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パプステ! ~2.5次元舞台沼のオタク達~
登場人物一覧
白い壁が続く廊下を、じゃらじゃらと金属の擦れる音がする。
大きな輪に大小関係なく鍵を纏め、大事そうに両手に持っては何処かに向かって走っていた。
此処は既に彼の管理する境界であり、扉は最奥に一つしか存在していない。
少年は此処に来たばかりの新人管理人でありよくぱたぱたと走り回る姿が散見される。彼の有する『オーダーメイド・キー』の二つ名は山ほど持った鍵に由来していた。鍵の持ち手には複数の文字。少年自身はある程度場所を把握しているようなのだが、何時イレギュラーが起こるかどうかはわからない。一つの扉に複数の鍵。その鍵を管理するのが少年――テトの役目である。
今回使っている鍵の持ち手には"劇"と書かれていた。
ほんの少し急いだ様子で扉を開けると大きく視界が開き、その先は大きな"劇場"と繋がっている。既に客も出払ったようで、セットの解体や撤退準備が行われている最中だった。
「遅くなってごめんなさい!」
テトは衣装のまま最後のチェックに走る男性に頭を下げた。
振り返った男性は、何時も良い香りがする。ただし、一度もその香水の銘柄を教えて貰えた事はない。男性は慣れた様子でテトに手を振ると此方に来るように手招きし、自分が覗くパソコンの画面を示して見せた。最近テトが此処に通うのは、彼が指揮を執る舞台の手伝いをしていたからだった。……とはいえ出来る事はそう多くなく、こうしてパソコンを用いた情報の整理などをするのが一般的なのだが今回はほんの少し普段と違っていた。
そう、今日は特別な日だ。男性はテトの肩に手を置いた。
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今や世界で使われている短文を呟くSNS「Boyaitter」(ボヤイッター)
文字数に制限はあるものの様々な言語での呟きが飛び交い、最近では個人だけでなくイベント事の告知などに使われる事も多い。男性が示してみせたのはそのうちの一つのアカウント、『Pandora Party Project THE STAGE』……通称『パプステ』と呼ばれる舞台の告知用アカウントであった。
テトは興味ありげに尻尾を揺らすと、先程大歓声の中で終わった舞台の写真と共に一文添えられた呟きに目をやる。
"『Pandora Party Project THE STAGE』大千秋楽が先ほど終了しました。
誰一人欠けることなく戦い抜くことができたのは、ひとえに応援してくださった皆様のおかげです!
ご観劇ご視聴、本当にありがとうございました!いつかまたお会いしましょう!
#パプステ"
この呟きが示す通り、この異世界では混沌を創作物として認識している。
全てが実在するものではなく二次元――もとい、所謂2.5次元として扱われているのだ。
物語の中身も全て創作であり、実際の混沌やイレギュラーズとは一切関係がない。というより、この世界の人々にとって混沌はあくまで創作物なのである。
先程からテトに画面を見せる男性はこの舞台を統括する脚本家、舞台界隈では非常に人気の高い"東田幸助(ひがしだ こうすけ)"。昨今若手演出・脚本家として人気を浴びている人間であり、その原作を忠実に守りながら創作部分を上手く組み合わせる話の魅せ方からファンも非常に多い。
東田は、先程終わったばかりにも関わらず既に"#パプステ"のタグを用いた沢山の反響が寄せられているボヤイッターをスクロールしていく。その中のたった一部ではあるが、パプステロスに陥るオタク達のレポート、悲鳴、考察渦巻くタイムラインを見ていく事になった。
また、今回はパプステに出演したキャラクターの中から、特にメインとして扱われたトキノエ、黄野、白萩、ニル、藤袴の五名に関するものをピックアップしている。
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「大楽おわりました」
実に一般的な観劇報告、と思いきや。
「むり」
「しんど」
「は??」
「ど"う"し"て"」
「ときのえどの」
「あんまりだ」
「にるくん むり」
「やだーーー!!!!!」
ここまでが一人の連続ツイートである。時間にして間は秒。
どうやら何かが起こったらしい。しかし言葉が足りないが為に周りからはどうした……!としか言えない。
これが所謂"語彙が死んでいるオタク"と称されるものである。この異世界だけでなく、恐らく混沌にも存在している可能性は大いにある。起きた事象に耐え切れず勢い上手く言葉に出来ないながらも、ショックと動揺を隠せずにそのまま打ち込むのだ。東田曰く、これを見ると「始まった始まった」と思う……らしい。
