SS詳細
6月27日
登場人物一覧
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「朝ですよー、サイズさーん、起きてくださーい」
淀んだコールタールの様な黒い微睡みに波紋が走る。ドンドンドン、ドンドンドンと布で巻いた物が打ち付けられるような波動が意識にうねりを生み出した。
それが鍛冶工房の扉を拳で叩きつけられている音であると気が付いたのは聞きなれた甲高い声がドア越しに聞こえ、思わず飛び起きた時だった。
「サイズー? サーイーズー! 起きろー!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今起きたから……」
寝床を飛び出し鏡で最低限の体裁を整え――る間も許されず、その橙色の塊はサイズの背中から飛び込んで来た。肺の空気が温かい肌に押し出される。
「わっ!?」
「おっはよーサイズ! 鍵空いてたよー? 息も荒いしもしかしてお疲れ気味?」
「ちょっと仕事の準備をしていて忘れただけさ……問題ない」
急に抱き着くからだよ、サイズはそう内心呟きながら背中にすりついてくる妖精――メープルの体を離し、余所行きの服に身を包んだ彼女の背中に大きな紙が揺れているのに気が付いた。
「おはようメープル……それは?」
「ん、これの事? せっかくサイズとお出かけに行く約束したんだし何かしたいなって思ってね、そしたらこれ!」
「これって、サマーフェスティバルのお知らせか?」
「そうさ! お友達が持ってきてくれたんだけどね……?」
海と空の青と鮮やかな水着、そして少しばかりの肌色で見覚えのあるお祭りを告知するそれを腕いっぱいに広げて見せながら、メープルはうんうんと紙から顔をのぞかせて頷いて見せる。
「お祭りには水着とか浴衣とかがあるといいんだって、サイズ着た事ある?」
「いや……あまりないな」
『そうだと思った』と言わんばかりのしたり顔でメープルはさらに小刻みに何度も頷くとそのコピー用紙を工房の机に置き、仁王立ちのポーズをとって叫んで見せた。
「実はメープルは見たこともありません!!」
「その表情で言うことかー?」
「いやぁだってさあサイズ、メープル水浴びはしたことあるけど基本楓の木の精霊だし? 水辺の妖精は水場で着替えるって発想がないしー? そこでお出かけに誘いに来たのさ!」
「……もしかして、買いに行きたいって事か?」
数秒考えた後にメープルの要求を理解したサイズにメープルは指をさし正解のポーズを取る。
「うん、一緒にね! ……そりゃ、前みたいに参考に見に行くだけになると思うけど。メープル小さいし」
事前に約束していたお出かけだ、妖精の頼みを断る理由はなかった。一緒に、という言葉に若干の疑問があったが……なんだ、水着でなくとも水中で行動するための服装はあることは越したことにないだろう――そう自分を納得させサイズは自らの本体である鎌を拾い上げる。
「わかった、水着を見に行くなら希望ヶ浜のいい場所を知ってる。一緒に見に行こうか、メープル」
「やったー!」
さて、今日はどうやってこのおてんば姫を満足させてあげようか。
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再現性東京のカモフラージュされた空に浮かぶ太陽が照り付ける、こんがりと焼けたアスファルトが熱を放ち景色が揺らぐ。
「さいず、サイズー」
カッターシャツの胸元から響く声に視線を下げれば、ポケットの中からメープルが顔を出してぜえぜえと犬の様に舌を出していた。動かれるのはもちろんだが、この大きさの差はちょっとむずかゆい。
「サーイズー……」
「夏は初めてだもんな、大丈夫か?」
メープルはポケットの中から小さな水筒を取り出し、大きく息を吐いてうなだれていた。そうしているうちに信号が青になり、鳩のような鳴き声とともに動き出す人混みに紛れながらサイズは落ちてしまわぬようにと彼女の体を翅が傷つかないように慎重に支えて手で軽く仰いで見せる。亜麻色の髪を風に揺らしながら、メープルも何か知見を得たかのようにだらりとしながら自分の翅をぱたぱたと団扇代わりに動かしていた。
「メープル暖かいのは好きだけど、ちょっと暑すぎ……」
「もう夏だしな、この時期の希望ヶ浜は30度を超える様だ」
「嘘でしょ……服着ない方がよかったかも」
