SS詳細
二人を迎えるのは綺麗な朝焼けで
登場人物一覧
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ギルド・ローレット。
今日も大量の依頼が舞い込む中、少年と少女は若き情報屋から依頼内容を聞いていた。
「ふうん、鼠退治ね」
シラスは頬杖をつきながら、渡された紙束を眺める。
とある区画の地下水路に住みついてしまった不法住居者達を始末する依頼。鼠退治とは、その隠語だ。
ぜひ彼ら二人に頼みたいと言う指名依頼。珍しいことではないが──。
「どうして私たちなんですか?」
腑に落ちないエマはおずおずと聞くと、情報屋は言いよどみながら口を開いた。
「まあ、こういう事を言うのはどうかと思うが、君たちはスラム出身だろう?」
エマは顔を俯かせ──小さく頷いた。
気持ち良く語れる過去ではない。だが、ローレットはそういう者でも『置いて』くれる。
「成程ね、確かに俺たちの共通点はそこだ」
「だからこそ、そのあたりに詳しい私たちに──と」
「そういうことだね。この依頼人は君たちの腕を買っている。悪くない仕事だと思うけれどね」
そして続く情報屋の言葉。
「それに今回の依頼人は中々の大物だ。聞くところによれば、商会にも顔が利くとか」
「いいじゃん、やろう。ここで恩を売っておけば、コネ作れるかもしれないぜ」
シラスとは対照的に、エマの表情はどこか暗いままだった。
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「し、し、シラスさん。本当に全員殺すんですか?」
「考えんなよ、そんな場所にいる方が悪いんだって」
エマの心配そうな声と裏腹に、シラスの口調は軽い。
「なあに、半分も死ねば他は適当に逃げ出すだろ。残さずとのお達しだが漏れがあっても分かりゃしないさ」
「まま、まずは交渉してみましょうよ」
エマの提案に、シラスは眉尻を下げて不満を示す。
「ムダだと思うけどなあ。それにエマのギフトが足引っ張りそうなんだけど」
「うっ、それは……」
すねるエマに悪い悪いと軽口を叩きながら、エマの次の言葉を待つ。
「そ、そりゃあ負けないと思いますよ? シラスさんの強さは誰もが認めてますし……でも」
言いよどむエマが、一拍子置いて、言葉を紡いだ。
「実力行使って結構疲れますし、それはホントの最終手段にしたいかなあって」
「まあ……そうかも。分かった、最初はエマの言う通りにしてみようか」
二人は夜の街を行く。
路地裏を抜け、ゴミ溜めのそのさらに下の下。そこが地下へと続く道だ。
朽ちた梯子を下ると、下水のすえた臭いが鼻を突く。
悪臭に顔をしかめながらも、懐かしさを感じずにはいられない。
「長居は無用、さっさと終わらせようぜ」
「……そうですね」
カンテラで地面を照らすと、ゴミや鼠の死骸がそこらに転がっている。
そんなものは見慣れている二人は、白骨化した鼠の死骸をパキリと踏み潰し、その先を行く。
しばらく歩くと、同じようなカンテラの光が見えた。人の声はしない。だが確かに気配がある。
エマが壁からそろりと顔を出すと、二十人ほどの男女が居る。
その目に生気は無い。誰もが無気力で、まるで──
(死人みたい)
およそ人の住むような場所ではない所に追いやられた者たち。それは『選ばれなかった己』のなれの果て。
彼らを殺すことは、昔の自分たちを殺すことと同義。
何かやりようがあるのではないか──エマは記憶の糸を手繰る。
「誰だ」
伸びてきた影に気付いた、片腕の襤褸を纏った男が声を上げた。
はっと顔を上げたエマが、男の前に立つ。
「──わわ、私たちはローレットの者です。貴方たちを此処から退かすように言われまして」
「退く気はない、と言ったら?」
エマが交渉役となるも、やはりギフトの影響を受けているようだ。
「こ、こんな危険な場所じゃなくて、他に行く場所はありますよ」
「どこも追い返されたよ。スラムには今だって人が溢れかえってる。だから真っ先に死にそうな俺たちは追い出されたんだ」
病人。子供。老人。五体不満足──此処にいる者たちは、そういう爪はじき者だったのだ。
「交渉決裂か。じゃあ手荒なマネされても文句は言えないよな?」
黙って後ろで聞いていたシラスは、片腕の男に歩み寄る。
「ちょ、シラスさん!」
「だから言ったろ、ムダだって」
「俺たちを殺すのか」
「ああ、それが仕事だからな」
「……所詮、俺たちは天からも人からも、そして同胞からも見放された邪魔者か。殺せよ。抵抗なんかしないし、そんな力も──俺たちには残っちゃいない」
「──てめえ!」
瞬間、湧き上がる怒り。男の胸倉をつかむシラス。
俺だって、奪って、奪われて、縋って、逃げて、必死に生きてきたんだ。
それを、それを──!