非常に端的ではあるものの如何に辛いのか伝わってくるのがこのタイプの特徴である。
呟きには同じくパプステを知っていると思わしき返信がついていた。
『大丈夫?パプステ生きてる?』
「死んだが!!!1!!11」
心配や労りの言葉かと思えば完全なる煽り。最早勢いに任せすぎてエクスクラメーションマークが1になってしまうほどの勢いだ。そこまであのお芝居に入れ込んでくれたのかと喜ぶのと共に、この舞台の特徴諸々を踏まえて心中お察しする、とテトの耳が更に垂れる。
東田舞台の特徴として、"上げて落とす"という方式が常習化している。他の舞台と違い一つが長い東田作品。一幕は楽しくギャグも含めて和気藹々とキャラクター達の魅せ場を作り、二幕は掌を返したようなドシリアスの地獄絵図。大体の観客がこの人物と同じ感想を抱くのだ。そう、この語彙が消えた人物のように。
「ひとのこころがない」
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語彙が減る人間は多数いるが、中には思わぬ方向で舞台を見る羽目になった人物もいるようである。実際作品というものは見てみなくてはわからない。蓋を開けてみなくては……とはいうものの、
「私ノエ殿見に来たはずなのになんでまた萩さんの沼にいるん????」
アイコンを見るにトキノエ推しのようなのだが、他の感想と言葉にならない度合いが白萩の方が多いのだ。
"また"ということは他でもほぼ通例なのだろう。何故そうなるのか。2.5次元の沼というものは一つとして"キャラクターと共に役者も好きになる"というパターンが存在する。この場合沼と呼ばれるハマり具合が二段、三段構造となり、お目当てとは違う方へ目がいってしまうのだ。
「〇〇さんがやってる段階で正直ヤバさはありました」
「それでもノエ殿は美しいからまーた推しがすみません案件だよ」
この人物の場合は自覚があっての事のようなのでお目当てのスライドも致し方ないのだろうか、とテトは尻尾を揺らす。トキノエの描かれ方も美しい、しかしながら白萩の(ネタバレの為伏字)も素晴らしい。一体この人物の他の推しは何をしたというのか。辛うじて語彙は何とか保った上で、
「そろそろ一幕と二幕の温度差何とかしてくれ東田」
どうやらこの人物も"上げて落とす"、の法則によって思い切り膝を打たれているようだった。
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感想組が粗方出揃うと、今度はレポート組の出番である。日替わりネタやカーテンコールを記憶し、参加出来た面々の思い返しは勿論、その日来ていないメンバーにもその日のネタを教えてくれる良心的存在だ。大体において『レポよろ!』と頼まれがちだったりする。
当然その人物達も東田節を浴びに浴びているため、レポートの端に「あ~あ!!!!!!(大の字)」と語彙が減った呟きも散見されはするのだが。
今回のレポート組となったのはニル推しの人物と黄野推しの人物の二人のようである。
「本日のセトリ→酢昆布の歌(フル)、麒麟が可愛い歌(フル)」
「ノエどの渾身の「バカじゃねえの!!??」」
「そういや完成版 しばらく固定してます。各公演おやつタイムのまとめ(文章纏めサイトのURL)」
突然のアドリブ。2.5次元舞台ではあるあるであり、その為に複数回通うファンも多い。身内ネタでうっかり笑ってしまう演者、全力でギャグに走る一幕……一番顕著に表れるのはカーテンコールの際かもしれない。
「麒麟(もとい黄野)のコーレス安心安定すぎるし、麒麟のコーレス受けてコーレスしたがる白萩さんマジかわでは」
コールアンドレスポンス。ライブなどではよく見られるが、舞台でもやはり存在している。普段からコーレスをしている黄野役の人物だけではなく、最後という事もあってか白萩役の人物も乗っかりたかったらしい。無事に乗れたのかどうかは不明であるが。
「「やってまいりました麒麟の舞台ショッピングのお時間です!今日おすすめするのはこちら!全員ブロマイドセット!」
だれか黄野殿を止めろ」
度々思い出し笑いをしては東田が喉を鳴らして笑っている。なんというダイレクトマーケティング。勿論これもカーテンコールの後、演者として話しているからこそ出来るものだ。なおこの勢いは止められず暫くノンストップで喋った末にトキノエ演じる座長からきっちりお叱りを頂いていたようだ。更にレポートは続く。
「藤袴ちゃんにツッコミまかせるんじゃないよ」
