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君とふたり、いつの日かの思い出とともに
登場人物一覧
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幻想『レガド・イルシオン』が都メフ・メフィートから離れて少し。
穏やかな高原部にひっそりと森のようになった場所がある。
木々が生い茂るその場所で、一際大きな大樹に溶け込むようにひっそりとあるツリーハウス。
そこは アレクシア・アトリー・アバークロンビー (p3p004630)がいつの間にか作っておいたツリーハウスだ。
風にそよがれた青葉がざぁざぁと鳴る。
木の上ゆえに遮蔽物もなく、心地よい風になっている。
窓辺から覗く青い空と白い雲が流れ、夏の日差しが暖かくツリーハウスの中に満ちていた。
深呼吸をすればツリーハウスそのものなのか、ここが立っている木のものなのか分からない、木の独特の香りと、心がスッと軽くなるような澄んだ空気が胸に満ちていく、
天義にて勃発した『煉獄篇第五冠強欲』ベアトリーチェ・ラ・レーテ直々による攻撃。
それから本当にほんの少しの時間がすぎた。
「シラスくん大丈夫?」
アレクシアはテーブルにたくさんの料理を並べながら問いかける。
問われた相手、木で作った椅子に腰を掛けるシラス (p3p004421)の身体には幾つかの傷がある。
その中でも一番大きいのは天義が都フォン・ルーベルグにおいて魔種プロスペールより受けた傷だった。
腹部を裂くような傷は、魔法と医療の両面を以ってある程度は治癒されているが、それでも僅かに衣装の舌に見える包帯はその傷の生々しさを感じさせるし、少しよく見れば少し動きにくそうだ。
「何ともないって言えば嘘になるけど……
アレクシアこそいつもあんな無茶な戦い方するじゃない?
でも一緒にいるとき位は俺がって思ってさ
キミの昔話を聞いた時からそう決めてたんだよ。だからこんなの全然平気」
答えを聞いたアレクシアは気付かぬうちにムッとして、それに気づいたシラスの表情がわずかに変わった。
「あっ、ごめんね……自分でも上手くいえないんだけど、
気遣ってもらったり、庇ってもらったりすると何だか落ち着かなくて……。
自分が不甲斐ないような気がしてくるというかさ……」
そんなシラスの表情の変化を見て取って、アレクシアはハッとしてシラスの方へ向き、笑みを浮かべた。
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子供の頃から病弱だったらしいアレクシアが、自分が庇われることに抵抗があるらしいことは話に聞いていた。
守られるだけで何もできない自分が大嫌いなのだろう。
(君が何もできないだなんてこと、絶対にないのに……)
実際、プロスペールとの戦いでは他の仲間達はもちろん、彼女のサポートがあってこそシラスはアイツを相手に戦いきることが出来た。
戦場のど真ん中、魔種との前線で彼女が咲かせた幾つもの華は、印象に残ってる。
――だからこそ、どうしようもなく、自分は目の前の少女が心配なのだろう。
「その気持ちは分かるし、応援してるけど……俺も上手くは言えないんだけどさ、
何か、キミのこと、軽くしてやれたらって」
シラスは少しだけ呼吸を整えて、アレクシアを見つめながら言葉にしづらい感情を一つずつ言葉に変えていく。
そうだ。少しずつ良くなっていっているとはいえ、彼女は今だって決して丈夫な方ではない。
実際、こうして向かい合ってみると、浮かんでいる笑顔だって、普段の朗らかな微笑みとはまるで違う、顔色が悪いように見える。
明らかに無理をしているように見えるその笑顔を見ると、まるで張り詰めた糸を引っ張るみたいな不安を感じてしまう。
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気遣ってくれるのは、嬉しいし、何よりも有り難い。分かってる。
イレギュラーズになって、確実に改善しつつあるとはいえ、未だに身体が弱いところがあるのも確かだった。
けれど、それだとしても強い抵抗感がある。
それに――シラス君が無茶をして、怪我をしてほしくない。
あまたに刻まれた裂傷は、癒えつつあるとはいえ痛々しい。
実の話、一歩間違えれば重傷では済まなかったかもしれなかったのだ。
――――何か、キミのこと、軽くしてやれたら。
けれど、そんな気持ちを聞いたら、ほんの少し、甘えてもいいように思えた。
目を閉じれば、浮かぶのは先の戦いでの彼の姿。
イレギュラーズになって、たくさんのことを経験した。
深緑の家に籠って、本ばかり読んでいた頃ではとても想像できなかったこと。
「兄さん」に伝え聞いたことも、それ以上の事も。
平和な一時も、酷い戦いも経験した。
それは必ずしも、いいことばかりであったとはいえない。
依頼だから、最終的に相手を苦しめてしまう事だってしてきた。
でもそれを間違っていたことだとか、やらなきゃよかっただとかは思わない。
きっと、それはヒーローらしくないだろうから。
悩むことも、苦しむこともあるけれど、自分が後悔することはしない。
前を向いていこう。それがきっと、ヒーローだから。
そしてそれは、目の前でこちらを見ている彼も同じのはずで。
そんな彼の、戦いの場での在り方を――初めて一緒に戦って、改めて頼りになる姿を見た。
でも、そんな彼に、今の自分は心配を掛けてしまうのだ。
だったら、頼れる彼以上に――心配なんていらないと言えるくらいに強くならないと、そう想った。
「……ん、ありがとう。
でもさ、私は大丈夫だから!