「甘えてんじゃねえっ!!」
「シラスさん、抑えてっ!!」
「離せ! こんな腐った連中、望み通りにしてやったほうが──っ!」
「シラスさんっ!!」
エマはシラスを引きはがし、不法占拠者たちと別れた。
「お、落ち着きました?」
壁にもたれて座り込んだシラスにそう問いかけるも、返事は無い。
エマは気にせず、言葉を続けた。
「聞いてください。シラスさん。私、やっぱり彼らを殺せません」
シラスは顔を上げた。それはつまり依頼の失敗を意味し──ハイ・ルール違反にもなり得る。
「何言ってんだよ、今まで通り殺すだけじゃないか」
そうじゃないんですと、エマは首を横に振った。
「私もあなたも似た者同士。ここで全て鵜呑みにしてしまえば、お互いに最後の砦、大事な何かを喪ってしまう……そんな気がしてならないんですよ」
「これは仕事だぞ。そんなの関係ねえだろ」
シラスはあくまで冷淡冷酷を装う。
「じゃあ何だ、ここで引き返して『すみません、殺せませんでした』って馬鹿正直に報告するのかよ!?」
「……そ、れはっ」
言葉に詰まるエマに、シラスは語気を強める。
「俺たちが殺さなくても、誰か他の奴が殺すぞ。今更手ェ汚したくないなんて綺麗事を抜かすなよ!」
「ち、違います。今更手を汚すのをためらうわけではありませんが……あまりにも、あんまりにも──」
エマは俯きがちに言葉を切って、ぶるぶると震える右腕に、左腕をそっと添えて。
「彼らは、召喚されなかった私たちそのものです。そんな彼らを、生きる価値もないと切り捨ててしまうのは──っ!」
顔を上げて、シラスの目をまっすぐ見据える銀の瞳。
媚びて、妥協して、我慢して、誤魔化して、他人の顔を伺ってきた少女の姿は無い。
「……」
シラスはぐったりと項垂れる。
これまで数えきれない位に手を汚してきて。その中には罪のない人も居て。
それでも生きるためには仕方ないと目を背けた。けれど今日ばっかりは。ここから進んだその先は。
もう自分ではいられない場所に続いている気がして──。
「クッソ……ああッ、もう! 分かってる、分かってんだよォ……!」
頭をぐしゃぐしゃとかき回し、声を絞り出す。
その姿を見て、エマはようやく安堵の息を漏らした。
友人として、似たような境遇の者として。『道を踏み外さぬように』──エマはシラスの腕を引っ張り上げたのだ。
「シラスさん……!」
「殺すのはヤメだ。でも、どうするんだよ」
乱れた髪を不機嫌そうに取り直して、エマと向き合う。
「こんだけ啖呵切っといて、案も策もありません、とか言うなよ」
「よ、要は彼らをこの区画から『排除』すれば済む話でしょう? 私、考えたんですが──」
エマの案を聞くと、シラスはくつくつと喉で笑った。
「はー……ホント、面白い事思いつくよな。負けたよ」
立ち上がり、ズボンについた砂埃をぱんぱんと払った。
「よし──やろうぜ、エマ。これは、俺たちしか出来ない戦いだ」
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荒い息を整え、地下水路を走り回る。
『──この地下水路、どうやら人食い鼠の根城になっているようでして』
「……ここか!」
点在している柵のひとつから、チュウチュウと響く鼠の鳴き声。
『──鼠たちに襲われれば、彼らもきっと逃げてくれます。そのあとの事は──私たちが何とかしましょう』
シラスは魔力を指に込めると、手刀で柵を叩き斬る。
──そこに居た百匹以上の鼠が、驚いた拍子に一斉に地下水路に放たれた。
「マッチポンプとはね。てか、ホントの鼠退治になっちゃってるし」
自作自演でヒーロー気取りとは、何とも気恥ずかしい。
でも──それが誰かの、ひいては自分たちの救いになるのなら。
「……よし!」
シラスも鼠たちが走って行った方角へと向かう。
向かうは、襲い来る鼠の対処を申し出たエマと──不法占拠者、『選ばれなかった己』の下だ。
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「皆さん!」
エマがはあはあ、と荒い息を整え、不法占拠者の下へとやってきた。
「……何度言ってもムダだぞ。それとも、殺す決心でも着いたか」
片腕の男が、相変わらず生気のない言葉を投げる。しかし──。
「早く逃げて! ここに──鼠の大群がやってきますっ!!」
エマの絞り出すような叫びに、男の目の色が変わった。
「!」
「兄ちゃん……此処の鼠、人も食べるって」
「僕たち、死ぬの?」
幼い子供たちが、片腕の男の足に縋りつく。
「……くそおっ、何で! 俺たちばかり!」
「大丈夫──」
「え……」
「私は、いえ。私たちは、その為に来たんですから」
エマは静かにナイフを抜いた。
ひたひたひた、と不穏な音が聞こえる。
住処を壊され怒った鼠たちが、ヒトの匂いに誘われてこっちにやってきた。
「私が囮になります。その間に逃げてください」
「あんた、何言ってんだ。死ぬぞ!」
「早く!」
思っていたよりも早く、鼠の大群がエマの前に姿を現した。
(え、予想よりも多いんですけどっ!)
