SS詳細
俺たちはどう生きればいい。或いは、失ったものは何だ…。
登場人物一覧
●ある晴れた日の邂逅
人混みの中を悠々と。
小柄な男が歩いているのが視界に映る。
細い身体に該当を纏った、赤茶けた錆にも似た髪色の男だ。右へ左へ、不規則に人の行き交う中を、まるで広い草原でも歩いているかのような様子で彼は行く。
他の者と肩が触れることもない。
サンディ・カルタ (p3p000438)。彼のことは知っている。軽い性格に、よく回る口、性格を反映したわけでも無いのだろうが、素早く軽々とした身のこなしには目を見張るものがある。
同じ戦場に立つとなれば、サンディは相応に頼りとなる者だ。
ローレットに所属する同僚という間柄ゆえ、噂程度であれば時折耳にするし、実際に顔を合わせたことは幾度もあっただろう。
「…………」
無言のままに、アルヴァ=ラドスラフ (p3p007360)は路地の影へと身を滑り込ませた。
サンディの有する技術が“盗賊”として培われたものであることに、思うところが無いわけではないが……とはいえ、しかし“義賊”であるアルヴァがそのことにとやかく言う筋合いはない。
サンディにはサンディの、アルヴァにはアルヴァの事情がある。他人の過去のあれそれに、逐一干渉すべきでは無いし、そんな権利もありはしない。
その程度のことはアルヴァとて理解しているが、それでも今ばかりは顔を合わせるわけにはいかない。
今現在、アルヴァの脳の奥で渦巻く想いに名前を付けるとするのなら、それはきっと“憎悪”というそれになるのだろう。
●7日前、山中にて
道なき道を悠々と。
人の町から幾らか離れた険しい山中。向かう先はその中腹にある洞窟だ。
進む途中で足を止め、視線を左右へと巡らせる。耳に届くは木々のざわめきと、遠くに流れる小川の音、小鳥やリスの鳴き声と、虫が枯れ葉の上を這う音。
人の気配は感じない。
誰にも尾行されていないことを確認し……そこでサンディは、ひとつ大きなため息を零した。
「どうにも癖ってのは、なかなか抜けないもんだな」
なんて。
錆色の髪を荒っぽい手つきで掻きむしって、近くの小岩に腰をおろした。
生まれはスラム。
両親の顔は知らない。
物心が付いたサンディへ、育ての親はこう問うた。
「盗みと殺し、どっちで生きる?」
淡々と。
それが何ら特別なことでは無いといった口調で、垢と泥に塗れた男は問うたのだ。きっと、同じ質問をこれまで何度もしてきたのだろう。
外見こそはそこらの浮浪者と大差ないが、なるほど彼はスラムのまとめ役なのだ。その証拠に、骨と皮ばかりの餓鬼にも似た身体付きの者ばかりが目立つスラムにおいて、彼は痩せてこそいるものの、それなりに肉が付いていた。
濁った瞳でまだ子供のサンディを見下ろし、黙ったままに彼の返答を待つ。
思えば「盗みと殺し」の2択を迫るこの問いこそが、生まれて初めてサンディ個人に与えられた“意思決定”の機会だったのではないか。
暫しの逡巡の後、サンディは「盗み」と答えたはずだ。
男は一言「そうか」と告げて、立ち去って行った。
それから暫くして、サンディが引き合わされたのは同年代の少年少女たちだった。
痩せた身体に陰鬱な表情、中には怪我をしている者もいる。
彼ら、彼女らこそがサンディの最初の仲間にして「盗み」を選択した同業者であると知るのに、そう長い時間は必要なかった。
数年にわたり、生き延びることが出来たのはきっと偶然なのだろう。
その間に、サンディの“仲間”たちは半数以上が死んだ。