水着の後は夏服について教えた方がいいだろうか、本当に脱いだらいろいろまずいし……そんなことを考えてるうちに完全にだるくなったのか翅を動かす気力も失ったメープルはだらりと翅ごとサイズの手によりかかる。
「飛んだ方がよかったかも……メープル精霊種だからこの大きさで見られてもへーきだし……」
「やめた方がいい、前に試したが蒸した空気がかき混ぜられて余計つらいだけだぞ?」
「ぐえー……」
いよいよ伸びながら腕をスリスリと擦り付けるメープル。戦闘時と比べればまだまだ平気だろうがこの不快感の中に長時間置いておくのは妖精の魔鎌としての本能が許せない、周囲を見渡せば遠くに大きなソフトクリームの飾りが置かれた販売車らしきものが見えるが、この人混みの中ではすぐにたどり着けるかどうか。
「そうだ、これがあったか」
こうなればダメ元でも。
「ふえ?」
ちゃりちゃりと音を立て、メープルの頬に金属の塊が添えられる。右手首と本体をつなぐサイズの鎖を彼女が抱き着きやすいように手繰り寄せ、そっと手のひらに乗せてあげたのだ。
「これで少しマシになるといいけど……」
「ひんやりしないかも、あ」
流石に夏の日光に晒されていれば金属でも苦しいか、そんなサイズの苦い顔とは裏腹にメープルは途端に静かになり、抱き着いて気味の悪い満足そうな笑い声を零していた。
「へえ、ふうん、こっちは心臓の音するんだねえ」
「うん? ああ、鎌の方が本体だからな……それがどうしたんだ?」
「なんだか落ち着く……そっか、こっちだしねえ、えへへへ……あ、早くなった」
メープルは鎖を鳴らしながら体をくっつけ顔を赤らめている、結果オーライではあるがなんだか無性に恥ずかしい光景だ……薄着をしているはずの自分の顔の方が熱くなってくるじゃないか!
「メープル、ちょっとあそこでアイスを買って来よう……メープル?」
「あ゛ぁー……」
このままでは別の意味でのぼせてしまう。サイズは慌てて財布の口を開けると、人混みを掻き分け移動販売車へと駆け込むのであった。
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「メープル、もう出てきていいぞ」
それからメープルと自分に買った大きなアイスキャンデーが丁度キレイさっぱり棒だけになったころ、サイズとメープルはようやくとあるデパートへとたどりついていた。
「っひゃあ、涼しい! 生き返るよぉ……わわ」
前に行ったお店とは違うただならぬ雰囲気にメープルは息をのむ、見渡す限りのブランド物の服、化粧品、ビビッドなカラーで印刷されたセールを伝える看板。
「ねえねえサイズ、これがデパートっていうの!?」
「ああ、練達の大人がちょっと豪勢におしゃれをする時に行く場所、らしいな」
「すごー!? 階段が動いてる! あれなに!? 乗ってみたい!」
「……相変わらずそっちに目が行くんだな、メープル」
幸い目的の場所は地下にある、サイズはエスカレーターにメープルを案内すると……大胆にも段差に乗って目を輝かせていた。
巻き込まれたりしないだろうか、そう気を揉むサイズもなんのその、メープルはギリギリのところでド派手に飛び上がると楽しそうに空中を横に1回転――そしてまた大きな声を上げた。
「えっ、何々これこれ、全部水着!?」
鮮やかな青めのライトで照らし出されたフロアにあらわれたものは、ありとあらゆる水着がハンガーにかけられ、マネキンに着せられ、戸棚に畳まれ積み重ねられている
「ああ、他のイレギュラーズに教えられたんだ、サマーフェスティバルにおすすめの水着専門店があるって――」
「サイズー!」
大声の方向に視線を動かすといつのまに飛びついたのだろうか、メープルがサイコキネシスでいろいろ水着を広げ凄まじい勢いでメモとaPhoneで写真を記録している。そんな気はしていたが、完全に聞いちゃいない。
近づけばなるほど、メープルが心を躍らせるのも無理はない。魅力的な水着の数々が特徴的なものからオーソドックスなものまで、様々なシチュエーションや用途別にグラデーションを作るように奇麗に並べられている。その一つ一つがまるで自らを纏う者を必ず可愛らしくしてみせると自慢に満ち溢れたかの如く、シンプルなコンセプトで可愛らしく作られている。
(武器とは違うけれども……物を作るものとして参考になりそうだ――)
「ねえねえ、これとかどうかな!?」
思わずメープルより水着に目が行っていたようだ。肩を叩かれ、振り向いたところをわっと水着が飛び掛かってくる!
