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届かなかった言葉
登場人物一覧
姫菱安奈は一本の剣であった。
美少女に生まれ拳ではなく剣の道を選んだ彼女は、比類稀なる才能など無く、只凡庸であった。
それでも積み重ねた鍛錬は、雨が石を削るかの如く微細に、されど確実に安奈を高みへと押し上げる。
代わりに技を磨くことに膨大な時間を費やした安奈の精神や感情はあまり育たなかった。
天香に拾われるまでは。
召喚され、現当主天香遮那の先々代の君主に仕えた安奈は、天香の為の刀であった。
楠忠継は一本の剣であった。
豊穣の地では獄人として迫害される身分ではあったが、その剣の才能は、凡庸ならざるものだった。
獄人の身でありながら帯刀長まで登り詰めた彼は、妹の病気を救ってくれた天香長胤に恩を感じ、その職を投げ打って天香家に入った。
その剣の才能を生かし、家臣として天香の為に尽くしたのだ。
「最初の印象は、散々だったであろう?」
「ああ、そうだな……」
安奈の言葉に忠継は出会った頃を思い出す。
その間にも安奈の背後に迫った矢を忠継は払い落とした。代わりに安奈は忠継の肩を踏み台に跳躍する。
息の揃った戦いは二人が信頼し合っていることを物語っていた。
二人は決して最初から仲が良かったわけではない。
お互いが天香の為にと剣を振るっていた。二人で成せば容易い任務も『自分が天香を支えるのだ』と躍起になって幾度か失敗を繰り返したのだ。
「正直なところ、お主の事が気に食わなかったのだ。我より年下で後から入って来たくせに、口煩い舅みたいに剣筋が成ってないや脇が甘い等と抜かしよったからの。だが、お主の言う事は正しかった。天香の為なら命など惜しくないと思っておった我に、生き残り天香を支える道を示したのだからの」
安奈は敵の剣を受け流し、相手の重心を足で払う。これも忠継から教わった生き残る為の術だった。
「あの頃の安奈は、道理も分からぬ幼子のようだったからな。若と同様に苦労させられた」
「……え、そんなにか?」
比較対象が『やんちゃ坊主の若殿』であるのだ。
おそらく相当に手の掛かる同僚もとい剣術の弟子だったのだろう。
思わず気を緩めた安奈の隙を狙い、敵が刃を振り下ろす。身を捻り辛うじて急所を避けた攻撃。
安奈の右足首に痛みが走った。
それでも痛みを物ともせず安奈は敵を刀で薙ぎ払い、忠継は次の手を読んで一歩前に出る。
心強いと安奈は思った。己だけではたどり着けぬ高みへも、忠継となら共に登っていけるとさえ思う。
「……天香に仇成す者に容赦はせぬ!」
月光を反射した忠継の刃が敵の瞳に映り込んだ。
「全ては、天香の為に――」
返り血を浴びた安奈と忠継は、冷たい瞳で敵の亡骸を見下ろした。
翌日、久々に非番が重なった安奈と忠継は、共に高天京へと出向いていた。
「おお……見た事の無い風貌の者達がおるの」
目の前を通り過ぎていった金の髪をした少女を見つめ安奈は目を輝かせる。
ここ最近は海の向こうから『神使』なる者達が現れ、街を歩くようになっていた。
「若も興味津々で、神使達の元へ通っているようだ……勉学も重要だというのに」
「ははっ、忠継よ。あの若殿が大人しく机に向かって居られるものか。風のように何処かへ抜け出しては街の子供達と遊んで居るやんちゃ坊主であろう?」
二人が世話役を受け持っている『若殿』――この春に十四になったばかりの遮那は、唯一の肉親である白妙蛍を幼い頃に亡くしたあと当主長胤の義弟となり、何不自由無く育てられている。その甲斐あって、遮那は天真爛漫に……些かやんちゃに育ったのだ。
「若殿が勉学に励むなど……雨か雪が降るのではないか?」
腹を押さえて笑った安奈は、久々の休みに気分が高揚しているようだった。
だから、己が昨日の任務で足を挫いた事を失念していた。
「痛……っ」
「大丈夫か?」
忠継の逞しい腕が、蹌踉けた安奈の身体を抱き留める。
腕の中に包まれる感覚に、安奈の胸の中でむず痒さが弾けた。これは何なのだろうと忠継の腕を掴む。
己の腕をじっと見つめる安奈の視線に忠継は「何だ?」と眉を寄せた。