怪我で、病で、大人たちの戯れで、何らかの事件に巻き込まれて……理由は様々だが、辿る結末はどれも“死”であることに変わりはない。結果が全て、というのなら仲間たちがどのような想いで、どのような経緯で命を落としたか何てことはどうでもいいことなのだ。
頭ではそう理解している。
しかし、心までは誤魔化せなかった。
スラムに生まれたからといって、人の一生がそのように無価値で無意味なものであって良いはずが無いのだ。
まるで路傍の花を摘むみたいに、命が損なわれていいはずがないのだ。
地べたを這いずり、泥水を啜ってでも、生き延びたいと……生きるべきだと、幼いサンディは考える。思えば“生き延びた”という想いこそが、サンディの思い描いた最初の“夢”だった。
それから、サンディはみなしご達や流民を纏め、自警団を組織した。
迂闊に犯罪に手を染めるから、報復にあって命を落とす。
無計画に他者へ襲い掛かるから、反撃にあって命を落とす。
ならば、組織で……知恵を駆使して事を成せばいいはずだ。
そんなサンディの考えは、きっと正しかったのだろう。実際、サンディが組織した自警団は、ひとつの群れとなって行動し、一定以上の戦果を得た。
飢える者も、死傷者も減った。
個々の力が弱いのなら、群れを作ればいい。
スラムで生まれ育ったサンディの得た、ある種の答えがそれである。
イレギュラーズとしての活動を開始して以来、サンディはかつての自警団から離れて久しい。自警団と言えば聞こえは良いだろうが、その本質は“盗賊”である。今のサンディの立場からすれば、依頼があれば盗賊退治に出向くことも当たり前にある話だ。
けれど、過去の経験からサンディは盗賊行為に忌避感はない。
今の依頼人たちが、盗賊に対して危機感や嫌悪感を抱くことは仕方がないとも思っているが、盗賊側が富める者から金品食料を奪うことも同じく仕方のないことなのだ。
そう、仕方がない。
生きるためには仕方がないのだ、お互いに。
生物は生きて死ぬために生まれて来た。生きたいと思うことは生物としての本能であり、本能とは“善”や“悪”や誰かの定めた“法”よりも優先されて然るべきだ。
例えば、現在、サンディが向かっている山中の洞窟には、都合10名ほどのごく小規模な盗賊団が暮らしている。
故郷を戦火に焼かれ、盗賊稼業に落ちた市民の馴れの果て。食うに困った彼らは、盗賊に身をやつした。これまで培ってきた“一般常識”であったり“善悪の区別”は、飢えというただひとつの要因により、容易く塗り替えられるのだ。
そんな彼らの“生きたい”と願う心をサンディは否定しない。
むしろ尊いものであると感じているし、都合が合えば手を貸すこともあるだろう。今だって、偶然に近くへ訪れて、ふとした拍子に時間が空いたということで、彼らが今どうしているのか様子を見に向かっている最中だ。
「まぁ……この調子じゃ、遅かれ早かれってところだが」
なんて。
そう呟いたサンディは、鼻腔に届く血の匂いに顔を顰めてそう呟いた。
生きるためには、時に“奪う”ことも必要となるだろう。
盗賊に法を説いても意味は無い。
盗賊には盗賊の秩序が。
貴族には貴族の秩序が。
国や都市には、それらの制定した秩序が存在する。
「やり過ぎだ……馬鹿野郎が」
眼下を流れる小川には、人の遺体が浮いていた。身ぐるみを剥がされた男女と、それから小さな子供の遺体。顔立ちや体格から判断する限り、生前は貴族か商人辺りだったのだろう。
因果は巡る。
実のところ、盗賊の辿る末路が幸あるものとなるケースは少ない。遅かれ早かれ、悪行の責任を払う時が来る。
最後にもう1度だけ、盗賊たちに助言を与えよう。