そんなに抱え込んでるようにみえないでしょう?」
――――アレクシアは普段の通りに笑みを浮かべた。君に心配をかけるのは、心苦しいから。
心配をかけてしまっていることは、痛いほど伝わってくる。
きっと、そうさせてしまっている時点で、ヒーロー失格なのかもしれないけれど。
諦めるのは嫌だ。まだ意地を張っていたい。
譲れない――いや、譲りたくないんだ。
――だから、今はまだ、ごめんなさいと、心の中で謝ろう。
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真っすぐにこちらを見据えて、アレクシアはいつも通りの笑みを浮かべる。
こちらの想いを聞いて、それでもなお、真っすぐにこちらを見て笑うのなら、頷くしかないじゃないか。
「分かったよ」
真っすぐに見据えられた視線は、彼女の中にある譲れない何かを垣間見えさせた。
何となく、少し前に彼女と見上げた夜空を思い出す。
あの日、彼女が泣く日まで、泣かないと約束(しょうぶ)をした日。
そうだ。彼女は諦めないのだろう。
譲れないものがあるのだろう。
それは、自分も同じなのだから。
どうせ変わらぬと、そう思っていたこの国が、ほんのひと時とはいえ纏まったあの日。
またいつか、この国を――いや、この世界の常識を覆すような軌跡を起こせたら。
それを含め、勝ち取りたいものはたしかにある。
それを譲れと言われても、譲ることなどできはしない。
(これから先も、焦ったり間違ったりすることもあるだろうけれど……止まることだけはできない)
そしてそれはきっと、アレクシアも同じなんだろう。漠然とだが、彼女のほほえみにそう思う。
(でも大丈夫、俺達はきっと上手くやる、そう思わなくちゃ)
「じゃあホラ、もっと食べて。俺もサラダ残さず食べるからさ」
「任せて! 今日は一杯食べるよ!
ふふー、言ったからにはシラス君もちゃんと食べてよね!」
そう言って笑うアレクシアの笑顔は、まだほんのちょっぴり硬いけれど。
それでもついさっきまでとは比べるべくもない快活な――本当の意味での普段の彼女の笑顔だった。
普段通りの日常がやっと帰ってきたと、本当の意味で戦いの終わりを実感した。
だからこそ、シラスは自然と顔をしかめたのだ。
――言わなきゃよかったかな、と。
小分けするためのボウルに、文字通りの山と盛られたサラダを見る。
そんなシラスが顔を上げると、そこにはどことなく悪戯っぽく、優しい笑みを浮かべたアレクシアがいた。
「いや、アレクシアも食べなよ?」
お返しとばかりに山と盛られたボウルを、彼女の前に置こうとすると、それを手に取ったアレクシアが自分の隣に丸太上の椅子を動かして座る。
「もちろん、食べるよ! いっぱい食べるって言ったからね!」
そう言って、野菜を取って口に入れていく。
楽し気に身体を微かに揺らしながら食べる彼女をみて、シラスも野菜を口に入れた。
不思議なことに、途轍もなく美味しい。
風情もないことを言ってしまえばただの野菜。
洗って、千切って、切って、それで終わってしまう、たったそれだけの料理。
人の腕というものが介在する場所のほとんどないそんな料理さえ、目を見張るほどに美味しく感じる。
ドレッシングの味がいいからとか、そんな野暮な理由ではないことは明白だ。
「そうだ、冷たいスープもあるんだよ」
そう言ってアレクシアから手渡されたのは、良く冷えたコーンスープ。
一口あじわうと、円やかに口の中に浸るトウモロコシの香りが鼻に抜けていく。
夏の風が窓の外の歯を揺らし、枝を離れた一枚が窓を抜けて机の上を滑っていく。
ひょいとつまんで、それを窓辺におけば、風にさらわれて外へ消えていった。
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実の事を言うと、アレクシアは今日のお昼ご飯を作るにあたって、少しばかり考えていたことがあった。
そのために、朝はちょっとばかり早かったりする。
魔種プロスペールとの戦いによって受けたであろう彼の傷が深いことなんて、今日ここで聞くまでもなく深いものだ。
だから、用意するのは全部、食べやすいものにしようと思ってた。
練達から流れてきた――というより、練達にいるウォーカーが故郷の品物を目指して作った細くて白い麺類を敷いたサラダは実は自信作だ。
「どうかなシラス君……味見した時は美味しかったんだけど」
ちゅるちゅると飲み込んでいくシラスを横に見ながら、聞いてみる。
