する。それは困惑や失望ではなかった。期待通りの言葉が、構成員たちに投げかけられたが故にざわめきだった。
 かくあるべし、と望むものが、かくあるべし、と告げられた。
「そも――深緑が、茨により失陥したのはなぜか。これもまた、愚かなフランツェルの怠惰であると、私は宣言する。人間種であるが故の傲慢さが、幻想種を危険にさらしたのだ」
 無論、そんなわけがない。八つ当たりにもなっていない責任転嫁であるが、この場においてそれは正しかったのだ。
 リッセが言うことは、正しいのだ。何故なら我々は正しいのだから。
 メビウスの輪に囚われた異常な論理が、この場を支配している。熱狂と狂気が渦巻いたカクテルは、人々の心を完膚なきまでに泥酔させている。
「また、アンテローゼ大聖堂の灰の霊樹は、我々幻想種の国有財産である。それを他国の人間に触らせるとは、売国極まりない態度であり、ましてやラサの連中に力を借り、その神秘の一端にまで触れさせるという事は、あってはならないのだ」
 わずかに、リッセの語気に熱がこもる。その熱気に当てられた構成員たちは、ごくりとつばを飲み込んだ。
 リッセに演説の原稿を渡したものがいるとしたならば、よくよくこの組織の内実と扱い方を理解していたといえるだろう。もしリッセが一言一句この演説を考えたのだとしたら、その狂気はすでに構成員たちに充分伝播し、その脳をかく乱させているのだといえるだろう。いずれにせよ、リッセの言葉はその一つ一つが、構成員たちにクリティカルに突き刺さっている。
「この悍ましき邂逅を後押しするローレットは、既に我々の敵となった。彼らの専横を許してはならない。彼らの成果の喧伝に、深緑の危機を利用させてはならない。
 深緑という地は、我々で救わなければならない! ラサの介入を後押しする、ローレットを、我々は排斥しなければならない!」
 応、と構成員たちが叫んだ。
「我々は、深緑を蹂躙するラサのキャラバン隊・およびローレットに対し、爆薬イータによる陽動とかく乱を行う。
 その隙をつき、本隊がアンテローゼ大聖堂に突入。司教フランツェルを襲撃及び殺害を行う! これはベーレン率いるエーニュの精鋭シルマ部隊に任せることとした」
「応!」
 ティーエが我先にと声をあげた。シルマ部隊の面々が、一歩遅れて敬礼を返す。
「アンテローゼ大聖堂そのものへの攻撃、制圧は、幻想種民族解放戦線(HNLF)に一任する」
「ええ、お任せを」
 アストラが恭しく頭を下げた。HNLFのメンバーもまた、静かに頷く。
「この作戦を以て、幻想種によるファルカウの奪還、同胞の救出を実現する!
 そしてその功績を以て、深緑より他種族を一斉に排斥できるだろう。
 作戦決行の時は、既に小隊長たちに通達してある。即座に準備に取り掛かれ!
 幻想種に栄光あれ!」
「ハーモニア万歳! 勝利万歳!」
 誰よりも早く、アストラが叫び、そのこぶしを突き上げた。遅れまいとこぶしを突き上げ、雄たけびを上げるティーエが、
「ハーモニアばんざい! ばんざい!」
 叫ぶ。それを皮切りに、構成員たちは次々と拳を掲げ、万歳、万歳、と吠えるように叫びたて始めた。狭く重苦しい地下壕の中は、歪な情熱と熱気に包まれた狂宴の場と化していた。ラウリーナが居たら、頭を抱えるか、嫌悪に眉をしかめただろう。だが、何度も言うように、この場にこの蛮行を止めるものなどはもはやいない。
「シルマ部隊! 行くぞ! まずは訓練からだ!」
 ティーエが叫ぶ。うずうずとする体を抑えきれずに。部下たちの返事を待つこともなく、ティーエは演説会場を飛び出した。そのまま訓練施設に飛び込み、目の前にあったサンドバッグを殴る。その標的に、いつか見た父親ろくでなしの顔が浮かんで消えた。それにティーエは気づかなかった。
「リッセ! ああ、リッセ! 素晴らしい演説だ! リッセは幻想種の未来を見据えている! リッセは寛大だ。幻想種の痛みを代弁しているんだ。俺はその手伝いをするんだ!
 俺はそのために、今日までリッセの、エーニュの、幻想種のために生きて来たんだ。これは天啓だ!」
 狂気だ。ティーエもまた、とっくの昔に狂っているのだろう。サンドバッグを殴りつけるたびに、はち切れんばかりの何かが、胸の奥で脈動していることに、ティーエは気づいていたが、それが何なのかはティーエには分からなかった。もしそれが、『他者を傷つけることによって得られるくらい喜び』であることに気づいたなら、ティーエはどうするだろうか。否、決まっている。自己肯定してみなかったことにするだけだ。今のように。
 一方で、対照的にアストラは冷静だった。彼我の戦力差を鑑み、今回の作戦が成功するかどうかを、冷静に考えた結果。
(勝てるわけがないな)
 シンプルに、その言葉だけが出てきた。
 リッセは意気軒高とアンテローゼ大聖堂への進行をぶち上げたが、そもそも論として、茨の呪いに、エーニュは対抗することはできない。対抗策はなんだ、と聞いたら、信念がどうのこうのと言い出したので、アストラはすべてを聞き流した。
(まったく愚かだ、穏健派の連中のリソースも考えない馬鹿どもが。よりによって、このタイミングで動き出すとは)
 ふん、と鼻を鳴らし、しかしその心中を他の者に気づかせないように、アストラは演説場を後にする。
(まぁ、作戦の先鋒を務めることはもぎ取った。そこは成果というべきか)
 つまりこれは、『撤退の決定権をアストラが握った』という事でもある。元より勝てるはずのない戦、アストラがこの場においてできることは、自分の患者――HNLFの兵士と自分の信者――を可能な限り生き残らせることだけだ。
(如何に愚かな破滅への行軍とて、患者の熱狂は止まらない。なればこの熱病が、この極寒のファルカウを溶かす礎となるよう……)
 そう言えば、とアストラは呟いた。
 あの、自分に似た旅人の事を思い出した。イーリン、とか言ったか。あれなら上手く、このバカげた行軍を片付けてくれるかもしれない。そして不穏分子を一掃し、深緑を国として一段先に進ませる、自分の願いを叶える一助となるなら――。
「さて、どうなるかな」
 アストラは呟く。その目に、何かを乗せて。

 狂乱は狂熱を呼び、穴倉の中に蠢く。
 多くの身勝手な意図を乗せ、大義の嘘で塗り固めた暴力が、静かに脈動を始めている。

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