年齢層が高く男性陣が多い中、唯一の女性キャラクターとしてメンバーの中で名前が挙がった藤袴。小柄で東田舞台には初参加という事で余計にレポート組の目が光っている。慣れた大人程ふざけるものなので、藤袴役の少女も相当に焦っていたのだろうというのがありありと伝わってくる。そして、カーテンコールの〆といえば勿論座長の挨拶なわけなのだが。
「ノエ「またこうやってトキノエとしてみなさんにお会いしたい。そのためにはみなさんの力が必要です。そう、グッズです!!グッズを!!買ってください!!」
パンフとブロマイド買いました(ドヤッ」
物販もしっかり宣伝していった黄野とトキノエの効果はどれほどあったのだろう。少なくともテトの隣で画面を共にしていた東田の笑顔を見る限り、問題なく成功していたようである。2.5次元舞台において推しの力は大きいのだ。
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個人的な感想とは別にキャラクターを交えたストーリーの考察をする人物も居る。文字数制限をフルに活用し、印象に残ったシーンを振り返り、何度でもかみしめるようにして呟いていくのだ。他にもタイムラインを見ている人々が"その考察好き"を示すボタンを幾つも押していく。
「食事シーンが今回印象的だったよね。食事シーンって登場人物同士の関係性を表すのにはとてもいいって聞くけど、最初の方は食べないかとりあえず食べるくらいだったノエさんが最後には猫も交えてニルくんと美味しくご飯食べてるの、すごくいいなって思った…」
一幕、二幕と共に描かれた食事シーン。場所は同じ、メンバーも同じでありながら前後で非常に大きく変化した場面であり、他の面々の心にも深く刻まれているシーンである。この後はクライマックスへ向かってゆくのだが、見ごたえのある殺陣の前の唯一の癒しとも言えよう。
「結局あれが最後の晩餐になっちゃったわけだけどニル君にはすごくいい思い出になっただろうなって思うと、二周目とか普通に泣いちゃったわ…。人が飯食ってるところで泣ける…どういうこと…。」
そう、この既に大千秋楽も終わり仲間内ではネタバレは解禁済み。この人物のように複数回通った者も居れば、最後の最後になって漸く見たというメンバーも存在する為此処では敢えて伏せずにご覧頂きたい。
話題に上がったニルはレガシーゼロの為本来であれば飲食を必要としないのだが、『おいしい』という事を知りたいという一面を持っている。その少年が誰かと食事をする、ラストを思えば涙が出るのも共感出来る部分だ。ボタン横の同意を示す数字も増えていく。
長く東田舞台に通うこの人物。猫、と呼ばれる要素についても詳しく知っているようであった。該当するキャラクターは藤袴一人だけだが……
「猫二匹はノエさんが記憶無くす前に面倒みてた猫ってことでいいのかな?本当東田の作品に出てくる猫は恩知らずですね(すっとぼけ)」
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もうそろそろ呟きが落ち着くかという所でも隣の東田はニヤニヤと笑いながら眺めているが、テトといえば沈痛な面持ちで最早拝みそうな気配ですらある。また、大千秋楽は普段の公演に加えて追加のシーンがある事が多い。恐らくその部分での感想を纏めてみる。
「今日の藤袴ちゃん、あの、やばない?やばい」
「追加シーン加減しろ」
「萩さんが(ネタバレのため伏字)の所でボッシュートされた」
「もう一曲歌わせるのじゃ千秋楽じゃろ」→「座長ノエどのをたたえる歌」
ギャグから鬱まで幅広く取りそろえる技の東田版Pandora Party Project。一体何が起こったのかは是非とも映像媒体を購入して確認して欲しい。なお、販売は未だ発売日、金額ともに未定である。
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「今回も感想が沢山来てましたね…!」
テトが感動して東田の方を見る頃には大体の撤収作業は終わっていた。今回初めてやってきた異世界。今度は本物のイレギュラーズ達を案内する事があるかもしれない。感謝の礼と共に使っていたパソコンを閉じて東田に渡すと、彼はに、と笑って声を張り上げた。
「よーし、飲みにいくぞ!」
この舞台が続いていくのも、呟きに居たお客さん達やこの脚本家の熱意あってのことなのだろう。眩しいものを眺めるように劇場内を眺めてからテトはこっそりと別の扉を使い、入る時と同じ鍵で出ていく。果たして続編は何時になるのやらと考えると共に、本物の世界へ戻っていくのは何だか不思議な気がしていた。