目を付けられる前に遠くへ拠点を移せ……それが聞き入れられないのなら、次に会う時は敵同士ということも十分にあり得る。
けれど、しかし……。
「……なんだ、これ」
盗賊のアジトを目の前に、サンディは思わず足を止めて目を見開いた。
新鮮な血の匂いが鼻腔に届く。
誰かの悲鳴が耳を震わす。
「金目の物は置いていきな、命までは盗らねぇからよ」
はっきりと。
男の声を耳にして、気づけばサンディは駆け出していた。
一閃。
盗賊の側頭部を狙撃銃の銃握でもって殴打する。
黒づくめの衣装を纏った小柄な男だ。
隻腕らしく、右の手で持った狙撃銃をまるで鈍器のように扱っているのである。
情け容赦のない一撃が、盗賊の頭を割って血飛沫が舞った。
意識を失い、血だまりに伏して呻く盗賊の後頭部を、黒づくめの男は靴底で踏みつける。
盗賊はまだ生きている。
しかし、治療が遅れれば命にかかわることは明白。
「もう1度言う。金目の物を置いて、さっさと失せろ」
脅しのつもりか。
銃口を倒れた男の後頭部へと突き付けて、黒づくめの男は告げた。
淡々と。
人の命を左右するにしては、ひどく感情の薄い声音だ。
見れば、他にも4人の男が地面に倒れて意識を失っているではないか。
戦闘経験に乏しい盗賊たちは確かに弱い。
だが、10人を相手に単身で渡り合う黒衣の男の強さは異常だ。
堂々とした立ち振る舞いや、得物を振るう所作から判断するに、元は貴族か騎士か……少なくとも、正規の戦闘訓練を積んで、実践を多く経験して来た者であることに間違いはない。
「っ……何やってんだ、てめぇ」
洞窟内部で繰り広げられる惨状に、サンディは思わず声を零した。
それと同時に、袖に仕込んだナイフを投擲。
黒衣の男は、狙撃銃の底であっさりとナイフを払うと、サンディへと視線を向ける。
「まだ仲間が……っ!」
黒衣の男が言葉を言い切るより速く、サンディは地を這うように疾駆した。
走りながら、腕を一閃。
落ちていた小石を黒衣の男の顔面へ向けて撃ち出した。
男は後方へ飛び退くことで投石を回避する。
小石程度で、黒衣の男が隙を見せるとは思えない。
肉薄。
次いで、金属同士のぶつかつ音が鳴り響く。
サンディのナイフと、銃身が衝突し火花を散らした。
黒衣の男は、狙撃銃を鈍器として扱っていたのだろう。すでに耐久が限界に近かったらしく、サンディのナイフを受けたことで、エジェクションポートが破損し、バネを含む幾つかの部品が四方へ散らばる。
拮抗は一瞬。
黒衣の男は数歩よろけ、サンディの身体は数メートルほど後ろへと弾き飛ばされた。
「見たところ、正規の憲兵や賞金稼ぎって風にも見えねぇ。同業者か?」
唇に滲む血を拭いサンディは問う。
「同業者だと? 一緒にするな」
淡々と、男は告げる。
見れば男の右手首からは鮮血が流れ出していた。先の交戦の末、サンディのナイフに抉られたのだ。
左の腕は欠損しており、流れる血を止めることもままならない。
「あぁ? 金目の物が目当てなんだろ? だったら……あぁ、いや」
刃こぼれしたナイフを脇へと投げ捨て、サンディは男へと視線を向けた。
「お前、義賊か? 盗賊から奪った金を配って回って、匿名希望の正義の味方でも気取るつもりか?」
睨みあったまま、サンディと男は動かない。
男は無言を貫いて、サンディの一挙手一投足へ油断なく意識を向けていた。
やはり、相応の実力者だ。
「飢えて死ぬなら、貧民よりも盗賊を、ってか? あぁ、そうだろうな。貧民を虐げるようじゃ、悪党の誹りは免れないからな。だからって殴りやすい方を殴って解決した気になってんじゃねえよ」
何もせず、ただ死を待つばかりの貧民と。
生きるために悪事に手を染めた盗賊と。