泣き言を言っても始まらない。言ったのは自分だ、責任は──自分で取る!
爆蘭。エマは投げナイフをばらまくと、刺さった鼠の脳天がぼんと弾けた。
だがその程度では鼠の行群は止まらない。
さらにナイフをばらまき動きを抑制するも、群がる、群がる。
エマの足元はすっかり鼠の毛布が出来上がって、ブーツを噛み、足を駆けのぼり、縦横無尽にエマに襲い掛かる。
「くっ」
振りほどき、踏みつけ、それでも捌き切れない。
「うああっ」
太ももに鼠の牙が突き刺さる。
だらりと下がった腕に、おぞましい数の鼠が飛びつく。
ナイフを取りこぼす。たちどころにナイフは鼠の下に埋まる。
痛い。逃げたい。今すぐに。でも、でも──。
「逃げろ!」
「……嫌っ!! 私は、わたし、は……っ!」
このまま逃げたら、今までと一緒だからっ!
──突如、ぱん、ぱぱん、と響く手拍子。
鼠たちの動きが一瞬止まる。
勝機とばかりに、エマは鼠の群れをかき分け、ナイフを拾い上げた。
これは、彼の猫騙し──否、この場に至っては鼠騙しだ。
「遅れて悪いな」
「し、シラスさあん……!」
涙声のエマに、シラスは思わず吹いてしまう。
自分で仕向けておいて、全く──。
「反撃開始だ。俺たち二人なら──鼠なんかに負けやしないぜ!」
「はい!」
シラスとエマの反撃に、あっという間に数を減らした鼠たちは、不利を悟ったか散り散りに逃げていった。
もう二人の背に、守るべき不法占拠者たちの姿は無い。
彼らは何とか逃げおおせて──そして、新たな地へと向かったのだろう。
「ありがとう──ローレット」
戦いのさなかに聞こえた片腕の男の声が、シラスとエマの胸には確かに響いていた。
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地下水路を出ると、すっかり空は明るくなっていて、気持ちの良い風が二人の髪を揺らす。
「……エマ。俺、あの言葉が無かったら──俺は、もう『俺』じゃなくなってたと思う」
「えひひっ……大層な事はしてませんけどね。でも、でもね──私もシラスさんが居なかったら、きっとあんな事言えなかったですよ」
シラスはエマが居なければ、言葉通りに彼ら全員を手にかけていた。
エマはシラスが居なければ、思いついた計画を実行出来なかった。
二人だからこそ成し遂げた──知りうる限りで最善の方法だった。
「これは俺らだけが知る、俺らだけの成果だけど──胸張れよ、エマ。お前のお蔭で、皆ハッピーだ」
「……セクハラですか?」
「ちげーよ!」
友人同士の軽口に、二人は笑いあう。
「ま、これからも頼むぜ。相棒」
「……はいっ」
そう言って、拳を突き合わせる。
──と、互いに鼻をすんすんと動かし、はたと動きを止める。
「まずはお風呂、ですね?」
「いや、傷の手当だろ」
悪くない気分だ。清々しいとも言える。
今、『選ばれなかった己の運命』を救った小さな二人の英雄は──確かな充足感と共に、昇りゆく太陽を静かに眺めていた。