「これって……全部男物じゃないか!」
「ん、サイズにどうかなって思って!」
自信満々に胸を張るメープルに思わず肩をすくめてしまう。
「その、俺はだな……」
「ん? 男の子じゃないのー?」
冗談じゃない、自分のステータスシートの性別は
「こういうのじゃなくて、適当にこれを参考に胸部を護る装甲と水中で使えるポシェットがあるのを作ろうと思ってる、海でも錆びずに使えるように変形機構のついてるような奴をだな?」
「おお! すっごくいいねえ! すっごく男の子って感じ!」
目をキラキラさせるメープル。サイズ自身はどちらとも言っていないのだが……メープルが機械馬鹿で良かった。
「そんなことよりだなメープル、自分の水着は見てきたのか?」
「ん、ちょっとだけ!」
サイズの選んでたからね! とメープルは前置きをした上でひらりと宙を舞う。
「思ったより、泳ぐ! って感じじゃないんだね ポスターで見たみたいに奇麗なの多い!」
「ああ、その為の競泳水着みたいなのもあるけどみんなそうだ」
サイズはふとハンガーにかかった水着のいくつかを見渡し、メープルの方をちらり見てから一つを取り外し渡してみる。
「こういうの、どうだ? 胸とおなかの下で分かれてて背中の所が開いてるから翅のあるメープルでも着れると思う」
「わお、おもったよりぴっちりしてるやつじゃん! ふふーん、サイズはこういうのが好きなんだー♪」
青のホルスターネックビキニを手に、上機嫌そうにぴたりとメープルは広げて自分の体にくっつけ――真顔で硬直する。
「あ、
「ああ……メープル最近入り浸ってたもんな。わかるよ、最初は戸惑った」
「だね、わかってても……ところでサイズー、さっきもう1個取ろうとしてやめたよね? あれなーに」
「え? それは……わっ!?」
止めようにも時すでに遅し、メープルの手には既に先ほどよりも派手なオレンジ色のビキニが握られていて。
「うおー、胸の所がバンドみたいな布で取れない様にはなってそうだけど……こりゃ大胆だねぇ、こういうのがいいの?」
「す、少しはそう思ったが、やっぱりダメだって戻したじゃないか……!」
「ふーん、少しは思ったんだあ」
あ。
「いいんだよ、いいんだよサイズ、しょうがないよねえ、メープルこう見えて結構大きいしねえ、恥ずかしがらなくたってきっちり覚えといてあげるからねえ! あっはははは!」
大きな声で笑うメープルを前に、サイズはただ恥ずかしさで震えるしかできなかった。けど、その時のメープルの笑い声は一切誰かを貶そうとかバカにしようとかではない、本当に心からの楽しさから出る笑いだったと、強く印象に残っている。
「よし、ばっちり写真とメモ撮った! サイズ、次は浴衣見に行こうよ!」
「うん? 俺は構わないが……メープルは着るつもりなのか?」
「ないっ! でもでもいいじゃん、同じデパートの中にあるわけだしさ! お勉強お勉強!」
そう張り切って声を出して見せると、メープルはサイズの手を引っ張り、半ば強引に次の店へと引きずっていく。
「お土産も買わないとね!」
ああ、これは長くなりそうだな。そんな気がしたが、不思議とサイズには、それに対しての不満は感じなかった。メープルもきっとそうだろう……このまま二人で、ずっとこの店に居たい。そう、おもった。
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「うっひゃあ、もう夜じゃん?!」
「本当だ、建物の中にいるとわからないものだな」
あれから水着や浴衣のみならず、夏服や香水やら、観光地と称された他の再現性都市の数々のスポットを旅行代理店で調べたりやら……時々、小学生と間違われて面倒にならないか不安になったりして。
楽しい事はあっという間に過ぎ去るとはよく言ったもので、昼下がりには帰るつもりだったと言うのに二人は両手に色々とお土産をずっしりと手に持って帰った頃にはすっかり夏の長い日も沈んでいた。
「メープル、コーヒー豆買ってこいって頼まれてるんだよね、これ以上サイズを連れまわすわけにもいかないしここでいったんバイバイしよっか?」
「ああ、メープルがそれで大丈夫ならそうしようか」
「うん、またあとでね、サイズ!」
そんな、おでかけの後の別れの挨拶、ただそれだけの事。
けれど、遠ざかり小さくなっていく彼女の背の大きな翅を見て、ふと。
「メープル」
指先がチリチリとする感覚。自分の腕が伸び、メープルを呼び止めている。――何故?