真に“生きたい”と願っているのはどちらだろうか。
「……分が悪いか」
数分間の睨み合いの末、黒衣の男は言葉を零す。
その足元は、手首から流れた血で真っ赤に染め上げられていた。
血を流し過ぎたこと、実力が拮抗していることを理由に、今回は撤退を選ぶことにしたらしい。サンディへの警戒を緩めぬまま、ゆっくりと洞窟の出口へ向けて移動していく。
「日を改めるとしよう」
その一言だけを残し、黒衣の男は姿を消した。
●ある晴れた日の再会
貴族の家に生まれ。
両親をローレットに殺められ。
記憶を失い数年……魔種と化した姉を己の手で殺め。
波乱万丈と言えばいかにも聞こえは良いが、自分ほどに運命に翻弄された者もそう多くはいないだろう。
貴族であることを止め、義賊として生きることを決めた今でも、時折、そんな想いが胸の奥で首をもたげる日々だ。
どうしようもなかった。
自分に出来ることは無かった。
悔しいと言えば嘘になるが、さりとて今更、過去を嘆くつもりも無い。
時間は過去に戻らない。
ただ、刻一刻と未来へ進むばかりで……こうして、身を路地に押し込んだまま息を潜めている間にも、己に残された時間はじわじわと減っていく。
世界には、辛いことが多すぎる。
真面目に生きて来た者が、どうして不幸に苦しめられねばならぬのか。
貧しいながらも日々を精一杯に生き、たまの祝いの席に限っていつもよりも少しだけ豪勢な夕食にありつける。そんな毎日を送る子供は掃いて捨てるほどにいる。
そして、そんな者たちばかりが……幸いがあるべきと、アルヴァが信じる者たちこそが、盗賊をはじめとした悪人には、絶好の鴨に見えるらしい。
だからアルヴァは義賊になった。
自分の信じる正義を成すには、ほかに術がないと考えたからだ。
先日、アルヴァが襲った盗賊たちもそうだった。
彼らは、貧困に喘ぐ村を襲って金と食料を根こそぎ攫って行ったのだ。その上、食う物を失い、今にも死に絶えそうな村人たちへ、僅かばかりでも食料を届けようとした商人一家を山中で襲い、命を奪った。
それは正しく“悪”だろう。
そして、悪は裁かれるべきだ。
まさか、他人に害を為しておいて、己は赦されるはずなんて……そんな風な都合の良い考えを盗賊たちも抱いていたわけではないだろう。
因果応報。
ただの4文字で、彼らの末路は形容できる。
いつも通りだ。
これまで、何度も同じことを繰り返して来た。
悪党どものため込んだ金を根こそぎ奪い、貧しい者へと分け与える。
それが正しいことだと信じ、アルヴァはことを成して来た。
しかしあの日、あの男は……サンディ・カルタはあろうことかアルヴァの邪魔をし、盗賊たちの味方に付いた。
「よぉ、忘れもんだ」
路地の前で足を止めたサンディが、アルヴァへ向けて何かを放った。
飛んで来たそれを反射的に右手で掴み、手首の痛みに顔を顰める。
そんなアルヴァを一瞥し、サンディは囁くように言葉を吐き捨てた。
「それっぽっちのために、怪我をしたんじゃ割に合わねぇよな。お前も、あいつらも」
なんて。
たったそれだけを言い残し、サンディは立ち去っていく。
じゃらり、と受け取った革袋の中で硬貨の擦れる音がした。
じくじくと、手首に負った傷が痛む。
それと同時に、激しい痛みがアルヴァの視界を赤く染めた。
叫び出したい衝動を押さえ、アルヴァは右手を強く握る。開いた傷口から零れた血が、1滴、2滴と地面に落ちた。
人混みの中に消えるサンディの小さな背中を、敵意を込めた眼差しで睨む。
そんなアルヴァの想いなど、どこ吹く風というようにサンディの姿は人混みに紛れて見えなくなった。