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鉄帝の軍人として
登場人物一覧
此処は鉄帝の「とある酒場」のVIPルームの1つ。
目的以外の誰とも会わず、来て去る事が可能な、そんな場所だ。
此処での会話を知る者はおらず、決して漏れることはない。
だからこそ『群鱗』只野・黒子(p3p008597)は『フロイライン・ファウスト』エッダ・フロールリジ(p3p006270)との会合の場所に此処を選んだ。
この場所において黒子とエッダは「黒子からの試食の誘い」を受け、それは果たされた。
それは黒子の投げ込んだ「小石」であり、いつか波紋を描くであろう……そんな会合であった。
それは終わり、黒子のすべきことは終わった。伝えるべきことは伝え、後は動くのみ。
だからこそ、黒子が本来此処にいる意味はなくなったはず……なのだが。
先程、そのエッダが席を立ったその後も……黒子はその場に残っていた。
なんとなく、予感めいたものがあったからだ。
そして……その予感は当たっていた。
再度の来客の合図。
それが「誰」であるかを察し、黒子は無言で客人を迎え入れる。
「失礼する」
「……ええ、どうも『こんばんは』」
まるで今宵は「初めて」であるかのような、その会話。
だが、そうではない。
「その人物」は、先程も見た顔であり……それでいて、明らかに違う気配を纏っていた。
だからこそ「ああ、そういうことか」と黒子は無言のままに理解する。
再度の来客。それは間違いなくエッダであり……服装は変わらないままに、居住いを完璧に変えていた。
そう、その為に「1度退席する」必要があったのだ。
自分の中で自分を切り替える。それは弛緩した空気の中では不可能なものだと知っていたから。
今からやろうとすることは、半端な切り替えでは黒子に失礼であると、誰よりもエッダ自身がそう感じたからこそ……「完全に切り替える」ために、エッダは退席していたのだ。
それはある程度エッダ自身に負担を強いるものではあるだろう。
そうした意識の切り替えは、そういったスイッチがある者だとしても精神に多少なりとも負担をかけるものだからだ。
しかし、ならばそうまでしてエッダは何をしに来たのか?
その答えは明確だ。
それは、投げかけられた命題に対するアンサー。
エッダとして黒子に贈る事の出来る、最大の誠意。
鉄帝軍人として、鉄帝国軍大佐として。
そうした立場からの、黒子へ「建前」を伝えに来たのだ。
「伺いましょう。前置きは必要ありません」
黒子もそれを分かっているからこそ、エッダにそう促す。
イレギュラーズとしての本音ではなく、鉄帝国軍大佐としての建前。
それを伝えに来たことを、理解できたからだ。
だからこそ、エッダも余計な事は言わない。
これは黒子の示した誠意に対する、誠意であるからこそ。
「現状に対する貴様の認識は確認した。“私”も、そうであれば良いと思っている」
あの特務のいけすかない男の味方というのでなければ、それは鉄帝軍人としては基本的な思考だろう。
歯車卿も軍部も、それぞれの狙いというものがある。
それをエッダは、比較的正確に推測できているつもりだからだ。
「そうであれば、というのは、この浮遊島が“釣り竿”であればということだ。仮に――この島が、取り尽くせば財の尽きる“魚”であったら」
そもそも、浮遊島アーカーシュの調査は始まったばかりだ。
それを論じるのは早いのかもしれないが……想定しておかなければならない。
いつかぶち当たる問題であり、それを「しない」のは怠慢ですらある。
だからこそ「建前」としては、こうエッダは言い放つことができる。
「そもそも、私は、国益に似う限りにおいて、戦争を忌避しない。この島が“釣り竿”であれば、存分にその益を模索しよう。だが、“魚”であれば――考えるのは、その身、その骨で更に大きな獲物を漁る為の方策だ」
鉄帝軍人としては模範的な答えだ。
恐らくどの鉄帝軍人に聞いても、おおよそ似たような答えが返ってくるだろう。
大佐であるエッダとて、建前としては同じだ。
そこは、絶対にブレることはない。
「クラースナヤ・ズヴェズダーの未来は私とて憂えている。否、国民の未来をだ。だからこそ……」
そう、だからこそエッダは言わなければならない。
鉄帝大佐としての立場としての言葉をだ。
「警告は受け取った。それについては私も考慮しよう。それについての礼だ。私は隠れてではなく、はっきりと名言することにする」
そこで、エッダは一端言葉を切る。
これは重要な言葉だ。建前としては、この言葉こそ言わなければならない。
そして黒子はその意味を正しく受け取るだろうとエッダは確信している。
「“私は、貴様を警戒した”。特務派の思惑がもし私の益となった場合、確実にそれを阻むであろう者として」
そう、特務のいけすかない奴の居る場所がエッダの立ち位置にならない、などとは絶対に言えない。
軍人とはそういうものであり、そういう「駆け引き」が今まさに行われている最中なのだ。
「交渉とは、互いの差し出すものが釣り合ってこそだ。私も誠意を示したぞ」
エッダはそう告げると、再び身を翻す。
「望みたいものだな。互いの憂慮が杞憂となることを。そして現実となった時、互いに差し出せる何かがあることを」
「ええ。そうなるように努めましょう」
エッダの意図するところを、黒子は正しく受け取った。
それをエッダもまた理解したのが……今日のこの会合の、最大の成果であっただろう。