「これもアレクシアが作ったの?」
「うん! これなら、食欲がわかない時とか食べることが難しい時とかも食べられるかなって」
あの時、アレクシア自身の傷が受けた傷はそこまで大きくなかった。
けれど、明らかな重傷を負った彼へ上げる料理なら、食べやすい物の方がいいかなって、そう思って、色々探って作ってみた。
「美味しい、ありがとう」
言葉少なに呟くシラスの横顔を見て、アレクシアは不思議と胸がすっと軽くなるのを感じた。
そうだ、頼もしかった。一番の大切な友達の、戦場での姿は、本当に。
けれど、本当のところ、私が思っていたのは――感じていたのは――もしかしたら。
――――少しでも軽くできたら。言われた言葉が、また、何となく脳裏をよぎる。
「はふ…………」
ほんのちょっぴり、気付かれないだろうぐらいの大きさで、襲ってくる眠気に負けて声を出す。
「大丈夫?」
「ちょっとだけ、今日は早かったから」
アレクシアは笑って答えると、向こう側でシラスが目を見開いた。
「大丈夫! 元気ではあるから!」
無理をしている訳じゃない。だから、心の底からそう声を上げた。
じっとこちらを見ていた彼が、やがてそっか、とだけ言って視線を外す。
「でも……眠いたいんだったら、昼寝でもする? ちょうどいい天気だし」
おしゃべりしていたい気もするなと――そう思いつつ、彼と視線を合わせて、アレクシアは冷製スープを口に含んだ。
眠気が、ほんのりと消えて、トウモロコシのくちどけに意識が移っていく。
「せっかくの休みだし、まだお話したいな!」
笑って返した言葉に、彼もまた笑い返してくれる。
だから、もう少しだけ、この眠気とは戦っていたい――もったいない気がするから。
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シラスはぶるりと身体を震わせた。
何となく視線を外にやると、そこには薄くオレンジがかった光が見えた。
ツリーハウスの隅に鎮座する質素なベッドに寝転ぶ少女を見つめて、頬が緩むのが分かった。
「もうこんな時間か……アレクシアと一緒にいると、時間が早いな……」
起きるのが早かったらしい彼女と食事をしながら話していると、やがて穏やかな寝息を立てはじめたから、そっとこのベッドへ移動させたのだ。
こうしてみると彼女は本当に華奢で折れてしまいそうに見える。
もちろん、彼女が折れることなど、そうそうあることではないのだろう。
気付けば、虫の音色が外から聞こえて来るようになってきた。
嘗ていたあの場所では到底、聴くことが出来なかったであろう心地よい音色。
アレクシアの故郷では、よく聞くことが出来るのだろうか、なんてことをぼんやりと考える。
夜は夜で、あまりいい記憶はない。
ただ、この音色を、アレクシアと共に聞木ながら眠れば、悪夢は見なくて済むような気がした。
染みわたるような虫の音と、微かに木々の葉が揺れる音が、それ以外のないこの場所では良く聞こえてくる。
「…………起きてる…………?」
「うん……まだ起きてるよ」
「そっか……ごめんね、寝ちゃってたみたい」
目を開けると、アレクシアが身体を起こし、目をこすりながらこちらを見ていた。
「おはよう。でもまだ夜だよ」
「うん……あっ、そうだ、聞いて! ここってね!」
そう言ってアレクシアがシラスの手を取り家の外へと走り出す。
扉を開けて、手すりのようになった場所に手を置いて、ほら、と視線を外へ。
空に浮かぶ、綺麗な丸い月が、視線の先で姿を見せていた。
木の上、遮蔽物の無いその場所から見る月は、普段、地上で見上げる物とは別の趣さえ感じて。
「綺麗だね」
「でしょ! 前は夜に外で月とか見たくなかったけどさ、シラス君となら、あの日みたいに眺めてみたいなって――」
月光を背負うようにこちらを向いて、そう言った。
影になってみえないけれど、きっとその表情は楽しげに笑っているのだろう。
穏やかな声にシラスは笑みをこぼす。
夏とはいえ、夜になったことで多少の肌寒さを感じつつもシラスはアレクシアの隣に近づきながら、山の向こうから昇ってくる月に視線を向ける。
悩むことや考えることはたくさんある。ただ、今はそれを考えるのはやめておこう。そう思いながら、少年は空を見上げた。
空に近く、いつもより壮大に見える月と星を眺めながら、二人はいつの間にかまたおしゃべりを始めていた。
夜更けが来る前に、けれどもう少しだけ――今日のこの日が静かに進んでいけばいいのにと、シラスは思った。