「そうか我は羨ましいのか……むむう、羨ましいぞ忠継。お主の逞しい腕が我にもあったなら。お主を逆に守れたかもしれぬのに」
「何を言うかと思えば」
安奈を軽々と担ぎ上げた忠継は近くの茶屋の椅子へ少女を降ろす。
夏の日差しを遮る大きな傘が赤い布が掛けられた椅子に影を落していた。
忠継の持ってきた冷たい茶で、少し暑さが引いていく。
「俺は、安奈の持つしなやかな体捌きは美しいものだと思っている」
「ほう……! やはりな。我もそうではないかと思っておった」
「調子に乗るな」
湯飲みを持った手で忠継は安奈を小突いた。
それが妙に楽しくて安奈は足で忠継の足指を軽く踏む。お返しに、また湯飲みを持った手が腕に触れた。
「安奈よ。これから忙しくなる」
「そうだの。神使達の来訪と何やらきな臭い匂いもしよるからの」
冷たい茶を一口飲んだ安奈は、入道雲が広がる青い空を見上げる。
きっと此処から先、血なまぐさい戦場が続くのだろう。そんな予感をお互いが共有していた。
だからこそ、今のこの平穏な時間が一刻でも長くあってほしいと思ってしまう。
其れに、忠継が居ればどんな苦難も打破することができる。安奈にはそれが分かるのだ。
「……落ち着いたら、話したいことがある」
自分を真っ直ぐに見つめた忠継の表情は真剣そのもので、安奈はこてりと首を傾げた。
「何じゃ改まって……はっ! もしや、いよいよ免許皆伝か!? 先程の体捌きが美しい話しは伏線というやつなのであろう! 口下手な忠継がかような話術を会得しようとはの」
得意げな笑みを浮かべた安奈の瞳は輝いている。
忠継が何を言わんとしているのか、彼女には想像もつかないのだろう。
安奈の楽しげな表情に、自分も浮かれていたのだと忠継は自覚した。ひくつく喉に唾を押し込んで。
「そうだな」と応える。
「我も剣の腕を上げたからのう! ふふ……免許皆伝か。楽しみである!」
眩い笑顔が忠継の瞳に映り込んだ。
最期の戦い。剣檄と怒号の中で、忠継は安奈に告げた。
この身一つで守れる力が手に入るなら、そして乗り越えて行けるのなら、天香は安泰であると。
潔いほどに、忠継は武士であった。彼に送るのは涙ではない。
安奈自身が強き刀であるということ。忠継を倒す程の力を持っていると示すこと。
だから、安奈は忠継に刃を向けた。
後悔など無いと叫ぶ。
それでも仲間であり師であり友であった忠継の死は、安奈にとって胸に穴があいたような感覚を齎した。
「あの時、何と言おうとしておったのだ?」
本当は免許皆伝ではない事は薄々気付いていた。
ひどく真剣な表情が、今でも脳裏に焼き付いている。
明日があると思っていた。何時でも聞けると思っていた。
隣に居るのだと、背中を預け、天香の為にと二人で邁進するのだと思っていた。
忠継の顔を思い出す度に、胸が張り裂けそうに痛いのだ。
彼が残してくれたのはこの身に培った剣術と、全ては天香の為にという言葉。それは命を賭して守る。
それでも胸が苦しい。
あの時、忠継の言わんとしていた言葉の続きは、もう聞けないのだと――ひどく寂しくなった。
おまけSS『二人の軌跡』
『夏涼の色彩』:https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/3997
『琥珀の雫』:https://rev1.reversion.jp/page/kamuigura_18
『<傾月の京>天香遮那』:https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/4190
『<神逐>月途の誉』:https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/4528
『東雲色の空へ』:https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/4656
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『楠忠継』:https://rev1.reversion.jp/scenario/ssdetail/1224