「んー?」
振り返ったメープルの瞳に写る自分の姿を見て、サイズは頭を必死に回し突然の行動の理由を探す。刹那に自分はふと恐怖にかられたのだ、彼女が永遠にいなくなってしまうのではないかと。
急に何か言葉を紡がなければという焦燥感だけが雪の様に心に積もっているのに気がついたのだ、
「その、メープル……気を付けて」
必死に我を保ち、言葉を紡ぐ。よほどその自分の様子が滑稽だったのか、メープルは数刻の驚愕の後、お腹を抱えて大きく笑っていた。
「あ――えへへ! サイズったら!」
メープルの顔が大きく近づく。今は自分の方が大きいのに何故彼女の顔がここまで大きいと認識してしまうのだろうか。
「大丈夫さ! そりゃ君よりは弱いけど、今のメープルは強いんだぜい?」
「ご、ごめん、つい」
じゃらり、と鎖が大きく揺れる音がした。一体何を――意識がそちらに逸れた瞬間、首筋に何か温かいものが触れ――
「弱くないんだよ、ね?」
「ッ!」
静かなメープルの囁きにサイズが身をよじらせるとこれ以上無い爽やかな笑みを浮かべふわりと浮かび上がり……今度はあっという間に夜の闇へと溶けて消えていってしまう。
「
「……メープル……周りの人に見られたらどうするつもりだったんだ……」
首筋に手を当てる、ちょっと、暖かい。もしや自分は自分の思っている以上の深みにはまっているのではないのだろうか、空を見上げそう何度も考え直さずにはいられなかった。
造られた星空は明るく晴れ渡りどこまでも、どこまでも爽やかな黒で透き通っていた。
おまけSS『その本心は蜜よりも甘く、粘っこく』
「そんなわけでカルっち、こんな感じで水着いっちょ頼むぜぃ!」
「いいけど……なんで私」
「サプライズ本人に頼んじゃダメっしょ! ほら、女の子なんだからしっかり刺繍もしなくちゃ!」
「メープルだって女の子でしょ……むぅ」
……
サイズ、楽しかったかな。私も楽しかったけど恥ずかしくて変な事しちゃったな。いっつも失敗しちゃうよね。
お誕生日にあの素敵なドレスを編んでくれた時もそうだった、顔が熱くなって、サイズを押し倒しちゃって……
私はみんなと一緒にいるとすごく心がうきうきする。貰った恩以上に助けになりたいと思ってるし、みんなが辛い時は支えてあげたいんだ。
あの春の国を守ってくれた皆の事は好きだし、キミの事はもっと大好きさ。
でもね、サイズ。
キミへの好きは故郷で一緒に妖精の仲間達と遊んだり一緒にパンを焼いて食べたり、他のイレギュラーズとお話してるときの『好き』とは、違うんだ。
キミに抱きしめられたい、キミの全部が欲しい、キミが好きな人達と一緒に、ずっといたい。
怖いんだ。キミに助けてもらったあの時植え付けられかけた劣情と、同じものが私の奥底から上がってくるのが。魂が、心が……体がキミを求めようとする色欲が。
サイズ、私は、本当にこの感情が自分のものか分からないのが怖いんだ、嘘の気持ちでキミを愛したく無いんだ。
そんなの絶対無いのはわかってるさ、だけど私、臆病だから勇気が湧かなくってさ。キミにそれを伝えてるのができてもお返事をもらうのがすごく怖いのさ。
……だから、すっごく回りくどいけど、あん時。押し倒した時にちょっぴりだけメープルの気持ちを流し込んでやった、妖精を弄んだお返しさ。
ずっとお友達のままでも、親友でも、恋人でも、もっと先の関係でも。
『
だから、キミの方から望みを聞かせて欲しい……なってみせたい、って。
その気持ちが、じんわり、なんとなーく通じていくお呪いを。
本当に通じるだけさ……言わないと頭が痛くなるとか、そんな事したら嫌いになっちゃうしね。今でも怪しい?その時は……しょうがないかぁ。
本当に通じてお返事が貰えるかなんてわからない。効いたところで明日かも100年後かも、ずっと言えなくたってそれでもいい、妖精は気長なのさ、長生きだからね。
恨むなら、キミを好きになった私を恨むといいさ、ね?